折り紙とそばかす少女と
春のあたたかな日差しが明かりの消えた部屋に入ってくる。光は舞い散る埃の姿を映すほど、まっすぐできれいな日差しだった。光が入ってくる窓に、一人の象牙の装飾が施された車いすに乗った人物が近寄ってきた。栗色の綺麗に整った長い髪は、光にあたるときらきらとところどころを白く光らせた。真っ赤な目は、体の中をめぐる血の色のように新鮮だった。少女の着る衣類は、何里先の村の農民より綺麗な生地でシャツには、袖や裾には細かな刺繍が施され、ワインレッドのスカートは裾に黒色の小さなレースがつけてあり、なんとも高級そうなものだ。可愛らしいあどけなさのある少女の顔には少し大人っぽいような服装であったが、上品な雰囲気を醸し出していた。
「今日はお天気がいいですわね、どこかへおでかけしませんこと? 幽霊さん」
少女は、窓から目を放さずにそう聞く。部屋の中には少女の親も兄弟もいないというのにそう独り言を呟く、少し間をとって少女にしか聞こえない声が返事をした。
「嫌だよ、車いすちゃん。今日は俺と一緒に折り紙を折ろうよ」
低い若い男性の声で、そう優しく返ってくると車いすちゃんと呼ばれた少女は呆れたような顔で言った。
「幽霊さんは、同じことを繰り返すのがお好きなのね……でもいいですわよ。折り紙はありませんので、母屋に行かなくてはなりませんが」
「母屋に行くならいい。あそこには、極力近寄りたくない。絶対に」
不機嫌そうな声で幽霊さんと呼ばれた人物はそう言う。何か嫌な思い出でもあるのだろうか。
「でも、幽霊さんは私と折り紙がしたいのでしょう? なら取りに行かなくてはなりませんよ」
「じゃあ、蹴鞠……あ……」
そう言いかけると、幽霊はしまったというような顔をした。
「もういいですわ、幽霊さんなんて。私が歩けないのを知っているくせに」
「悪かった、車いすちゃん。じゃあ、折り紙をするために母屋にいこう。ね?」
わざとらしく拗ねてみる少女に、申し訳なくそう幽霊が言うと少女が座っている車いすを押すとこの部屋の唯一の扉に向かう幽霊が空けようとドアノブに手をかける。その途端、外側からそのドアは開いた。
「あら、召使いさん。おはようございます」
「おはようございます、お嬢様。母屋にお向かいになられるのですか?」
「はい、折り紙を取りに行こうかと思いましたの」
「でしたら母屋まで押していきましょう」
召使いの若い男はそう言うと、嬉しそうに少女の車いすを押す。ドアをくぐる時、幽霊が鼻を押さえてむすっとした顔で怒っていたのを横目で見た。
あたたかな日差しを浴びながら母家へ続く白いレンガで舗装された道を通る。先ほど、ドアと壁の間に挟まれていた幽霊は少女の隣を歩いていた。
「この召使い、あとで痛い目に遭わせてやる……」
「彼に罪はないわ、今のところ貴方が見えるのは私だけですもの」
消えそうなくらい小さな声で少女はそう答えた。
「いやぁ……お嬢様、今日はいい天気です。日が高いうちは、外にでるのはどうでしょう」
「お気遣いありがとうございます。ですが、今日は折り紙がしたくてたまらないの」
「そうですか……お嬢様は、折り紙が本当にお好きなのですね」
そう召使いと会話をする。召使いは優しい笑顔を見せて、少女と話すのを楽しんでいる様子だ。
母屋につくと、玄関には大きな赤い絨毯が敷いてある幅の広い二股に分かれた白い階段が出迎えてくれた。床は、大理石で召使いたちが念入りに掃除をしているのか、鏡のように美しかった。壁や部屋の隅には、高そうな額縁に入った絵や細かい彫刻が施された壺や綺麗な絵がかかれた花瓶が置かれており、「お金持ちの邸宅です」と言わんばかりの豪華さがあった。極めつけに、おおよそ3mの少女の家族の肖像画がどーんと、階段の踊り場の壁に飾られていた。少女はその絵の中には描かれていなかった。
「だから来たくない。この肖像画の大きさはなんだ、嫌味か。まったく、金持ちはみーんな肖像画を飾りたがる……」
幽霊が呆れるようにそう言う。それを聞いた少女は、幽霊から目を逸らす。
「折り紙、持ってまいりますので玄関でお待ちください。何か色の注文はありますか?」
「特にないですわ……強いて言えば、柄付きの……千代紙だったかしら? それも欲しいですわね」
「千代紙ですね、かしこまりました」
召使いは、そう言うと会釈をしてぱたぱたと小走りに折り紙を取りに行った。
「あの召使い、早く来ないかな……帰りたい。そして引きこもりたい」
「お体に悪いですわよ、幽霊さん」
「いいじゃないか。実際、車いすちゃんもほとんど動いてないじゃないか」
「仕方のないことですの……」
「そう」
ひそひそと幽霊と話していると、突然大きな咳払いが聞こえた。少女と幽霊は、そちらの方を向く。咳払いをしたのは、シニヨンをしたブロンドヘアの年増女……もといメイド長が露骨に嫌そうな顔をして立っていた。このメイド長は、自分たちとは髪の色も目の色も違う少女のことをとても嫌っている。
「うわ、嫌なやつ」
幽霊は顔をゆがめ、短くそう言う。
「……メイド長さん、なんでしょうか」
「これからお客様がいらっしゃるの、屋敷から出て行ってもらえるかしら」
「今、召使いさんに折り紙を取ってきてもらってますの。戻ってきたらすぐに離れに帰りますわ……それに」
少女は少し口角を上げると、メイド長を見てこう言った。
「メイド長さんのおでこがこれ以上くしゃくしゃになってしまっては、大変ですわ。美しいお顔が台無しですわよ」
「まぁ~!」
メイド長はその小ばかにしたような言葉を聞くと、より一層おでこにしわを寄らせて憤慨した。
すると、そこに先ほどの若い召使いが四角い箱を持って少女に駆け寄ってきた。
「ふゅ~、タイミング最高」
幽霊は口笛を吹いて、短くそう言う。
「お待たせしました。お嬢様……と、メイド長様、どうなさいましたか?」
召使いは弾けるような笑顔をしてメイド長にそう話しかける。メイド長は、笑顔を見ると咳払いをしてしれっとした表情になる。額のしわはなくなっていた。
「なんでもありません。それより、エミール。彼女を離れへ早く連れて行きなさい、お客様が来てしまうでしょう」
「も、申し訳ありません……それでは、お嬢様。押しますね」
エミールと呼ばれた召使いは、メイド長にそう謝ると少女の車いすを押した。少女は、メイド長にごきげんようと言うと母屋から離れる。
離れにつくと、エミールは部屋の中に少女を入れると仕事があると言ってまた母屋に戻って行った。自力で車いすを動かし、机の近くの窓から戻って行く姿を眺めた。この窓は、母屋がよく見えるためお客の車が来たのもよく見えていた。
「車いすちゃんもやるねぇ」
ニヤニヤと含み笑いをする幽霊がそう言う
「何のことですの? 幽霊さん」
「またしら切って……車いすちゃんは意地悪だねぇ」
「まぁ、幽霊さんほどではありませんわ。それに、純粋に全てを受け止めていては私が壊れてしまいますわ……」
膝に乗せていた折り紙の入った箱を机に置きながら、目を伏せてそう言う。
幽霊は、そんな彼女の車いすを押して机に向かわせる。
「ま、もう母屋じゃないしね。俺と一緒に鶴でも折ろうよ」
「ですね……今日は千代紙も持ってきてもらったんですの」
「綺麗、お花でも作ろうか。出来たら髪飾りみたいにしてさ」
幽霊は、そう言いながら箱から折り紙を一枚取り出して丁寧に折り紙を折る。少女もそれに続いて、折り紙を取るが折らずに幽霊の折るのをじっと見る。少女にしか見えない、角ばった細い指は綺麗な千代紙の上を滑ったり、つまんだりしている。少女以外が見たら、ひとりでに千代紙が折られていくように見えるだろう。
「できた、薔薇だよ」
幽霊は、にっこりと笑って少女の頭に千代紙で作った薔薇を当ててみる。
「見えませんわ、幽霊さん」
「俺が見れればどうでもいい!」
「自分勝手ですわ」
少女がぼやくと、幽霊は楽しそうに笑った。幽霊のその目は、妹と一緒に遊ぶような兄の目をしていた。少女はふいっと、幽霊から顔を逸らすと自分も折り紙を折っていく。少女はあまり難しいものは作れないが、折り紙自体は好きなようで
「こうでいいかしら?」
なんて幽霊に聞きながら楽しそうに笑って折っていた。幽霊に折り方があっているか確認しながら折っていくと、忽ち四角い風船のようなウサギができた。少女は、先ほどの大人びた表情から年相応の子供のような楽しそうな笑顔を見せて幽霊に完成したウサギを見せた。
「どうかしら、幽霊さん」
「いやー、いい出来だよ。さすがだ、車いすちゃん」
「当たり前よ、母様の娘……」
そう言い切る前に、ふと窓に目をやり母屋を見ようとすると、そこには金髪で髪を二つに結った少女ぐらいのそばかすの女の子が窓に手をついてこちらをじーっと見つめていた。
「あ……」
幽霊はそう声をこぼす。とりあえず、少女は何事もなかったように窓の外にいる女の子から目を逸らす。女の子は、窓からとててと小走りをして離れる。少女が、少しほっとした途端、扉からトントントンっとノックする音が聞こえた。
少女は何を言われるか気になりながら、自力で車いすを動かし扉を開けた。
「ごきげんよう」
先ほどのそばかすの女の子が可愛らしい笑顔を浮かべて、スカートの両端を手でつまんで少し持ち上げながらそう挨拶する。少女もそれにつられて、ごきげんようと挨拶をする。
「あなたは、あのお屋敷の子?」
「そうですけど、私は……」
少女が言い切る前に、女の子は少女の両手を握った。嬉しそうな顔で
「なら、遊んでくださらない? お父様と一緒にいたんだけどお話がちぃーっとも面白くないの」
それを聞くと、少女はメイド長がお客様が来ると言っていたことを思い出す。
「どうするの? 車いすちゃん」
幽霊は少女の横に立ち、短くそう言う。
「分かりましたわ、そういうことでしたら……貴女のお名前は?」
「あたしは、アヤメっていうの。あなたは?」
「私は……」
少女は、どう言えばいいか分からずぼーっとして悩む。家族が呼ぶ名前は嫌だ、かと言って幽霊がいつも呼ぶ名前では変だ。そう考えていると、こそっと幽霊がこういった。
「シャトン」
少女はそれを聞くと、一度深呼吸をして
「私は、シャトンと呼ばれていますわ」
「シャトン? ふふ、可愛らしいお名前ね。シャトン、あっちのお屋敷にいきましょう? あたしが押していくから」
「ありがとう、アヤメ」
アヤメという名前の女の子は、少女の後ろに回り車椅子を押す。少女と同じぐらいの背丈をしているアヤメには大変な作業だが、一生懸命、少女の車椅子を押した。
車が通る緩やかな道を通って、玄関に着いた。そこには、メイド長がアヤメの名前を呼んでいた。彼女を探しているように見える。
「メイド長さん、ごきげんよう!」
アヤメは、少女をメイド長の前で留めるとひょっこりと、少女の左隣に出るとそう挨拶をする。
「アヤメお嬢様、お父様がお待ちですわよ。こちらへいらっしゃい」
「嫌よ。お父様たちのお話はとーっても長くてちぃーっとも面白くないんだもの!」
「我儘を言ってはいけませんわ、お嬢様。コショネ、貴方はさっさと離れに戻りなさい」
メイド長はアヤメには、優しくなだめるように言うが少女には厳しくそう言った。アヤメは、メイド長の言葉を聞くとぷくっと頬を膨らませて
「コショネじゃないわ! シャトンよ! メイド長さんなんて知らないんだから!」
アヤメはそう激怒すると、少女の車椅子の後ろに回って勢いよく押した。重いはずの車椅子は、幽霊が手伝っているのかアヤメでも簡単に押せていた。少女は必死に落ちないよう、肘掛けにつかまって止まるのを待った。
しばらくすると、一つの部屋の前に着く。アヤメが急ブレーキをかけると、少女は少し吹っ飛びそうになるが抑える。
「アヤメさん、大丈夫ですの?」
「だっ、大丈夫……」
少女が振り向いて心配すると、アヤメは息を切らしてそう言う。
「ここまで走ってきたからな、まぁ俺が押してたからここまでこれたんだろうけど」
幽霊が疲れた様子もなくそう言う。少女は、アヤメの息が整うまで待つ。
アヤメの息が整うと、アヤメは相手の前に行くと内開きのドアをゆっくり音を立てながら開いた。少女を部屋の中に入れると、窓際に行って
「ここまで来たのはいいのですが……何をして遊びますの?」
「そうね、シャトン……さっき、お部屋で紙を折っていたでしょう? それを教えてほしいわ」
「ですが、肝心の紙がないですわ。一旦、お父様のところへ行かれた方がいいのでは?」
「それもそうね、シャトン」
窓のへりにもたれたシャトンが納得したようにそう言う。
「車いすちゃん、早く帰りたいんだけど」
左後ろにいる幽霊が不機嫌そうな声でそう言う。シャトンは小さな声で、仕方ないわと返す。
「じゃあ……確かお庭があったわよね? そこで遊ばない? シャトン」
ひまわりのような笑顔でアヤメがそう言う。少女は、母屋にいるよりはいいかなと思い、
「いいですわよ。そこまで連れて行ってくださる?」
少し微笑むとアヤメにそう頼む。アヤメは、明るく返事をするとまた車椅子の後ろに回った。
「幽霊さん、補助お願いしますわね」
隣にいる幽霊にだけ聞こえるように言う。
「分かったよ。車いすちゃん」
幽霊はそう返事すると、アヤメに重なるような位置に立つ。車いすに触れると、アヤメが動かすのに合わせて車いすを押した。
継母自慢の庭に着く。綺麗に整えられた低木や綺麗に咲き誇る薔薇がならんでいる。昔は、実の母が家庭菜園のために植木鉢や耕した土があったが、その面影はどこにもなかった。
「綺麗なお庭ね、シャトン」
車椅子から手を離したアヤメが、少女に向かってそう言う。
「そうですわね……」
明るい笑顔のアヤメにそう返す。継母の庭は美しいがただそれだけだ。薔薇と言う定番で評価の良い花を飾り、見栄を張るだけのものだ。少女はそう思ったが、言わなかった。
「無邪気だねぇ……車いすちゃんも歩けたらああやって走りたい?」
ニヤッと意地悪そうに笑ってそう言った。
「そんな言葉で私がメランコリーになるとでも思ってるのかしら? 幽霊さんは」
呆れたように、幽霊にしか聞こえないようにそう言う。幽霊はそれを聞くと、くすくすと笑って軽く謝る。そんな幽霊を無視して、手で車いすの車輪を動かしアヤメの元へ行く。幽霊も少女の後ろでゆっくり歩きながら近づいた。
アヤメは花の匂いや広い芝生の上を走って楽しそうにしていた。少女が近寄り、アヤメに話しかけようと口を開いた途端、右後ろから継母と男の人の声が聞こえた。振り返ろうと、車輪を動かすが上手くできず、幽霊に頼み後ろを振り向く。
「うわ、どうする? 車いすちゃん」
「ここにいるしかありませんわ」
幽霊の問いかけに、思わず普通の声量で答える。
「? シャトン、何と言ったの?」
アヤメは、少女に駆け寄り少女の顔を覗き込んだ。少女は、素知らぬ顔で、
「何も言ってませんわよ、アヤメさん。それより、お父様がいらしたみたいですわよ」
「本当……シャトン、ありがとう。パパー」
アヤメは、そう言いながら継母の隣にいる男に近寄った。少女はそこから動かず、その様子を見ている。
「アヤメ、途中からいなくなったと思ったらこんな所に……遊んでたのかい?」
優しそうな男が、アヤメを抱き上げそう聞く。
「うん! あの子に遊んでもらってたの!」
大きな声でそう言うと、少女の方を指差した。継母は少女を見ると、ぎっと睨みつけた。男は、そんな継母には気づかず、アヤメと一緒に少女に近づく。
「娘と一緒に遊んでくれてありがとう」
男は目線を少女に合わせてそう言う。継母も丁度、その頃に男の後ろに遅れながら着いてきた。相変わらず、継母は少女を睨んでいた。少女は、気にせずにこやかに微笑み
「いえ……お役に立てれば何よりですわ」
と、言う。アヤメは、男から降りると、少女に近寄りこう言った。
「パパ、この子とても可愛いでしょ? また会いに来たいわ」
「そうだな、時間が空いたら来よう」
男がそう言うと、アヤメはわーいと両腕を高く上げて喜んだ。
「何も知らないのに、気に入られるなんて流石だね。美少女車いすちゃんは」
幽霊がくすくすと茶化すように言う。少女は誰にも気づかれないように、車いすの向きを変えるように見せかけて幽霊の足をひいた。幽霊は、顔をしかめしゃがんでひかれた足を触って痛そうにした。少女は、知らんふりをした。
「アヤメさんは、とても元気でいい子ですわ。行動を見ているだけでも、楽しい気持ちになれましたわ」
「そうか。娘は、少々おてんばだからね。何か迷惑をかけてないか心配だったよ」
「迷惑なんてかけておりませんわ。脚の不自由な私に、とても気さくにそして普通のお友達のように接してくださってとても嬉しかったですわ」
少女は、次々とアヤメを褒める言葉を述べる。柔らかい口調で誰が聞いてもそれはお世辞に聞こえないものだ。男の隣で聞いているアヤメも照れくさそうに笑い、男も嬉しそうな表情をしていた。
その男の後ろでは、継母が面白くなさそうに少女たちの会話を聞いていた。本当は、ここで庭を自慢してから見送ろうと思っていたのだろう。楽しそうに話す少女たちに割って入るように、継母は言う。
「メフシィ様、そろそろ……」
「おお、すみません。話し込んでしまって」
男は継母の方を向くと、立ち上がって申し訳なさそうに言う。
「もうお帰りでして? 残念ですわ」
少女は、男とアヤメに残念そうにそう言う。継母を苛つかせる目的でかは分からないが、継母にはとても鬱陶しく思えただろう。
「シャトン、お見送り来てくれる?」
「えぇ……いいですか? お母様」
少女は、優しく微笑みながら継母にそう尋ねる。継母は、外面用の笑顔になると「いいわよ」と答える。アヤメは、喜び車いすの後ろに行って押す。継母が、そんなアヤメを追いかけて自分が押すと言ってアヤメを男の元にやった。
「これが終ったら離れに戻りなさい」
うんと低い声で継母は、少女に耳打ちした。少女は、それにも動じず動き出すのを待った。
車いすが動くと、玄関へ人間4人と幽霊一匹が向かいだした。
「今日は楽しかったわ。シャトン」
赤いと黒のボディの車(デイムラー タイプ45のようなもの)の前でアヤメは、少女の手を取りそう言った。少女も優しく微笑むと
「私もですわ。アヤメさん」
と優しく言った。
男が車の中でアヤメを呼ぶ声が聞こえる。アヤメはそれに、はぁーいと元気に返事をすると、じゃまたねと手を振って車に駆け寄る。車いすの向きを変え、車の中にいるアヤメと男を見た。
「本日は、ありがとうございました。道中お気をつけて」
継母が格好つけながら、少女に耳打ちした声よりも高い声を出してそう言った。
「うっわ、本当この意地悪おばば嫌い」
少女の隣で幽霊が早口で言う。なんとも嫌そうな声で。
男とアヤメが乗った車が動き出すと、アヤメは車の中から少女に向かって手を振る。少女は、アヤメに笑顔で上品な仕草で振り返す。
車が見えなくなるまで見送ると、継母は目を吊り上げ口をへの字にして、怖い顔で少女を見るとこう怒鳴った。
「早く離れに帰りなさい! お客様がいいと言っていたからお前をここにいさせてあげたんです。もう必要ありません。早く、早く! あと、なんですか? シャトンとは! 貴女に名前なんて贅沢なものは必要ありません!」
「分かりましたわ、夫人様。ですが、このままでは大変なので召使いさん……エミールを呼んでくださいません?」
「全く、これだから嫌なのよ」
そう言い残すと、召使いを呼びに行ったのかいなくなった。あたりは、一瞬静まり返った。
幽霊は大きなため息をつくと、少女の目の前にふらりと現れる。大きく腕を広げると、嫌そうな顔をして
「『これだから嫌なのよ』だって。こっちも嫌だよ、あんな意地悪おばば。はぁ……なんで車椅子ちゃんのお父さんは、あんな嫌味ったらしい女と再婚したの? 理解ができない」
早口で愚痴をこぼす。少女は、なだめるように笑いながらこう返した。
「あれでも、外面は良いお方なのですよ? それにその言い方はやめてくださるかしら。お父様はとても尊敬できるお方よ、悪口は気分が良くないですわ」
それを聞くと、幽霊は不満気に腕を下ろしこう言う。
「じゃあ、離れに君をやったのはなんでさ。お父さんなら意見できたろうに」
「……人は何を考えてるか分からないものですわ」
少女は、その問いに目を伏せながらそう言った。少女が何か言おうとした瞬間、召使いが「お嬢様ー」と少女のことを呼んで近寄ってきた。
「お嬢様、お待たせしました。何かお話されてたのですか?」
笑顔で召使いのエミールは、そう問いかける。
「なんでもないですわ」
少女はそう答える。横に立つ幽霊は、少女の言葉を追いかけるように意地悪な顔で
「なんでもあったでしょ」
と鬱陶しいことを言う。少女は、流石にいつもの余裕が出せなかったようで「お静かに」と自分の近くにいる人にはぎりぎり聞こえるくらいの声の大きさでそう言う。
「? お嬢様、なんとおっしゃいました?」
エミールは首を傾げてそう言う。少女は、はっとすると早口で「なんでもないですわ」と返す。エミールは、納得したように「そうでしたか」と言うと車いすを押して少女を離れまで運んだ。
離れにつくと、机に置きっぱなしになった折り紙を箱に入れる。送ってきてくれたエミールは、今夜の晩御飯を離れに運んでくると言ってに一度母屋に戻った。少女は、もうそんな時間と少し驚く。
「しかしまぁ、楽な仕事だったね。座ってるだけで喜ばれるなんて」
「アヤメさんは、遊びたかっただけでしょう。私と遊びたいのではなく、地面を走りたかっただけだと思いますわ。まぁ、結果的に褒められたのはいい気分ですわ」
ふっと少し笑うとそう言う。
車いすを自分で動かし、桐箪笥の前に行く。これは、少女の祖母が遠い東洋の商人から買った品物だ。その中から柔らかな大きいタオルと白色の質素なネグリジェを出す。ネグリジェの袖はきゅっと絞られ、袖口には細かなレースがあしらわれている。それらを白いシーツのベッドにぽんっと軽く投げるように置く。
「今日は早めに寝るの?」
「えぇ、車いすから落とされそうになりましたし、メイド長さんや母様に睨まれましたし……もう疲れましたわ」
少女は心底疲れた顔をしてそう言う。幽霊はそれを見ると、あははと軽く笑う。幽霊と会話をしていると、ノックが4回聞こえてきた。少女は、それに返事をする。
「お待たせいたしました。お嬢様」
エミールが夕飯が乗った銀のおぼんを持って入ってくる。少女はエミールに近づき、机に置かれるおぼんを見つめる。おぼんには、ほうれん草のスープとパンが二個、メインディッシュの鰆のポワレ
が乗せられていた。料理からはほのかに湯気が立っている。
「少ししたら取りに来ます。あたたかい状態で持ってこれなくて申し訳ありません」
「仕方ないですわ。いつもありがとうございますわ、召使いさん」
「身に余るお言葉です……それではごゆっくり」
エミールは嬉しそうにそう言うと、離れから去って行った。
少女は、おぼんに乗ったスプーンを手に取る。ほのかに温かいほうれん草のスープをすくって口に運ぶ。部屋の中はしんっと静まり返っていた。少女は、耐えれず口を開く。
「毎日、つまらない夕食で嫌になるわ」
「そうだね。喋ることも相手も特にいないしね」
ベッドに座っている幽霊は、のんびりとそう返す。少女は静かにスプーンを置くと振り返って幽霊をじっと見た。
「貴方がお話相手になるのですよ。幽霊さん」
「別にいいけど、面白くないよ?」
「いいですわ。話したいことで」
ぶっきらぼうに少女はそう返すと、また机に向き直ってスープをすくって口に運んだ。幽霊は、ゆっくりと背もたれのない椅子をずるずると引きずって持ってくると、それに座った。
「そうだねぇ……て言っても、ほぼ引きこもってるから話のネタなんてない! 今日の出来事を言うなら、あのアヤメっていう子少々強引だよねぇ。まぁ、子供が無知なのは仕方ないけど車いすちゃん落ちそうだったし、結局自分が遊びたかっただけなんだな」
「お金持ちなんてそんなものですよ。幽霊さんは上流階級で育っていないの?」
「そうそう……俺は、元召使いだよー?」
「この国の出でしたら、面識のあるお家に尋ねていったらあなたのことが分かるかもしれませんね」
皿を手前に傾けて、残ったスープをすくいながら楽し気に少女が言う。
「残念ながら、この国出身でもないしこの国の周辺国でもない。ここからもっと遠いよ」
幽霊は冷静にそう言う。少女は、口に入れたスプーンを離すと残念そうに、そうですの、と呟く。スプーンをおぼんに置くと、次はメインディッシュを食べるためのナイフとフォークを持つ。鰆に刃を入れると、ざくざくと美味しそうな音がする。一口大にすると、口に運ぶ。
「美味しそうだね……幽霊は食べなくても生活できるからそれがつらい」
溜め息をついて幽霊が言う。少女は、どうしてと尋ねた。
「だって、生きてた時はご飯ほぼ毎日食べてたんだから、その喜びを今から断てっていうのは難しいよ。美味しい料理を食べるっていう幸せを味わったらもう戻れないの」
「そんなものなんですの? なら、天のお迎えが来るといいですわね」
「一生来なくていい、俺の一生終わったけど。あはは」
幽霊はそう言って乾いた笑い声を発した。
そんなことを話していると、皿の中はすっかり空虚になっていた。フォークとナイフを揃え、斜めに皿に置くと、おぼんに置いてあったナフキンを今更見つけ上品に口を拭く。
「美味しかった……幽霊さん、箪笥から布巾を取ってくださるかしら」
「はいよぉ、お嬢さん」
ゆったり言うと、布巾を取り出して素早く少女の方に持っていく。少女は受け取ると、膝の上に銀のおぼんを乗せる。机の引き出しから帆船の描かれたマッチと白い蝋燭をころんと、おぼんに入れると外へ行く。
外にあるぴかぴかの蛇口の側に移動すると、小さな燭台に蝋燭を刺し火をつける。水道の周りが少しだけ明るくなる。蛇口をひねると、勢いよく水が流れる。水道の下の網に水が当たって跳ね返り、少女の服を少し濡らす。少女は、水を調節する。流れが少し弱くなると袖をまくる、皿を手に取ると水を皿に浴びせる。手で優しく汚れている個所を撫でて洗っていく。
「お嬢様なのに、やけに手慣れてるよね」
幽霊が茶化すように言う。
「美味しいお料理のお返しですわ。それに、できない事だらけでは生きていけませんから」
淡々とそう返す。食器が全て洗い終わると、布巾で丁寧に食器に着いた水を拭きとる。時折、春の風が少女の体と蝋燭に灯る炎を撫でて通り過ぎる。
「できましたわ。さて、早く寝る準備をしましょう」
拭かれた食器をおぼんに戻すと、幽霊にそう言う。またおぼんを膝に乗せると、自力で車輪を動かそうと手をかける。その途端、おーいと前から聞きなれた声が少女を呼んだ。少女は声が聞こえた方を向いた。駆け足で来ているのは、召使いのエミールだった。
「お嬢様ー! お待たせしました!」
元気な笑顔を見せてエミールがそう言う。
「お疲れ様です。洗剤などは使ってないですが、洗っておきました」
少女は微笑んでおぼんを相手に渡すとそう言う。
「わわ、ありがとうございます! お嬢様、こんなことまで……」
エミールは恐縮したようにそう言った。
「美味しいお料理をいつも運んでくださるお礼です。このくらいはさせてくださいませ」
少女が優しくそう言うと、エミールはもっと恐縮して、お気遣いありがとうございます!それでは、また朝に伺います、と言って母屋に戻って行った。
少女はエミールの背中が見えなくなるまで、動かず見ると、燭台の蝋燭の火を消し蝋燭を抜き取ると部屋の中に戻った。
用意した寝間着とタオルを手に持つと、また外へ行く。今度は、水道を通り越して小屋の前に行く。トイレとバスルームが別々に分かれてあった。少女はトイレを済ませると、小屋のバスルームに入っていく。薄灰色のタイルの壁と床にシャワーと蛇口、バスタブがある。バスタブの近くには、白色の石鹸と髪を洗う用の石鹸が置いてあった。床や壁は濡れておらず、乾いた状態だ。
靴と靴下を脱ぐと、車いすから降りてずるずると足を引きずってバスタブに這い寄る。シャワーの蛇口をひねろうと、手を伸ばすが届かなかったので幽霊に手伝ってもらいひねってお湯になるまで出し続ける。その間に、服を脱いで裸になる。脱いだ服は車いすの上に綺麗に畳んである。
「車いすちゃん、恥じらいとかないの? 年頃の女の子っぽくないよね」
「補助にいちいち気にしてたら倒れてしまいますわ」
少女は、幽霊に持ち上げられながらお湯を浴びてそう言う。お湯が溜まらないうちに体を洗うと、シャワーを止めて蛇口からお湯を出してお湯が溜まるのを待つ。
「しかし、水がいっぱい使えるのはいいね」
「ここら辺は水が豊富に使えますから。そのうち、川の水が無くなってしまうんじゃないかってぐらい」
「あはは。いいね、水が豊富にあることはとってもいい!」
バスタブのへりに座る幽霊がそう言う。
「前から気になってたんですけれど、どうして私に触れるの?」
お湯が溜まり、蛇口を閉めながらそう聞く。幽霊は、うーんと考えると
「さぁね。もしかしたら、死んでなくて透明人間だったとか?」
笑いながらそう答える。少女は不満気な顔で
「またそうやって……透明人間なら透けたりするのはどうして?」
と尋ねる。幽霊は、相変わらずな調子で、そういう仕様です、なんて言った。少女が呆れたように溜め息をつくのを見ると、幽霊はくすくす笑った。
お風呂からあがると、体を拭いてネグリジェを着た。少女は、車いすで一息ついて、幽霊にお湯を抜くように頼んだ。髪を高く縛るのを忘れたので、お湯につかって濡れた部分の髪をタオルで拭く。
「そろそろ、部屋に戻ろう?」
「そうですわね……幽霊さん、押してくださる?」
少女がそう言うと、幽霊は少女の後ろに行き車いすを押して外に出る。外はすっかり暗くなっていた。相変わらず、母屋からは明かりが窓から漏れていた。ゆっくり押されながら空を見上げてこう言う。
「綺麗ですわ。今日はいい天気だったからかしら」
「そうだね。空気澄んでるし、それにここは丘みたいになってるからね」
「星空を見るのは好きですの……幽霊さんはどうですの?」
「んー……あんまり?」
幽霊がそう曖昧に返すと、なんですの?それ、と楽しそうに少女はくすくす笑った。空には、静かに星たちが輝いている。
部屋に戻ると、ドアに鍵をかける。箪笥の隣に置かれた籐のかごに着ていた衣類やタオルを入れる。ベッドに寝転ぶ前に、机に向かい引き出しから少女の目と同じ色の鍵付き日記帳を取り出す。机に上にあるペン立てから万年筆を一本出して、日記を書く。書き出しは、「明日の私へ」だった。少女は、すらすらと日記を書く。幽霊は後ろでベッドに寝転んで少女が書き終わるのを待った。
「このくらいかしら。幽霊さん、寝るからそこを退いてくださる?」
「……もう書けたの?」
幽霊はうとうとしながらそう言った。少女は、ベッドに近づきながらこう言う。
「そうですよ。明日の自分への日記はもう書きました。蝋燭の火を消して寝ますわ」
「分かった。おやすみ」
幽霊は、ベッドに上から退くとそう言う。少女は、おやすみなさい、と返すと持ってきた燭台に刺さった蝋燭の火を消して、車いすから降りベッドに横たわる。部屋の中は暗くなり、ベッドの側にある窓と机の側にある窓から入る外の明かりでほのかに照らされる。幽霊は少女の様子が見えるように、少女の近くに寄ると壁に寄りかかって立ったまま目を瞑った。
窓から見える星空が静かに少女を見守っていた。