【135】血を分けた者達①
一
場所は魔大陸。
戦場にて数多の剣が振るわれ、多くの命が失われていく中、一人の女性は楽しそうに笑っていた。
「ざっと五十人ぐらいかしら? 一人相手にちょっと卑怯なんじゃない?」
女性は冗談めいた様子でそう言った。
女性の名はアポリーヌ。
城塞都市イオミューキャ襲撃犯の一人であり、その襲撃事件で唯一犯人として生き残った恐るべき剣士だった。
「一斉に行くぞ……。この人数なら必ずやれる筈だ……」
「うふ。私殺されちゃうのかしら。それとも四肢を斬り落とされた上で慰め者にされちゃったりして。うふ。うふふ」
アポリーヌの周りには数えきれないほどの兵士達が居た。
そこにはレ・ウェールズ魔王国の者、統一国家ユーエス出身の兵士や傭兵、普段は協調性の欠片も無いと揶揄されていたグランクランの戦士達の姿もあった。
「今だ!! 行けぇ!!」
彼ら、彼女らの目的は一致していた。
目の前の恐るべき剣士を打倒する為に、彼ら彼女らは心を一つにして戦おうとしていた。
しかしながら。
「――――うふ」
鮮血が舞った。
その瞬間には、二人の首が宙に舞っていた。
「うふふ」
そして次の瞬間には、三人の首が宙に舞っていた。
たった一太刀で幾つもの命が容易く散っていく光景は、まるで陳腐な劇場を見ているようだった。
「ひ――――っ」
殺人的な刃が、躊躇いなく誰かの首へと迫った。
そこには相手に対する尊敬や慈悲なんてものは存在せず、ただただ虐殺を楽しむかのような快楽があるだけだった。
「うふ」
死が容赦なく振り下ろされようとした瞬間。
「――――見つけたぞ」
年老いた男の声が響いた瞬間、アポリーヌの斬撃が弾かれていた。
「あら」
アポリーヌは少しだけ驚いた様子でそう呟いた。
アポリーヌの目の前には一人の老人が立っていた。
頭髪は白く、しわだらけの顔は少し頼りないようにも見えた。
「……? 私を知っているの? もしかして、あの襲撃事件の被害者かしら?」
その老人は確かに年齢を重ねた様子だったが、二本の脚で力強く立っていた。
そして、アポリーヌの驚異的な斬撃を受け止め、すかさず斬り返す技量はもはや達人の領域だった。
「――――ああ。知っているとも」
「……ごめんなさいね。私は貴方のこと知らないの。殺した相手の顔も覚えられないから」
「だろうな。――――貴様の凶行は到底許されるものではない。いずれその罪を償うことになるだろうな。アポリーヌよ」
老人は淡々とした様子でそう言った。
「――――私の名前を知っているということは、統一国家ユーエスの幹部さんか何かかしら? お会い出来るなんて光栄ね。貴方の名前を教えて頂いても?」
アポリーヌの言葉に、老人は一瞬だけ表情を歪めた。
「私が貴様の名前を知っていることに特別な理由などない。――――肉親の名前を知っていることは不自然なことかね?」
「あら。本当? その話が本当なら、衝撃の事実ね。貴方は快楽殺人鬼の家族って訳?」
アポリーヌは興味深いことのようにそう問い掛けた。
アポリーヌは、老人の実姉の名前だった。
老人の知っているアポリーヌは、もう何十年もの昔、それこそ老人が子供だった頃に亡くなった筈だった。
しかしながら、アポリーヌは生きていた。
そして老人もまた、目の前の女性が血を分けた姉弟であることを確信していた。
「――――話は終わりだ。アポリーヌ。貴様の死に場所はここだ」
「快楽殺人鬼の家族は肉親殺し、ね……。それは少し可哀想だから、止めてあげる。――――貴方を殺せば、全てが解決するわね。うふふ」
瞬間、剣が交錯した。
老人の名はアンドレ。
家族を失い続けた、哀れな男だった。
二
アンドレとアポリーヌの斬り合いは苛烈なものになっていた。
「す、すげえ……っ」
「剣先が速過ぎて見えねえ……っ。あの爺さん何者だよ……っ」
アンドレとアポリーヌを囲んでいた戦士達は皆アンドレの仲間であったが、二人の高度な戦いに、目で追うので精一杯だった。
「かなりお歳を召しているようだけれど、中々元気ね」
「……」
「うふ。つれない人」
アポリーヌは涼しげな表情で剣を振るっていたが、対照的にアンドレは鬼気迫る表情で剣を振るっていた。
(流石に堪えるな……。ここまで衰えたか……)
アンドレの剣筋は鋭く、圧倒的な剣技を誇るアポリーヌにも確かに通用していた。
しかしながら、アンドレは現役を引退してから長い時間が経っていた。
経験に基づく“勘”はそこまで鈍っていなかったものの、物理的な衰えがアンドレの身体に深い影を落としていることは事実だった。
「――――若い頃はさぞ強かったのでしょうね。その時に剣を交わせなかったこと……。残念だわ」
「……この程度では不服かね」
「そうですね。周りに居る方々よりはマシですが、心躍る殺し合いとは程遠いのではないでしょうか?」
アンドレの言葉に、アポリーヌは問い掛けるようにそう言った。
(――――やはり手加減されている、か)
瞬間、アポリーヌは叩き付けるように剣を振るった。
「ほら。この程度でも、お辛いのではないですか?」
「……」
常人であれば受け止めるだけでも骨を砕かれそうな一撃だったが、アンドレは剣を巧みに動かすことでその衝撃を受け流すと、カウンターとばかりに鋭く斬り返した。
しかしながら、アポリーヌは涼しい顔でアンドレの斬撃を弾いていた。
「油断も隙も無いのね」
アンドレもまた相当な実力の持ち主であったが、アポリーヌはその更に上に居た。
(勝てる可能性は全く無し……。大人しく敗走し、無様に生き永らえるか、このまま為す術も無く死ぬか……)
今までのアンドレであれば、生き残る為に逃げるべきだと判断していた。
事実、アンドレの目の前に立つアポリーヌは明らかに格上の相手であり、勝てない相手に戦うのは愚かな選択と言えた。
(――――それとも、命と引き換えに“勝つ”、か)
しかしながら、アンドレには戦う理由があった。
勿論、このまま生き残っても長くは生きられないという老人特有の悲観的な考えも確かに存在したが、何より目の前に立つ実姉が罪を重ね続けているという状況に、アンドレは我慢ならなかった。
「……アポリーヌ。何故貴様は戦う? なにゆえ人の命を奪うのだ?」
「そんなの簡単な話でしょう? そうするしかないからよ」
「お前は誰よりも剣を振るうことの愚かさを分かっていた筈だ。何故そんな顔が出来る。どうして嬉々として剣を振るうことが出来るのだ」
アンドレの口調は、感情を押し殺したような、酷く冷静なものだった。
「――――うふ」
しかしながら、アポリーヌは静かに笑った。
老人の悲痛な心情など、死神には関係のない話だった。
「だって楽しいんですもの。悲しみに暮れる顔、絶望に沈む顔、憎しみに溺れる顔……。どれも誰かの大切なものを奪うことでしか見ることの出来ない、特別なものばかり。それを見たいと思うのは不自然なことかしら?」
アポリーヌはまるで愉快な話をするようにそう言った。
そしてアンドレは、アポリーヌが命を賭してでも討ち払うべき相手であることを確信した。
「――――おい。待て。じいさん!!」
アンドレと共に魔大陸へと渡り、遠くから弓を構えていた戦士――ウォーレンスは、何かに気付いた様子でそう叫んだ。
「興奮すると脱ぎたくなる性分なのかしら? 気持ちは分からなくもないけれど……」
「この姿を見てもなお、そう思えるのかね?」
「あら」
アンドレは上半身に纏っていた服を全て脱ぎ捨てると、自身の左胸に目を落とした。
そこには金属製の装置が埋め込まれており、アンドレの傷だらけの肉体の中でも異彩を放っていた。
「……? 生命維持装置かしら? それとも改造人間?」
「この身に余る霊力を封じ込める魔道具だ。若い頃はこの力を存分に振るえたのだが、これ以上行使すれば長生き出来ないと言われてね。もう二度と外さぬよう、医者に厳命されているが……」
「あら。いいの? 要するにそれを外しちゃったら、貴方、死ぬってことでしょう?」
「……否定はしない。――――否、確実に死ぬだろうな」
アンドレは何てことない様子でそう言った。
(この装置を外せば最後、もう生き延びることは出来ない、か……)
そしてアンドレは躊躇いなく左胸に埋め込まれた装置に手をかけると、そのまま勢いよく外した。
「――――罪人同士、共に冥土へ往くぞ」
「凄い力ね。正直、貴方が私の肉親であることなんて信じていなかったんだけれど、今は納得しているわ」
アンドレの肉体からは闘気が溢れていた。
どうやらその光景はアポリーヌにも興味深いものらしく、アポリーヌは感心した様子でアンドレを眺めていた。
(――――命が燃えていくこの感覚……。懐かしいな……)
「手加減は無粋みたいね。存分に殺し合いましょう?」
「お互い殺すのはこれで最後だ。アポリーヌ」
「うふ。それはどうかしら」
アポリーヌは気楽な様子でそう言った瞬間、闘気を身に纏ったアンドレが超高速で飛び出し、斬撃をアポリーヌに叩き付けた。
アポリーヌはそれを剣によって防いだが、アンドレは間髪置かずに三度斬り付けると、下から斬撃を繰り出し、アポリーヌを空中へと打ち上げた。
「あら。もしかして絶体絶命だったりして」
アポリーヌは冗談めいた様子でそう言った瞬間、上空で先回りしていたアンドレは剣を振るい、アポリーヌを下の地面へと叩き付けた。
(まだ耐えるか……)
「――――ふう。成程ね」
しかしながら、アポリーヌは数々の斬撃を確実に防御し、アンドレの猛攻を防ぎ切っていた。
「はああああああああ!!」
「……」
アンドレは絶え間なく斬撃を叩き込んだが、対するアポリーヌは完全に見切った様子で、淡々と剣を合わせていた。
(不味い……。痛みが強くなってきたな……)
「――――苦しそうね。放っておいても死ぬんじゃないかしら?」
「はあ……。はあ……。貴様のような者を生かしておく訳にはいかぬ……。はあ……」
「残念だわ。老いというものは本当に残酷ね」
アポリーヌは気楽な様子でそう言った。
「――――最後に聞かせて頂戴? 貴方は私の何なのかしら? 父親? 兄? 流石に息子ってことはないでしょうけど……」
「愚かな姉を持ってしまったようだな……。ぐ……っ」
「あら。私が年上なの? 見た目だけなら、私が孫ということもありえるでしょうに」
「貴様が人でなくなっただけだろう……」
「うふふ。痛快な皮肉ね」
アポリーヌの言葉に、アンドレは表情を歪めた。
「――――そう。弟だったの。他に家族は? 私が殺したのかしら?」
「他に兄妹など居ない。両親はとうの昔に死んだ。貴様にも、私にも……。もはや血を分かつ者は一人も残っていない」
「その話だけでも、貴方がどれだけ悲壮な人生を送って来たのかが分かるわね。結婚はしなかったのかしら?」
「……」
アンドレはアポリーヌを睨みつけながらも、何も言わなかった。
「――――そう。それは残念だったわね」
そして、アポリーヌは何かを察したようにそう言った。
「――――もう止めろ。アポリーヌ。これ以上罪を重ねて何になる」
「……命乞いかしら? ごめんなさいね。可愛い弟でも殺したくて堪らないの。だって肉親殺しなんて、背徳の極みでしょう?」
「なら私で最後にしろ……。私の命で以って、心を入れ替えるのだアポリーヌ……」
アンドレは懇願するようにそう言った。
アンドレは封印していた力を開放し、アポリーヌに戦いを挑んでいたが、何もかもが遅過ぎた。
生きとし生ける者全てに課せられた使命ともいえる“老い”はどうしようもなく、アンドレの肉体はとうの昔に朽ち果てていた。
もはやアンドレに勝ち目は無かった。
ただ無様に説得することしか、アンドレに出来ることは残されていなかった。
「――――それじゃあ、殺してからゆっくりと考えるわ。多分無理でしょうけど」
たとえ血を分けた姉弟であったとしても。
アンドレの言葉がアポリーヌに届くことは、遂に無かった。
しかしながら。
「――――させません」
若い女性の声だった。
瞬間、アポリーヌの剣技に全く劣らない凄まじい剣閃が、アンドレとアポリーヌ――二人の間に叩き付けられた。
「驚いたわ。やっぱり戦争は素敵ね。殺しがいのある子がいっぱい集まってるんですもの」
「私は、騎士ジョルジュ・グレース。貴女に一騎打ちを申し込みます」
「勿論いいわよ。楽しませて頂戴?」
その姿はまさに、物語に登場する正義の騎士だった。
或いは、悪を討ち払う勇者のようにも見えた。
その凛とした女性は、心なしかアポリーヌに似ていた。
「――――ぐ、グレース?」
アンドレは、かつて亡くした筈の孫娘の名を呟いていた。




