【013】死の予感
一
肉を斬る時に感じられる特有の忌々しい感触を味わいながら、男はひたすらに剣を振るった。
腐臭が鼻をくすぐり、男はしかめ面を更に歪ませた。
「死ねよ……。死んじまえよ……っ! 死んでんだろ……っ!」
男は恨み言を滲ませた。
対する“異形”が、その声を聞いたのか、或いは理解したのかは定かではなかった。
いずれにせよ、“異形”は吠えた。
表現し尽くすことの出来ない怒りを吐き捨てるように、腐乱死体の“異形”は身体を震わせた。
異形の名は、“屍食鬼/グール”。
生者を喰らい、恨み、侮辱する死の化身。
男は、生を実感させてくれる心臓の鼓動を感じながら、再び剣を強く握り締めた。
二
それぞれの自室で一夜を明かした鹿羽達は、作戦会議を行った大部屋にて再び集まっていた。
そこには鹿羽、楓、麻理亜の三人に加えて、一人の少女の姿があった。
弾倉を身体に括り付け、撥水加工のコートを身に纏った茶髪の少女――L・ラバー・ラウラリーネットは、タブレット端末を片手に報告を行っていた。
「――――設置した定点カメラの映像にハ、先の調査と同様、原生生物や低位の魔物などの姿が映るのみデ……。知的生命体の姿や痕跡などはありませんデシタ」
「目立った進展は無かったか。さらに範囲を広げて調査すべきか……?」
「更なる広範囲の調査であれバ、撮影用ドローンによる調査を提案致しマス」
(ドローン? そんなもの、L・ラバーは持っていたか……?)
意外な単語がL・ラバー・ラウラリーネットから飛び出し、鹿羽は疑問を抱いた。
L・ラバー・ラウラリーネットは現代兵器を駆使するNPCだった。
銃や爆弾を始め、迫撃砲や化学兵器、極めつけは大規模な地対空ミサイルまで一人で運用することが出来た。
L・ラバー・ラウラリーネットがそれらの兵器を使用することには、鹿羽は何の疑問も無かった。
しかしながら、L・ラバー・ラウラリーネットの所有する兵器の中に、ひいてはゲーム内において、“ドローン”なんてものは存在しなかった。
要するに、“ドローン”という存在をL・ラバー・ラウラリーネットが運用できる時点で、鹿羽の知らないL・ラバー・ラウラリーネットが存在することになるのだ。
「詳しく聞かせてくれ」
「先の調査の後、C・クリエイター・シャーロットクララの協力の下に製作致しましタ。戦闘能力に関しては皆無デスガ、高い隠密性能と自爆機能により、未知の勢力に我々の存在が気取られることを防ぎながラ、安全に調査を進めることが可能デス」
「……一夜で制作したということか? あまりこういうことを聞きたくはないが、運用に問題は無いのだろうか」
「テストは十分に実施致しましタ。必ずや、皆様のご期待に沿える成果を上げられるカト」
L・ラバー・ラウラリーネットの表情こそはポーカーフェイスそのものだったが、その口調からは確かな自信を感じさせた。
(ゲームの枠組みに囚われることなく、自分の意思でオリジナルの兵器を独自開発したってことか……。ゲームになかったものを実現するほどの技術と能力がある、と)
「良いんじゃない? 私達が直接出向くより、遥かにリスクは低いだろうからねー」
麻理亜は、L・ラバー・ラウラリーネットの提案に対し、好意的な反応を示した。
未知の兵器が出てきたことに、鹿羽は驚きと不安を感じていた。
しかしながら、これは自分たちの為に作ってくれた筈だ、と。
事実はどうであろうと、鹿羽はそう信じるしかなかった。
「……そうか。なら、L・ラバー。そのドローンによる調査を頼んでも良いか?」
「お任せ下サイ」
L・ラバー・ラウラリーネットは、そう言って頷いた。
三
「いやー、便利だねー。まさか現代技術の恩恵を、ここでもあずかれるとは思わなかったけれど」
(仕組みは一体どうなっているんだ……? 科学技術と同じなのか、それとも魔法技術が応用されているのか……)
鹿羽達は、空中に表示された幾つもの映像を見上げていた。
大部分が鬱蒼とした森の様子を映し出しており、一部、洞窟の中の様子を撮影しているようだった。
「しかし、誰もおらぬな。神々と人類が滅亡した世界線なのか……?」
「退屈でしたラ、私の方で映像の監視を行いますのデ……。どうぞ、お任せ下サイ」
「む、そうか?」
「楓。大事なことなんだ。映像を見る人数は多い方が良い」
「心得ておる。使命と遊戯の区別くらい、弁えておるわ」
「ねえ。三番の映像から変な音が聞こえない? 声みたいな……。喧嘩かしら?」
「近付いてみましょウ」
L・ラバー・ラウラリーネットが端末を操作すると、映像は音源へと近付いていった。
「わあ、おっかないねー」
麻理亜の気の抜けた声が響いた。
しかしながら、麻理亜の気楽な口調とは対照的に、映し出された映像は衝撃的なものだった。
映像には、見るに堪えない骸のようなものが、茂った草むらの中で“こと切れていた”。
「……屍、であるか」
「いや、人の死体と言うには形が崩れ過ぎていないか? まるで……」
初めから崩れた“何か”が、死んだかのような。
「――――“屍食鬼/グール”の残骸かもしれませン。まだ、新しいようデスネ」
「“屍食鬼/グール”! それは真であるか!?」
「L・ラバー。音の正体はもっと向こうみたいだ。移動出来るか?」
「勿論デス」
映像は移り変わり、音は段々と大きくなっていった。
擦れるような音は、“ざわめき”に。
“ざわめき”は、やがて喧騒へと。
「何だよ、これ……」
信じられない光景を前に、鹿羽は思わず言葉を漏らしてしまった。
死体が、人を襲っていた。
動く筈の無い亡骸が雄叫びを上げ、その爪と牙を振り回していた。
「あら」
麻理亜の間抜けな声と共に、男が一人、地に伏した。
動く死体は怒りをぶつけるように、倒れた男に噛み付いた。
「何という……」
「“屍食鬼/グール”の群れでしょうカ。“人間”達は奮闘しているようデスガ……、このままでは全滅するでしょうネ」
L・ラバー・ラウラリーネットの発言は、どこか他人事のような口調だった。
「――――L・ラバー。B・ブレイカーとS・サバイバーを大至急呼んでくれ」
「……? 畏まりましタ」
L・ラバー・ラウラリーネットは二つ返事で了解すると、直ぐに部屋から立ち去った。
「鹿羽君、助けるつもり?」
「……麻理亜。客観的に見て、助けに行くことは愚策か?」
「んー、必ずしもそうではないんじゃない? 命を救ってもらって、感謝しない人間は少数派だと思うけど」
麻理亜はどちらとも取れない意見を述べた。
鹿羽の経験上、こういった時の麻理亜の意見は“どっちでも良い”ということだった。
「か、鹿羽殿。助けるといっても、どうする心づもりか?」
「俺とB・ブレイカー、S・サバイバーと共に転移魔法で飛ぶ。見過ごすことは出来ない」
「このような凶行を看過出来ないのも理解出来る。しかし、だ。鹿羽殿。鹿羽殿は“屍食鬼/グール”の脅威を分かっておるのか?」
楓は鹿羽を追及した。
それは計画性を問い詰めるというより、鹿羽自身の身を案じているようだった。
「勿論、B・ブレイカーとS・サバイバー、L・ラバーにも意見を聞くさ。助けられるなら助ける。それだけだ」
「バレットちゃんやシルバ君が助けに行くことは理解出来るんだけどー、どうして鹿羽君も行くの? 行く必要はなくない?」
「自分で言うのも何だが、NPCが暴走しないように指示を出すだけだ。それに移動にも転移魔法は必要だろう。この世界で魔法がタブーかどうかも分からない。使うタイミングはNPCに任せるより、俺が判断した方が良い筈だ」
鹿羽が咄嗟にB・ブレイカー・ブラックバレットとS・サバイバー・シルヴェスターを選んだのは、いずれも魔法を必要としない戦力だからだった。
魔法というのが外の世界においてどんな扱いをされているのかは、鹿羽の知る由も無かった。
そして、現地の文化によっては、魔法が法によって禁止されている可能性も否定できなかった。
せっかく助けたのに、魔法を使っていたからという理由で指名手配を受け、罪人扱いされるのは鹿羽の思うところではなかった。
魔法を使えるNPCにその辺りの事情を説明しても良かったが、とにかく今は時間が無かった。
結論として、鹿羽自身が上手くやれば良いだけの話だった。
「成程、ね。じゃあ私達も付いて行って良いかしら?」
「危険な場所と分かってて許すと思うか?」
「……盛大にブーメラン刺さってると思うけどねー。分かった。私と楓ちゃんは残る。でも危ないって思ったら助けに行くからね。ちゃんと気を付けないと駄目だよ?」
「分かってる」
鹿羽は、人道の為に死ぬつもりなど一切なかった。
自分や仲間の安全を確保した上で、救える命を救いたいだけだった。
「カバネ様。B・ブレイカー・ブラックバレット、S・サバイバー・シルヴェスターを呼んで参りましタ」
L・ラバー・ラウラリーネットは、二人の戦士を引き連れてそう言った。
四
生暖かい汗が首を伝って、どこかへ消えた。
切ったのか、それとも内臓の悲鳴かは分からなかったが、口の中では血の味がじんわりと広がった。
絶望的だった。
どうして、自分はこんな目に遭わなければならないのか、と。
赤毛の男――ライナスは、この森に住む浮浪者だった。
ライナスには人徳があったらしく、各地の村を飛び出した、或いは追い出された“あぶれ者”を束ねて、この森で静かに暮らしていた。
ライナスには良識があった。
幼い頃、自分を育ててくれた師匠から受け継いだ“教え”があった。
だから、どんなに生活が苦しくても、悪行には手を染めずに生きてきたつもりだった。
これが、その報いか、と。
誰にも迷惑を掛けずに助け合って生きてきた結果が、この惨状か、と。
仲間の怒声が響いた。
忌まわしい亡者の叫びが、耳に障った。
「相手を間違ってんだろっ! 罪人の魂でも啜っとけ腐れ野郎がっ!」
瞬間、ライナスの剣が瞬いた。
ライナスには類い稀な人徳と同様に、恵まれた剣の才があった。
振るわれた一度の斬撃は、多くの異形の首を落としていった。
誰かがその剣筋を見ていれば、彼こそ英雄の姿と称賛しただろう。
しかしながら、数が多過ぎた。
一度の斬撃で何体もの異形を葬ることが出来る英雄といえども、無限に戦える訳ではなかった。
剣を振るえば、腕が疲れた。
剣を振るう為に足を踏み出せば、足が疲れた。
人間として上位の力を持っていたとしても、ライナスは人間だった。
軍勢を前にして、それを相手に出来る人間など、居る訳がなかった。
「――――ッ!!」
仲間の一人が、地に伏した。
顔も名前も、性格も生い立ちも、良く知っている大切な仲間だった。
倒れた仲間に、亡者が殺到した。
生者の身を、魂を引き裂いて喰らわんと屍食鬼が迫った。
待て。
やめろ。
これ以上、俺の仲間を奪うんじゃない。
「ああああああああああああああ!!!!!」
頭が沸騰し、思考が白く染まった。
尊い命が踏みにじられるまで、あと一秒も無かった。
この剣を、この剣を振るえば救えるのか、と。
絶望的なまでに開いた距離を、どうすればあの冒涜的な化け物に刃を届けられるのか、と。
やめろ。
やめてくれ。
ライナスの手が伸びた。
しかしながら、それはきっと届かなかった。
屍食鬼の牙が迫った。
きっとそれは、届いてしまった。
「やめろおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!」
「感謝しろ。至高なる御方々の、慈悲によって生きられることをな」
突然、嵐が噴出した。
凛とした、女性の声だった。
“屍食鬼/グール”達の身体がブレて、ズレて、そして呆気なくバラバラになって飛んでいった。
「――――は?」
酷く間抜けな声が、戦場に響いた。




