【118】闘技大会⑥
一
アイカとS・サバイバー・シルヴェスターが苛烈な試合を見せた闘技大会決勝トーナメントの二回戦第三試合は、制限時間内では決着がつかず、審判団による判定の結果、アイカの勝利となっていた。
そして、本日最後の試合となる第四試合にて。
魔術師アポロと騎士ジョルジュ・グレースは、静かに対峙していた。
「――――貴様の対戦相手と戦うと思っていたんだがな」
「不本意な結果です。あれは勝利とは言えません」
「はっ! 私もそう思っていた」
「……」
皮肉を感じさせるアポロの口調に、ジョルジュ・グレースは特に言い返すような真似はしなかった。
(相手は統一国家ユーエス公認魔術師……。その肩書きがどれだけ凄いのかは私には分かりませんが、今までの試合を見る限りまだまだ本気は出していない様子……。今度こそ無傷では済まないかもしれませんね)
(あのダンパインと剣で渡り合うだけの実力はある、か……。さて、こいつがどれだけ魔術師に慣れているかだな)
二人はタイプこそ違えど、共に優秀な戦士だった。
アポロはギルド連合という完全実力主義の環境においても一流のA級冒険者として活動した過去を持ち、そして何万人もの受験者が集まった統一国家ユーエスの採用試験の中でも優れた知性と魔術の才能を存分に発揮し、何千倍という苛烈な倍率を潜り抜ける形で国家公認魔術師としての肩書きを手に入れていた。
一方ジョルジュ・グレースの経歴はとても短いものだったが、それは本人が極めて若いだけであり、既に幾つもの逸話を残す形で、齢十四にして既に次期ミズモチ騎士団の団長最有力候補として名前が挙がっていた。
騎士と魔術師。
中身は同じ、疑いようのない天才。
もう一つ、あえて共通点を挙げるとすれば、二人共相当な負けず嫌いだった。
(――――それでも勝たなくてはいけない。じゃないと次には進めませんから)
(――――いずれにせよ、本気を出すだけか)
ジョルジュ・グレースは静かに愛剣を腰の鞘から引き抜き、対するアポロは内に秘めた魔力を集中させた。
「両者! 構え!」
そして両者は無言のまま、緊張感だけが増していく闘技場のフィールドで戦闘態勢を整えた。
観客もまた静まり返り、風の音だけが闘技場を支配した。
その瞬間。
「始め!」
「――――破天」
「――――<氷瀑の滝/アイシクルフォール>」
審判の掛け声と共に剣閃が瞬き、一方で巨大の氷の塊が突如として闘技場のフィールドに出現した。
そして次の瞬間には剣閃が巨大な氷を粉々にし、その衝撃によって闘技場のフィールドはあっという間に砂煙に包まれてしまった。
息を飲む余裕さえ無い、一瞬の攻防だった。
(――――気配が消えた?)
そしてジョルジュ・グレースは、アポロの位置を見失ってしまっていた。
砂煙が舞い上がり、視界がすっかり薄茶色に染まる中、ジョルジュ・グレースは消えたアポロを見つけ出す為に必死に辺りの状況を確認していた。
「残念だったな。――――<氷結/フリーズ>」
少女の声が響いた。
アポロはいつの間にかジョルジュ・グレースの背後に移動し、静かに詠唱を完了させていた。
瞬間、青く染まった魔法陣からは冷気が噴出していた。
そしてその魔法は、ジョルジュ・グレースを氷漬けにした。
「――――」
「はっ! 間抜けな顔だな」
驚きの表情を浮かべながら氷の牢獄に囚われたジョルジュ・グレースの姿に、アポロは吐き捨てるようにそう言った。
「やめ! 試合続行可能か確認に入ります!」
「ふん」
試合を継続出来るかどうか確認する為に、審判の男が慌てた様子でジョルジュ・グレースに駆け寄ったその時。
何かがヒビ割れるような音が響いた。
「ほう。――――おい、お前。死にたくなかったら下がっていろ」
「は、はい」
アポロが審判の男にそう言い放つと、ヒビ割れるような音は次々と鳴り響き、やがてジョルジュ・グレースの全身を覆っていた氷に大きな亀裂が入った。
「させるか。――――<氷結/フリーズ>」
アポロは淡々とした様子で詠唱を完了させると、氷に覆われたジョルジュ・グレースを更に氷漬けにした。
しかしながら、氷に一際大きな亀裂が走ると、あちこちから激しく蒸気が噴出し、その亀裂をどんどん大きくさせていった。
(蒸発している……? 炎系の魔術か……?)
そして次の瞬間には氷は粉々に砕け散り、炎を身に纏ったジョルジュ・グレースがアポロを見据えていた。
「――――”炎熱の鎧”、か。全く面倒な力を持っているな」
「まだ試合は終わっていません……」
「一つ窮地を乗り越えたぐらいで騒ぐな。耳に障る」
アポロは吐き捨てるようにそう言うと、再びジョルジュ・グレースの視界から消えた。
そしてジョルジュ・グレースは再び、アポロの位置を見失っていた。
(――――間違いない。相手は”気配”を消した状態で移動出来る能力を持ってる……。目、耳だけじゃ駄目……。僅かな”殺気”を捉えないと……)
「――――<垂氷の槍/アイシクルランス>」
「く……っ」
突然降り注いだ氷の槍に、ジョルジュ・グレースは何とか反応して回避した。
(まずいですね……。このままでは……)
ジョルジュ・グレースは焦りを滲ませながら辺りを見渡したが、その視界にアポロが映ることはなかった。
莫大な魔力と引き換えに瞬間的な転移を可能とする秘術――アポロの”影渡り”を前に、ジョルジュ・グレースは反撃の機会を見出せないでいた。
(闇雲に攻撃しても駄目……。だからといって打開策が見つかるとも限らない……。どうすれば……)
再び、氷の槍がジョルジュ・グレースの視界の外側から降り注いだ。
歓声の中で掻き消されてしまっている僅かな音を頼りに、ジョルジュ・グレースはもう一度回避を試みたが、氷の槍はジョルジュ・グレースの左肩を掠め、僅かな鮮血が舞った。
「く――――」
ジョルジュ・グレースは左肩から駆け巡る鋭い痛みに表情を歪めた。
(いや、ここで出し惜しみしてはいけませんね……。観客がいる中、周りを巻き込むような戦い方は避けるべきだと思っていましたが、そんな余裕は無さそうです。どうやっても壊れないという”結界”とやらを信じましょう)
追い詰められたジョルジュ・グレースは、無意識に選択肢から外していた打開策を取ることにした。
(――――位置が分からないなら、”全体”を攻撃すれば良い……っ。少し野蛮ですが、仕方ありません……っ!)
少なくとも相手は闘技場のフィールドにいる。
ならば、闘技場のフィールド全体を巻き込んで攻撃すればいい、と。
ジョルジュ・グレースはありったけの力を愛剣に込めた。
(……? 何処を狙って……?――――まさか)
「どうか、観客の皆様が巻き込まれませんように――――――――破天」
ジョルジュ・グレースは審判が大怪我をしないように出来る限りの配慮をしつつも、莫大なエネルギーを闘技場のフィールドに解き放った。
瞬間、目を開けていられないほどの閃光がほとばしり、闘技場のフィールドに嵐が吹き荒れた。
(見つけた……!)
ジョルジュ・グレースは、闘技場のフィールドに吹き荒れた暴風の中でバランスを崩したアポロを見逃さなかった。
「ち……っ! 馬鹿みたいな真似を……っ!」
「逃がしません! 私の方が速い!」
「く――――」
そして、せっかく見つけ出したアポロを逃がさないように、ジョルジュ・グレースはあらん限りの力を脚に込めて飛び出した。
「はああああああああ!!!!!!」
「ち――――”影渡り”!!」
ジョルジュ・グレースが剣を振るった瞬間、アポロは”影渡り”によって再び姿を消した。
「――――っ!?」
そしてアポロは、再びジョルジュ・グレースの背後に移動していた。
ジョルジュ・グレースはハッとした表情で振り向いたが、その時には巨大な魔法陣がジョルジュ・グレースを包み込んでいた。
「死ね。――――<月光/ルナレイ>」
神の裁きというに相応しい光の鉄槌が、ジョルジュ・グレースに叩き付けられた。
そして。
「は……?」
アポロの間抜けな声が、闘技場に空しく響いた。
焼きつくような光がほとばしり、鼓膜が破れてしまいそうなほどの衝撃があったのにもかかわらず、ジョルジュ・グレースは無傷で立っていた。
まるでジョルジュ・グレース本人にだけ魔法が命中しなかったかのように、ジョルジュ・グレースの周辺の地面だけが大きくえぐれていた。
「…………」
「き、貴様……っ。今、何をした……っ。――――ぐ」
そしてアポロの脇腹は、鋭利な刃物で切り裂かれたように滲み、赤い液体を垂れ流していた。
ジョルジュ・グレースの長剣は、確かにアポロを捉えていた。
「やめ! 試合続行可能か確認に入ります!」
「ち……っ。私の負けでいい……。くそ……っ」
アポロは自身の傷を一瞥すると、首を左右に振りながら忌々しそうにそう言った。
「しょ、勝者! ジョルジュ・グレース!」
審判の男は慌てた様子でそう宣言すると、観客席からは大きな歓声が上がった。
「あ、あの」
「……」
ジョルジュ・グレースは、脇腹を押さえながら苦しそうに表情を歪めるアポロに声を掛けた。
しかしながら、アポロはジョルジュ・グレースを強く睨み付けると、そのまま退場してしまった。
闘技場が熱狂に包まれる中、ジョルジュ・グレースは静かにアポロの後ろ姿を見送った。
二
場所は統一国家ユーエス、首都ルエーミュ・サイ。
試合を終えたジョルジュ・グレースは、大会期間中に宿泊している宿に戻ってきていた。
「凄いじゃない! 準決勝まで勝ち上がるなんて!」
「……ありがとうございます」
「どうしたの? やっぱりケガとかしちゃった感じ? 確か出場選手は無料で治療が受けられたと思うけど……」
「いえ、そういう訳じゃないんです。ただ……」
「……?」
大会出場の為に付いて来てくれた同僚の女性に対し、ジョルジュ・グレースは言いにくそうな表情を見せた後、言葉を選ぶように再び口を開いた。
「――――”加護”って、簡単に身に付くものじゃないですよね……」
「ああ。加護ね。元々天性のものだって言われてるし、後天的に開花することはなくはないらしいけど……。そもそも加護持ちなんて滅多に居ないしね。相手、凄い加護でも持ってたの?」
「いえ……。そういう訳じゃないんですが……」
「もうハッキリ言いなさいな。私とグレースの仲でしょ?」
同僚の女性は、ジョルジュ・グレースの要領を得ない態度に業を煮やしたかのようにそう言った。
年齢こそは五つほど離れていた二人だったが、騎士団における日頃の厳しい訓練の中で芽生えた友情は確かなものであり、同僚の女性のその言葉に、ジョルジュ・グレースは意を決したかのように口を開いた。
「試合中に二つもの加護が手に入ることなんて、ありえるんでしょうか……?」
氷漬けにされたジョルジュ・グレースを救った、”炎熱の鎧”。
そして最後にアポロが繰り出した大魔法から身を守った、”大精霊の守り”。
たった一つでさえ習得することが滅多に叶わない”加護”を、ジョルジュ・グレースは一回の試合で二つも習得していた。




