表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
車いすちゃんと幽霊さん。  作者: 火乃椿
2/2

市場と果物と

 雲一つない空が一つのぼろ屋を覗いている。ぼろ屋もとい離れには、白い袖口に細かいレースがあしらわれたネグリジェを着ている少女がベッドに横たわっていた。栗色の綺麗な長い髪に真っ赤な血のような目を持つ、あどけなさのある整った顔であった。その顔は、つまらなさそうに眉をひそめていた。

「……暇ですわ……」

不満そうな声で呟く。ベッドの近くの壁に寄りかかる少女にしか見えない幽霊は、それを聞くと

「意外と勉強のための家庭教師とか来ないんだね」

そう何気なく言う。少女は寝返りをうつとこう答える。

「母屋にしか来ませんわ。まぁ、月に一回だけお姉さまと一緒に街の学校に行きますけど」

「そうなの……てか、着替えなくていいの?」

「誰も私を咎める人はいませんわ……そう、咎める人は……」

そう言うと、何かを思いついたように起き上がる。幽霊は不思議そうな顔をして少女を見る。少女は幽霊の方を向くと、楽しそうな子供の顔をしてこう言う。

「街に行きませんこと? 幽霊さん」

「は?」

幽霊はそれを聞くと間の抜けた声を出して、こう続ける。

「なんでさ。というか、服は? ばれるでしょ、護衛とかもつけないと……」

「服ならありますわ。それに、私が誘拐されても殺されても気にする人はいませんから」

微笑みながら少女はそう言う。幽霊は、軽く、「そんなことないよ」と言うと少女の頭を撫でた。少女は、不思議に思いながら車椅子に移り、支度を始めた。

 桐箪笥(きりたんす)(過去に祖母が東洋の商人から買った物)に近づくと、上から二番目の引き出しをひいて服を出す。街にいかにも居そうな服を選ぶと、幽霊に手伝ってもらいながら着替える。

「どうかしら、幽霊さん」

着替え終わり幽霊にそう聞く。少しざらついた生地の生成り色のワンピースを着て、水色のデニム生地の前掛けをかけている。ワンピースは、裾や袖口、胸元に細かいレースが施されており可愛らしいデザインをしている。いつもきている服とは違い、村にいる小綺麗な娘のような雰囲気を出していた。足が動かないので、立ってふわりとスカートを舞わせることはできないが座っていてもそれはボリュームのあることが分かる。

「可愛いんじゃない? 元からの上品さは隠しきれてないけどね」

 ふっと、半笑いをしてそう幽霊は言う。少女は、少し不満そうに、なんで半笑いなのかと言う。幽霊は、そんな少女を見るとしっかり笑って頭を撫でる。

「撫でればいいってものじゃないと思いますわ。幽霊さん」

撫でられた頭を触りながらそう言う。幽霊は反省していないように、「ごめんごめん」と謝った。少女は、溜め息をついて机に向かう。

 机の引き出しから手鏡を出す。少女は、鏡を自分の方に向ける。鏡にはもちろん、少女が映っていた。ふいに、幽霊に向けたら映るんだろうかと思い、後ろにいる幽霊が映るように傾ける。

しかし、鏡には幽霊は映らなかった。少しがっかりしていると、

「鏡に俺うつらなくてガッカリした?」

幽霊が少女の顔を覗き込んでそう聞く。少女は、なんでもない顔をして、幽霊に鏡を持つように頼む。鏡が固定されると、引き出しから深い青色の紐と(くし)を取り出す。長い髪を左肩にかき集めると櫛をつかって整える。櫛で解くたび、太陽の光に当たってつやつやと髪が輝く。整えられたら、髪を三つに分けると編み始める。時々、鏡を見ながらゆるくならないようにきっちりと編む。

 編み終わると、紐で縛り崩れないようにする。鏡を見て、斜めを向いたりして変ではないか確認すると幽霊から鏡を取り上げて、櫛と一緒に引き出しに入れる。

「三つ編みできるんだねー。車いすちゃんは」

「えぇ……というか、三つ編みを見せたのは今日が初めてではないですわよ」

「あはは、そうだっけ? 忘れちゃった」

「しっかりしてくださる? 幽霊さん」

 呆れたようにそう言うと、車輪を動かして箪笥の前に行く。箪笥の前に移動すると、車いすから降りて床にぺたんと座る。一番下の引き出しを開けると、そこには靴が並べられていた。右端には小さなかごに入った靴下がまとめて置かれてある。いつも履いてるようなぴかぴかのベルトつきシューズもあったが、端っこに置いたブーツを取り出す。それは、すねまでの短いブーツで筒周りが緩やかな山になっており、すねの部分がV字に割れている特殊なブーツだ。少女は、車いすに座り直すとブーツを履く。一番上の引き出しから小さなカバンとお財布を取り出すと、幽霊の方を見て

「準備できましたわ。行きましょう?」

そう言うと、幽霊はうーん……と悩んでいるようなしぐさを見せると、一番上の箪笥から赤いスカーフを取り出す。少女に近づいて、しゃがむと少女の首にかけ胸元で結ぶ。

「うん、可愛い可愛い」

 満足気にそう言うと、立ち上がり少女の後ろに回る。

「いつもの召使いに行くこと言わなくていいの?」

「もちろん、言いますわ。勝手に行ったことがあの人に知られたら、と思うとゾッとしますわ」

あの人とは、継母のことだ。継母は、いつでも体裁というものを気にしている。もし、庶民にあの貴族の娘が非行をしているなんて噂が立ったら、少女はどうなるか分からない。

「じゃあ、さっさと済ませていこう」

幽霊が、短くとそう言うとドアに近づきドアノブを握る。ひねろうと手首を回そうとすると

「お嬢様ー……わぁ、街に行かれるのですか?」

 召使いのエミールがドアを開けて入ってきた。短くぼさぼさの髪を揺らしながら、表情豊かにそう言った。

「えぇ、夕方ごろ……午後には戻ってきますわ」

 少女は微笑んでそう言う。

「分かりました。付き添いは要りませんか?」

「えぇ、大丈夫ですわ。伊達にここで一人で暮らしてるわけじゃないですので」

「そうですか。あ、門の外までお送りします」

 エミールはそう言うと、少女の後ろに回って車いすを押す。ドアをくぐると、春のあたたかな風が少女の髪を弱く押すように通り過ぎた。

「デジャヴ……」

 独り部屋に残った鼻を赤くした幽霊が、そう呟く。少し不機嫌そうな顔をして、召使いと少女のあとを追った。心の中で召使いに不幸が来ますように! なんて縁起でもないことを思いながら。


「召使いさん。ここまでありがとうございますわ」

 草花の模様が彫られた格子状の丈夫な門の前につくと、後ろを振り向いてエミールにお礼を言う。エミールは、嬉しそうに微笑むと

「恐縮です……。では、楽しんで来てください」

 元気よくそう言って、お辞儀をする。少女もエミールにお辞儀をすると、車いすの車輪に手を伸ばして自力で車いすを動かす。エミールからこちらが見えない距離まで来たことを確認すると、幽霊に押してもらう。

「自力でここまで来れるなんて、大した腕力だよね……もしかしてムキムキ?」

 幽霊は、少女の車椅子を押しながらそう聞く。少女は怒ったように「失礼だわ。幽霊さん」と返した。幽霊は、笑いながら軽く謝った。

 しばらく進んでいると、赤いレンガのアーチ状のものを重ねて作ったような道路が見える。街についた。少女の住んでいる家とは違う材質で作られた建物が並んでいる。エプロンをかけ、三角巾を被っている中年の女性が道の端で楽しく喋っていたり、質素な服を着た子供たちが遊んでおり、街は活気にあふれていた。

 月に一回行く街とは別の街に来ているので、少女の目にはとても新鮮に見えた。きょろきょろと周りをきらきらと輝いた目で少女は見る。それを後ろから愛おしそうに車椅子を押しながら幽霊が見ている。街の住人の何人かが、見たことのない小綺麗な格好をした少女を物珍しそうに見ていた。

「どこか、いいところはないかしら……お昼を食べるところも決めないと」

 少女は、周りを見渡しながらそう言う。

「そうだね……、俺もいっつも引きこもってるから分かんないや。ここの住人に聞いた方が早いでしょ」

「そうですわね……。すみません、少しお聞きしたいことが……」

 幽霊にアドバイスをもらうと、少女は近くにいた恰幅のいい、前新聞で見たどこかの指導者のようなひげを生やした男性に話しかけた。男性は、物珍しそうに少女を見るが、優しく「なんですかな? お嬢さん」と聞く。

「ここら辺におすすめの場所はありませんか? この辺は来たことがないんです」

 少女は、いつもの口調と違う普通の丁寧な言葉で柔らかく男性に聞いた。男性は、うーんと唸ると、街の広場を紹介してくれた。この通りをまっすぐ進むと、開けた広場があるようで、今の時間帯なら市場がやっていると教えてくれた。少女は、男性にお礼を言うと、広場を目指して進んで行った。


 少し進むと、広場に着いた。舗装された道は、先ほどの道と違い白いレンガで作られており爽やかな印象があった。道は、丸い噴水を囲むように敷かれていた。周りの芝生では子供たちが遊んでいたり、レジャーシートを広げ日向ぼっこをしている人がいた。市場は噴水の奥の舗装された道でやっていた。生鮮食品を売っている屋台や綺麗なレースや布を売ってる屋台など、屋台の種類はたくさんあった。

「たくさんありますわね……お昼もここで食べた方が安く済みますかね……」

「そうだね。車いすちゃん何が好き? 市場で選んで買うのなんて慣れてないでしょ、選んであげる」

「ふふ、ありがとうございます。では見て回りましょうか」

 少女がそう言うと、幽霊は車いすを押す。屋台の前を通ると、屋台の主人たちは少女を注目する。離れでも幽霊に指摘された元からの上品さは隠しきれてなかったようで、いい家の育ちだということは誰にでも分かっただろう。

「んー……果物もいいですわね……」

「果物ならとびきり新鮮なの選んであげるよ」

「安心ですわ……なら、あのお店で買いましょう」

そう言いながら、少女は一つのお店を指差した。木製ワゴンいっぱいに果物が乗っているお店だ。店番をしているのは、少し太った中年の女性だった。胸元が大きく開き、袖や胸元には花柄のバイアステープで彩られた質素なワンピースに、体が大きいからか小さく見える前掛け、三角巾をつけていた。

 少女が店の前に行き、「こんにちは」と挨拶をすると、店番の女性はつまらなそうな顔からすぐに作り笑いをした。

「いらっしゃい、お嬢ちゃん」

 店番の女性がそう言う。少女は「いいお天気ですね」と返すと、ずらりとワゴンに乗った果物を見る。緑色のリンゴやオレンジなど見たことのある果物から見たことのない珍しいものまであった。どれがいいか考えていると、ふと一つの果物が目に入った。それは、さくらんぼのように細い枝が二股に分かれ、両方の先端に透き通ったオレンジ色の大きな実がぶら下がっている。少女がそれを指差すと、店番にこれは何かと聞く。

「それかい? 国の南部で作られる『ミエルスリーズ』さ。蜂蜜みたいに甘くて美味しいよ、試食するかい?」

 店番の女性がワゴンから一粒取り、少女に渡す。少女はそれを口に入れる。蜂蜜のような独特の甘さとみずみずしいリンゴのような味が口いっぱいに広がる。新鮮な花の香りが鼻から抜けた。

「とっても美味しいわ。それをいただこうかしら」

 にっこりと微笑んでそう言うと、店番の女性は袋いっぱいに果物を入れる。値段を聞いて、財布からその値段分の硬貨を出そうとすると、幽霊が少女の手を軽く触って止めた。

「ダメだよ、車いすちゃん……。袋の中見せてもらって」

 そう優しく言う。少女は、従うように店番にその袋の中身を見たいと言う。店番の女性は、むっとした不機嫌そうな顔をして

「その前にお代を出しな。じゃないと渡せない」

 素っ気なくそう言われ、早くお金を出すよう催促した。少女が困っていると、幽霊が耳元で何かを囁いた。少女はボソッと「分かりましたわ」と言う。

「何て言ったんだい? まさか、逃げる気かい?」

「いえ、そんなことはしません。袋を見せていただきたいんです。必要以上買ってしまって食べれなかったら果物が可哀想ですし……」

「そんなこと言ったって見せないよ」

「では、今ここで神の名の元、盗みはしないと誓います。それではだめでしょうか。私達、人間は神の前では嘘をつけません。お願いします」

「クリスチャンかい。生憎、あたしはクリスチャンじゃないんだよ。金を払わないなら、憲兵を呼ぶよ」

「あぁ! 神、私は今困っております……。どうしたら、どうしたらあの方に信じてもらえるのでしょう……私は、無理やりしたくないのです……!」

 少女は、たまに見に行く演劇の女優を思い出しながら少し大きな声でそう言う。すると、騒ぎを聞きつけたのか、市場にいた人々が「なんだ?」「どうした」と口々に言いながら集まってくる。店番は、だんだんとまずいと言わんばかりの表情になっていく。

「みなさん……私は中身を見せて欲しいだけなのです……どうしたら信じてもらえるでしょう……頭がいっぱいになるまで考えましたが、もう思いつきません……」

 少し、目に涙を浮かべて野次馬に向かってそう言う。野次馬は少女が可哀想だと思い、店番から袋を奪い取ると少女に渡した。店番は、袋を奪い取った野次馬に文句をぶつくさ言った。

 袋を大きく開けると、中にはいくつものミエルスリーズが入っていた。

「これほぼ、売り物にできないやつだね。見てごらん、ワゴンの方を……」

 幽霊は、袋を覗き込みながら少女にそう言う。少女は言われた通り、ワゴンに乗ったミエルスリーズと袋に入った果物とを見比べる。

「色の透明さが全然違うでしょ? それにつやつやしてない。じゃ、また俺の言葉を言って」

 少女はそれを聞くと、店番を見て

「あぁ! 神よ! なんと可哀想なことでしょう……果物さんたちが、輝きを失っています……どういうことでしょう……どなたか、分かる方はいらっしゃいませんか?」

心底困ったような顔をしながら、野次馬を見渡す。店番は、それを聞くと少女に向かって怒鳴り散らした。少女は一瞬、びくりと肩が跳ねる。

「はい、道を開けてください」

 一人の凛々しい男の声が店番の女性の声を遮る。どこかの神話に出て来た海の神のように、男の声が近づくと野次馬が道を開けた。少女と店番にも見える距離まで来ると、店番がぎょっとして言う。

「げっ……憲兵……!」

 紺色のボタンがたくさんついた特殊なコートに、同じ色のベレー帽をかぶった憲兵が三人いた。腰には、銀色の警棒をぶら下げていた。憲兵の一人が店番を見ると、あきれ顔でこういう。

「また貴方ですか……注意喚起、先週もしたはずですよ」

「い、いいだろ。商売にいちゃもんつけるんじゃないよ。営業妨害だ!」

「いい加減にしてください、これ以上すると市場で物が売れなくなりますよ。あなたのことを思って言ってるんです」

説得をする憲兵とわがままを言う店番の間で、少女はその話をぼーっと聞く。少女がそれを眺めていると、幽霊が笑いながら話しかけて来た。

「ヒュー! 爽快だね。美味しいものを質の悪い状態で売るなんて、愚者の極みー」

「少々、やりすぎなのではなくて?」

 少女が小声でそう返す。

「これでいいんだよ。あとは憲兵に任せれば解決! ……ね? 言った通りだったでしょ?」

 幽霊が得意げに言うと、「そう……ですわね」と複雑な心境で少女が返す。そんな話をしていると、店番の女性が二人の憲兵に連れていかれた。少女は残った憲兵に、中身を取り替えると言われ袋を取られる。

「あの、あの方はどうなるのですか?」

「んー……注意と市場での営業停止かな」

 憲兵が袋に果物をつめながら言う。

「まぁ、あの人ならまだ懲りてないと思うよ。なんでだろうねー。はい、気を付けてね。お嬢さん」

 少女に袋を渡すと、肩につけたベルトの無線機でどこかに連絡していた。少女は、その憲兵に一言かけると、憲兵は笑顔で手を振った。


 少女が市場を出るころには他の屋台は、店じまいをし終ったあとだった。太陽は到底、人間には手の届かな高さにあった。

「どうする? 公園で食べてく?」

「そうですわね。芝生に行きましょう」

「はーい」

 幽霊が短く言うと、車いすを押していく。

 噴水のところまで進むと、おーい、と話しかけられた。声のする方を向くと、端正な顔立ちをした男性だった。しわのついたワイシャツを腕まくりをして着ていた。どこか見覚えのある雰囲気をしていた。

「なんでしょうか……」

「さっき、あの果物屋のばあさんに絡まれたみたいだったな。大丈夫だったか?」

 雑な口調でそう言いながら、少女に近づく。幽霊は、少女の後ろで不機嫌になっていた。

「はい……この辺はああいうことは多いのですか?」

 少女は、男性を見上げながらそう聞く。

「まぁ、この辺はブルジョアの住む街じゃないからなー。初めて来たなら教えてやろうか?」

 にこにこと気前の良さそうな笑顔をしながらそう言う。幽霊は、不機嫌そうな声で「絶対にいかがわしいことするよ、こいつ! いこう?」と囁く。少女は幽霊の言葉に首を少し傾げると、男性の方を見て

「そうしてくださると嬉しいです」

 と言う。幽霊は、えーっ! なんて文句を垂れ流す。

「じゃ、お嬢さん。ついてきて……って、押さないと大変だよな」

 男性はそう言うと、少女の後ろに回り幽霊と重なる。幽霊は、カエルの断末魔のような悲鳴を上げ少女の隣に移動する。少女は、じとっと横の空間を見た。

「幽霊さん、うるさいですわ」

 幽霊に聞こえるぐらいの声でそう注意すると、車いすが動き始めた。


「ついたぞ。俺の好きな場所だ」

 噴水からはなれた芝生の周りにある木のとある木の下につくと、そう男性は言った。少女が上を向くと、葉っぱの間から光が群れていた。太く逞しい幹がずっと上に伸びていた。

「車いすから下ろした方がいいか? ずっと同じ体勢だと疲れるだろ」

「それじゃあ、お願いします」

 男性が元気よく返事をすると、少女を持ち上げる。一瞬、目線が高くなるがすぐに低くなって芝生の上に降ろされる。少女は、根本に座ると男性にお礼を言う。

「別に、お礼がされたくてやったわけじゃねーよ。ミエルスリーズでも食べて休憩しな」

 男性も少女の隣に座ると、そう言う。第三者から見たら、絵になる兄妹に見えるだろう。少女は、男性の言葉に従うように、袋を開け一つの実を口に入れる。もぐもぐと噛むと、口いっぱいに甘さが広がった。

「初めてきたならどんなとこに住んでんだ?」

「……○○○○○っていう街です」

 少女は、住んでいる街の少し手前にある街を言った。あまり住所を言ってしまうと、特定されてしまうだろうと考えたのだろう。

「へー、意外といい生活してるね。お嬢さん」

「それほどでもないですよ。この街は一体、どんな街なんですか?」

 もぐもぐと果物を食べながらそう聞く。

「んー? ただの庶民の街だよ。他にも同じような街はあるけど、ここが一番大きい。すぐ近くに……一本細い道を入るとスラム街になるし、出稼ぎにきてるやつも多いな。市場も定期的にやってるし、稼ぎやすいんだろうなー。俺は、やってないけどな」

「じゃあ、貴方の仕事はなんですか?」

「ん? 近くの図書館で働いてる。ま、司書じゃなくて掃除とか本がちゃんと棚に入ってるかとかの雑用だけどな」

「お仕事は大変なんですか?」

「まぁなー、でも生きるための仕方ない事だと思ってる。欲しい物なんてないし、生活できる程度のお金がもらえればって感じだな」

 男性が少女の持つ袋の中から果物をつまみ食いすると、そう言う。少女は食べながら子供たちの遊んでる風景を見ながら言う。

「むなしくないのですか?」

「むなしいって何が?」

「無欲なことです。私は、全ての人には何かしら欲があることを知ってます。私の母も姉も……」

「そうだな。むなしいかも……でも、もう()()からそれ以上要らないんだよなぁ……人間の三大欲求は満たしてるし」

「そうなんですか……」

 少女はそう言うと、袋を覗いて果物を手に取った。

「じゃあ、お嬢さんは何か欲しいものでもあるか?」

「え……」

 男性の問いに、びっくりしたのかつまんでいた実がぽとりと芝生に落ちる。少女は、男性から目を逸らして考えると、こう言う。

「あります……でも、他人に言うことではないです」

 じっと男性を見つめながらそう言う。男性は、笑いながら「だよなー」と言った。人に言わないことを知っていて聞いたのだろうか。少女は、立ち上がることはできないが、ずりっと足を引きずって少し進むと男性にどうしたのか聞かれる。

「そろそろ帰ろうかと、早く帰らないと怒られてしまいますから」

「そうだね。そろそろ日が暮れ始めるしな、よいしょっと……」

 よいしょ、と言うと、少女を抱え上げ車椅子に座らせる。少女は、男性が離れると「ありがとうございます」とお礼を言った。

「いいよ。送って行こうか?」

()()で来たので、大丈夫です。ゆっくりした時間をありがとう。また会えたら……」

 そう言うと、自力で車輪を回して進む。少し進むと、隣にいた幽霊が少女の後ろに行って押す。まだ不機嫌なようで「あの男、死ねばいいのに」と暴言を吐いていた。

 一人木の下に残った男性はズボンのポケットからくしゃくしゃになった写真を取り出す。そこには、幸せそうに笑う金色の短いぼさぼさした髪の好青年とそれを見つめる端正な顔立ちの男性が映っていた。

「……あいつが……」

 そう呟くと、口をきゅっと閉じてまた乱暴にポケットにしまうと、仕事に戻った。


「幽霊さん」

「何?」

「何もされなかったでしょう? 機嫌を直してほしいですわ」

 この街に来た時の道を戻りながら、そう話す。まだ不機嫌なのか返事は素っ気なかった。

「嫌だよ。車いすちゃんが折れるまで、直さない」

 素っ気ない態度で言う。少女は、それを聞くと面倒くさそうな顔をして

「私、悪い事なんてしてませんわ。どちらかというと、幽霊さんが悪いですわ。あんな小芝居をやらせるより、憲兵さんを呼びに行った方がいいと思いますわ」

「あれでいいんだよ。あんな悪いやつ、地獄に落ちればいい」

「そういうことを言う幽霊さんは嫌いですわ」

 淡々と少女は言う。幽霊は、嫌いと言われると少し間を置いて「直すから好きになって……」と言う。少女は、どっちが年上か分からないなと思いながらそれを許した。

 一人を照らす陽の光は、少しだけ色づき始めた。そして、緩やかな坂をゆっくりと上っていると立派な門が見えてきた。


門につくと、門の掃除をしていたエミールに出迎えられる。楽しかったかやどうでしたかなど感想を求められると、少女は市場での出来事を丁寧にオブラートに包んで話した。すると、エミールは驚いたような悲しむような顔をしてこう言う。

「それは大変でした……ぜひ、街にお出掛けになる際は僕に言ってください。お供しますよ! ……お役に立てるかはわかりませんが……」

 最後の方は、自信がないのか力なく苦笑をしながら言った。少女はそれを見ると、楽しそうにくすくす笑って「ありがたいですわ」と言って、エミールに手に持っていたミエルスリーズが残っている袋を差し出す。これは?と聞かれると、市場で買ったものだと説明する。ジャムにしたり乾燥させていいと言うと、自力で車輪を回す。エミールはお礼を言いながらも、すぐに車椅子の握りを持つと、少女を離れまで連れて行く。

 門から数分、進むとオレンジ色の光で壁や屋根を塗られた離れのぼろ屋が見えた。窓から見える部屋の中は、薄暗く寂しげだった。少女がそれを眺めているうちに、もう離れの近くにいた。エミールがドアを開けると、自力で中に入る。幽霊も同じタイミングで部屋の中に入った。エミールがドアを閉めると、素早く少女に断りを入れて、机の引き出しを開けマッチと蝋燭を取ると、燭台に刺し火をつける。すると、ぼうっと小さな火が、辺りを照らした。

「召使いさんありがとうございます」

「いえいえ……今日は、何時ごろにご就寝いたしますか?」

「疲れたので、今日は早めに……お夕食を食べたらお風呂に入りたいですわ」

「分かりました。沸かしておきますね」

 エミールがそう言うと、夕食の支度をすると言って出て行った。幽霊は、二人が話しているうちに疲れたのか少女のベッドに倒れていた。少女は、そんな彼を横目にスカーフや前掛けを外していた。机の引き出しから鏡を取り出すと、紐をしゅるりと取り、手ぐしで三つ編みを解かす。解かすと、髪は少しうねっているようだった。

「今日は疲れましたわ……お夕食を食べたら、そのまま寝ちゃいそうだわ」

「俺も疲れた……車いすちゃんと一緒に寝ていい?」

「だめですわ」

 少女は、速く振り返ると幽霊の方を睨んだ。幽霊は、冗談冗談と片手をひらひらさせながら笑った。少女は、もう……なんて呆れると、スカーフや前掛けを籐のかごに入れる。今日は早く寝たいので夕食が来る前に日記を書く。書くことはもちろん、街に行ったことだ。市場でのことはもちろん、芝生で話をした男性のことも。今日の出来事をまとめようとすると、1ページでは書ききれず2ページも書いてしまった。それが書き終わると両腕をあげて背伸びをする。

 コンコンコンコンとノックの音が四回聞こえる。銀色のおぼんを持ってエミールが入ってくる。「お待たせしました」と言って机に料理を置く。今日の献立は、かぼちゃとえびのスープとメインディッシュの子羊のロティ、そしてパンが二つだった。机に全部の皿が置かれる。少女が食べようとするとコトンと軽い食器を置く音がした。スプーンを置くと何かを置いた方を見る。

「クレープにミエルスリーズのジャムを乗せたデザートです。料理長にミエルスリーズを見せたところ、特別に作っていただきました。お気に召すといいです」

 エミールがすましながらそう言う。少女は目を輝かせながら、エミールにお礼を言う。

「いえいえ、また取りに来るときに味の感想を教えてください。料理長に伝えます。それでは、ごゆっくりどうぞ」

 エミールはそう言うと、離れから出て行く。幽霊は少女の近くに寄ると、

「よかったじゃん」

 そう短く言った。少女も嬉しそうに「えぇ」と返事をする。スプーンを持つと、まずはスープを飲む。すくって口に運ぶと、優しいかぼちゃの甘みが感じられ、えび特有の強いにおいが鼻を通った。

「美味しそー、食べたーい」

 幽霊が隣でぼやいた。

「美味しいですわよ。幽霊さんにも私の家のコックの料理を食べさせてあげたいですわ」

「意地悪言わないでよ。俺、透けるから食べれない」

「あら、普段からドアノブや私の()を動かしてくれるじゃない。そうやって口だけ物に触れれるようにはならないんですの?」

 少しおどけるようにそう言う。幽霊は、うーんと考えると

「できると思うけど、水滴ぐらいの量しか食べられないよ。流石に胃に意識をやったことはないもん」

「そうなの……じゃあ、それだけでも食べてみます?」

「いやだ。食べたくなっちゃう」

 不機嫌そうな顔をして素早くこたえた。少女は楽しそうにくすくす笑うと、食事を続けた。


「美味しかった……」

 空になった食器たちを見渡しながら、満足気に言う。おぼんに食器と蝋燭、マッチを乗せると、幽霊に車椅子を押すように言って、外に行く。

 今日も空は綺麗だった。その下で小さな火の光に照らされながら食器を洗う。幽霊は、外壁に寄りかかりながらぼんやりと空を眺めていた。

「一等星が一番きれいだよね」

 幽霊は何気なくそう言う。

「そんなことないですわ。星空が綺麗に見えるのは、小さく輝く星や一等星のようなよく見える星が支えあっているから綺麗に見えるっておばあさまは言ってました」

「ふーん……」

 少女は食器を洗いながらそう言い、幽霊はぼんやりと返事をする。洗い終わると、持ってきた布巾で食器を拭く。おぼんも綺麗にすると、車いすを押してもらい部屋の中に戻る。

「まだ来てないですのね……お風呂の準備をしましょうか」

 そう少女は呟くと、自力で車いすを動かし桐箪笥から綺麗に畳まれたネグリジェやタオルを取り出す。とにかく今日は早く寝たいので、エミールが食器を取りに来る前に寝間着とタオルと引き出しから出した髪を縛る紐を持って風呂場に向かう。

「いい湯でしたわ」

 お風呂から上がり、寝間着に着替えると紐を解きながらそう呟く。幽霊に押してもらいながらゆっくりと離れに近づく。窓から部屋の中を見ると、食器はもう片付けられていた。エミールが持って行ったのだろう。

「今日は疲れたねぇ。引きこもりの体にはきついよ」

 幽霊は、片手を肩に持っていくと自分で肩を揉んだ。

「私は、心が疲れましたわ」

 抑揚をなくしてそう言う。幽霊は、あははと軽く笑うとそれに同意した。

 部屋の中に入ると、籐のかごに昼に着ていた服を入れる。蝋燭の刺さった燭台を持ってふっと息をかけて消した。辺りは暗くなり、外から入る光だけで優しく照らされていた。燭台を枕の近くにあるキャビネットに乗せると、ベッドに潜り込む。寝そべるとずぅんと体が沈む感覚があった。この感覚はなんだか心地いい。

「ふあぁ~……幽霊さん、おやすみなさい……」

 目がとろんとした眠たそうな顔をしてそう言う。幽霊は、短く「おやすみ」と返した。少女はそれを聞くと、すぐに目を閉じて5分も経たずに夢の彼方へ落ちていった。


「ごめんね、疲れたね。ああするしかないんだ、ああするしか……。そうじゃないと、また……またね、悲しい顔を見ることになるから……。それはいやなんだよ……○○○○……」

 すやすやと寝息を立てる少女の頭を優しく撫でながらそう言う。その表情はとても悲しそうだった。床に座ると、少女のベッドを背もたれにして眠った。

 相変わらず、星空は二人を優しく覗いていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ