【103】パブリックガーディアン⑤
一
「動くな! 武器を捨てて彼女から離れろ!」
ミュヘーゼの叫びが洞窟内に響き渡った。
「――――命令すなわち肯定。武器を捨てるようなことは致しませんが、言う通り離れるとしましょう。私は貴女方の敵ではないのでね」
「ね、ねえ。あちこち死体が転がっててヤバくない……? 絶対ヤバい相手だって……」
「最高指導者の拉致監禁なんて見過ごせる訳がありません。相手が何者であろうと一緒に来て話を聞かせてもらいます」
「正論ですね。――――まあ、犯人はそこに転がっている者達であって、私ではないのですが」
T・ティーチャー・テレントリスタンはおどけた様子でそう言うと、ゆっくりとグラッツェル・フォン・ユリアーナから距離を取った。
ミュヘーゼは、T・ティーチャー・テレントリスタンがグラッツェル・フォン・ユリアーナから離れたことを確認すると、グラッツェル・フォン・ユリアーナの元へ駆け寄った。
「――――ユリアーナ様。ご無事ですか?」
「そ、それはそうなのですが……。――――貴方は一体何者なのですか? おおよそ見当はついておりますが……」
グラッツェル・フォン・ユリアーナはミュヘーゼによって手際よく拘束から解放されると、T・ティーチャー・テレントリスタンを見据えて質問を投げ掛けた。
「貴女様の友人の忠実なる“しもべ”、とでも言っておきましょうか」
「……これは貴方の主君が望んだことですか?」
「それが一体何を指しているのかは分かりかねますが、想定の範囲内とだけ答えておきましょう。――――私も全てを把握している訳ではないのですよ。よく主君にも仲間にも叱られますしね」
T・ティーチャー・テレントリスタンはそう言うと、苦々しい記憶を思い出したかのように溜め息をつき、そして肩をすくめた。
「ミュヘーゼ様。貴女様も彼のことを知っているのですか?」
「いや、知らないが……」
「なら信用すべきではありません。法にのっとり、彼を連行すべきです」
「提案すなわち困難。それは困ります。勘弁して頂けませんか?」
ジョルジュ・グレースの主張は正当なものだったが、ミュヘーゼは判断に困ったような素振りを見せた。
T・ティーチャー・テレントリスタンが言い放った、“貴女様の友人の忠実なるしもべ”という言葉は、ミュヘーゼにとって決して無視出来ないものだった。
言い換えるとすれば、グラッツェル・フォン・ユリアーナの友人の手下。
グラッツェル・フォン・ユリアーナの友人を名乗れる人は、一体誰か。
ミュヘーゼからすれば、すぐに分かることだった。
一切の肩書きを持たず、更に言えば一切の戸籍を持たないのにもかかわらず、グラッツェル・フォン・ユリアーナと深く関わっている人物。
ミュヘーゼは既に、そんな人間なんて、イキョウ・マリアただ一人しかいないだろうと結論付けていた。
そして、そのイキョウ・マリアの手下を名乗る人物に対して、どのような対応を取ればいいのかなんて、今のミュヘーゼには全く分からなかった。
「ゆ、ユリアーナ様……」
「彼の言ったことが事実なのであれば、不用意に関わらない方が賢明でしょうね……」
「――――ユリアーナ様。ミュヘーゼ様。私は反対です。彼からは恐ろしい力を感じます。このまま野放しにすることが正しいことだとは思えません」
「ジョルジュ・グレース殿……」
ミュヘーゼからしても、ジョルジュ・グレースの主張は何一つ間違ってはいなかった。
なら、正しい理由に基づいて正しいことをすればいいのか、と。
イキョウ・マリアという存在は、そうしてきた人々を問答無用で葬り去ってきたではないか、と。
白の教会が消えたあの日、自分の命が消えかけたあの日を思い出し、ミュヘーゼはジョルジュ・グレースの主張に賛同することが出来なかった。
「――――抵抗すなわち敵対。あくまで戦う、ということでしょうか」
「貴方が抵抗するというのなら、法にのっとって適切な対応を取るだけです」
「くく……っ。ははは! 実に素晴らしい! どこまでも純粋な“正義”を感じますね!」
「おい、ジョルジュ・グレース。待て」
「……ミュヘーゼ様。ユリアーナ様のことを守りたいのであれば、真実を明らかにすべきだと思います」
「だ、だが……っ」
ミュヘーゼがジョルジュ・グレースを引き留めようとする前に、T・ティーチャー・テレントリスタンが遮るように口を開いた。
「――――良いでしょう。本気で戦うことも、そして情報を開示することも何一つ許可されておりませんが……。貴女のことが大変気に入りましたので、私も責任を追及される覚悟でお付き合い致します」
「ならば、大人しくついて来て下さい」
「少し勘違いをしておられるようだ。私はあくまで貴女方の相手をすることに決めただけで、大人しく従うつもりはありません。――――言うことを聞かせたいのであれば……、そうですね、無理矢理、“力”でもってお願い致します」
「……ならば、そうします」
ジョルジュ・グレースはそう言うと、静かに剣を構えた。
「――――では、いきますよ?」
「……」
「ジョルジュ・グレース! 相手が悪い! お前はまだ――――」
瞬間、火花が飛び散った。
幾つもの長剣がジョルジュ・グレースを目掛けて殺到していたが、ジョルジュ・グレースはそれら全てを完璧に叩き落していた。
あまりにも一瞬の出来事だったが、T・ティーチャー・テレントリスタンがグラッツェル・フォン・ユリアーナの誘拐に関わった人間をことごとく葬った攻撃は、ジョルジュ・グレースの巧みな剣さばきによって防がれていた。
「――――正義を語るだけの実力はお持ちのようですね」
「貴方の言っていることは良く分かりません。正しいとか正しくないだとか、それをわざわざ口にしないと分からないのですか?」
「はは! 実に興味深い言葉ですね! 正義は不文律であると!」
「言葉遊びに付き合うつもりはありません!」
ジョルジュ・グレースは一瞬にして距離を詰めると、その手に握り締めた長剣を振るった。
そして、T・ティーチャー・テレントリスタンがいつの間にか手にしていた剣とジョルジュ・グレースの剣が交錯した。
二
(――――ジョルジュ・グレース……。一応資料の上では把握しておりますが、実態とは大きな乖離が見られますね……。――――強い)
「はあああああ!!」
「魔法はどうでしょうかね!――――<白の断罪/ホーリーランス>!」
T・ティーチャー・テレントリスタンの魔法によって幾つもの槍がジョルジュ・グレースの頭部目掛けて殺到した。
しかしながら、ジョルジュ・グレースの非常に高度な剣技を前に、その槍が彼女に届くことは無かった。
「――――破天!」
「く――――っ」
そして、ジョルジュ・グレースの秘剣がT・ティーチャー・テレントリスタンを捉え、少なくないダメージを与えた。
「……や、やっべえ。これ逃げた方がいいんじゃないの? 私達マジ巻き込まれて死ぬんじゃね?」
「あっしはリュードミラ様の指示に従うっス。死ぬ時はいつでもどこでも一緒っスよ」
「冗談言ってる場合じゃないだろー!」
「ど、ど、どうしましょうリュードミラ様! 任務とはいえヤバそうな空気がプンプンしますよ!?」
「…………隠れよう」
「は、はい!」
「賛成っス」
ジョルジュ・グレースとT・ティーチャー・テレントリスタンが激しく剣をぶつけ合う中、リュードミラ達はそっと洞窟の岩陰に身を隠した。
「予想以上ですね。私は戦いが苦手なのですが、それでも並の者には後れを取りません。つまり貴女は並大抵の実力ではない、と」
「……本気を出していませんね?」
「それが分かるだけでも相当な実力者です。――――実に末恐ろしい。貴女様のこと、報告させて頂きますよ」
「それは貴方を連行してからの話になりますね。――――無実が証明されればの話ですが」
「ふ……! 面白くなってきました……!」
T・ティーチャー・テレントリスタンは喜びを噛み締めるようにそう叫んだ。
その瞬間。
「――――不必要な戦闘行為と見なしマス。違いマスカ?」
少女の声と銃声が洞窟内で響き渡り、ジョルジュ・グレースはその手に握り締めていた剣を落とした。
そしてジョルジュ・グレースは糸が切れた人形のように、そのまま地面へと倒れこんだ。
「――――これは……、不味いですかね」
「不味いことが分かっていたのデスカ? 任務に関係のない行為をしている自覚があったのデスカ? その迂闊な行為が後にどのような影響を及ぼすのかをキチンと検証し、熟慮した上での判断ではないと言うのデスカ?」
「落ち着いて下さい。私が悪かったです」
申し訳なさそうにそう言ったT・ティーチャー・テレントリスタンの視線の先には、少女――L・ラバー・ラウラリーネットが苛立った様子で立っていた。
「し、師匠? な、なんでここに?」
「……」
「いったぁ!? なんで!? なんで今私に撃ったの!?」
「黙って下サイ。そして今の私に関わらないで下サイ」
「はい! 分かりました! だから撃たないで下さい!――――いったぁ!?」
リュードミラの叫びは洞窟の中でよく響いた。
「あ、貴女は……」
「グラッツェル・フォン・ユリアーナ。大変な失礼を致しましたネ。デハ」
「……一つだけ聞かせて下さい。貴女も彼と同じということですか?」
「その認識でおおよそ支障はないカト。――――しかしながら、規律も守らない“カス”と一緒にしないで下サイ。非常に不快デス」
L・ラバー・ラウラリーネットはT・ティーチャー・テレントリスタンに向かって軽蔑の視線を投げ掛けながら、吐き捨てるようにそう言った。
「ま、待って下さい……っ。まだ話は終わってません……っ!」
L・ラバー・ラウラリーネットによる正体不明の銃撃によって倒れていたジョルジュ・グレースだったが、剣を杖代わりに使うことで何とか立ち上がっていた。
「話すことはありませんので終わりデス。――――リュードミラ、そして同部隊に命じマス。任務は終了、速やかな帰還ヲ」
「了解です! はい!」
「ま、待ちなさい……っ! 待て……っ! が――――っ」
「……貴重な弾なんですから無駄遣いさせないで下サイ。労力と資源の無駄デス」
ジョルジュ・グレースは“おぼつかない”足取りでL・ラバー・ラウラリーネット達を追いかけようとしたが、容赦なく撃ち込まれた攻撃によって今度こそ意識を手放した。
「――――相変わらず完璧な仕事ぶりですね」
「貴様の規律違反は厳しく追及させてもらいマス」
「……はあ。とても後悔しておりますよ」
ジョルジュ・グレースが気を失い、ミュヘーゼとグラッツェル・フォン・ユリアーナが何も出来ない中、L・ラバー・ラウラリーネットとT・ティーチャー・テレントリスタンの二人は洞窟から姿を消した。
リフルデリカ教皇国との首脳会談の日程の中で起きた、統一国家ユーエス最高指導者であるグラッツェル・フォン・ユリアーナの誘拐事件は、公の場で発表されることは無く、表立って各国の情勢に影響を与えることは無かった。
しかしながら、この出来事がジョルジュ・グレースの心に大きな“わだかまり”のようなものを生み出したのは確かな事実だった。




