【128】世界の辺境
一
見渡す限り、雲一つない青空だった。
太陽はうんざりするほどに輝き、その恩恵を謳うように草花は生き生きと茂っていた。
「いや、何処だよ」
鹿羽は思わず、そう呟いた。
鹿羽は、統一国家ユーエスとレ・ウェールズ魔王国、そしてグランクランの三国同盟を実現する為に魔大陸に居た筈だった。
テルニア・レ・アールグレイ率いるレ・ウェールズ魔王国との交渉は滞りなく終了し、アイカ率いるグランクランとも口約束ながら同盟を結んだ筈だった。
そして。
(俺は死んだ、ということか?――――あの世っていうには、案外のどかな場所だな)
鹿羽は不思議と落ち着いていた。
自分は死んだかもしれないという非現実感は、一周回って鹿羽の思考を放棄させていた。
(楓、麻理亜とはもう会えないのか? それは困るな。何とかしないと――――)
鹿羽はぼんやりとした思考を研ぎ澄ませながら、周辺の様子を窺った。
「――――っ! 麻理亜!」
そして鹿羽は見覚えのある人影を見つけると、思わずその名を口にした。
「…………」
そしてその正体は、鹿羽が知る人物によく似た、大人びた女性だった。
「……ま、りあ?」
違和感に気付いた鹿羽が自信なさげにそう呟くと、女性は哀しそうな眼で鹿羽を見つめ返した。
鹿羽は、目の前の女性が麻理亜ではないことを悟った。
「…………」
「す、すみません。人違いだったみたいです」
「――――――――」
「……?」
すると女性は何か呟いた様子を見せた。
しかしながら、鹿羽にはよく聞こえなかった。
「――――――――」
「“ついてきて”、ですか?」
鹿羽の問いかけに対し、女性は満足そうに頷いた。
そしてゆっくりと女性は歩き出すと、鹿羽もそれに続く形でゆっくりと歩き出した。
「…………」
(なんか、時間の感覚が変だな……。歩き始めて少ししか経ってない筈なのに、かなりの時間が経った気がする……)
草花が生い茂る平原をしばらく歩くと、鹿羽達は切り立った崖の上に辿り着いた。
「…………」
そして女性と同じように鹿羽も崖の下を覗き込むと、そこには白い何かが規則正しく並んでいた。
「……墓地、ですか?」
鹿羽の問いかけに対し、女性は静かに頷いた。
崖下に並ぶ白い墓地は、何処までも続いていた。
鹿羽は地平線の彼方まで続く墓地群に息を呑んでいた。
「…………」
「ん……? え、ちょ、待て」
すると突然、女性は鹿羽に近づくと、無理矢理抱え込んで持ち上げた。
「待て。説明ぐらいしてくれ」
「…………」
女性は、鹿羽をいわゆる”お姫様抱っこ”の形で持ち上げると、満足そうな表情を浮かべた。
そしてそのまま、墓地が並ぶ崖下へと飛び降りた。
(俺も魔法で飛ぶことぐらいは出来るんだが……)
「…………」
鹿羽を抱えた女性は何てことなく崖下に着地すると、そのまま歩き出した。
「いや、降ろせよ」
「…………」
鹿羽の言葉に、女性は不服そうな表情を浮かべつつも、鹿羽をゆっくりと降ろした。
「……どうして俺をここに連れて来たんだ?」
「…………」
「教えてくれ。ここはどこなんだ?」
鹿羽の問いかけに、女性が明確な答えを返すことはなかった。
女性は静かに手を差し出すと、再び口だけを動かして、鹿羽に何かを語りかけた。
「手を繋げ、てことか?」
「…………」
「……繋ぐから教えてくれよ」
鹿羽はそう言うと、差し出された女性の手を握った。
瞬間、鹿羽の視界は暗転し、気が付けば空中に投げ出されていた。
「は――――?」
そして鹿羽はそのまま地面に落下した。
(な……? 何だ……?)
一瞬、何が起きたのか、鹿羽には分からなかった。
無様に地面に叩きつけられた鹿羽は恨めしそうな視線を女性に投げ掛けようとしたが、そこにはもう女性はおらず、せっせと墓を磨き上げている別の女性が立っていた。
「――――おや。迷い人でしょうか?」
「か、楓?」
「”カエデ”……? 申し訳ありませんが、人違いのようですね」
女性は穏やかな口調でそう言った。
髪型、そして大人びた雰囲気を抜きにすれば、その女性は楓によく似ていた。
「さ、さっきの人は……」
「……? 誰も居なかった筈ですが、お連れ様がいらっしゃったのですか?」
「……いや、気にしないでくれ。――――ここが何処だか分かるか? 気が付いたらここに居たんだが……」
鹿羽は、今、自分が置かれた状況が何なのか、よく分からなくなっていた。
「あ、ここは私の精神世界ですね」
「……………………もう一回言ってくれないか?」
「ここは私の精神世界ですね。”うつつ”から切り離され、今はただ時間のみを共有する、いわゆる世界で最も辺鄙な場所の一つです。自分で言うのも何ですが、よくぞいらっしゃいましたね」
「……どうして俺がここに居るのか、分かるか?」
「おや。貴方様の意志で来られた訳ではないのですね。私としましては、わざわざ遠くから私に会いに来てくれたのではないかと期待したのですが……」
「な、なんか悪かったな」
「いえ。そもそも貴方様は私のことを知らない筈なので、当たり前のことですけどね。むふふ」
女性はそう言うと、いたずらっぽい微笑みを浮かべた。
対する鹿羽はどうリアクションすれば良いのか分からず、微妙な表情を浮かべることしか出来なかった。
「――――して、貴方様がどうしてここに居るのか……。何となく予想はついています。素敵な女性と出会いませんでしたか?」
「出会ったかもしれないな」
「……あれ? あ、そうですか。…………そうですね。おおよその見当はついてきました」
(本当かよ……)
「……ここで立ち話も何ですし、私が寝泊まりしている小屋にでも行きましょうか。そこならゆっくりとお話出来るでしょうし」
「親切にしてくれたところ悪いんだが、俺は一刻も早く元の世界に戻りたいんだ。ゆっくりと喋っている暇はない」
「おや。退屈させてしまいましたか?」
「そもそもお前は何者なんだ? 俺の敵じゃない保証が何処にある? 俺をこの世界に閉じ込めようという魂胆なら、悪いが大人しく従うつもりはないぞ」
「……左様でございますか」
女性がそう言った瞬間、心臓を鷲掴みされたような感覚が鹿羽を襲った。
「か、は――――っ!?」
「バレてしまったのなら、仕方ありませんね」
「……っ!」
「貴方様はもう、二度とこの世界から出ることは出来ません。百年、二百年、そして想像を絶するほどの永い時を、ここで過ごしてもらいます。良いですね?」
「……っ! そんなこと言われて従う訳ないだろ……っ! 死んでもここから抜け出してやる……っ!」
鹿羽は声を振り絞って、吐き捨てるようにそう言った。
対する女性の瞳は、酷く冷たいものに変化していた。
「――――<冥神/ハ・デス>!!」
「……なんて冗談ですよ。いったん落ち着いて、ゆっくり話でも――――え?」
そして、鹿羽の魔法が女性に炸裂した。
「――――は?」
「……あ、あはは。あまり年下の方をからかうものではありませんね……。申し訳ございません」
「……冗談、だったのか?」
「はい。私は貴方様の味方ですよ。とは言っても、出来ることなんて殆ど無いんですけどね」
鹿羽の魔法によって吹き飛ばされた女性は、苦笑交じりにそう言った。
(“冥神/ハ・デス”をもろに食らっても平気なのか……?)
「――――私の名はポタージュ。かつて、古の賢者とも呼ばれていました。貴方様にお願いがございます。どうか私の話を聞いて頂けませんか?」




