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咲けない花  作者: ニコ
9/9

8片目

 クレーンゲームと言っても、その種類は数多く存在する。

 前回同様、今回挑戦するクレーンゲームはプライズを、テープ等で滑らないように細工されたアクリル板の坂の上から、アームで少しずつ滑らせ、落とすというものだ。

 プライズの大きさ(重さ)によっても難易度は変化してくるわけだが、この形式のクレーンゲームは恐ろしく意地が悪く作られている場合がある。

 クレーンゲームの中には云百円に1回アームの力が強くなる、といったような設定がなされているものが多い。

 しかし坂を滑らしていく形式のクレーンゲームではアームの強さはそれほど重要ではない。

 この形式のプライズには、大抵「ペラ輪」と呼ばれるものが付いている。「ペラ輪」はプラシートとも呼ばれることがあるが、ペラペラなシートに穴が開いており、それがプライズに貼られている。実に安直だが割とこれが罠であったりする。いかにもこの穴の中にアームを刺し込みプライズを獲るように、という意図が出ているが、むしろその方法では獲れず、直接プライズの箱自体をアームで動かす方が獲りやすい、というパターンもある。

 目の前の筐体の中で微笑むセチアのフィギュア、その箱に貼られたペラ輪。

 フィギュアの箱の置かれている状態は、坂の頂上に水平に横たわっており、ペラ輪が真っ直ぐこちらへ向いている、という形だ。ペラ輪が貼られている位置は丁度箱の底側ど真ん中。それ以外に細工は無さそうなので、このペラ輪が罠である可能性は低そうか。



「おぉ、なんだかプロフェッショナルな面持ちだね」



 どんな表情をしていたのだろう。筐体を観察する俺の横顔を見ながら、ハイテンションガールは楽しそうに言った。



「う~ん……ねぇ」



 プライズの動きを脳内シミュレーションしていた俺の右肩に、トントンと細いもので叩かれる感覚があり、俺は特に考えることなくそちらに顔を向けた。

 と同時に右頬に感じる圧迫感。目の前には今の俺も同じ表情をしているだろう、蛸口でこちらを見つめる少女。

 人間って、きっと些細なことで怒りを感じる生き物なのだろうと感じた。



「何ですか?」



 冷静に頬を刺すハイテンションガールの指を外しながら、俺は努めて落ち着いた口調で問い掛ける。



「いやぁ~、あたしのために頑張ってくれてるところ悪いんだけどね、なんか……違うんだよねぇ」

「取り敢えず意味の分かる言葉で言ってもらっていいですかねぇ」



 オノマトペのみで演技の指示を出す映画監督を彷彿とさせる少女の言葉を、1回で判読することは凄まじく困難である。



「え~っとさ、これゲームなわけじゃない?お金かかっちゃうけどさ。そりゃ何百何千とかかっちゃうけどさ。でも、ゲームなのよね、これ」

「……そうですね」



 何となくだが、彼女の意図せんとすることは伝わってきた。

 つまる話、もっと楽しめということなのだろう。

 ハイテンションガールの手伝いとは言え、お金がかかることとは言え、所詮ゲーム。楽しむためのもの。

 俺は、クレーンゲームというものは、プライズを手に入れることを目的とするだけのものではないと思う。そんなにプライズが欲しいならば、直接店なりネットなりで購入した方が安くつく場合のほうが多いからだ。

 要は達成感、充実感、店側の仕掛けを突破することの優越感を味わいたいが故に、このような貯金箱相手に一喜一憂するわけで。



「じゃぁ、景気良く僕からやっちゃいますかね」

「よろしくお願いします!」



 やる気だけでは如何ともし難い作業に取り掛かるわけだが、俺は無駄にテンションを上げていくことにした。

 いや、テンションなどそもそもメーターを振り切っている状態だ。

 ハイテンションガールの隣で、こうして肩を並べている瞬間の中を過ごしている。同じ時を過ごしている。それだけで、俺の心には言い知れぬ熱くも寒くもある、何とも言えない想いが込み上げてきていた。

 俺はコイン投入口に100円硬貨を入れた。同時に筐体から鳴り響く愉快な音楽。聞き慣れすぎて今では不愉快な音楽と化していることは彼女には秘密だ。

 俺の手元には、右と上の矢印ボタンが1つずつ。その内の右のボタンがオレンジライトにより点滅していた。いよいよ本番だ。

 予行練習では結局上手く獲ることはできなかったが、しかし筐体の特徴に関しては大分理解できた。

 まず、あらゆるクレーンゲームに言うことができることだが、アームの力でプライズを持ち上げ穴へドボン、などという筐体はほぼ存在しない。一昔前のクレーンゲームではそれができたようだが、現代の筐体でそれを求めることは難しい。

 クレーンゲームに挑戦する際、まず2本のアーム、その先端を見る必要がある。大抵右か左のアームが斜め下を向き、もう1本は少しだけ横を向いている、という仕様が多いと思う。斜め下を向いているアームは、勿論プライズを持ち上げる力はほとんど無い。からと言って、横を向いたアーム1本では持ち上げることなど到底不可能だ。

 そういった場合、アームでプライズの向き、位置や角度を変えていき、穴に向かってずらしていく手段を取るしかない。これがクレーンゲームで出費がかさむ要因である。プライズを少しずつずらしていくために100円硬貨を幾枚も使用しなくてはならないからだ。

 ただ、ずらし方にも方法がある。これを知っているか知らないかでは出費は大きく変わってくるだろう。

 まず1つは、ペラ輪の穴にアームを差し込み、ずらしていく方法。プライズが軽い物ならばこれだけでも十分動かすことができる。

2つ目は、プライズ、ここでは箱の角や辺の部分に2本のアームのどちらかを突き刺すように下す方法だ。

これをすることで、箱は1点に力が加わり、その対角部分が浮くのだ。つまり、箱が斜めに傾く。そして、アームが離れる際に箱はまた元に戻るわけだが、戻る拍子に勢いが付き、坂の上故にずり落ちてくる、という流れである。

正直、坂のクレーンゲームのプライズ獲りには、後者の方法が最も有効だ。

 しかし今回のクレーンゲームの目的は前述した通り。ハイテンションガール曰く、「楽しんでなんぼ」というわけだ。知識はあるがそれをいきなり駆使し出すことは、彼女の意向に反するわけで。

 出費はかさむが、地道にペラ輪にアームを引っ掛けていくことにする。

 さて知識はあるが、では何故俺がここ1時間弱の間に1つたりとてプライズを手に入れることができなかったかというと、実は問題はここにある。

 どうも俺には、距離感を掴む、という能力が低いようなのである。

 アームを狙ったポジションに持っていくことができない。手前過ぎ・行き過ぎを連発し、比例して硬貨が旅立っていく。同時に心の奥で決意が崩れていく音が聞こえた気がしたが、全壊までは達していない。達してはならない。達したらおそらくこの場から全力で逃げていることだろう。まあ、そんな域にまで達することはないと常識的に分かってはいるが。

 要するに、俺の心のHPは既に減少傾向にあったわけで。

 それでも自分からやろうと豪語したのだ。正直なところ、俺には度し難いと言うべきか。

 先日出会ったばかりの1人の少女相手に、俺の心は人生初の体験で一杯だった。

 それはさておき。

 現状、抱えている距離把握能力の問題は、俺にとって途轍もなく大きな壁だった。そして何より、避けたい結果に1番近づいてしまう問題でもあった。

しかし、今はそんなことを考えていても仕方の無いことだ。と、俺は頭の中に渦巻くもやっとしたものを払拭するように筐体へと意識を集中させた。常に、嫌な予感だけが取り憑いている感覚を持ちながら。

 俺たちが挑む筐体は左下に穴がある。つまり横移動(右方向)、そして縦移動(奥方向)の2段階の工程を踏む必要がある。

 まずは横移動。これは簡単。ただアームの位置をペラ輪の穴に合わせるように動かす「だけ」。ちなみにこの際、アームが「開いたときの位置」と「穴の位置」を合わせるようにしなくてはいけない。始めは当たり前だがアームは閉じている。縦横移動が終わればアームが開き、下降、プライズを挟んでいく。それ故に、アームの位置は開いた際の位置を考慮しなくてはいけない。

 取り敢えず簡単な横ボタンを長押しし、右をアームをペラ輪の穴の位置に合わせる。

 続いて縦移動。本当なら筐体の横から覗きながら動かしたいところではあるが、何故かこの筐体は左に柱、右に多くのフィギュアを積み上げたラッピング、と、横から覗き込めない嫌らしい設定となっている。いや、店側からしたら柱のすぐ傍に置くのは他の筐体の配置等を考慮したからであるだろうし、積み上げられたフィギュアも楽しさを出そうとした結果なのだろうとは想像に容易いが、客側からしたら迷惑以外の何物でもなかったり。ぶっちゃけ邪魔。

 等々、愚痴を言っていても仕方が無いわけで。練習時間の時から繰り返してきた通り、俺は自らの距離把握能力を活かして縦ボタンを長押し―――



「あ、ちょっと手前過ぎなんじゃないかな?」



 ―――ボタンから手を放した俺に向けて、横からハイテンションガールの声が聞こえてきた。

 その言葉通り、アームを広げて下降してきたクレーンは狙ったペラ輪の穴の僅か手前、しかし全くプライズに触れることのない位置で止まり、そのまま空を掴み上げ、左下の穴へと移動していった。

 俺の中で、絶望の2文字が暴れた。

 やってしまった。練習が全く活かされていない。それどころか学習すらしていない。

 手伝うと言った俺が、実は実力等というものは無いのだと。前回ハイテンションガールのプライズを(形式的に)横取りしてしまったのもただの運であるのだと。ここで、白日の下に晒されてしまったのだ。

 プライズが獲れないことよりも、練習が活かされないことよりも、ハイテンションガールに自らの非力さを曝け出してしまったことに、俺は大きく絶望したのだった。

 たった1回失敗しただけ。クレーンゲームをする上で体験しない人はいないこと。

 それでも俺にとっては、1番避けなくてはいけない結果だったのだ。

 次の100円硬貨を入れろ。次こそは成功させろ。いや、成功しなくても、少なくとも今以上に良い結果を作れ。

 頭の中で別の誰かが叫んでいる気分だった。

 分かっている、次こそは……。

 俺はズボンのポケットに入れた財布に手を伸ばそうとした。

しかし、手は動かない。ボタンから手が離れない。

額から頬にかけて、1粒の汗が伝っていく冷たい感覚が、意識の遠くから伝わってくる。

 俺は―――。



「いやぁ、惜しかったね!位置的にはあと少しだったのに!」



 不意に、沈みかけていた俺の意識が現実へと引き戻された。

 動かなかった手を、意識しながら、ゆっくりとボタンから離す。そして、声の主へと顔を向けてみた。


 とても、楽しそうな笑顔だった。



「奥行きがあとちょっとだったね。でも横移動は完璧だったじゃん!アーム開いた位置を穴の位置がピッタリでさ、凄い!」



 奇跡のパフォーマンスを見たかのように、純粋に瞳を輝かせた少女。

 どうして、そんな表情ができるのだろう。



「でも、全然ダメでしたよ。かすりもしなかったですし……」



 さっきまでの空元気はどこへ行ったのか。意気消沈しかけている俺の言葉に、ハイテンションガールは大きく頷いた。



「そうだね。結果的にはね」



 バッサリといくものである。



「でもさ、まだ1回目だし。さっきも言ったけど横移動は完璧だったし!」



 まだ1回目。1回目の失敗。

 俺が考えていたことを同じ事柄のはずなのに、ハイテンションガールに言われると、何故か心の重荷が降ろされたかのように感じた。

 キラキラと、その双眸を輝かせながら、ハイテンションガールはまた晴れやかに笑顔を作った。



「ねぇ、またやってみてよ!今度はきっと上手くいくって!あ、なんなら私が横から覗いて場所の指示を……って、うわ、フィギュア邪魔。なんでこんなところに積んじゃうのさ」



 純粋に楽しむは難しいことなのだと、俺は強く感じた。

 そうしようと決めていたのに、目先のことに囚われてしまい。

 ハイテンションガールのその自由さと言うべきか、その価値観に、俺は強く引き込まれていく自分がいることに気付いた。

 きっと、俺がハイテンションガールに抱いていた感覚はこれだったのだろう。

 きっと……。

 次だよ次、と。

 急かす声に、漸く忘れかけていた苦笑を浮かべ、俺は100円硬貨を財布から取り出すと、おもむろに投入口へと投げ込んだ。

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