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咲けない花  作者: ニコ
4/9

3片目

 俺の立つ位置からでは後ろ姿しか見ることができなかったが、際立った声色と太もも辺りまで伸ばされたストレートの、少し色素の薄い黒髪が揺れる様子から、声の主が女性であることは容易に想像がついた。

 彼女は1台のクレーンゲームに奮闘していた。

 坂になったプラスチック板の頂上にプライズが設置されており、アームでプライズを少しずつ滑らせていくパターンの筐体だ。このアミューズメント施設系列の筐体の場合、坂にこれでもかとばかりにベタベタと滑り止め用のセロハンテープが貼られているため、地雷の1つとして俺が敬遠していた筐体でもあった。



「あーっ、無理無理!」



 ハイテンションガール(と勝手に称させてもらう)は盛大に頭を左右に振りながら、再度愚痴を溢した。しかし言葉とは裏腹に、その口調は諦めというよりも、むしろ楽しくて仕方がないといった感情が含まれている様に聞こえた。

 俺が興味の眼差しを向けている先で、ハイテンションガールは連コイン(同じ筐体を1人で連続で遊ぶこと)をしていたであろう手を筐体の硝子に着けた。そして申し訳程度に筐体を軽く揺らす……ってオイ。

  ※禁止行為です。お巡りさんのお世話になるので止めましょう。

 禁止行為だということは分かっていた様で、ハイテンションガールはすぐに筐体から離れ、ポケットから財布らしき小袋を取り出した。しかしそこに欲しかったものは無かったらしく、肩を落として、恨めしそうに筐体を睨み付けることしかできていなかった。

 そんな虚しく無意味な反抗を10秒程続けたが、大きく溜め息を吐き、ハイテンションガールは筐体をそのままに、その場を離れていった。

 その姿が見えなくなってから、ふと俺は我に帰った。

 女の子を後ろからじっくり眺め続けるって、俺はストーカーか。端から見られていたらさぞ不審がられたことだろう。

 何故眺め続けていたのだろうか。

 俺はハイテンションガールが立ち去った筐体に近づいてみた。

 見ると、プライズはほとんど落ちかけていた。ただ穴の近くに設けられた、最後の細工である筐体を左右に貫くプラスチック棒に引っ掛かっており、プライズが落ちない状態に陥っていた。この細工は坂を下りきった空間に設置されている、実に嫌らしい悪足掻きだ。少しずつ少しずつ坂を滑らせてきて、ようやく辿り着いた麓でこんな細工があったなら、相当心にくることだろう。

 甘いな。

 俺は密かにほくそ笑んだ。

 これで諦めると思うのか、随分と嘗められたものだ。

 ここまでプライズを頑張って滑らせてきたのはハイテンションガールだが、最終的には結果が命。漁夫の利だろうが構わない、要は勝ちゃいいんだ、勝ちゃ。この場合この筐体に勝ちゃいい。

 言い聞かせるかの様に、心の中で同じ言葉を反復する。正直ここでこのプライズを取ってしまうことに相当の罪悪感がある。先程のハイテンションガールの手柄のはずなのだからだ。

 筐体から離れ、俺は周囲を見渡した。

 まず1番近くの両替機、そして少し離れた両替機。こちらは筐体を挟んだ向こう側にあった。続いて筐体の陰。

 彼女の姿は見つけられなかった。

 小さく安堵の息を溢し、俺は改めてプライズと対峙した。まず、細工に引っ掛かっている箇所を外す必要がある。

 プライズは15cm×15cm×15cmの立法箱型、中にはゆるキャラ「セチア」のフィギュアが、まったりとした微笑みを浮かべていた。

 このキャラクターは、今ネットで人気急上昇中のソーシャル恋愛シュミレーションゲーム「Flower~´」に登場する。そのゲームのあまりの完成度から、堕落していく「大きな子ども」が後を絶たないという。

 セチアというキャラクターは、その中でのんびり妹系キャラとして人気の高い存在だった。

 そんな流行ゲームだが、俺は手を付けたことがない。人気が出ていると余計に手を付けたくなくなるという天の邪鬼な性格をしているためだが、本当はやってみたい気持ちの方が強かったりする。だがリリース1年が過ぎて尚プレイヤーが上昇中というのだから、俺がやり始めるようになるのは一体何年先になるだろうか。

 そんなことを考えつつ、意識を筐体に集中させる。そこで大きな難題にぶち当たった。

 アームの角度が大分下を向いていた。即ち、アームの強さは想像以上に弱いということになる。

 このアームで、よくもまぁここまでプライズを下げてきたものだ。

 ハイテンションガールが一体どれだけの金額をこの筐体に注ぎ込んできたのか、一種の戦慄を覚えた。

 取り敢えず、と。俺は近くの店員のお姉さんに声をかけ、持っていた無料券を手渡した。お姉さんは営業スマイルを浮かべて券を受け取り筐体を確認する。

 その瞬間、お姉さんの表情が凍り付いたような気がした。

 何事かと思う暇もなく、お姉さんは筐体に近づき、首に掛けてある鍵を筐体のボタン近くに備え付けられている鍵穴に挿し込み、素早く2回回した。1回回すと100円分加算される仕組みらしい。

 どういう構造かは分からないが、鍵を回すことで、筐体の中に元からストックされていた100円玉が転がっていくイメージを浮かべた。

 鍵を回すと、筐体はより盛大な音楽を奏で始めた。

 この瞬間から、俺の世界は筐体とそれに対峙する俺のみとなった。

 周囲の音量が一気に下がる。光量も絞られ、視覚から得られる筐体内のアームの位置、プライズの位置、坂の角度。様々な情報が頭の中に流れ込み、プライズを落とすまでのイメージが浮かび上がっていく。

 2手、いや、3手目で獲れるか。

 イメージをすればする程、この筐体の細工のクソさ加減が浮き彫りになってくる。しかし苛立ちは無いに等しい。玄人は焦らない。

 俺はボタンに手を添えた。

 まずは横移動。次に縦移動。

 僅かな位置の違いが失敗に繋がる、この緊張がまた良い。

 微かに、口角が上がる感覚を覚えた。体温が上昇している。

 ボタンに添えた手に、少しの力を込めた。

 おどけた様な音が鳴り響くが、その音もまた意識の遠くへ消えていく。

 イメージ通りの軌跡をたどり、アームをプライズよりも少し右にずれた位置に停止させた。

 緊張を切らすことなく、続いて縦移動に移行していく。こちらはプライズが穴近くまで迫ってきていることから、ほとんど動かす必要は無い。

 俺は横移動のときのような繊細さを捨て、縦移動ボタンを一瞬だけ叩いた。

 アームがガクンと揺れたが、位置はほぼ動いていない。

 俺の操作は終わった。後は見届けるだけだ。

 縦横操作を終えられたアームが、腕を広げてゆっくりと真下へ落ちていく。どんどん下がり、箱の右下の角に、突き刺さる様な形で当たった。プライズはアンバランスな位置に力を加えられたことにより、僅かに箱の上部分を浮かせた。

 アームが閉じ、何も掴むことなく上へと戻っていく。しかしこれで良い。バランスを崩すことで、プライズの位置を調整することが目的なのだ。

 箱の角を押さえる力が無くなったことで、僅かに浮いていた隙間がパタリと閉じた。その衝撃により、細工に引っ掛かっていた箇所が外れた。イメージ通り。

 張っていた力を肩から逃がす、にやけそうになる表情を引き締め直し、俺は財布から次なる追撃を行うべく、硬貨を掴み出し―――


ドサッ。


―――その落下音に体が固まった。「え?」と、思わず口から漏れた。

 視線をプライズ取り出し口に向けると、セチアの微笑みがこちらに向けられていた。

 細工から外した拍子に、そのままの勢いでずり落ちてきたようだ。

 え、これで終わり?かっこつけて情報分析とかやっておいて、しかもそれが外れていたと?恥ずかしすぎるのだが。

 プライズを手に入れた喜びよりも、予想外の展開に焦りと戸惑いが俺を取り巻いていた。いつの間にか、周囲の環境音も元に戻っていた。

 ま、まぁ、何はともあれ。

 取り出し口からプライズを引っ張り出すと、俺はそれを眺めた。「Flower~´」の中に登場する「セチア」。箱の角に「プライズ専用」の文字が打ってある。

 さて、と、俺は一息吐いた。

 これ、どうしようかしら。

 ふざけた悩みを浮かべた。

 そもそも、俺はフィギュアには興味が無い。それでもクレーンゲームに挑戦するのは、ある種の達成感を得たいがためなのだ。同じ考えを持つ人が、他にもいるのではないだろうか。

 別段欲しかったわけではないが、獲れそうだったから獲った。それだけだ。

 自分に言い聞かし、納得しようと試みた俺の脳裏に、チラリと顔も知らぬ女の子の声が響いた気がした。つもりはなかったが、形としては横取りに近い。きっと彼女ならば―――



「獲れたんかい!!」



―――そう、こんなことを言いそ……う?

 それは、脳裏の声ではなかった。実際に俺の鼓膜を震わせる、空気の振動だった。

 ゆっくりと、俺は背後を振り向いた。

 そこには、こちらを指差し固まる女の子が立っていた。


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