【140】昨日の敵
一
「よぉ。まさか早々にテメーと会うことになるとはなぁ?」
鹿羽の前で、煉獄の魔王エーマトンはそう言った。
「……俺を殺す為にわざわざ来たのか?」
「はっ! それも悪かねえなぁ?――――まあ、話ぐらいは聞いてけよぉ。どうせ暇してんだろぉ?」
「生憎、俺は忙しい。このまま放っておいてくれるとありがたいんだが……」
「別にテメーがどうなろうと知ったこっちゃねえけどよぉ。――――どうせリフルデリカに会うつもりなんだろぉ? やめとけやめとけ」
リフルデリカという名前を聞いた瞬間、鹿羽の表情は酷く険しいものへと変化した。
「……何でお前が知ってるんだよ」
「そりゃ年の功って奴だなぁ? やることもねえからよぉ。何も知らねえ馬鹿がここに近付かねえように見張ってんだぁ。まあ、テメーがこんなにも早く来るとは思わなかったけどなぁ?」
「答えになってない。少なくとも、今、リフルデリカの居場所を特定出来るのは俺だけの筈だ」
鹿羽はハッキリとした口調でそう言った。
鹿羽とリフルデリカの二人は、魔力の性質が極めて近い為に、互いの間に魔力のパスのようなものが存在していた。
その為、わざわざ魔法という高度な術式を介さずとも、鹿羽とリフルデリカは通信による意思疎通が可能で、位置の把握も容易だった。
現在、リフルデリカは魔力の自然放出を意図的に抑えることで、自分の位置を特定されないようにしていたが、誰よりもリフルデリカの魔力を理解し、そして最強クラスの魔力探知能力を持つ鹿羽は、やはりリフルデリカの位置を把握していた。
鹿羽自身、決して自惚れたつもりはなかったが、リフルデリカの後を追えるのは自分だけだと思っていた。
「――――逆に聞くぜぇ? この先に何があるのか言ってみやがれぇ」
「……リフルデリカが居るだけだろ。それ以上も、それ以下でもない」
「おう。百点満点で五点ってとこだなぁ? 何も知らねえで会いに行こうったぁ自殺も良いとこだぜオイ」
「何が言いたい」
「魔王の先輩として良いことを教えてやろうって話だぁ。感謝することはあっても、そうやって睨むことはねえんじゃねえかぁ?」
エーマトンは挑発するかのようにそう言った。
鹿羽とエーマトンの間には、緊張が走っていた。
鹿羽はいつでも詠唱を完了出来るように魔力を集中させていたが、一方で、エーマトンは薄ら笑いを浮かべていた。
どれだけの時間が経ったのか、鹿羽は静かに溜め息をつくと、エーマトンの方を向いて口を開いた。
「……分かった。その話とやらを、ありがたく聞かせてくれ」
「はっ! 殊勝なこった。――――この先にあるのはリフルデリカの神殿だぁ。言うなればあの女の城だなぁ。あん中でリフルデリカをぶっ殺せる奴は殆ど居ねえだろうよぉ」
「待て。俺は別にリフルデリカを倒したい訳じゃない。話をしたいだけだ」
「それこそ、ぶっ殺して手足を縛らねえと無理な話だなぁオイ。あの女がここの神殿に引き籠ってるってことはなぁ、味方が殆ど居ねえことと同じことなんだよぉ。そしてあの女は味方以外を見境無く殺す奴だぁ。――――昔は仲良くしてたのかもしれねえけどなぁ? 油断して近付けば、秒で首と胴体がサヨナラする羽目になるぜぇ? 流石に心当たりがねえ訳じゃねえだろぉ?」
「……じゃあどうすればいい」
「んなもん知るかよぉ。仮にリフルデリカをぶっ殺せる奴が居たとしても、そういう奴は神殿の中に入れねえ。そんでもって神殿の中に入れてくれる雑魚は殺されて終わりだぁ。勿論、上手くやれば逃げ帰ることぐらいは出来るかもしれねえけどなぁ? 記憶の限り、そんなこと出来る奴は一人しか居ねえけどよぉ」
「もしかして、エシャデリカか?」
「テメー……。本当に何も知らねえんだなぁ……。エシャデリカが本気を出せば、今頃リフルデリカは生きてねえよぉ。エシャデリカはせいぜい、うるせえ羽虫程度にしか思ってなかったと思うぜぇ」
「なら誰だよ。俺の知らない奴か?」
「目の前に居んだろうがぁ。一応言っとくがよぉ、俺でもリフルデリカには負けてんだぁ。万に一つでもテメーが勝てる訳ねえだろうがぁ」
エーマトンから放たれた事実は、鹿羽にとって衝撃的なものだった。
「……嘘だろ?」
「噓なら良かったなぁオイ。あの女は滅多に本気を出さねえが、その強さは間違いなく最強の魔術師に相応しいもんだろうよぉ。――――魔王になって良い気になってんのかもしれねえけどなぁ? テメーはまだやめとけ。あと二百年準備したって足りねえぐらいだぁ」
鹿羽にとって、エーマトンはまさに魔王というに相応しい、圧倒的な実力を持つ戦士だった。
そんなエーマトンすらも敵わないという事実は、リフルデリカという存在がどれだけ強大なのかを如実に示していた。
リフルデリカは鹿羽を殺そうとしていた。
常識から考えれば、鹿羽は今、リフルデリカに会うべきではなかった。
「――――それでも俺は行くよ。悪いな」
鹿羽は、少しだけ笑みを浮かべながらそう言った。
「……話聞いてたかぁ? テメーじゃ無様に死んで終わるだけだって言ってんだろうがよぉ」
「ああ。分かってる。俺より強いお前よりも強いって言うんだから、一筋縄じゃいかないだろうな」
「……」
鹿羽の口調は、もはや余裕を感じさせるほどに気楽なものだった。
瞬間、轟音と共にエーマトンは飛び出すと、強烈な右ストレートを鹿羽へと叩き込んだ。
「――――敵になったり、親切になったり、忙しいな」
「……もう一つ、良いこと教えてやるよぉ。リフルデリカには殆どの魔法が効かねえ。せいぜいテメーが使う神位級の魔法か、あとまあ、その剣ぐらいしか通用しねえだろうなぁ?」
常人であれば跡形も無く消し飛ばされるであろうエーマトンの一撃だったが、鹿羽は光の剣で受け止めていた。
「いわゆる第十階位魔法以上じゃないと効かないっていうのか?」
「魔法の名前なんて知るかよぉ。いずれにしろ、魔法しか能のねえテメーは最高に相性が悪いと思うぜぇ?」
「その話が本当なら、確かに相性は最悪だな」
鹿羽は淡々とした様子でそう言うと、対するエーマトンは苛立った様子で鹿羽から距離を取った。
(――――エーマトンの考えが読めない……。善意で俺を止めているのか、それとも邪魔をしたいだけなのか、それとも全く別の意図があるのか……)
エーマトンの話が全て事実であるとすれば、エーマトンのその行動は、自ら危険に飛び込もうとしている鹿羽を止めようという親切な行いのようにも見えた。
しかしながら、エーマトンは残虐非道な魔王の筈だった。
魔大陸での大戦前に聞かされた、各地を飛び回り、誰彼構わず滅ぼして回るエーマトンの暴君ぶりは、鹿羽の記憶にもまだ新しかった。
とは言っても、鹿羽の目の前に立つ魔王には、軽蔑されるべき悪意というものが感じられなかった。
戦場で見た堂々たる振る舞いからは想像もつかない、もはや“柔らかい”雰囲気すら感じさせる煉獄の魔王の姿に、鹿羽は困惑を隠せなかった。
「ち……っ。どうしても行くつもりかよぉ」
「ああ。そう言った筈だ」
鹿羽は吐き捨てるようにそう言うと、エーマトンは呆れた様子で大きな溜め息をついた。
そしてエーマトンは、自身の魔力を鹿羽へと流し込んだ。
「……どういう風の吹き回しだ?」
「そんなの地獄への片道切符に決まってるだろぉ。そんなに死にてえならサッサと行きやがれぇ。――――まあ、俺もあの女には借りがあるからなぁ? テメーが代わりにボコるって言うなら、協力してやる」
「――――今更返せって言われても返さないからな」
「サッサと行けぇ。目障りなんだよぉ」
「……そうだな」
鹿羽はそう言うと、エーマトンの脇を通り抜ける形で、先へ進んでいった。
エーマトンは段々と小さくなっていく鹿羽の背中を眺めると、静かに舌打ちをした。
(ざっと三百年、誰も喰われねえように見張るつもりだったがぁ……。――――わざわざ魔女の養分になりに行くとはぁ、馬鹿なこった)
エーマトンは心の中で、吐き捨てるようにそう言った。




