だから、君に“ 嘘 ”をついた
神様なんて、きっといない。
………ううん、いてほしくないだけ。
だって、神様は人間に試練を与える存在だから。どんなにがんばっても乗り越えられないような試練を、淡々と、平等に。そんなものがもし本当にいるのだとしたら、私が抱えているこの苦しみが“ 永遠に乗り越えられないもの ”になってしまう。
だから、神様なんていてほしくない――――。
好きな人がいます。今よりずっと幼い頃から、その人のことが好きでした。出会いは小さな公園。兄弟、ましてや友達もいなかった私は学校が終わればそこで一人、両親の帰りを毎日毎日、ずっと待っていた。
『こんなとこで、何してるの』
その日、擦りむいた膝を見つめながら何もできずに涙をこらえる私に、そう声をかけてきて。見ず知らずの人間の傷を綺麗に洗い流し、『まだ使ってないから』なんて言いながら、純白のハンカチでそっと包み込んでくれて。それからお礼の一つも言えず、恥ずかしさで震える小さな手にお菓子を乗せて、『じゃあね』って。
きっと私はたったのそれだけでもう、好きになっていたんだと思う。
次に会えたのは地域のボランティア活動。その時はまだ、彼がそう遠くないところに住んでいるなんて知らなかった。目が合った私に小さく、でも素敵な笑顔を添えながら手を振ってくれて。やっぱりそれが恥ずかしくて、お母さんが綺麗にしてくれたハンカチを返すことが出来なかった。
それからたびたび顔を会わせる機会はあったけど、あの頃の私には彼を見つめ返すことなんて出来なくて、些細な会話を交わすだけでも、ただ必死だった。
転機が訪れたのは中学に上がってすぐのこと。まさか同い年だったなんて。でも、クラスメイトという好条件を手にしても、やっぱり私は私のまま。気さくに話しかけてくれる彼とは対照的、恥ずかしくてもごもごと口ごもってしまうばかり。こんなにも話しかけてくれるのに、こんなにも笑いかけてくれるのに。
それでもなんとか、彼に愛想を尽かされない程度にはがんばってた………そう思いたい。三年間同じクラスだったというのが大きいけれど、出会った頃よりは会話を交わすことが出来ていたから。顔を赤くしながら、でも、きっと私も笑えていたはずだから。
だって
『君と一緒にいる時が、一番楽しいよ』
そう、言ってくれたから。
私がその言葉を素直に受け入れられたのは数年ほどたってから。初めは気をつかってくれてるのかなって、そう思ってた。他の人と話しているときの方が良い笑顔をしてたから。
でも、そうじゃないって気づかせてくれたのも――――。
どうしても彼と一緒にいたかった私は、苦手なりにも必死に勉強し、地元の進学校で再びクラスメイトになることが出来た。彼は私の成績を知っていたから『本当にがんばったんだね』って、そう笑ってくれて。
私はそれが嬉しくて、本当に、何よりも嬉しくて。その頃にはもう、普通に話すことが出来るようになっていたから。彼の瞳を真っ直ぐに見つめることが出来るようになっていたから。やっとハンカチを手渡せるって、やっと“ あの時 ”のお礼をちゃんと言えるって、そう思えたから。
だから
『好きです』
そう、言ってしまっていた。
本当はそんなつもりなんてなくて。ただあの時のお礼と、ずっと返せずにいたハンカチをって。
なのに、とめられなかった。
『僕もだよ』
心臓が、飛び跳ねた。
『初めて会ったときから、ずっと君のことが好きだった』
死んでしまうかと思った。
『わざとハンカチを受け取らなくて、ごめん』
同じだった。
『受け取ってしまったら、もう君に会えないような気がした』
本当はいつだって返せたのに。これまでに何度となく、その機会はあったのに。『今日返してしまったら、明日はもう会えないかもしれない』なんて、本当はそんな風に考えてた。
少しだけ照れながら、もう一度『ごめんね』って。それから『ありがとう』って、ハンカチを受け取ってくれた。
私の想いも、一緒に――――。
ただただ、幸せだった。
まるで初めて会ったときの胸の高鳴りが、想いを打ち明けたときのそれが、ずっとずっと、永遠に続くんじゃないかって。
そんな風に、思ってた。
同じ大学へは行かなかった。彼には夢があったし、私も彼の後押しを受けて、自分が目指したいものを真っ直ぐに見据えていたから。
『ごめん、別れてほしい』
それは、あまりにも突然すぎて。
『好きという気持ちが、薄れてしまった』
幸せだけを、噛み締めていたから。
『だから、ごめん』
だから、私は何一つ気づいていなかった。
消えてしまった。
連絡先もわからなくなり、彼が今どこにいるのか、何をしているのか。共通の友人を頼っても、誰も何も答えてはくれなくて。
心が、壊れてしまいそうだった。
私は今日もまた、ここにいる。
あの人と初めて会った、この場所に。
ここに来れば、このベンチに座っていれば、あの人との楽しかった思い出に浸っていられるから。
もしかしたら、また会えるかもしれないって。
“ あの時 ”のように、また、あの人に――――。
「こんなとこで、何してるの」
振り向けなかった
「まさか、君がここにいるなんて」
私の鼓動の音だけが この世界を支配しはじめた
「…………本当は、君に会えるんじゃないかって」
同じだった…… でも でも……
「ごめん………。実は、君に嘘をついてた」
嘘? 嘘って?
「僕の身体はいつまで生きられるかわからないような、そんなものだった」
「海外で移植手術を受ければ、或いは生きていられるかもしれないって」
「だけど………例え手術を受けても、そうならない可能性が、とても大きくて」
「君はいつも幸せそうに笑っていて、それを僕が奪ってしまうんじゃないかって――――」
「怖かった」
「君にどう伝えていいものか、ずっと、ずっとわからなくて」
「もし……君が死んでしまったらって、そう考えた時」
「僕は生きていけない……そう、思ったんだ」
「だから、君に“ 嘘 ”をついた」
「だから、ごめん……」
酷いよ
そんなのって あんまりだよ
そう思うのに
なのに どうしてだろう
私の視界は なんだかぼやけてしまっていて
私の頬には 大きなそれが流れていて
でも でも
私の顔は きっと笑っていて
だから
「おかえりなさい」
そう言って 振り返って――――
「えっ」
神様なんて、いない。
手術もまた、きっと色々あるんだろうなぁ(遠い目)