ずーっと以前に書いた創作怪談シリーズとショートショートシリーズ
デスクの引き出し
その男、年齢は20代。それもついこの間まで学生だったっていうくらいの。
いわゆる事務職っていうやつで、デスクワークするのが主な仕事なんだよね。あっちの仕事を処理して、こっちの仕事を片付けて。
ま、これも普通なんだけど、残業っていうのがあってね。時には夜中になっってしまうこともあったんだ。割と真面目な方でね。その日の仕事を次の日に持ち越すっていうのが嫌な性格だったんだね。
その日、彼は、またしても残業をしていた。
デスクのパソコンに向かって、かちゃかちゃ・・・キーボードを打つ音が響く。
「じゃあ、またね。明日・・・」
そうやって、同僚は帰っていく。
「お疲れさま・・・」
気がつくと、自分一人になっていた。
それほど広いとも言えないオフィスだけど、一人になってみると、不気味なくらいに広く感じるものだよね。4階の部屋からは、外の街明りが、少しだけ入ってくる。
でも、空調の効いた部屋の中は静かなんだ。シーンとしている。
「ああ、なんだかなあ・・・オレ一人かよ」
そう思いながら、キーボードを叩く。
そのうちに、なんだかぼうっとしてきてね。いつの間にか手が止まって、うつらうつらとしてしまった。
はっとして、目が覚めた。
「あ、寝ちまった」
慌てて辺りを見回す。でも、誰もいないんだ。だから、文句をいうやつも皮肉を言うやつもいない。
ちょっとだけ意味の無い行動をした自分が恥ずかしくって、一人で苦笑いしたんだ。
パソコンの画面はスクリーンセイバーが幾何学模様を写している。
「ちょっと一息入れるか」
そう思って、そのまま席を立つと部屋を出てエレベーターの近くの自動販売機に向かった。そこで、コーヒーを買って、それから戻って来た。
相変わらず、シーンとしている。
パソコンが、ブーンって小さな音を立てている。何処かで何かの機械が、小さな音を立てているけれど、全体としては静かなんだよ。なんというか、人の気配のない感じ。
そんな時にね、ふっと思い出した。
同僚の一人がね、最近手に入れたとかいう骨董品。それをね、そいつが会社のデスクの引き出しに入れているってこと。
腕時計なんだ、それって。
銀色のメタルの、クォーツじゃない機械式のやつ。
その同僚、買ったはいいんだけど、どうも時間が狂うっていうんだ。だから、会社の引き出しに入れっぱなしにしている。
でも、それだけじゃないんだ。
その時計を買ってから、その同僚、夜中に変な音を聞いたり、金縛りにあったりしたんだっていう。それもあってね、身近に置きたくなかった。少なくとも自分の部屋にね、置いておきたくなかった。
「夜中にさ、男の苦しそうにうめく声がするんだよ」
「なんだよ、それ。高かったんだろ、その時計」
「うん。スイス製のアンティークだからな」
「気のせいじゃないのか」
「まあね。市場価格からすると、かなり安かったんだよな。何かいわくがあるのかもしれない、とは思ったからな」
「気のせいだよ。使っているうちに忘れるよ」
「でもさ、なんだかさ、時々、止まるんだよね、この時計」
「止まる?時計の意味、ないじゃん」
「それもさ、決まって12時5分なんだよ」
「ごみでも詰まっているんじゃないの」
ふと見ると、壁のセイコーの時計は12時半を差している。
どのくらい居眠りしたのかわからなかったけれど、随分と遅い。
「もう、帰ろうかな」
そう思って立ち上がった。でも、ふと、そのアンティーク時計が気になった。
だから、ふらふらと、そいつのデスクの所まで行った。理由はわからないんだ。なんとなく、そこへ行ってしまった。
そのデスクの前に立ち、引き出しを見下ろす。
「確か一番下の・・・」
そっと音を立てないようにしゃがみ込む。その時計、止まっていたりするのかな、とか思いながらね。
その時、自分の後ろで、音がした。
がちゃん、って。何か、物が落ちるような音。コップか何かが落ちるような音。
はっとして振り向くけれど、誰もいない。何かが落ちたようでもない。
妙に怖くなった、っていうんだ、彼は。ひょっとしたら、この時計をしていた男っていうのは、もともとの所有者っていうのは、死んでいるんじゃないかって。その怨念が時計にとり憑いて・・・
「まさかな。想像力たくましいな、オレ」
そうつぶやいて、再びしゃがみこむ。それから、さっと引き出しを開けた。いくつかの書類の一番上にね、その時計が置かれていた。文字板を見ると、ぴったり12時5分で止まっている。
そっと手に取って、まじまじと見つめる。ねじが巻かれてないのかと思って、やってみるけれど、ちゃんと巻かれている。
ふうっとため息をついて、彼は引き出しの中に時計を戻した。で、引き出しをしめようとした、その時、秒針が動いているってことに気がついた。
「あれ?止まっていないのかな」
そう思った瞬間、
「うう、うう・・・」
声がした。男の声。苦しそうにうめくような男の声。
うわって、彼は思って、思わず固まっちゃったんだな。銀色のメタルの腕時計を見つめたまま。
「うう、うう・・・」
みしって、床がきしんだ。入り口付近の床の一箇所だけ、作り自体が悪かったのか、それとも後からそうなったのかわからないけれど、一箇所だけ床板がコンクリートから浮き上がっているところがある。そこを踏んだ時の音・・・
彼、目だけでそっちの方を追った。
誰もいない。
「うう、うう・・・」
声が、また聞こえた。
「うう、うう、ああ・・・」
なにかの痛みを堪えるような男の、若い男の声。
カタン・・・今度は並んだデスクの一番端のところの椅子が音を立てた。少しだけ、それが動いたような気がした。
彼は、腕時計を見下ろした。秒針がなめらかに動いている。
「うう、うああ、うう」
声は、近づいている、そう思った。じりじりと近づいてくる。見えないんだけど、何かが近づいてくる。
やめてくれよ、おい、なんだよ。そう彼は心の中で叫んだけれど、どうしようもない。
「うう、うう・・・」
もう、ほんの目の前、いや、足元で声がする。明るいオフィスの床を、何かが這ってくる。
やばい、逃げないと。そう彼が思った、その途端、
「がっ」って足を誰かが掴んだ。それから
「助けてくれ・・・」
そういう男の声を聞いた。
その後、彼はどうやって逃げたのか、全然、覚えてないっていうんだけど、気がついたら会社のオフィスを飛び出して表の道路にいたっていうんだけどね。
結局、あの時計に何があったのか、わからないままなんだけど、
「あれはね、絶対、もとの持ち主、死んでるね。事故か何かわからないけれど、あの時計を腕にしたまま死んだんだよ、きっと」
そう、彼は言うんだ。