後編
7
それから三日後、土曜日午後三時。
オレは舞阪今日子とともに、森村瑛二の自宅をたずねた。
時間の指定は森村自身によるもので、栗栖昌太郎、綾小路さんを経由して、昨日告げられたものだ。
閑静な高級住宅地。森村の家も洒落た造りの立派な邸宅だった。二年前に建てられたものだということを、雑誌の特集で眼にしていた。
ただし、必要以上に大きすぎるということはない。独り暮らしの経験がないオレが言うのもなんだが、結婚していない森村にとっては、大きさよりも形が重要なのかもしれない。
白い壁。
二階のテラスは、まるで一人用のオープンカフェのように洗練されている。
これでもか、というほどの洋風住宅なのに、背伸び感がまるでない。それはきっと、森村瑛二の家とわかっているからだろう。
オレたちを玄関で出迎えたのは、森村自身だった。
仕事場も兼ねているということだが、アシスタントやマネージャーの姿はない。
「どうぞ」
「お邪魔します」
客間らしき部屋に通された。予想に反して、室内に自身の作品を飾ったりはしていないようだ。落ち着いた安らぎを感じさせる空間に仕上がっている。
部屋の中央に小さめのテーブルがあり、その両サイドにふっくらとした二人掛けのソファが並ぶ。
さきに、そこで座っている人物がいた。
オレたちの姿が視界に入ったのか、途端に不快な表情となった。
小笠原流だった。
「まったく……栗栖さんの頼みだから来てやったが、本来なら、おまえらの顔など見たくもないわ!」
小笠原は、語気を荒らげて言い放った。
向かい合うように、オレたちは腰をおろした。
チラッと横目で彼女の様子をうかがった。眼の前の小笠原のことなど見ていなかった。いまは姿が消えている森村瑛二のことしか頭にないようだ。
森村は、すぐに戻ってきた。お茶を運んできたようだ。テーブルには、すでに小笠原のための湯飲みが置いてあるので、オレたちのものだろう。
住宅やインテリアは洋風なのに、そういうところは和風なのがおもしろかった。
二つの湯飲みをテーブルに置くと、森村は小笠原の横に座った。
「私は一人暮らしなので、なんのおかまいもできないが」
「スタッフはいないんですか?」
どうでもいいことだったが、重苦しい空気を変えるために、オレはそうたずねた。
「私は、仕事も一人でやっている。アシスタントもいないし、マネージャーも雇っていないんだ」
森村の答え方は、とても穏やかだった。
むしろ、オレたちの訪問を歓迎しているかのようだ。
ゴホン、と小笠原が咳払いをした。
「君たち、盗作盗作と、軽々しく口に出してもらっては困るな!」
小笠原のほうは、あきらかにこちらを敵視している。
怒っているのが森村ではなく、小笠原だということが、そもそも不自然なのだ。
オレは、自分の考えに自信をもった。
「パクリの王」
まず、その言葉を口に出した。
小笠原の表情が、さらに険しくなった。
「な、なんなんだ、おまえたち! 謝りに来たんじゃないのか!?」
「来ましたよ。森村先生に」
オレの返答に、となりの今日子も、驚いたような瞳をしていた。
「なんだと!?」
「だいたい、パーティーでボクたちが失礼なことを言ったのは、森村先生に対してです。あなたにではない」
「ふざけるな! わしは、この世界の秩序のために怒っているのだ! なんでもかんでも盗作だと騒げば、われわれはなにも描けなくなる!」
「もうあなたは、なにも描いていないでしょう?」
勇気をもって言った。
心臓がはり裂けそうだった。
「なにを言う!」
「《パクリの王》は、あなたのことだ」
そう言ったとき、小笠原流は声を忘れたかのように、すごい形相、血走った眼球で、こちらを睨んでいた。
かまわずに、オレはテーブルの上に、五枚の絵を並べていく。
彼女が気を利かせて、湯飲みを邪魔にならないようにどけてくれた。小さめのテーブルだったが、なんとか重ね合わせながら、五枚の絵を置いた。
「この絵を、コンテストに応募したことになっているのは、森村先生、すべてあなたの生徒ですね?」
森村は、それには答えず、ただ微笑を浮かべただけだった。
「やっぱり盗作をしていたのね!? しかも自分の生徒を!」
彼女が声を荒らげた。
だがオレは、それを否定した。
「ちがうよ。盗作はしていない」
「え!?」
「盗作はしていないんだ」
「ど、どういうこと、佐伯さん!?」
「これを描いたのは、森村先生自身だよ。そうですね、森村先生?」
「ふふ、ははは」
森村は、声に出して笑った。
その様子に、小笠原も困惑を感じているようだった。
「も、森村君……!?」
「小笠原先生。もうそろそろ、一線を退いてもいいころだ。これからは、彼女のような若い才能に期待しましょう」
「な、なに言って……」
「覚えてますか? あのときのことを」
「あのとき!?」
「私が、先生に初めて会ったときのことですよ」
オレは、ある異変に気がついた。
小笠原の身体が、急に震えだしたではないか。
「そ、そうか……あのときの、えもいわれぬ恐怖は、こういうことだったのか」
苦々しく、小笠原は語りだした。
なぜ、そんな告白をはじめたのか……。
もしかしたら、それは小笠原自身にもわからないことかもしれない。
それは、十七年ほど前のことだという。
「覚えているよ、わしのサイン会だった。まだ素人だった君は、わしのサインをもらうために並ぶ、ただの一人にすぎなかった」
そのはずだった……。
小笠原は、なにかにとり憑かれたように、告白を続ける。
まだ二十代の若者だった青年時代の森村がサインを求めるときに、こう言ったそうだ。
森村瑛二へ、と入れてください。
「わしは、その名前を聞いたときに、凍りついた。いや、君の顔を見たからか……」
そのときの森村は、笑顔を浮かべていたという。
「笑えるはずなどなかった……君は! そうだ、なんであんな笑顔で、わしに会いに来たんだ!? 来れたんだ!?」
小笠原は、そのときの恐怖を思い出したかのように、ソファから立ち上がり、森村から距離を取った。
どういうことなのか、オレにもわかった。
「盗作したんですね? 森村先生から」
「くくくく……そうだよ! わしは、森村君が賞に応募してきた作品を盗んだんだ!」
狂った殺人者のように、小笠原はそう宣言した。
「大半の人間は、泣き寝入りをする……。それか、この小娘のように抗議しに来るんだ。年に数人はいたよ……みな、すごい剣幕でやって来る」
それは、盗作したのが一度や二度ではないという告白にあたいする。
「だがそんなことで、わしの地位はゆるがない! もう二十年以上も、この世界でトップにいるんだ! ゆらぐはずもない……」
オレだけでなく、彼女も言葉をなくし、小笠原の話に眼と耳を奪われていた。
「この男だけはちがった……なぜおまえは、あんな笑顔でわしの前に現れた!?」
その問いかけに森村は、やはり笑顔だった。
「そうだ、そんな顔をしていた!」
より一層、笑みが深くなった。
「この男は危険だ、そう思った……だからわしは、この男に注目した。あらゆる新人賞やコンテストをチェックした……そして、芽を摘み取っていった……」
「しかし、私はデビューしましたよ」
「……あれは、わしとともに審査をしていた人間の独自の判断だった! 勝手に、この男に賞をあたえてしまった……」
呆然と、小笠原は言った。
「それからわしは、ビクビクしながらこの男の活躍を見ていたよ……もちろん、妨害はした。だが、この男には通用しなかった! いつのまにかこの業界で、わしの次に名前が上がるほどになっていた」
しゃがみこんで、頭を抱えた。
すぐに立ち上がると、森村のことを複雑な面持ちで眺めはじめた。
「そんなとき……ある噂を耳にした」
ある小さなコンテストの審査員に、森村が選ばれた。
あろうことか、その応募作の何点かを森村が盗作したという。
「わしはそのとき、なぜ森村がわしに笑顔をみせられたのか、わかったような気がした……」
同類だと感じたよ。
小笠原は、わずかな声量で、そう語った。
「だからわしは、この男を取り込むことにしたんだよ……最もメジャーな賞である『ペンシル&パレット』の審査員の座を、彼に譲ったのだ……」
「森村先生に、盗作できる作品を提供させたんですね?」
オレの問いに、小笠原は素直に認めた。
「ああ、そうだ。この男は、自分のための盗作だけでなく、わしのための盗作も手伝ってくれたんだよ」
「しかしそれは、盗作なんかじゃない。すべて、森村先生が描いたものだ」
オレは、森村と視線を合わせた。
「そうですね?」
「な、なんのために……そんなことをするの!?」
彼女のその声は、とても素朴に聞こえた。
「おそらく、森村先生自身と同じ人間を増やさないためだ。いや、森村先生はプロになれたから、まだいいかもしれない。だけど、名前だけが大きくて、もう枯れてしまったクリエーターに盗まれ、潰されてしまった人間もいただろう。そういう不条理を防ぐためだ」
たぶん、森村の口からは語られないであろうと考え、オレが推測を声に出した。
チラッと、眼で小笠原を確認したが、再びしゃがみこんでいた。本人を前にして、さすがに皮肉が強すぎたかもしれない。
「ご自分の生徒だった人たちの名前で、あなたは賞に応募した。きっと、もう夢をあきらめてしまった人たちのはずです。そして、審査員としての立場を利用して、自分で描いた作品を盗作したようにみせかけた。すべては、小笠原先生のような人間に、若者の夢を潰させないためです。ちがいますか?」
森村は、ただ笑っていた。
「そ、そうか……わしは、おまえに踊らされていたということか……」
「くくく。あなたは、随分と活躍なさった。もう引退してもいいころだ」
やっと言葉を発した。
「わ、わしをどうするというのだ!?」
「わかってるでしょう? 近年のあなたの作品は、すべてだれのものなのか。そして、そのだれかは、なんの力もない素人ではないということですよ」
それは、森村自身が告発するという脅しだ。
もし、今日子のような人間が一人や二人、訴えたところで、小笠原のような大家を追い詰めることはきない。数十人の集団であったとしても、生き残るだろう。
しかし森村瑛二なら、話はちがう。
ネームバリューでは小笠原に劣っているのかもしれないが、実質の力は最強と考える者も多い。
「あ、あのときの……恐怖は、そういうことか……」
フラフラと、小笠原は立ち上がった。
あやうい足取りで歩き出す。
だれも、「どこへ?」という問いは発せられなかった。
部屋を出てゆく小笠原の姿が、プロとしての最後の幕引きのように感じられた。
* * *
王は、悪さをみとめました。
パクリ、パクリ、パクリ。
女の子と従者が追い詰めたのです。
しかしまだ、王の仲間が残っています。
8
「一つ、まだ謎が残っています」
小笠原のいなくなった室内で、オレはゆっくりと声をあげた。
「先生が、自分自身の作品を盗作していたなら……つまり、盗作などしていないのだとしたら……」
小笠原が消えたいまとなっては、『先生』という呼称は森村だけのものになった。オレは、意識してそう呼んでみた。
「……今日子さんの作品についてはどうなのか、ということです」
チラッと彼女の様子をさぐってみたが、心から混乱しているようだった。なんの言葉も、彼女の口からは出てこない。
「どう思うんだね?」
「考えられることは、二つです」
森村の問いに、オレはそう返した。
「一つは、先生が言っていたように、偶然似てしまっただけ」
「そ、そんなことあるわけないわ! あれは、あたしの作品よ!」
彼女が、もとの強気を取り戻したようなので、オレはどこかホッとした。
「もう一つは?」
「盗作をした」
森村の表情に変化はなかった。
「なんのために?」
「……ここからは、オレのまったくの想像です」
前置きをしてから、続けた。
「あなたは、だれかに背中を押してほしかった」
フ、と森村は一笑した。
「たまたま彼女の作品だったのか、いや……もしかしたら、ほかにもいたのかもしれない……とにかくあなたは、種を蒔いた」
「おもしろい表現をするね。さすがは、佐伯さんのご子息だ。作家の才能があるよ。私が保証する」
あきらかなお世辞だが、悪い気はしなかった。
「あなたは、こういうことを予期していた。ちがう……願望していたんです」
パーティーのときの、森村が伝えようとしていた言葉が、いまならばわかる。
『待っているよ』
彼の唇は、そう動いたのではないか。
「いかにあなたほどの天才といえど、第一人者である小笠原流を失墜させるには、相当な勇気と、揺るぎない覚悟が必要だった……ちがいますか?」
「はははは! おもしろいよ、キミ」
「な、なにがおかしいのよ!?」
ついには笑いだした森村に、彼女が食ってかかる。
「お嬢さん、勝負をしよう」
唐突に、森村が言い出した。
「勝負!?」
「そうだなぁ。彼でいい。佐伯さんのご子息……下の名前は、ええ~と」
「し、進也です」
「では、この佐伯新也君をモデルに、イラストを描いてみようじゃないか」
なにをしようというのか、森村瑛二は……。
「デフォルメして、新しいキャラクターを創るもよし。リアルに似顔絵を描くもよし」
「佐伯さんで!?」
「少々、物足りない容姿だが、それをどう魅力的に描けるか」
「むずかいしわ! 特徴がなさすぎる」
二人とも、言いたい放題だった。
「自信がない?」
そんなことない──と表現するがごとく、彼女は瞳を爛々とさせた。
「あたしが勝ったら!?」
「盗作を認めよう」
「負けたら?」
「べつになにもしなくていいよ。盗作を認めないだけだ……いや、それじゃあ、おもしろくないから、こういうのはどうだい? 私には、スタッフが一人もいない。それに、独り暮らしには、この家は大きすぎる。だから、キミがここで住み込みで働くというのは……」
「なに、ふざけたことを……!」
だが、彼女は思い直したのか、少し考え込んでから、
「わかったわ」
そう答えを出した。
「道具は、紙と鉛筆のみを使う。それでいいね?」
「色鉛筆は?」
「私は使うことがないので、ここにはないんだ」
「ここに入ってる」
彼女は、自分の鞄をかかげてみせた。
「いいだろう。では、勝負だ」
こうして二人の対戦が、思いがけずはじまってしまった。
* * *
女の子は、最後の決戦にでるのです。
パクリ、パクリ、パクリ。
全力で戦うと誓うのでした。
9
絵のモデルになったのは、生まれて初めてのことだった。
双方ともが、スケッチブックに向かって筆を走らせている。見られていたのは、しかし五分程度のことだった。
どうやら二人ともリアルなほうではなく、デファルメしたほうを選択したようだ。
さきに描き上がったのは、やはり森村だった。十五分ほどしか経っていなかった。
それに遅れること十分。
「できた!」
彼女も、鉛筆を置いた。
「勝負の判定は、彼自身に決めてもらおう」
森村の提案に、彼女はうなずいた。
「まずは、私からだ」
そう言って森村は、描き上がったばかりの絵をみせた。
「え?」
オレは、思わず声をもらした。
意外なものが、そこに描かれていた。
リアルとか、デフォルメとか、そういう概念のものではない。
人物画ではないのだ。
草の生い茂る草原。
蝶が舞い、陽光が降りそそぐ。
とても美しかった。鉛筆一本ということが信じられなかった。黒一色の絵のなかに、いくつもの鮮やかな『色』が息づいていた。
ここまでのものを、わずか十五分で描けるものなのか……。
「こ、これは……!?」
オレは、どういうことなのか、という意味をこめて、渡された絵を先生へ逆に見せ返してしまった。
それを眼にした彼女も、意表を突かれたようだ。
開いた口がふさがっていない。
「キミだよ」
「で、でも……」
「お嬢さんには理解できているようだよ」
オレは、もう一度、彼女の表情をうかがった。驚いているのでも不思議がっているのでもないようだった。
うるんだ瞳。
森村の絵に、魅了されているかのよう。
「穏やかななかにも、あたたかい光が満ちている。お嬢さんのように、可憐な蝶々も住み着く世界」
「そ、それが……オレだと?」
森村は、その問いには答えてくれなかった。
「では、お嬢さんの絵を」
うながされて、彼女は自らの手で完成させたばかりの絵を差し出した。どこか、顔色がすぐれない。
オレは、絵を見た。
デフォルメされた男性のキャラクター。
一目で、オレだとわかる。
女の子のデザインらしく、かわいく仕上がっている。色鉛筆により、カラフルに着色されていた。
だが、森村の奇抜な『自分』を見せられたあとでは、どうしても心は奪われなかった。彼女も、そのことは覚悟していたのか、とてもばつが悪そうに眼を伏せている。
これでは、勝敗はあきらかだった。
「進也君、どちらが勝者だね?」
彼女には勝ってもらいたかったが、これでは仕方がない。
やはり、相手はプロ中のプロだ……。
森村先生です、と声を発しようとした寸前に、彼女から鋭く待ったがかかった。
「あたしの真骨頂は、色なのよ!」
叫ぶようにそう言うと、彼女はテーブルの上の湯飲みに右手を入れた。もうすっかり冷めているから、水と同じだ。
濡れた指を絵の上で滑らせる。
そうだった。彼女の色鉛筆は、水彩色鉛筆だ。
指が色を溶かしてゆく。
これが、この色鉛筆の特徴なのか。
指が乾けば、また湯飲みに手を入れる。
再び色を溶かす。その繰り返し。
正直、目茶苦茶に絵を擦っているようにしか見えなかった。無作為にハープの弦をいじっているかのようだ。
素早く、小刻みに。
三分ほどの演奏が終わった。
さきほどと同じ絵だということが、信じられなかった。
ぼやけた色彩の群れが、細かなグラデーションを形作っている。
むしろ、鮮明に心を突かれた。
お茶の緑素も計算に入っているのか……。
いや、頭で考えているのではなく、本能でやってしまうのだろう。
色の感覚は、まちがいなく天才だ。
「すご……い……」
ただのオレに似せたキャラクターではなかった。
一つの作品が、そこにあった。
「どうですか、佐伯さん!?」
反則なのは、わかっていた。
鉛筆だけで描くのがルールのはずだ。
色鉛筆を使用することは、森村が認めたわけだから、それはいいだろう。だが、それが特殊な色鉛筆となれば、そうはいくまい。
それでも、オレの選択は固まっていた。
「勝者は、舞阪今日子さんです」
きっと、森村は抗議をしてくるだろう。
そうなったら、オレは反論できない。
それでも、彼女の絵を選ばずにはいられなかった。
「おめでとう。お嬢さんの勝ちだ」
しかし森村は、あっさりと負けを認めていた。
「盗作を認めよう」
「……」
オレも、彼女も、言葉をなくした。
「キミの好きにすればいい。マスコミに公表してもいいし、このことをネタに、本を書いてもいいだろう」
そこでオレは、彼女の肩が……いや、その小さな全身が、さざ波のように揺れていることに気がついた。
「今日子……さん!?」
最初、勝利したことを歓喜しているのかと思った。
「も~~~~っ!」
突然の大声。
「悔しい~~っ!!」
彼女は、眼に涙を溜めながら絶叫していた。
「あたしの負け! あなたの勝ちです!」
ルール違反を犯したことを、彼女も強く自覚していたのだ。
「アシスタントにでも、家政婦にでも、愛人にでも、なんにでもしてください!」
自暴自棄になって言い放つ。
「ははは、おもしろい。キミたちは、本当におもしろい!」
豪快に、森村が言った。
「引き分けだよ。この勝負は」
「いいえ、あたしの負けです!」
「いいじゃないか、引き分けで」
その提案に、彼女は納得できないようだった。
「進也君は、どう思う?」
聞かれて、オレは彼女の顔を見た。
次いで、森村先生を。
そして自信をもって、こう答えた。
「引き分けだと思います」
* * *
戦いに、決着はつきません。
パクリ、パクリ、パクリ。
女の子は、くやしがりました。
これからも、女の子の戦いは終わらないのです。
これからも……。
エピローグ
あれから一週間後。
オレは、朝っぱらから彼女に呼び出された。場所は上石神井にあるアパートだった。詳しい話は聞かされなかったが、どうやらそこが彼女の自宅らしい。たしか応募作の裏面に記された住所にも、上石神井と書かれていたと記憶している。
教えられた住所を頼りに、そこへ到着したとき、すでに作業がはじまっていた。
同じように呼び出されたであろう綾小路さんが、皆無な体力を酷使して、軽トラックに荷物を積んでいた。
「おそいよ~、進ちゃん!」
綾小路さんが声を絞り出す。
時間を確認したが、まだ八時を少し過ぎたばかりだった。約束の時刻には間に合わなかったが、責められるほどではないはずだ。
「あー、遅い! はやく手伝って!」
彼女も、アパートのなかから姿を現した。
引っ越しをするようだ。
彼女のことだから、料金をうかすためにオレたちを利用しようというのだろう。軽トラックも、どこかで借りてきたもののようだった。
仕方なく、オレもトラックに荷物を運んでいく。
二時間ほどで、作業が完了した。
家具や電化製品の多くは、処分するようだった。引っ越し先に、備え付けのものがあるのだろうか。衣類や書籍、絵を描くための道具、お気に入りの小物などが荷台を占めている。それでも、けっこうな量だった。
大家さんらしき人に最後の挨拶をすると、彼女は運転席に乗り込んだ。イメージではないが、免許はもっているようだ。どうしても子供がいたずらで乗っているようにしか見えないが……。
オレは、助手席に座った。
そこで、一人あぶれていることに気がついた。
「え、ぼくは!?」
綾小路さんがキョトンとして車外に取り残されている。運転席の窓から、彼女が手を伸ばした。
「ここだから!」
引っ越し先の住所が書かれているであろう紙を、綾小路さんに渡した。
「こ、ここの住所って……」
「じゃ、あたしたちは出発するから、はやく追いついてきてね」
そう言い残すと、彼女は強めにアクセルを踏み込んだ。
到着したのは、オレも知っている場所だった。
別れ際、綾小路さんが驚いていたのは、こういうことか……。
突然、出現した軽トラックに、家のなかから主が顔を出した。
「なにごとだね?」
その姿をみつけると、彼女は、その人物の前へ急いだ。
深く、頭を下げる。
「あたしを、弟子にしてください!」
頭を下げられた森村瑛二は、まるで狐につままれたような表情になった。つねに冷静で余裕のある仕種を崩さない先生にとっては、とても希有なことではないのか?
すぐ真顔にもどっていたが……。
「本気かね?」
「本気です!」
苦笑いが浮かんでいた。
しかし、どこか嬉しそうに感じたのは、オレの気のせいだろうか。
先生の返事を待たずに、彼女は荷物を運び入れてしまう。
「佐伯さんも手伝ってくださいね!」
荷物といっしょに彼女が家のなかに消えてから、オレは森村瑛二に話しかけた。
「先生。今回のこと、童話にしてもいいですか?」
「童話?」
「先生は、オレに作家の才能があると言ってくれました」
「ああ、そうだったね」
「一度は小説家もめざしましたけど、どうもむいてないみたいです。あまり長いのは書けないみたいで……」
「それで、童話なのかい?」
「小説よりは、短くていいでしょう?」
「しかし、それでも甘いものじゃない」
「わかってます。もちろん、実名は出しません。先生にも迷惑はかけません」
「キミに書けるのかね?」
「できると思います」
オレは、力強く答えた。
自分でも、そう答えられたことが意外だった。きっと、彼女の大胆な行動に背中を押されたのだ。
「なんで、今日子さんがあんなに若く見えるのか、いまならわかるような気がします」
夢を追いつづけることをはじめた瞬間から、人の時間の流れは変わってしまうのだ。
ゆっくりと。
ある者は、止まってしまうほどに。
「どれぐらいかかるかわかりませんけど……絶対に、書き上げてみせます」
「完成したら、私がカバーデザインと挿絵を描いてあげるよ」
光栄な申し出だった。
でも、オレは断った。
「いいえ、あなたではありません」
そのとき、彼女が次の荷物を運び入れるために、玄関から姿を現した。
思わずオレは、彼女の顔をみつめてしまった。
それにつられたのか、先生も。
「そうか」
森村瑛二は、つぶやくようにそう言うと、フ、と笑った。
「え……、な、なに? なに二人して見てるの!?」
「ならば、それまでに……本物にしておこう」
* * *
王は、パクリをやめました。
パクリ、パクリ、パクリ。
仲間がパクリをしていなかったからです。
仲間は、女の子の味方をしたのです。
女の子は、正義の使者でした。
パクリはいけません、と。
王は、改心しました。
もうパクリはやりません。
王は気づきました。
はじめてパクリをしたときに、終わっていたんだと。
こうしてパクリの王はいなくなりました。
女の子は、王の仲間と従者たちとともに、楽しく生きていくのでした。
めでたし、めでたし。