4片目
固まりながら俺を指差す少女に、俺も色々な意味で硬直してしまった。
まず、一体いつからいたのか。
先程確認したときにはいなかったはず。少なくとも俺が今いる位置周辺には影も形も無かった。両替機にもいなかったことから、てっきり帰ったのかと思っていたが、まさか戻ってくるとは思いもしなかった。
そして、俺を硬直化させた最大の理由は別にあった。
可愛い。
何の装飾も無い言葉が、少女を見た瞬間に浮かんできた。
間近で見ると、大分小柄な女の子だった。高校生、いや、中学生だろうか。俺自身平均並の身長だが、少女は俺よりも頭1つ分以上も小さい。
小さいのは身長だけでなく、顔も小さい。しかしその中にある顔のパーツはどれも整っており、特にぱっちりと開いた目が印象的だった。黒真珠の様に透き通った瞳に、快活そうな雰囲気と、何故か儚さが滲んでいるような気がした。そして快活そうな見た目とは裏腹に陶器の様に白い肌のせいで、瞳の黒がより存在感を出している。
髪は後ろから見たとき同様、太もも辺りまでストレートに伸ばされた黒髪だ。近くで見ると、色素の薄さが際立っている様に見える。服装はラフで、大きめな、白の薄い長袖のTシャツと藍色のジーンズ、頭には大きめの帽子を被っている。確かキャスケットと言っただろうか。そして肩に掛けたクリーム色の小さな鞄。
スラッとした出で立ちから、スタイルの良さが垣間見える。
女性をここまで観察したのは初めてだ。犯罪臭がするのは気のせいではないだろうか。いや、気のせいであってほしい。
……うん、可愛い。
生まれてきて今の今まで、他人にこんな感情を抱いたのは初めてだった。「可愛らしい」と思ったことはあっても、「可愛い」と断定したことなど無い。
つまり、今俺の目の前に立つ少女を見て、俺は人生初を体験してしまったのだ。なんとも新鮮な気持ちだった。これが現実逃避のそれであると、薄々感づいてはいたが。
「……なんてね」
わなわなと、驚愕とも怒りとも取れそうな表情を浮かべていた少女。爆発は今か今かと警戒していたが、予想とは裏腹に、少女は一瞬で破顔した。
その表情に、また俺の心はドキリとしてしまった。
「いやぁ~、それあたしも頑張って挑戦してたんだよ!全然獲れなかったケド……。景品が引っ掛かっちゃって、しかも外れてくれないんだよね、これが。何回もやってるけどどうしてもって感じね。お金もガンガン使っちゃってさ。今までどれだけ使っちゃったと思う?5000円ですよ、5000円!もう普通に買った方が安く手に入るでしょって感じだよね、えへへ。面白いでしょ?ねぇ、笑ってよ」
相槌打つのって、難しいんだなって。
関銃の様に乱射される少女の言葉に、まさか愛想笑いすら浮かべられないとは、恐るべしと言わざるを得ない。
俺は口を半開きにし、どう反応したものかと固まるしかなかった。と言うよりも、少女に会ってから固まりっぱなしだった。
俺の沈黙から何を察したのか、ハイテンションガール(断定)は突然慌てたように手を振り出した。
「べつに景品を獲った君のことを責めてるわけじゃないよ、これホント!実際あたしのお財布の中はヒジョーに風通しが良くなってるからさ。あ、ジャンプしてみようか、ほら、ほら!」
言いながら、少女の小柄な体が上下する。
が、5回程跳ぶと、少女は上体を屈ませ、肩で大きく呼吸を繰り返しだした。
「ご、ごめ、ん……体力的、に、限界……」
「5回で!?」
俺のハイテンションガールへの初めての言葉は、「5回で!?」となりました。しかもツッコミ。少なくとも普通ではない。少し悲しい。
思わずツッコミを入れてしまった俺は、自分の失言に気まずい表情を浮かべた。
それは、ツッコミを入れた瞬間に顔をガバッと起き上がらせ、俺の顔を見つめてきたハイテンションガールの行動にも起因していた。ハイテンションガールの丸い双眸が、更に丸くなりながら、じっと驚きの表情を浮かべて俺を見てきたのだ。
謝るか。
そんなことを考えていると、俺よりも先に、ハイテンションガールのアクションが始まっていた。
予想外ともいえる、驚愕の表情をはにかませ、盛大に笑い声を上げ出しのだ。
それは、とても温かい笑い声だった。
「あっはっは!!初対面でツッコミを入れてくれる人は初めてだなぁ!皆さ、やっぱり最初は君みたく固まっちゃって、結局『はぁ』みたいな空返事しか最後までしてくれないんだよね。まぁ、あたしが悪いんだけどね」
今度は悪戯っぽく笑う。
クレーンゲームに挑んでいたときもそうだったが、
よく笑う娘だ。
「お金無くなっちゃったから、もう諦めようかな、って思ってお店から出たんだけどね、どうしても気になっちゃって戻ってきたら、ビックリですよ、これが」
「あ、ご、ごめんなさい。横取りみたいになって」
みたいと言うより、実際その通りなのだが。
「いやいや、気にしなくてもいいよ。どの道あたしには挑戦するチャンスは無かったからさ。むしろ獲ってくれてありがとう!って感じだよ、あたしとしてはね」
「な、なんで?」
獲られて良かったって、もしかして譲ってくれないか、ってことか。
そんなことを一瞬脳裏に浮かべたが、実際はそんな汚い話ではなかった。
「だってさ、あたしがどんなに頑張ってもあとちょっとが足りなかったんだよ。ここまで景品をずり下ろすのも一苦労なんだからさ。
でも、最後の一押しを手伝ってくれた。達成したって感じがするし、しかもそれが知らない人同士で協力してってことだもの、尚更やったぜって感じがするでしょ?あたしは嬉しい、皆も嬉しい。皆笑顔になれる、素敵でしょ!?ねぇ、笑ってよ!」
笑顔で語るハイテンションガールに、俺ははっとした。
純粋に楽しんでいるのだ。このクレーンゲームを。
いや、そんなことは初めから分かっていたことだ。後ろから覗いていたときから、失敗しても全力で楽しむハイテンションガールの姿を、俺は見ていたはずだ。
俺は何故か、無性に嬉しくなった。そして、ハイテンションガールが羨ましくもなった。
きっと、人生が楽しくて仕方無いんだろうな。
無為に大学に通う俺が、とうの昔に無くした気持ちだった。
俺もまた、釣られ笑顔になっていたのを感じた。
「確かに笑顔で溢れそうですけど、プライズを獲られた店側は泣いてしまうでしょうね」
「うっ……ま、まぁ、確かに皆が皆、というのは難しいけど……ほら、5000円分挑戦したわけだから、それでチャラにしてくれないかな」
「はは、別に悪いことしてるわけじゃないんですから、チャラだなんて考えなくても良いんじゃないですか。娯楽施設は娯楽を提供し、消費者はそれを『全力で』楽しむのが責任ですよ」
「おぉ、成る程……良いこと言うね!」
今まさに、あなたに教わったことだけどね。
さすがに言いはしなかったが、俺は心の中で呟いた。
「そうか、ならもっと楽しまなきゃ勿体無いよね。なら、もう1回挑戦しようかな」
そう言いながら、可愛らしいピンク色の小さな財布を鞄から取り出し、印籠よろしくビシッと構えた。
「……もう金欠なのでは?」
だから諦めたんだろう。
俺の言葉に、ハイテンションガールの動きがピタリと止まった。そしてゆっくりと財布を鞄に戻すと、わざとらしく咳払いをした。
「ま、まぁ、今日は沢山楽しんだということで」
「勿体無いんじゃなかったんですか」
「いや、ほら、無くなるわけじゃなし、明日からでも良いかなって」
自分が苦しいことを言っていると分かっているのだろう、ハイテンションガールは視線をあちらこちらに泳がせていた。
その姿が可笑しく思え、知らずうちににやついていたらしい。
「うぅ、その笑みは好きくないかも」
「なら、また今度ですね」
まるで友達同士の会話だった。
しかしハイテンションガールと初めて話始めてから10分程しか経っていない。
初対面同士、なのだ。ここまで会話が続いたこと……いや、会話をすることができたことすら、希少価値の高い経験だった。
「あ、もうこんな時間か。行かないと……」
だからこそ、ハイテンションガールが自らの左手首に巻いた腕時計を見ながらそう言ったとき、何かアクションを起こさねばと思った。
名前、連絡先、住んでいる場所、学校名、etc……何でも良い。とにかく、俺は繋がりが欲しかった。
あ、と。気づいたときには、俺は声を漏らしていた。
俺の様子に、ハイテンションガールは頭上で「?」を出す。
ヤバい、何も考えがまとまっていない。
切羽詰まった俺の視線は、必死にきっかけを求めて辺りを見回した。
そして、ずっと腕の中で、俺に向けて硝子の視線を送り続けていた存在に気がついた。
「そ、そう、このセチアのフィギュア、貰ってください」
ハイテンションガールが大半を頑張り、最後の一押しを俺が行った、俺と彼女のきっかけだった。
「駄目だよ。それを手にしたのは君。君のものだよ」
「なら、このフィギュアのためだと思って、じゃ駄目ですか。俺の部屋だと飾る場所が無くて、このままじゃ宝の持ち腐れだから」
しつこく食い下がる俺を、彼女はどう思っただろうか。
俺なら気味悪く思う。いや、その前に、なら何故獲ったし、とツッコミを入れるだろう。
「……そっか、なら仕方無いね」
しかし、ハイテンションガールは何を言うわけでもなく、少しの思考とともに受け入れてくれた。
真剣な表情だった。深刻な事態をしっかりと受け入れるかの様な態度で……。
「というか、かなり欲しかったんですよね」
「……」
のんびりと微笑むセチアを見て、俺はポロリと溢した。
見ると、ハイテンションガールの口元が僅かにひきつっていた。
「……………………まぁ、興味はあっちゃ……あったよ、うん。可愛いなぁ、なんて思、思ったりなんかしたりしたと言うかなんと言うかな感じと言いましょうか云々的な~みたいな、ね?その……ね?可愛いのよ、ね?うん……」
白い顔がみるみるうちに赤く熟し、しどろもどろに紡ぐ言葉と目まぐるしく動く視線からは、先程までの快活さなど見る影もなかった。今尚言葉を続けようと半開きのハイテンションガールの口元から、透明な体液がこんにちはしている。どうやら彼女には、恥ずかしくなると呂律が回らなくなり、口元が緩む傾向があるらしい。
そうですか、垂涎する程の逸品でしたか。何この可愛い生物。
「……さっき、笑ってよ、って言いましたよね。今声を大にして爆笑しても良いですか」
こちらとしては、今にも笑いの詮が崩壊しそうなのだ。
「わ、笑ったら、お、おぉお、怒りむすよ」
「怒りむすんですか」
「お、怒ります!」
「はい」
ヤバい、楽しい。おおよそハイテンションガールが言っていた「楽しい」とは、別種の「楽しい」だ。
「も、もういらない!持って帰って!そして置き場に困ってストレス溜まって暴食して太っちゃえばいいんだ!……ッ……ハァ、ハァ……」
怒り方も可愛い。更に言うと、体力が無さすぎてもう怒り疲れてるのが可愛い。
本当に、賑やかな人だ。
「ははは、ごめんなさい。少し悪ふざけが過ぎました。だからフィギュアは貰ってください」
「少し、じゃなくて、大分」
「まぁ、どちらでも良いですけど……」
俺は苦笑しつつ、箱をハイテンションガールに手渡した。
どうか繋がりを持てますように、と、浅ましく願いながら。
「はい、確かに受け取りました、と。
……じゃあ、今度こそもう行くね。セチア、ありがとう!さらばだ、若人よ!」
あんたも十分若いだろ、とツッコミを入れる暇も無く、ハイテンションガールは颯爽と駆け出し、ゲームセンターエリアから出ていった。相当時間がぎりぎりなのだろう、全力ダッシュだった。最後までずるずると付き合ってもらったが、無理をさせてしまっただろうか。離れていく後ろ姿を眺めつつ、しかし出入口の硝子越しに、早速疲れている姿も確認できた。
なんとまぁ、と。何を意識したわけでもない言葉が漏れた。次いで、込み上げてくる笑いの感情。
このアミューズメント施設に来て4時間弱で、俺はここ数年分を楽しんだ気分だった。
皆笑顔、か。
少し、ハイテンションガールの言いたいことを体験できた気がした。
また明日も来てみようか。
そんなことを思いつつ俺は、知らずうちに意識の外に放り出していた周囲の電子音達を感じながら、多くを楽しんだアミューズメント施設を後にした。