【123】遠い日の軛
一
ミズモチ県イオミューキャ出身のジョルジュ・グレースが、イオミューキャで襲撃事件が起こったことを知ったのは、首都ルエーミュ・サイを出立しようとした朝のことだった。
そして、急いで故郷へと帰還したジョルジュ・グレースは、変わり果てた城塞都市イオミューキャの惨状を目の当たりにしていた。
ジョルジュ・グレースは目の前の光景を前に、言葉を紡ぐことが出来なかった。
「…………っ」
「グレース。あまり自分を責めるんじゃないぞ」
ジョルジュ・グレースの育ての親である豪商の男は、淡々とそう言った。
多くの建物が焼け落ちていた。
せわしない様子で片付けを行う人々の表情は、酷く暗かった。
ジョルジュ・グレースは、かつてこの場所が、賑やかで明るい故郷であったことを知っていた。
だからこそ、ジョルジュ・グレースは、目の前の光景を信じることが出来なかった。
「聞いたぞ。ルエーミュ・サイで行われた闘技大会で優勝したそうじゃないか。まさかグレースが国を代表する騎士になるなんて夢にも思わなかったぞ」
「やめて下さい。お父様」
「……だが私はお前を誇りに思っているんだ。それだけは忘れないで欲しい」
豪商の男はジョルジュ・グレースの性格を知っていた。
ジョルジュ・グレースは誰よりも真面目で、誰よりも優しく、誰かの為に剣を取ることを決意した少女だった。
そしてジョルジュ・グレースは誰よりも責任感が強く、誰よりも自分に厳しく、誰かの為なら自分が傷付くことすら厭わない少女だった。
「誰も守れない騎士に価値なんてあるんですか……?」
ジョルジュ・グレースは、自分のことを酷く責めていた。
「グレース」
「……ごめんなさい。お父様」
「お前は何しにルエーミュ・サイに行ったんだ? 強くなる為だろう? 皆を守る為だろう? 誰よりも皆のことを想っているお前のことを、誰が責められるというんだ。良いか、グレース。勘違いしてはいけない。悪いのは決して奪われた方ではない。奪った方が絶対に悪いのだ」
「…………」
「こんなこと口にしてはいけないのかもしれないが、言わせてもらうぞ。私はあの日、グレースがここに居なくて良かったと思っている。確かに多くの市民が亡くなってしまった。だがそれ以上に剣を取り、果敢に戦った者達の犠牲が多かったのだ。もしお前があの日ここに居て、皆を守るために犠牲になったかと思うと……。もしお前に何かあれば、もはや私には、次の朝を迎える気力など無かっただろうな」
「……そんなこと言わないで下さい」
「事実だよ。グレース。今も騎士として働くことに反対なのだ。たとえ才能を潰した愚かな父として蔑まれようとも、お前の命が私にとって何よりも大切なのだよ。たとえそこに血の繋がりなど無くてもな」
まるで実の親子のように振舞う二人には、血の繋がりが無かった。
実は、豪商の男は取引先から孤児を引き取るように頼まれ、仕方なくグレースを迎え入れたに過ぎなかった。
しかしながら、もはや二人には親子といっても差し支えないほどの絆を手に入れていた。
そして、お互いがお互いをどう思っているかも、何となく分かっていた。
「……ごめんなさい。お父様。それでも私は戦います」
「だろうな……。――――でもこれだけは約束してくれ。絶対に無茶はしないで欲しい。私より長生きすることが、お前が出来る唯一の親孝行だ。ゆめゆめ忘れないでくれ。グレース」
「はい。お父様」
ジョルジュ・グレースは頬を伝った僅かな涙を拭いながら、ハッキリとそう言った。
二
場所はギルド連合が存在する城塞都市チードリョット。
その郊外の共有墓地にて。
冒険者を引退した後も指導者として活動を続けている老人――アンドレは、巨大な墓碑の前で静かに手を合わせていた。
(フランチェスカ……。アルバーノ……)
アンドレはその昔、自分以外の家族を亡くしていた。
妻も、息子も、その息子の家族も。
(――――グレース……。ああ、生きていたら今頃十五ぐらいになるのか……? どうして私などが生き延びて、あんな小さな子供が……)
もはやどれだけ同じ問いを繰り返したか分からなかったが、それでもまだアンドレの心の悲しみが癒えることはなかった。
親愛なる家族を失った悲しみが癒えることなんて、決してなかった。
冷たい風が吹き抜ける中、アンドレは再び巨大の墓碑を見上げると、静かにその場から立ち去った。
三
場所はギルド連合が存在する城塞都市チードリョット。
アンドレは後進の指導に当たる為に、冒険者ギルドに顔を出していた。
「よう。じいさん。相変わらず早いな」
「……ウォーレンスか。歳をとると眠りが浅くなるのだ。よく覚えておくがいい」
「そんなこと覚えてどうするんだよ。――――ほらよ。手紙が届いてた」
「手紙だと……?――――グラムソンからか……」
アンドレは、冒険者ギルドの受付を務める屈強な男――ウォーレンスから手紙を受け取ると、そのまますぐに封を切った。
「おいおい。確かグラムソンのじいさん、イオミューキャにいただろ。まさか――――」
「大丈夫だ。本人が書いている。――――――――何だと?」
「どうした」
「……………………悪いが、少し時間をくれないか? 頭が痛くなってな」
「……無理すんなよ。じいさん」
「ああ」
アンドレは冒険者ギルド施設内部にある椅子に腰かけると、再びゆっくりと手紙を読み始めた。
『我が盟友へ宛てる。
この手紙が届く頃には、イオミューキャで何が起きたのか聞いているかもしれないな。
武器を持たぬ市民を虐殺したあの蛮行、決して許せるものではない。
アンドレよ。
私はお前に伝えなければならないことがある。
アポリーヌの名を忘れたことはないだろう。
唯一、取り逃した女の剣士がその名を語っていた。
私でさえも太刀打ち出来ぬほどの剣の使い手だった。
聞き間違いかもしれぬ。
他人の空似ということも十分にありえよう。
だが、これをどうしても盟友に伝えたかった。
たとえあの悲劇が見せた嘘や幻だったとしても、盟友に隠し事など出来ぬ。
国によれば、どうやらイオミューキャを襲った不届き者は遠い魔大陸の者だという。
近々、国は報復の為に軍を魔大陸に派遣するらしい。
その中に、傭兵の募集があった。
お互い、もう良い歳だ。
どんなに気持ちが燃えていようとも、身体がそれに追いつかないことが増えてきた。
行け、とは言えない。
共に行こう、という言葉さえも、今の私には言うことが出来ない。
アンドレよ。
この手紙の返事は要らぬ。
見なかったことにしてもらっても構わない。
私は再び、盟友と杯を交わす日が来ることを願っている。
盟友 ダイス・グラムソンより。』
「……ありえるものか」
アンドレは複雑な感情を滲ませた様子で、吐き捨てるようにそう言った。




