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中編

         4


 赤坂にある有名ホテルが、パーティー会場だった。

 こういう催物の場合、出版関係者であれば入場は困難なことではない。現にいままでにも、オヤジにつれられて他社のパーティーに出席したことがあった。

 オレと舞阪今日子さんは、綾小路さんに先導してもらい、入り込んだ。

 招待状はなかったが、事前に綾小路さんが栗栖昌太郎に話を通しておいてくれた結果だった。懇意にしているというのは本当のことだったようだ。

 大物作家として知らぬ人はいない栗栖昌太郎を前にして、次々に来賓がスピーチを披露している。

 言っていることは、みな同じだ。退屈な話は聞き流して、貸衣装のパーティードレスでおめかした舞阪今日子は、豪勢な料理に舌づつみを打っている。当初の目的よりも、食い気が勝っているようだ。

 綾小路さんは、挨拶まわりに余念がない。そういう努力が生命線になっているだけのことはある。

 オレだけは目的どおり、森村瑛二の姿をさがし求めていた。

 会場にいる人数は、ざっと見積もって二〇〇人ぐらいだろうか。

「あ……」

 みつけた。森村は、会場の隅で一人の男性と話し込んでいた。

 その相手は、オレでも知っていた。もちろんのごとく、知り合いではなくて、有名人なのだ。

 森村のさらに上をゆくビッグネーム。

 小笠原ながれ

 現在のイラスト業界において、最も実力のある男。

 テレビでも、よく眼にする機会がある。

 年齢は五七、八歳ほど。ナンバーワンにふさわしい貫祿のある風貌をしていた。

 オレは、二人に悟られないように近づいた。有力者同士の会話に興味がわいた。こういう大物は、どんなことを話題にしているのだろう。

「聞いたよ。クレーマーがついたんだって? 災難なことだね、森村君」

「あいかわらず、耳がはやいですね」

「わしの情報網を侮っちゃいかんよ。でも、こちらのほうに飛び火することはないだろうね?」

「ご安心を、小笠原先生。所詮、なにもできない小娘ですよ」

 瞬間的に、舞阪今日子のことを話していると感じた。

「だが、珍しいね。いままでの君は完璧だったのに」

「こういうこともあります」

「あ、それと……また、頼むよ」

 なんの話だ?

 オレは、さらに聞き耳をたてた。

「クライアントがうるさいんだ。インパクトのあるやつがいいね」

「わかりました。まかせてください」

「いつもすまんね……ん?」

 小笠原流が、なにかに気づいたように会話を打ち切った。

 聞き耳を立てていたことを察知されたのかと思ったが、原因はちがった。

「森村瑛二! あなた、たくさんの人間から盗作してるでしょう!?」

 いつのまにか食欲を満たし終わっていた舞阪今日子だった。

「おやおや、このあいだのお嬢さんか」

 森村瑛二はイヤな顔もせず、むしろ嬉しそうな笑みを浮かべていた。

「証拠はつかんでるわ! このことを公表してやるんだから!」

「なんのことだい?」

「あたしだけでなく、たくさんの人から盗んでるでしょう!」

 彼女は、自分以外に盗作された可能性のある五作品のうちの一枚を見せながら、言い放った。

「これも! これも!」

 紙芝居のように、一枚見せては、その一枚を一番後ろにやって、次の一枚を見せる、という具合に、五作品を森村に突きつけた。

「ははは。ずいぶん威勢のいいお嬢さんだ。まえにも教えてあげたが、一人が考えついたことは、べつのだれかも考えついている。その何枚かも偶然、わたしのデザインと似てしまっただけだろう」

「そうやって、余裕ぶっこいていられるのもいまのうちよ!」

「レディが、そんな下品な言葉づかいをするものじゃないよ」

 森村は怒りだすどころか、そう優しい口調でたしなめた。

 オレの耳にも、下品に聞こえていた。「ぶっこぬいて」と彼女の口から出た瞬間、彼女の顔に『残念』と文字が浮き出たような錯覚をおぼえた。

「森村君、だれだね、この失礼な娘は!?」

「いえ、小笠原先生の気に留めるような人間ではありませんよ」

「な、なんですって!?」

 いまにも殴りかかりそうだったから、さすがに彼女の身体を抑えた。

「落ち着いて! 暴力はダメ!」

「ちょっと、放して!」

 彼女の大声で、会場中に騒動が伝わってしまった。隅っこだったはずだが、この場がパーティーの中心になってしまったようだ。

 ホテルの警備員も、やって来た。

「どうかしましたか!?」

「この無礼な娘をつまみ出してくれ!」

 ようやくこの一大事になってから、綾小路さんが近寄ってきた。

「あらら……」

「やっぱり、こうなっちゃいましたよ」

 愚っぽく、頼りない先生にしゃべりかけたそのとき。

「綾小路君、この子と、そちらの子は、君のつれかね?」

 そうたずねたのは、このパーティーの主役である栗栖昌太郎だった。

『そちらの子』というのが、オレのことを指しているのはすぐにわかった。

「は、はい……まあ、そういうことに……」

「悪いが、君も二人といっしょに出ていってくれないか」

 あきらかな嫌悪感が表情からうかがえた。処世術の天才でも、どうすることもできそうにない。

 来賓たちの冷たい視線。

 小笠原流の見下した視線。

 栗栖昌太郎の怒りに満ちた視線。

 それらが痛く突き刺さった。

 ただ……。

 森村瑛二の眼だけが、なにかを訴えかけていた。

 なんだ……?

 その顔を凝視していると、森村の唇が動いたような……。

 声は出ていない。

「さあ、君たち、来るんだ!」

 なんと言ったのかは、わからなかった。

 すぐにオレたち三人は、警備員によって退場させられてしまった。



「なんで、あんな無謀なことをしちゃったんだ」

「だって、ほかにどんな手があるっていうのよ!」

 オレの抗議に、すかさず彼女が反論してきた。

「でもさぁ、森村瑛二に直接ぶちまけるんなら、どの道、こうなっちゃうんじゃない?」

 綾小路さんの意見は、たしかにそのとおりだと思った。はじめから、やり方がまずかったのだ。

 あなたは盗作している、と言ったところで、相手がそれを認めるわけはない。

 しかも、たった一人では……。

「六人でやろう」

 オレは言った。二人には、唐突に聞こえたようだ。なんのことなのか理解できていないようだった。

「盗作された可能性のある五人といっしょにです! そうすれば森村瑛二も、あんな涼やかな顔をしていられないはずだ」

「そうね……!」

 彼女が、強くつぶやいた。

 一度は沈ませていた闘志を、再びよみがえらせたようだ。

「でも、どうやって?」

 そう聞いた綾小路さんに、オレは決意をこめた顔を向けた。

「それこそ、直接たずねるんです」

 彼女に視線を移し、

「応募作の裏面には、住所と氏名と電話番号が書かれていたよね?」

 彼女は、うなずいた。

「どうする? そこまでやる?」

 あらためて問いかけた。

「やります! やりましょう!」

 そこまでやる?

 それはむしろ、オレ自身に向けて放った言葉なのかもしれない。

 どうして、そこまでやろうとしているのだろう。

 わからない。答えは出ない。

 でも、どうしてだろうか。さきほど森村が言ったなにかが、とても気になっていた。

 ……なぜだ?


        * * *


 女の子は、討ち死にしました。

 パクリ、パクリ、パクリ。

 王に敗北したのです。

 しかし、まだ終わりではありません。

 正しい心は、必ず復活するのです。




         5


 それからの数日間、生きた心地がしなかった。

 栗栖昌太郎と小笠原流は、創栄社で仕事をしていないようだし、オヤジも会ったことがないと言っていたから、二人からオヤジに迷惑がかかることはなさそうだ。だが、森村瑛二は創栄社で仕事をしている。オレが責められるぶんにはいいが、オヤジを巻き込んでしまうとなると、胸が痛い。

 もし、森村から抗議があったとしたら、オヤジの立場は苦しくなってしまうのではないだろうか……。

 綾小路さんは「泣く子も黙る」と評していたけど、オヤジはどこの家にもいる、普通のオヤジでしかない。

 編集長から降格。もしかしたら、クビってことになるのかも……。

 ただ幸いなことに、何事もなく数日が過ぎてくれた。

 次の日曜日、オレは舞阪今日子と中野駅前で待ち合わせをした。パーティーの帰り道で提案したことを実践しようというのだ。

 盗作された五人とも、東京近辺の人間だった。都合のいい偶然に感謝しつつ、今日一日ですべての家を訪問するつもりだった。

 朝九時。さっそく、中野駅から歩いて十分ほどのアパートに向かった。ブロードウェイを抜けて、すぐの場所だった。

 事前に電話で用件を伝えているのだが、そのときは、どういうわけか、まともに相手をしてくれなかった。

「べつにいいです。気にしてませんから」

 ぶっきらぼうに、男性の声が言った。それでも話を続けようとしたが、一方的に切られてしまった。どうやら、詐欺かなにかと勘違いされてしまったようだ。

 築二十年ほどの平均的なアパートの一階。住所どおりの部屋の扉をノックする。

 しばらく間があいてから、ドアがめんどくさそうに開いた。

「だれ?」

「あ、あの……昨日、電話したものです」

「帰ってくれない? 話すことないんだけど……」

 二十代半ばの男性は電話での対応と同じように、こちらの話を聞くつもりはないようだ。

「べつに、あやしいものではありません」

 懸命に訴えたが、取り合ってもらえない。

「いいから、帰って!」

 ドアを閉められそうになったが、彼女が足を挟んで、それを阻止した。

「あなたも、森村瑛二に盗作されたんでしょ!? なんで名乗り出ようとしないの!?」

「なんのこと言ってるのか、わからないね! こんな朝っぱらから、迷惑なんだよ!」

「これよ、これ! これ、あなたの作品でしょ!?」

 彼女はドアの隙間からでも見えるように、彼の応募した作品をかかげた。

「いいから、帰れ!」

 彼の手が伸びて、舞阪今日子の華奢な身体を押し出した。

 足もはずれて、ドアは閉じられた。

 アパートのドアというよりも、豪邸の重い鉄扉のように感じられた。



 二人目は、三鷹。

 三人目は、大塚。

 四人目は、北千住。

 いずれも、似たような反応だった。

 事前の電話では、それなりに真摯に対応してくれた人でも、直接会うと、とても非協力な態度をとられた。

「どうしてなの!?」

 ヤケクソになったのか、彼女が悲鳴のように吐き出した。

 すでに、陽が暮れはじめていた。一日で、かなりの距離を移動していた。疲労感も強かった。

 オレの心も、腑に落ちない感覚で満たされていた。どういうわけか、まともに話を聞いてくれない。

「もしかして……」

 イヤな考えが浮かび上がった。

「買収されてる……とか」

 彼女が眼を見開いて、こちらを向いた。まさか、そこまで……と瞳が語っていたが、その奥に、そういう疑いをもっている彼女を発見した。

 最後の五人目は、足立区の保木間という町だった。東武伊勢崎線の竹ノ塚駅から、バスで数分。まだ真新しい五階建てのマンションだった。

 クタクタな身体と精神をなんとか押し止めて、オレは階段を登っていく。二階の部屋だった。インターフォンを押すと、すぐにドアを開けてくれた。

 事前の電話では、一番好印象を抱いた人物だった。それは、唯一の女性だったからだろうか。

「あの、電話でお話した者なんですが……」

「ああ、ごめんなさい。とくに、わたしからお話することはないのですが……」

 丁寧な口調だった。年齢は、ほかの四人と同様に、二四、五歳ぐらいに思えた。

 仮にそうだとすると、舞阪今日子とそれほどかわらないということになるが、外見も内面も、彼女とはちがって、大人の女性という印象を受ける。

「あなたも口止め料をもらったんですか!?」

 一番最初に口から出た舞阪今日子の言葉がそれだった。女性の表情が、怒りに赤らんだのがわかった。

「あなたたち、なにか誤解してるんじゃないの!? わたしは、そんな作品なんて出してません!」

 予想外の言葉が投げかけられた。

「え? そんなはずは……」

「そうよ、森村瑛二が、このあなたの絵を盗作したのはまちがいないわ!」

 彼女が、女性の描いたはずの絵を見せながら、そう続けた。

「あの方は……先生は、そんなことをする人ではありません! すみませんが、もう話すことはありません。お願いですから、もうお帰りになってください」

 やはり、最後の女性からも拒絶されてしまった。

 オレと彼女は、思わずおたがいの顔を見合ってしまった。



 夜八時をまわっていた。オレたちは本日の報告もかねて、綾小路さんのアパートにやって来た。

「ごくろうさん。で、成果は?」

 おそらく彼女の表情を見て、すでにわっていたとは思うが、綾小路さんは、そう問いかけてきた。

「なんでなの!? なんでみんな、協力してくれないのよ!」

 イライラを爆発させるように、彼女は声をあげた。

「本当におかしい……」

 オレも、つぶやいた。

 最後の女性が言ったことが、どうにも引っかかった。

 あの方は……先生は、そんなことをする人ではありません!

 女性のセリフからは、とても強い信頼の念を感じる。どういうことなのか?

「ファンか……」

 そのもれた声に、彼女が、ひらめき顔を向けてきた。

「そうよ、みんな森村のファンなのよ。よく考えたら、森村が審査員をやってる賞なんだから、ファンが応募するのも当然だわ!」

「それで、森村をかばってるのか……」

 そうは言ってみたものの、心のなかで納得できないなにかがあった。

「じゃあ、今日子ちゃんは、森村のファンだった?」

 綾小路さんの問いは、まさに納得できないその核心だった。

「え? べつに、そういうわけじゃないけど……」

 答えているうちに、彼女もその矛盾に気づいたようだ。

「進ちゃんの推理を成立させるためには、盗作された人たちが全員、森村のファンで、しかも森村がそのことを知っていなければならない」

 まさしく、そのとおりの指摘だった。これぐらいの賢さを、自分の小説にも生かしてほしいものだ。

「賞に応募する人が、審査員のファンだという保証はどこにもない」

「応募用紙に、わたしはあなたのファンですって書いていたのかも」

「今日子ちゃんは?」

「あたしは書かないわよ。だいたい、ファンじゃないし」

「もし、ファンだったとしたら?」

「それでも書かない。そんなバカみたいなこと」

「そうだろ? そんなこと書かないのが、普通だよ。権威のある賞に応募するわけなんだから。もし書いていた変わり者がいたとしても、一人か二人。五人もいるわけない」

 たしかにそうだ。しかも、わかっているのがその人数だ。もっと多くを盗作している可能性だってある。

 なにか、ほかの要素が絡んでいるのではないだろうか?

『あの方……先生』

 先生!?

 オレは、あることを思い出した。

「森村は、美術大学で講師をしてるんでしたよね、綾小路さん?」

「あ? そうだよ。どの大学かまでは知らないけど」

「あ、それ、あたしが受験した美大です」

 彼女がどこを受験したのかなんて知らないので、学校名まではわからない。とはいえ、森村瑛二がどこかの美大で授業をもっていることは有名な話のようだ。

「そこの生徒かもしれない……。もしくは、生徒だった」

 今日会いに行った五人は、いずれも二十代半ば。二四、五。思ったよりいっていたとしても、二六歳ぐらいだ。

 現役生というよりも、卒業生と考えるのが妥当だ。

「でも、あたしはちがうよ。合格できなかったんだし」

「う~ん」

 そこをつかれると、成立しなくなる。

 今回のこと、そもそも彼女は関係ないのではないか?

 オレの頭に、そういう考えがよぎった。

 森村の言っていたことが思い起こされた。

『だれかが考えついたことは、べつのだれかも考えつく』

 たしか、一人が考えついたものは、最低でも五人は考えつくものなのだ、とも語っていた。

 彼女の作品は、本当に偶然だった。それとはべつに、自分の生徒であった五人の作品を森村は盗作した。

「どうしたの、進ちゃん!?」

 ずっと考え込んでしまったのを心配してくれたんだろう。綾小路さんがかけた声で、推理の海から這い上がってきた。

 見れば、彼女も気づかうように、オレのことをまっすぐにみつめている。

 彼女の作品は、盗作ではない……。

 いまさら、そんなことを言う度胸も勇気も、オレにはなかった。


        * * *


 女の子は、新たな仲間をさがしました。

 パクリ、パクリ、パクリ。

 しかし、だれも仲間になってくれません。

 従者ふたりで、これからもがんばっていくのです。




         6


 オレはその後、綾小路さんの人脈を使って、盗作された五人が、森村の生徒だったことをつきとめることに成功した。

 森村が講師をしている美術大学を出ている若手の画家が、綾小路さんの知り合いの知り合いにいたのだ。年齢も二五歳で、問題の五人とだいたい同年代だった。

「どうして、こんなことをぼくが……」

 出版社近くの喫茶店で、綾小路さんは、そう愚痴のようなものをこぼした。その、知り合いのそのまた知り合いのところに行って、確認をお願いしたのだ。

「いいじゃないですか。どうせ、ヒマなんだから」

 オレにも、学校がある。近所の書店でバイトもしている。だが綾小路さんには、たいした仕事がない。これ以上の適任者はいなかった。

 綾小路さんの報告では、五人のうち、二人のことは名前を聞いただけで知っていた。

 残りの三人のうち、一人の名前は卒業者名簿に載っていたそうだ。

 あとの二人はその年の卒業生ではなかったが、どうにか確認ができたという。

 知り合いのそのまた知り合いの画家さんには、同じ美大出身者である一年先輩のイラストレーターと、一年後輩の、こちらは一般人となった友人がいる。いまでも交友が続いているそうだ。

 その二名に電話をして調べてもらった。後輩の一般人のほうの卒業者名簿に、残りの名前があったという。

「これで、はっきりした。森村は、自分の教え子の作品を盗作していた。教え子たちのほうも、師にあたる森村を告発できなかったんだ」

 五人の住所が全員そろって都内だったのは、偶然でもなんでもなかったのだ。東京にある美大に通っていたのだから、必然的に都心在住者の確率が高くなる。

「今日子ちゃんには知らせなくていいの?」

 彼女には、このことは内緒にしておいた。

 五人が盗作されたのは、まちがいない。しかし、彼女だけはちがうのではないか……。彼女は、森村が講師をつとめている美大には入れなかった。彼女だけは森村の言うとおり、偶然、似てしまっただけなのかもしれない。

 夢を壊してはいけない、という感情が、心のどこかに存在していた。



 バイトが終わってから、オレは保木間まで足を運んだ。

 夜十時をすでに過ぎていた。

 あきらかに迷惑なのは承知していたが、衝動をどうにも抑えられなかった。

 五人のうち、最後に訪れた女性だ。彼女を選んだのは、単純に一番話を聞いてくれそうだったからだ。

 名前は、杉山果歩。部屋を訪れたとき、ドアを開けた彼女の表情に、戸惑いのような、怒りのような、そんな複雑なものが浮かんでいた。

「あの、もう話すことは……」

 そう言って、彼女は家のなかをチラッと見やった。

 奥から、だれ? という男性の声が流れてきた。

「主人もいるのよ……」

「すみません。少しだけですから」

 彼女の意志を確かめることもなく、オレは話しはじめた。

「あなたは、美大時代に森村を知っていた。教え子ということになりますね? だから、あなたは森村を告発しない。ちがいますか?」

「……」

 一瞬、彼女は顔を伏せた。

「お願いします。本当のことを言ってください……」

「それを聞いて、どうなるというの?」

「一人の女性の誤解が、とけるかもしれません」

「このあいだ、いっしょに来ていた女の子?」

「え、ええ」

 おそらく彼女の眼にも、中高生ぐらいに映っていたのだろう。

「森村が盗作しているのは、自分の生徒だけではありませんか? もしそうなら、その女性は盗作をされていない。今日子さん……ていうんですけど、彼女はいま、絵の世界に不信感を抱いていると思うんです。それを振り払わないかぎり、前には進めない……きっと!」

「あなた、まだ若いわよね? なんだか、達観した人間の言いぐさだわ」

「オレでも、それぐらいはわかります!」

 強く言った。

 語気がキツすぎたかと、後悔の気持ちがはしった。

「夢を追うって、いいね……」

 杉山果歩は、つぶやくように言った。

 まるで、むかしをなつかしむように……。

「あなたは、どんな夢を追ってるの?」

 ふいに、たずねられた。

「まだ、みつけられません」

 オレは、素直に答えた。

「だから、今日子さん……だよね、彼女の夢を応援したくなったんだ……」

「そうかもしれないですね」

 彼女は、フッと微笑んだ。

「若いころのパワーは、すごいよね。うらやましい」

 彼女に、舞阪今日子の実年齢を教えれば、どんなふうに思うだろうか。

 今日子のパワーは、たしかにすごい。圧倒される。だからこそ羨ましいのかもしれない。

「《パクリの王》……そういう噂は知っていますか?」

 オレは、話を戻した。

「知っています」

「そういう人物が、オレたちの夢を奪う現実を、あなたはどう思いますか?」

「……」

「あなたは、奪われたんですよね?」

「ちがう」

 杉山果歩は、驚くほどよどみなく、そう答えた。

「奪われたんじゃない。自分から放棄したのよ」

「え?」

「《パクリの王》は、先生のことではありません」

 彼女の言う意味が、まったくわからなかった。

「では、だれのことなんですか? 自分から放棄したって、どういうことですか!?」

「最後に、これだけは言っておきます。先生は盗作なんてしていません」

「で、でも……あなたの作品に似たものを、森村は……」

 口に出してる途中で、オレはある可能性に思い至った。

 彼女にも悟られたようだ。

「たぶん、あなたがいま考えたおとりだと思う」

 そう言って、杉山果歩はドアを閉めた。



 パーティー会場から、つまみ出されるときに森村瑛二が動かした唇の形。

 その少しまえに、森村と小笠原流が話していた内容。

 杉山果歩の語ったこと。

 オレは、携帯を取り出した。

 保木間のマンションから、バスを使わずに徒歩で駅まで向かっている。もうバスの運行が終わってしまっている時刻だった。

「もしもし?」

『あ、進ちゃん』

「お願いがあります。森村瑛二の自宅を調べてくれませんか?」

『え? それだったら、進ちゃんパパのほうがいいんじゃない?』

「いいえ、綾小路さんからのほうがいいんです。栗栖昌太郎なら、森村の自宅も知ってるでしょう?」

『それはムリ! 教えてくれるわけがない。このあいだのことで、こっちの立場は窮地に追いやられてるんだよ』

「森村瑛二に謝罪をしたいから、住所を教えてほしいとお願いしてください。できれば、森村瑛二にも話を通してくれるように頼み込んで」

『なに言ってるんだよ!?』

「綾小路さんお得意の、捨てられた小犬のような瞳で訴えかければどうにかなります」

『そ、そんなふうに、ぼくのこと見てたわけ!?』

「それと、もう一つ……」


        * * *


 女の子は、かやの外。

 パクリ、パクリ、パクリ。

 いまは、頼りない従者が動いているのです。


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