【016】実験
一
「罪なき森の民を救った鹿羽君は、見事、現地勢力とのコンタクトに成功したって訳ねー」
「端的に言えば、そうなるかもな」
“屍食鬼/グール”に襲われていた人々を救出した鹿羽達は、待機していた麻理亜達に報告する為、ギルド拠点へと帰還していた。
どうやら麻理亜達は、L・ラバー・ラウラリーネットの撮影用ドローンによって、遠くから鹿羽達を見守っていたようだった。
老人の死霊魔術師と対峙し、鹿羽自身も戦闘まがいのことをしたので、危険を冒したことを咎められるのではないかと鹿羽は覚悟したが、麻理亜達はたまたま見ていなかったのか、何も言わなかった。
今回の黒幕だと思われている老人の死霊魔術師については、鹿羽が独断でT・ティーチャー・テレントリスタンに尋問を任せていた。
既に死んだ筈の人間を蘇生魔法によって強制的に生き返らせ、無理矢理情報を吐かせることに若干の罪悪感が芽生えた鹿羽だったが、平気で他人を殺し、自分を殺そうとしたのだから相応の報いだろうと納得することにした。
そして鹿羽は、この老人の死霊魔術師について麻理亜達に報告していなかった。
非人道的な行為をしているという負い目と、そんなことに麻理亜や楓を巻き込みたくないという理由からだった。
罪を犯し、汚れるのは自分だけで良い、と鹿羽は思っていた。
たとえ独りよがりで醜悪なエゴだったとしても、これで良いと鹿羽は思っていた。
「鹿羽殿。救いし善良なる民との契約はどうする心づもりであるか? 素顔を隠し、我らの本質は見抜かれていないとはいえ、このまま悠久の時のままに放る訳にもいかぬのでは?」
「……事後報告で悪いが、偽名で自己紹介をした。今後も訪ねるかもしれないという曖昧な約束付きでな」
楓の疑問に、鹿羽は淡々とそう告げた。
「偽名何にしたのー?」
「……笑わないと誓うか?」
「誓っても良いけど、笑っちゃったら許してね?」
鹿羽は顔をしかめながらも、咳払いをして口を開いた。
「……ニームレス、だ。咄嗟にこれが出てきた」
「名無しの象徴、“ネームレス”をもじったのであるか?」
「そうだな。そういうことだ」
一瞬、“ネームレス”と“権兵衛”で迷ったのは、鹿羽のささやかな秘密であった。
「思ったより普通だったねー」
「いや、もしかしたら“転移者であること”が地雷になる可能性もあるかと思ってな。そう考えるとテキトーな名字も駄目だし、英語も避けた方が良いと判断して、だな」
「鹿羽殿なりに色々考えていたのだな……」
この世界に鹿羽達と同じ境遇の人間がいる可能性は十分にあった。
“転生者”、ひいては“転移者”であることが鹿羽達にとって好意的に働くのであるなら良かったが、そうではない場合も十分にありえる話だった。
ならば初めから余計な情報を撒き散らさないように立ち振る舞う方が賢い選択だと鹿羽は考えたのだった。
「そう考えると、神々の監視を欺くべく、真名とは別に偽りの名を考えておく必要があるかもしれぬな……。サタン……、タナトス……。ふうむ……」
「いずれにせよ情報統制は必要だ。その辺り、NPCとも方針を確認しておきたい」
「なんか悪の秘密結社みたいだねー。世界征服でもやってみる?」
荒唐無稽な話だ、と。
鹿羽はそう思っていた。
「全ての問題が片付いたら、それも良いかもな」
二
とある場所にて。
「……一切の連絡も無く、消息を絶った、ということか」
「大急ぎで調査部隊を編成しております。しかしあの方ほどの魔術師が……」
「彼より一回り二回りも劣る部隊を派遣して、果たして意味があるのかね?」
「そ、それは……っ」
責め立てるような、そんな口調だった。
「――――私が出よう。不測の事態における対応も、私の部隊なら可能だ」
「ならば、そのように大司教に報告致します。……どうかお気を付けて」
女性は、相手の身を案じる様子でそう言った。
三
「……いくぞ?」
「う、うむ」
場所はギルド拠点内部、訓練場。
ただでさえ十分なスペースが確保されているギルド拠点内部の各フロアだったが、この訓練場は更に群を抜いていた。
しかしながら、広いからといって、いわゆる“PvP”の対戦場として使える訳でもなく、ただの趣味によってデザインされた施設であった。
ゲーム内においては、広いだけの何の役にも立たない場所だったが、今は違った。
未だ不明な点が多い魔法やアイテムの効果を確かめる実験には、この広い空間はうってつけの場所だった。
「……」
鹿羽の手には、羊皮紙のようなものが握られていた。
その正体は“魔法の羊皮紙/マジックスクロール”と呼ばれる、ごく低位の魔法を封じ込めることが出来、かつその魔法を僅かなMP消費で発動させることの出来る消費アイテムだった。
しかしながら、ゲーム内におけるこのアイテムの価値は無に等しかった。
なぜなら、この“魔法の羊皮紙/マジックスクロール”に封じ込めることが出来る魔法は、ゲーム内においても全く価値を見出せないような初歩の魔法だけだからだった。
初心者だけが手に入れ、そしてその初心者にも使われない不遇のアイテム。
それが、今鹿羽が握り締めている“魔法の羊皮紙/マジックスクロール”だった。
「“火球/ファイアー”」
鹿羽は呪文を唱えた。
しかしそれは魔法として発現せずに、全く別の現象を引き起こした。
羊皮紙は淡く輝きを放ち、何も書かれていない無地の表面には記号が刻まれていった。
「どうであるか?」
「……多分成功だ。そんな気がする」
輝き終わった羊皮紙には、魔法陣のようなものが描かれていた。
上手くいったかどうか、説明出来る根拠はなかった。
ただ、鹿羽が魔法を使用するときに常に感じられる、確信があるのみだった。
「では鹿羽殿。次は……」
「ああ。使ってみよう」
再び、鹿羽は握り締めた羊皮紙に魔力を込めた。
これ以上進んでしまえば、もう戻ることは出来ないという奇妙な感覚を覚えながら、鹿羽は更に魔力を込めた。
瞬間、羊皮紙に火が付いた。
燃え上がった羊皮紙は、やがて光の粒子へと変化した。
そして、それは魔法陣として形を成していった。
火球が一つ、魔法陣から勢いよく飛び出すと、訓練場の地面に着弾して火柱を上げた。
「上々、だな」
「素晴らしい成果であるな! これならアイテムも憂いなく使えるというもの!」
「もう一回試したいことがある。これも上手くいったら良いんだが……」
鹿羽はもう一つの“魔法の羊皮紙/マジックスクロール”を手に取った。
「ま、また同じことを試すつもりであるか!? ならば次は我に――――」
「次はランク四の魔法を試す。ゲーム上では出来なかったが……、もしかしたら上手くいくかもしれない」
「“魔法の羊皮紙/マジックスクロール”はランク三までの魔術しか封じ込めることが出来なかった筈ではないのか?」
「だからこそ試す価値はある。こいつ自体は沢山あるからな」
鹿羽は羊皮紙を握り締め、集中した。
「――――“喰らう泥炭/ダークスライム”」
先ほど唱えた“火球/ファイアー”より更に高位の魔法を、鹿羽は握り締めた羊皮紙に込めた。
瞬間、何かがひび割れるような感覚を鹿羽は抱いた。
(無理か――――?)
鹿羽は、制御出来ない何かが暴れ回るのを感じた。
溢れ出るエネルギーを抑え込もうと、鹿羽は魔力の流れを必死に集約させた。
鹿羽の実力か、経験不足なのか、それとも当然の帰結だったのか。
何かが崩壊していくのを、鹿羽は止めることが出来なかった。
そして、それを元通りにするのも、もう鹿羽には出来ない気がした。
「――――ッ!」
「か、鹿羽殿!」
“魔法の羊皮紙/マジックスクロール”は黒炎によって燃え上がり、あっという間に焼失してしまった。
「……駄目だ」
「やはりゲーム内に準拠している、ということであるか?」
「かもな。上手くやれば、いけそうな気はするが……」
そうは言っても、相当な回数を要するだろうと鹿羽は思った。
少なくとも今は、上手くいくビジョンが思い浮かばなかった。
「かっばねくーん。かっえでちゃーん。ありゃ? 何かあったの?」
入口の向こうから、麻理亜が陽気な声で訓練場に入ってきた。
「……麻理亜か。外の様子はどうだ? 何か変な動きは無かったか?」
「飽きたからコッチ来ちゃったんだけどー、私が見てた限りは何もなかったよ?」
「そうか」
「アイテムの実験はどう? 見たところ、芳しくはなさそうだけど」
「いや、順調だ。“魔法の羊皮紙/マジックスクロール”にランク四以上の魔法を込めようと試みたんだが……、こっちはお察しの通り失敗だ。ランク三は成功したんだがな」
地面に散らばった灰の欠片を眺めながら、鹿羽は残念そうに言った。
「上位互換のアイテムなかったっけー? 名前は忘れちゃったけど」
「“魔法の水晶/マジッククリスタル”だな。こっちは貴重だから、あまり無駄遣いしたくないが……、実験は必要だろう」
「鹿羽殿ー。これであるかー?」
「多分合ってる」
革袋の中を漁っていた楓の手には、手の平サイズの大きな“群晶”が握られていた。
「綺麗だねー。使ったら無くなっちゃうの?」
「恐らくな」
楓の掌の上で輝く綺麗な宝石が、実験でほぼ確実に消滅することに若干の躊躇いはあるものの、鹿羽は確かめない訳にはいかなかった。
「楓。“魔法の水晶/マジッククリスタル”の実験をやってみよう」
「次は我が挑戦しても良いか?」
「ああ。俺ばかりじゃ悪いからな。――――――――っと」
訓練場の出入り口にて、こちら側に頭を下げている男がいることに鹿羽は気が付いた。
男は頭を上げると、やや急ぎ足で鹿羽達の元にやって来た。
「カバネ様、マリー様、メイプル様。L・ラバー・ラウラリーネットよりご報告があるでござる」
「S・サバイバー。何があった」
「不審な集団が森にて確認された、とのことでござる。このままでは救出した人々と接触する、とも」
「……楓、麻理亜。L・ラバーの所に戻ろう。嫌な予感がする」




