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後編

         7


 それから三日後、土曜日午後三時。

 オレは舞阪今日子とともに、森村瑛二の自宅をたずねた。

 時間の指定は森村自身によるもので、栗栖昌太郎、綾小路さんを経由して、昨日告げられたものだ。

 閑静な高級住宅地。森村の家も洒落た造りの立派な邸宅だった。二年前に建てられたものだということを、雑誌の特集で眼にしていた。

 ただし、必要以上に大きすぎるということはない。独り暮らしの経験がないオレが言うのもなんだが、結婚していない森村にとっては、大きさよりも形が重要なのかもしれない。

 白い壁。

 二階のテラスは、まるで一人用のオープンカフェのように洗練されている。

 これでもか、というほどの洋風住宅なのに、背伸び感がまるでない。それはきっと、森村瑛二の家とわかっているからだろう。

 オレたちを玄関で出迎えたのは、森村自身だった。

 仕事場も兼ねているということだが、アシスタントやマネージャーの姿はない。

「どうぞ」

「お邪魔します」

 客間らしき部屋に通された。予想に反して、室内に自身の作品を飾ったりはしていないようだ。落ち着いた安らぎを感じさせる空間に仕上がっている。

 部屋の中央に小さめのテーブルがあり、その両サイドにふっくらとした二人掛けのソファが並ぶ。

 さきに、そこで座っている人物がいた。

 オレたちの姿が視界に入ったのか、途端に不快な表情となった。

 小笠原流だった。

「まったく……栗栖さんの頼みだから来てやったが、本来なら、おまえらの顔など見たくもないわ!」

 小笠原は、語気を荒らげて言い放った。

 向かい合うように、オレたちは腰をおろした。

 チラッと横目で彼女の様子をうかがった。眼の前の小笠原のことなど見ていなかった。いまは姿が消えている森村瑛二のことしか頭にないようだ。

 森村は、すぐに戻ってきた。お茶を運んできたようだ。テーブルには、すでに小笠原のための湯飲みが置いてあるので、オレたちのものだろう。

 住宅やインテリアは洋風なのに、そういうところは和風なのがおもしろかった。

 二つの湯飲みをテーブルに置くと、森村は小笠原の横に座った。

「私は一人暮らしなので、なんのおかまいもできないが」

「スタッフはいないんですか?」

 どうでもいいことだったが、重苦しい空気を変えるために、オレはそうたずねた。

「私は、仕事も一人でやっている。アシスタントもいないし、マネージャーも雇っていないんだ」

 森村の答え方は、とても穏やかだった。

 むしろ、オレたちの訪問を歓迎しているかのようだ。

 ゴホン、と小笠原が咳払いをした。

「君たち、盗作盗作と、軽々しく口に出してもらっては困るな!」

 小笠原のほうは、あきらかにこちらを敵視している。

 怒っているのが森村ではなく、小笠原だということが、そもそも不自然なのだ。

 オレは、自分の考えに自信をもった。

「パクリの王」

 まず、その言葉を口に出した。

 小笠原の表情が、さらに険しくなった。

「な、なんなんだ、おまえたち! 謝りに来たんじゃないのか!?」

「来ましたよ。森村先生に」

 オレの返答に、となりの今日子も、驚いたような瞳をしていた。

「なんだと!?」

「だいたい、パーティーでボクたちが失礼なことを言ったのは、森村先生に対してです。あなたにではない」

「ふざけるな! わしは、この世界の秩序のために怒っているのだ! なんでもかんでも盗作だと騒げば、われわれはなにも描けなくなる!」

「もうあなたは、なにも描いていないでしょう?」

 勇気をもって言った。

 心臓がはり裂けそうだった。

「なにを言う!」

「《パクリの王》は、あなたのことだ」

 そう言ったとき、小笠原流は声を忘れたかのように、すごい形相、血走った眼球で、こちらを睨んでいた。

 かまわずに、オレはテーブルの上に、五枚の絵を並べていく。

 彼女が気を利かせて、湯飲みを邪魔にならないようにどけてくれた。小さめのテーブルだったが、なんとか重ね合わせながら、五枚の絵を置いた。

「この絵を、コンテストに応募したことになっているのは、森村先生、すべてあなたの生徒ですね?」

 森村は、それには答えず、ただ微笑を浮かべただけだった。

「やっぱり盗作をしていたのね!? しかも自分の生徒を!」

 彼女が声を荒らげた。

 だがオレは、それを否定した。

「ちがうよ。盗作はしていない」

「え!?」

「盗作はしていないんだ」

「ど、どういうこと、佐伯さん!?」

「これを描いたのは、森村先生自身だよ。そうですね、森村先生?」

「ふふ、ははは」

 森村は、声に出して笑った。

 その様子に、小笠原も困惑を感じているようだった。

「も、森村君……!?」

「小笠原先生。もうそろそろ、一線を退いてもいいころだ。これからは、彼女のような若い才能に期待しましょう」

「な、なに言って……」

「覚えてますか? あのときのことを」

「あのとき!?」

「私が、先生に初めて会ったときのことですよ」

 オレは、ある異変に気がついた。

 小笠原の身体が、急に震えだしたではないか。

「そ、そうか……あのときの、えもいわれぬ恐怖は、こういうことだったのか」

 苦々しく、小笠原は語りだした。

 なぜ、そんな告白をはじめたのか……。

 もしかしたら、それは小笠原自身にもわからないことかもしれない。

 それは、十七年ほど前のことだという。

「覚えているよ、わしのサイン会だった。まだ素人だった君は、わしのサインをもらうために並ぶ、ただの一人にすぎなかった」

 そのはずだった……。

 小笠原は、なにかにとり憑かれたように、告白を続ける。

 まだ二十代の若者だった青年時代の森村がサインを求めるときに、こう言ったそうだ。

 森村瑛二へ、と入れてください。

「わしは、その名前を聞いたときに、凍りついた。いや、君の顔を見たからか……」

 そのときの森村は、笑顔を浮かべていたという。

「笑えるはずなどなかった……君は! そうだ、なんであんな笑顔で、わしに会いに来たんだ!? 来れたんだ!?」

 小笠原は、そのときの恐怖を思い出したかのように、ソファから立ち上がり、森村から距離を取った。

 どういうことなのか、オレにもわかった。

「盗作したんですね? 森村先生から」

「くくくく……そうだよ! わしは、森村君が賞に応募してきた作品を盗んだんだ!」

 狂った殺人者のように、小笠原はそう宣言した。

「大半の人間は、泣き寝入りをする……。それか、この小娘のように抗議しに来るんだ。年に数人はいたよ……みな、すごい剣幕でやって来る」

 それは、盗作したのが一度や二度ではないという告白にあたいする。

「だがそんなことで、わしの地位はゆるがない! もう二十年以上も、この世界でトップにいるんだ! ゆらぐはずもない……」

 オレだけでなく、彼女も言葉をなくし、小笠原の話に眼と耳を奪われていた。

「この男だけはちがった……なぜおまえは、あんな笑顔でわしの前に現れた!?」

 その問いかけに森村は、やはり笑顔だった。

「そうだ、そんな顔をしていた!」

 より一層、笑みが深くなった。

「この男は危険だ、そう思った……だからわしは、この男に注目した。あらゆる新人賞やコンテストをチェックした……そして、芽を摘み取っていった……」

「しかし、私はデビューしましたよ」

「……あれは、わしとともに審査をしていた人間の独自の判断だった! 勝手に、この男に賞をあたえてしまった……」

 呆然と、小笠原は言った。

「それからわしは、ビクビクしながらこの男の活躍を見ていたよ……もちろん、妨害はした。だが、この男には通用しなかった! いつのまにかこの業界で、わしの次に名前が上がるほどになっていた」

 しゃがみこんで、頭を抱えた。

 すぐに立ち上がると、森村のことを複雑な面持ちで眺めはじめた。

「そんなとき……ある噂を耳にした」

 ある小さなコンテストの審査員に、森村が選ばれた。

 あろうことか、その応募作の何点かを森村が盗作したという。

「わしはそのとき、なぜ森村がわしに笑顔をみせられたのか、わかったような気がした……」

 同類だと感じたよ。

 小笠原は、わずかな声量で、そう語った。

「だからわしは、この男を取り込むことにしたんだよ……最もメジャーな賞である『ペンシル&パレット』の審査員の座を、彼に譲ったのだ……」

「森村先生に、盗作できる作品を提供させたんですね?」

 オレの問いに、小笠原は素直に認めた。

「ああ、そうだ。この男は、自分のための盗作だけでなく、わしのための盗作も手伝ってくれたんだよ」

「しかしそれは、盗作なんかじゃない。すべて、森村先生が描いたものだ」

 オレは、森村と視線を合わせた。

「そうですね?」

「な、なんのために……そんなことをするの!?」

 彼女のその声は、とても素朴に聞こえた。

「おそらく、森村先生自身と同じ人間を増やさないためだ。いや、森村先生はプロになれたから、まだいいかもしれない。だけど、名前だけが大きくて、もう枯れてしまったクリエーターに盗まれ、潰されてしまった人間もいただろう。そういう不条理を防ぐためだ」

 たぶん、森村の口からは語られないであろうと考え、オレが推測を声に出した。

 チラッと、眼で小笠原を確認したが、再びしゃがみこんでいた。本人を前にして、さすがに皮肉が強すぎたかもしれない。

「ご自分の生徒だった人たちの名前で、あなたは賞に応募した。きっと、もう夢をあきらめてしまった人たちのはずです。そして、審査員としての立場を利用して、自分で描いた作品を盗作したようにみせかけた。すべては、小笠原先生のような人間に、若者の夢を潰させないためです。ちがいますか?」

 森村は、ただ笑っていた。

「そ、そうか……わしは、おまえに踊らされていたということか……」

「くくく。あなたは、随分と活躍なさった。もう引退してもいいころだ」

 やっと言葉を発した。

「わ、わしをどうするというのだ!?」

「わかってるでしょう? 近年のあなたの作品は、すべてだれのものなのか。そして、そのだれかは、なんの力もない素人ではないということですよ」

 それは、森村自身が告発するという脅しだ。

 もし、今日子のような人間が一人や二人、訴えたところで、小笠原のような大家を追い詰めることはきない。数十人の集団であったとしても、生き残るだろう。

 しかし森村瑛二なら、話はちがう。

 ネームバリューでは小笠原に劣っているのかもしれないが、実質の力は最強と考える者も多い。

「あ、あのときの……恐怖は、そういうことか……」

 フラフラと、小笠原は立ち上がった。

 あやうい足取りで歩き出す。

 だれも、「どこへ?」という問いは発せられなかった。

 部屋を出てゆく小笠原の姿が、プロとしての最後の幕引きのように感じられた。


        * * *


 王は、悪さをみとめました。

 パクリ、パクリ、パクリ。

 女の子と従者が追い詰めたのです。

 しかしまだ、王の仲間が残っています。




         8


「一つ、まだ謎が残っています」

 小笠原のいなくなった室内で、オレはゆっくりと声をあげた。

「先生が、自分自身の作品を盗作していたなら……つまり、盗作などしていないのだとしたら……」

 小笠原が消えたいまとなっては、『先生』という呼称は森村だけのものになった。オレは、意識してそう呼んでみた。

「……今日子さんの作品についてはどうなのか、ということです」

 チラッと彼女の様子をさぐってみたが、心から混乱しているようだった。なんの言葉も、彼女の口からは出てこない。

「どう思うんだね?」

「考えられることは、二つです」

 森村の問いに、オレはそう返した。

「一つは、先生が言っていたように、偶然似てしまっただけ」

「そ、そんなことあるわけないわ! あれは、あたしの作品よ!」

 彼女が、もとの強気を取り戻したようなので、オレはどこかホッとした。

「もう一つは?」

「盗作をした」

 森村の表情に変化はなかった。

「なんのために?」

「……ここからは、オレのまったくの想像です」

 前置きをしてから、続けた。

「あなたは、だれかに背中を押してほしかった」

 フ、と森村は一笑した。

「たまたま彼女の作品だったのか、いや……もしかしたら、ほかにもいたのかもしれない……とにかくあなたは、種を蒔いた」

「おもしろい表現をするね。さすがは、佐伯さんのご子息だ。作家の才能があるよ。私が保証する」

 あきらかなお世辞だが、悪い気はしなかった。

「あなたは、こういうことを予期していた。ちがう……願望していたんです」

 パーティーのときの、森村が伝えようとしていた言葉が、いまならばわかる。

『待っているよ』

 彼の唇は、そう動いたのではないか。

「いかにあなたほどの天才といえど、第一人者である小笠原流を失墜させるには、相当な勇気と、揺るぎない覚悟が必要だった……ちがいますか?」

「はははは! おもしろいよ、キミ」

「な、なにがおかしいのよ!?」

 ついには笑いだした森村に、彼女が食ってかかる。

「お嬢さん、勝負をしよう」

 唐突に、森村が言い出した。

「勝負!?」

「そうだなぁ。彼でいい。佐伯さんのご子息……下の名前は、ええ~と」

「し、進也です」

「では、この佐伯新也君をモデルに、イラストを描いてみようじゃないか」

 なにをしようというのか、森村瑛二は……。

「デフォルメして、新しいキャラクターを創るもよし。リアルに似顔絵を描くもよし」

「佐伯さんで!?」

「少々、物足りない容姿だが、それをどう魅力的に描けるか」

「むずかいしわ! 特徴がなさすぎる」

 二人とも、言いたい放題だった。

「自信がない?」

 そんなことない──と表現するがごとく、彼女は瞳を爛々とさせた。

「あたしが勝ったら!?」

「盗作を認めよう」

「負けたら?」

「べつになにもしなくていいよ。盗作を認めないだけだ……いや、それじゃあ、おもしろくないから、こういうのはどうだい? 私には、スタッフが一人もいない。それに、独り暮らしには、この家は大きすぎる。だから、キミがここで住み込みで働くというのは……」

「なに、ふざけたことを……!」

 だが、彼女は思い直したのか、少し考え込んでから、

「わかったわ」

 そう答えを出した。

「道具は、紙と鉛筆のみを使う。それでいいね?」

「色鉛筆は?」

「私は使うことがないので、ここにはないんだ」

「ここに入ってる」

 彼女は、自分の鞄をかかげてみせた。

「いいだろう。では、勝負だ」

 こうして二人の対戦が、思いがけずはじまってしまった。


        * * *


 女の子は、最後の決戦にでるのです。

 パクリ、パクリ、パクリ。

 全力で戦うと誓うのでした。




         9


 絵のモデルになったのは、生まれて初めてのことだった。

 双方ともが、スケッチブックに向かって筆を走らせている。見られていたのは、しかし五分程度のことだった。

 どうやら二人ともリアルなほうではなく、デファルメしたほうを選択したようだ。

 さきに描き上がったのは、やはり森村だった。十五分ほどしか経っていなかった。

 それに遅れること十分。

「できた!」

 彼女も、鉛筆を置いた。

「勝負の判定は、彼自身に決めてもらおう」

 森村の提案に、彼女はうなずいた。

「まずは、私からだ」

 そう言って森村は、描き上がったばかりの絵をみせた。

「え?」

 オレは、思わず声をもらした。

 意外なものが、そこに描かれていた。

 リアルとか、デフォルメとか、そういう概念のものではない。

 人物画ではないのだ。

 草の生い茂る草原。

 蝶が舞い、陽光が降りそそぐ。

 とても美しかった。鉛筆一本ということが信じられなかった。黒一色の絵のなかに、いくつもの鮮やかな『色』が息づいていた。

 ここまでのものを、わずか十五分で描けるものなのか……。

「こ、これは……!?」

 オレは、どういうことなのか、という意味をこめて、渡された絵を先生へ逆に見せ返してしまった。

 それを眼にした彼女も、意表を突かれたようだ。

 開いた口がふさがっていない。

「キミだよ」

「で、でも……」

「お嬢さんには理解できているようだよ」

 オレは、もう一度、彼女の表情をうかがった。驚いているのでも不思議がっているのでもないようだった。

 うるんだ瞳。

 森村の絵に、魅了されているかのよう。

「穏やかななかにも、あたたかい光が満ちている。お嬢さんのように、可憐な蝶々も住み着く世界」

「そ、それが……オレだと?」

 森村は、その問いには答えてくれなかった。

「では、お嬢さんの絵を」

 うながされて、彼女は自らの手で完成させたばかりの絵を差し出した。どこか、顔色がすぐれない。

 オレは、絵を見た。

 デフォルメされた男性のキャラクター。

 一目で、オレだとわかる。

 女の子のデザインらしく、かわいく仕上がっている。色鉛筆により、カラフルに着色されていた。

 だが、森村の奇抜な『自分』を見せられたあとでは、どうしても心は奪われなかった。彼女も、そのことは覚悟していたのか、とてもばつが悪そうに眼を伏せている。

 これでは、勝敗はあきらかだった。

「進也君、どちらが勝者だね?」

 彼女には勝ってもらいたかったが、これでは仕方がない。

 やはり、相手はプロ中のプロだ……。

 森村先生です、と声を発しようとした寸前に、彼女から鋭く待ったがかかった。

「あたしの真骨頂は、色なのよ!」

 叫ぶようにそう言うと、彼女はテーブルの上の湯飲みに右手を入れた。もうすっかり冷めているから、水と同じだ。

 濡れた指を絵の上で滑らせる。

 そうだった。彼女の色鉛筆は、水彩色鉛筆だ。

 指が色を溶かしてゆく。

 これが、この色鉛筆の特徴なのか。

 指が乾けば、また湯飲みに手を入れる。

 再び色を溶かす。その繰り返し。

 正直、目茶苦茶に絵を擦っているようにしか見えなかった。無作為にハープの弦をいじっているかのようだ。

 素早く、小刻みに。

 三分ほどの演奏が終わった。

 さきほどと同じ絵だということが、信じられなかった。

 ぼやけた色彩の群れが、細かなグラデーションを形作っている。

 むしろ、鮮明に心を突かれた。

 お茶の緑素も計算に入っているのか……。

 いや、頭で考えているのではなく、本能でやってしまうのだろう。

 色の感覚は、まちがいなく天才だ。

「すご……い……」

 ただのオレに似せたキャラクターではなかった。

 一つの作品が、そこにあった。

「どうですか、佐伯さん!?」

 反則なのは、わかっていた。

 鉛筆だけで描くのがルールのはずだ。

 色鉛筆を使用することは、森村が認めたわけだから、それはいいだろう。だが、それが特殊な色鉛筆となれば、そうはいくまい。

 それでも、オレの選択は固まっていた。

「勝者は、舞阪今日子さんです」

 きっと、森村は抗議をしてくるだろう。

 そうなったら、オレは反論できない。

 それでも、彼女の絵を選ばずにはいられなかった。

「おめでとう。お嬢さんの勝ちだ」

 しかし森村は、あっさりと負けを認めていた。

「盗作を認めよう」

「……」

 オレも、彼女も、言葉をなくした。

「キミの好きにすればいい。マスコミに公表してもいいし、このことをネタに、本を書いてもいいだろう」

 そこでオレは、彼女の肩が……いや、その小さな全身が、さざ波のように揺れていることに気がついた。

「今日子……さん!?」

 最初、勝利したことを歓喜しているのかと思った。

「も~~~~っ!」

 突然の大声。

「悔しい~~っ!!」

 彼女は、眼に涙を溜めながら絶叫していた。

「あたしの負け! あなたの勝ちです!」

 ルール違反を犯したことを、彼女も強く自覚していたのだ。

「アシスタントにでも、家政婦にでも、愛人にでも、なんにでもしてください!」

 自暴自棄になって言い放つ。

「ははは、おもしろい。キミたちは、本当におもしろい!」

 豪快に、森村が言った。

「引き分けだよ。この勝負は」

「いいえ、あたしの負けです!」

「いいじゃないか、引き分けで」

 その提案に、彼女は納得できないようだった。

「進也君は、どう思う?」

 聞かれて、オレは彼女の顔を見た。

 次いで、森村先生を。

 そして自信をもって、こう答えた。

「引き分けだと思います」


        * * *


 戦いに、決着はつきません。

 パクリ、パクリ、パクリ。

 女の子は、くやしがりました。

 これからも、女の子の戦いは終わらないのです。

 これからも……。




        エピローグ


 あれから一週間後。

 オレは、朝っぱらから彼女に呼び出された。場所は上石神井にあるアパートだった。詳しい話は聞かされなかったが、どうやらそこが彼女の自宅らしい。たしか応募作の裏面に記された住所にも、上石神井と書かれていたと記憶している。

 教えられた住所を頼りに、そこへ到着したとき、すでに作業がはじまっていた。

 同じように呼び出されたであろう綾小路さんが、皆無な体力を酷使して、軽トラックに荷物を積んでいた。

「おそいよ~、進ちゃん!」

 綾小路さんが声を絞り出す。

 時間を確認したが、まだ八時を少し過ぎたばかりだった。約束の時刻には間に合わなかったが、責められるほどではないはずだ。

「あー、遅い! はやく手伝って!」

 彼女も、アパートのなかから姿を現した。

 引っ越しをするようだ。

 彼女のことだから、料金をうかすためにオレたちを利用しようというのだろう。軽トラックも、どこかで借りてきたもののようだった。

 仕方なく、オレもトラックに荷物を運んでいく。

 二時間ほどで、作業が完了した。

 家具や電化製品の多くは、処分するようだった。引っ越し先に、備え付けのものがあるのだろうか。衣類や書籍、絵を描くための道具、お気に入りの小物などが荷台を占めている。それでも、けっこうな量だった。

 大家さんらしき人に最後の挨拶をすると、彼女は運転席に乗り込んだ。イメージではないが、免許はもっているようだ。どうしても子供がいたずらで乗っているようにしか見えないが……。

 オレは、助手席に座った。

 そこで、一人あぶれていることに気がついた。

「え、ぼくは!?」

 綾小路さんがキョトンとして車外に取り残されている。運転席の窓から、彼女が手を伸ばした。

「ここだから!」

 引っ越し先の住所が書かれているであろう紙を、綾小路さんに渡した。

「こ、ここの住所って……」

「じゃ、あたしたちは出発するから、はやく追いついてきてね」

 そう言い残すと、彼女は強めにアクセルを踏み込んだ。



 到着したのは、オレも知っている場所だった。

 別れ際、綾小路さんが驚いていたのは、こういうことか……。

 突然、出現した軽トラックに、家のなかから主が顔を出した。

「なにごとだね?」

 その姿をみつけると、彼女は、その人物の前へ急いだ。

 深く、頭を下げる。

「あたしを、弟子にしてください!」

 頭を下げられた森村瑛二は、まるで狐につままれたような表情になった。つねに冷静で余裕のある仕種を崩さない先生にとっては、とても希有なことではないのか?

 すぐ真顔にもどっていたが……。

「本気かね?」

「本気です!」

 苦笑いが浮かんでいた。

 しかし、どこか嬉しそうに感じたのは、オレの気のせいだろうか。

 先生の返事を待たずに、彼女は荷物を運び入れてしまう。

「佐伯さんも手伝ってくださいね!」

 荷物といっしょに彼女が家のなかに消えてから、オレは森村瑛二に話しかけた。

「先生。今回のこと、童話にしてもいいですか?」

「童話?」

「先生は、オレに作家の才能があると言ってくれました」

「ああ、そうだったね」

「一度は小説家もめざしましたけど、どうもむいてないみたいです。あまり長いのは書けないみたいで……」

「それで、童話なのかい?」

「小説よりは、短くていいでしょう?」

「しかし、それでも甘いものじゃない」

「わかってます。もちろん、実名は出しません。先生にも迷惑はかけません」

「キミに書けるのかね?」

「できると思います」

 オレは、力強く答えた。

 自分でも、そう答えられたことが意外だった。きっと、彼女の大胆な行動に背中を押されたのだ。

「なんで、今日子さんがあんなに若く見えるのか、いまならわかるような気がします」

 夢を追いつづけることをはじめた瞬間から、人の時間の流れは変わってしまうのだ。

 ゆっくりと。

 ある者は、止まってしまうほどに。

「どれぐらいかかるかわかりませんけど……絶対に、書き上げてみせます」

「完成したら、私がカバーデザインと挿絵を描いてあげるよ」

 光栄な申し出だった。

 でも、オレは断った。

「いいえ、あなたではありません」

 そのとき、彼女が次の荷物を運び入れるために、玄関から姿を現した。

 思わずオレは、彼女の顔をみつめてしまった。

 それにつられたのか、先生も。

「そうか」

 森村瑛二は、つぶやくようにそう言うと、フ、と笑った。

「え……、な、なに? なに二人して見てるの!?」

「ならば、それまでに……本物にしておこう」


        * * *


 王は、パクリをやめました。

 パクリ、パクリ、パクリ。

 仲間がパクリをしていなかったからです。

 仲間は、女の子の味方をしたのです。

 女の子は、正義の使者でした。

 パクリはいけません、と。

 王は、改心しました。

 もうパクリはやりません。

 王は気づきました。

 はじめてパクリをしたときに、終わっていたんだと。

 こうしてパクリの王はいなくなりました。

 女の子は、王の仲間と従者たちとともに、楽しく生きていくのでした。

 めでたし、めでたし。


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