【141】信仰の魔女
一
他人から理解されたいと思うこと自体が、傲慢で、独りよがりで、間違っていると僕は思う。
自分でさえ好き嫌いが存在するのだから、他人にも好き嫌いが存在するというのは容易に想像がつくことだし、あまつさえ“それ”が一致していないと許せないというのは、あまりにも幼稚で歪んだ願いというものだろう。
分かり合えない相手は存在する。
ならば、分かり合えないことを理解した上で、正しい行動を取ればいい。
それだけか。
それだけなのか。
それだけなのだろうか。
それだけだ。
それだけなの?
それだけだけれど。
それだけ。
それだけあればいい。
それだけとは。
それだけでいい。
「――――君は、愚かだ」
僕は、思わずそう言った。
「――――よお。リフルデリカ。元気にしてたか?」
分かり合えない相手は存在する。
正しく言えば、理解出来ない相手は存在する。
それだけ。
二
場所は魔大陸。
暴虐の魔王アイカ率いるグランクラン領の、誰も居ない森林の奥地にて。
鹿羽は、遺跡の中を黙々と歩いていた。
遺跡は石造りの建造物から成っており、ひび割れや、生い茂る草木の存在が、建造されてから少なくない時間が経過していることを如実に示していた。
(――――遺跡全体が一つの術式として成立しているのか? 侵入者が中に入り込まないように対策を施してあるのか……)
鹿羽は、遺跡を包む妙な空気を敏感に感じ取っていた。
(――――いや、違う。その“逆”だ。侵入者が中に入れないようにしているんじゃなくて、侵入者が外に出られないように仕組んであるのか……。これって術式の存在に気付かなかったら、一生出られないんじゃないか……?)
鹿羽は歩みを進めると、地下へと続く入り口を発見していた。
見た目こそは何てことない、ただの薄暗い入り口だったが、そこには訪れた者を中へと誘い込もうとする術式が仕掛けられていた。
(――――これも絶対的な強制力があるとまでは言えないが、精神に直接作用する危険な術式だよな……。リフルデリカが仕掛けたのか、それとも元々存在するものなのか……。でもまあ、この先に居るっていうんだから、進むしかないんだけどな)
鹿羽は術式の存在に気付いていたが、構わず地下へと続く入り口へ歩み始めた。
いつの間にか、風化した石造りの遺跡は、真新しい神殿へと姿を変えていた。
鹿羽が遺跡の奥へと歩みを進めるほど、空気が淀み、沈んでいくような感覚が強くなっていった。
「……」
どれだけの時間が経過したのか。
薄暗い通路を進み続けた鹿羽が辿り着いた先は、地下にも関わらず、空と地平線が何処までも続いている広い空間だった。
冷たい雨が降り注いでいた。
地面はぬかるみ、至るところに水たまりが出来ていたが、植物らしい植物は何処にも生えていなかった。
鹿羽は、遺跡の最深部に辿り着いていた。
そして鹿羽の目の前には、鹿羽に良く似た一人の少女――リフルデリカが静かに立っていた。
「――――君は、愚かだ」
リフルデリカは無表情のまま、感情が読み取れない無機質な口調でそう言った。
「――――よお。リフルデリカ。元気にしてたか?」
対する鹿羽は、気楽な様子でそう言った。
心なしか、雨が強まったような気がした鹿羽だった。
「――――カバネ氏。幾つか君に聞きたいことがあるんだよね。良いかな?」
「ああ。答えられる範囲でなら、な」
「……君と僕の間には、容易に断ち切ることが出来ない魔力の繋がりが存在する。お互いが何処に居るのかなんて直ぐに分かってしまうし、時には心の奥底に秘めた記憶や感情までもが意図しない形で伝わってしまうこともある。――――君は、僕が何を考えているかを理解出来なかったとしても、“知っている”筈だよね?」
「そうだな。お前から伝わった記憶やらは知っている筈だし、お前がエシャデリカをぶっ殺したいっていうこと以外は理解も出来るぞ」
鹿羽は何てことない会話に応じるように、淡々とした様子でそう言った。
「……そうだね。僕と君が分かり合えないのはその一点に尽きるんだけれども、互いに譲れないというんだから仕方ない。――――それじゃあ次の質問だ。君はこの場所が一体何なのか、知っているかい?」
「この場所が何なのかは知らなかったが、道中で出会った親切な人に教えてもらったよ。――――それに、実際に来てみて分かったこともある」
「誤魔化すことは許さないよ。答えを言っておくれ。君が真実を知っているかどうかなんて些細な話ではあるけれど、これは必要な確認だ」
「そんなこと言われてもな。――――ここは、“世界意思”が祀られている神殿、或いは“世界意思”そのものとでも言えばいいのか? 悪いが、適切な言葉が見つからないな」
「……十分さ。君はある意味、僕の正当な後継者であり、同時に然るべき使命を背負っていない“異物”とも言える。“世界意思”という一つの真理に辿り着いておきながら、その宿命を知らないんだ。――――君は何者なんだい? 僕にとって君は、今までに出会った存在の中で二番目に奇妙な人間だよ」
「知るか。お前だって、俺の中では奇妙で非常識で十二分に変な奴だよ。――――ていうか、一番は誰だ。エシャデリカか?」
鹿羽の問い掛けに、リフルデリカが答えることはなかった。
僅かな時間だけ、沈黙が二人を包んでいたが、リフルデリカは何事も無かったかのように再び口を開いた。
「それじゃあ、最後の質問としようか。――――カバネ氏は、どうしてここに来たんだい?」
リフルデリカの鋭い視線が、鹿羽を捉えた。
「……さあな。どうしてだと思う?」
「理解出来ないから、わざわざ質問したんだけれどね。――――そうだね。あえて挙げるとすれば、三つぐらいかな。一つ目は、君が僕に好意を抱いていて、ただそれだけの為に追いかけてきたという説。二つ目は、僕に利用価値を見出していて、更なる野望の実現の為に連れ戻そうという説。三つ目は、ただ単純に命令されたから、ここへ来たという説。どれも僕には理解し難い考えばかりだけれど、おおよそこのどれかなんじゃないかな?」
リフルデリカは無表情のまま、淡々とした様子でそう説明した。
「……本気で言ってるのか?」
「その反応はどれも外れってことかい? 悪いね。君のことを理解するのはやはり難しいことのようだ。――――でも、僕が君にこの質問を投げ掛けたのは、具体的な理由を知りたいからじゃないんだよ」
リフルデリカは首を左右に振ると、再び鹿羽のことを見据えた。
「――――僕は、君を殺す。君はそれを分かっていた筈なのに、君は来てしまった。本当に理解出来ないんだよ。本当にね」
「……俺はお前のこと、そんなに好きでもない。利用価値はあるのかもしれないが、そういうのは麻理亜が判断するから、俺が決める必要は無い。そして俺は、命令されてここに来た訳じゃない。――――そして、俺は死なない」
「死ぬよ。死ぬさ。だって僕が殺すんだから」
「じゃあ、お前に殺されなかったら死なないな」
鹿羽は、挑発するかのようにそう言った。
「――――<軛すなわち剣/ヨーク>」
対するリフルデリカは詠唱を完了させると、光り輝く剣を何処からか取り出した。
「……話を続けるつもりはないのか」
「無いよ。もう言葉は尽くした。短い間だったけれど、僕の人生に君が居たことはきっと忘れない」
「人を勝手に思い出にするんじゃねえ。そもそもお前がそういう風に考えること自体――――――――」
「剣を取るんだ。カバネ氏」
鹿羽の話を遮る形で、リフルデリカはハッキリとそう言った。
「……何でだよ」
「これは礼儀だ。僕は君を殺し、君の遺体をエシャデリカ討伐の為に使う。君は僕を殺し、僕の全てを自由にして良い権利がある。互いに矛盾し合う考えを持ち、それを決して妥協しないというのなら、最後に行き着く先は純粋な殺し合いだ。――――もう一度言うよ。剣を取るんだ。カバネ氏」
リフルデリカの言葉に、鹿羽はわざとらしく舌打ちをすると、静かに魔力を集中させた。
「――――<軛すなわち剣/ヨーク>」
「そうだ。それでいい。これで僕は、心置きなく君を殺すことが出来る」
「勘違いするな。俺はお前に殺されるつもりはない。ミスってお前のことを殺しても、俺はお前を必ず蘇生させる」
「ありがたい話だ。でも、僕は君のことを蘇生なんてしないよ? 生かしておきたいなら殺さなくていい訳だし、殺すってことは生かす必要が無いってことだからね」
両者の手には、光り輝く剣が握られていた。
「それじゃあ、始めようか」




