1片目
この日は大学の講義が無く、18時からのバイトまで完全フリーな状態だった。こんな日は自室にこもって動画探しかオンラインゲームをやるに限る。いや、こんな日でなくともそれくらいしかやらないのだが。
大学に進学して2年目。当初はそれなりの目標を持って来たわけだが、夢を現実として見ていくうちに、光輝いていたそれは絶望の谷底へと誘う誘蛾灯のように見えてきて、俺の大学生活が非生産的なクソつまらないものへと変貌するまでにそう時間は要さなかった。
そしてまたその日常の繰り返し、と思っていたはずだが、何故かこの日の俺は非常にアクティブだった。何を思ったのか、余所着に着替えて玄関の鍵を締めていたのだ。しかも、その行動に何ら疑問を持っていなかった。春にしては暑すぎ、夏にしては早すぎる中途半端な気候に、脳の思考回路がバグを起こしていたのかもしれない。
何の目的も無いままに、俺は家の裏の駐車場に停めてある原付のカバーを外し、意気揚々と鍵を差し込んだ。
さて、どこに行こうか。
一瞬だけ考え、すぐに思考は終着した。
そういえば、巷では「1人カラオケ」なるものが流行っているとか。そんなニュースをテレビだかネットだかで見かけた気がする。最近は友人たちとカラオケに行っていない、故に行くしかない。
我ながら相当おかしな方向に思考を巡らせていたが、このときの俺は別段おかしいと考えることもしなかった。
原付の鍵を回し、壮大なエンジン音が平日昼前の閑静な住宅地に轟く。
目的地は決まっていた。原付で走れば10分程度で辿り着けるアミューズメント施設だ。カラオケだけでなくボーリング場やゲームセンターなども抱えているが、如何せん利用回数は両手の指で数えられる程度しかなかった。決して一緒に行く友人がいないからではなく、単に利用料金が高めに設定されているからだ。
しかしこのときは特に深く考えることもなくその施設へと直行した。考えることを完全に止めてしまっているとしか思えない。本当に脳に異常があったのではないだろうか。
軽快なハンドルさばきと体重移動で走り、曲がること10分弱、想定よりも僅かに短時間で目的地へと到着した。平日の昼前ということもあり、全国的にも人気のあるアミューズメント施設と言えど、駐車場には疎らにしか車は停まっていなかった。いや、この時間帯にこれだけ多くの車が入っていると逆に考えるべきか。
まったく暇人め、昼間っからこんな場所ではっちゃけてないで少しは生産的なことをしたらどうかね。
自分を棚上げし、そう心の中で嘯きながら原付を駐輪場へ。
そういえば、ここのカラオケは1人で利用できるのだろうか。
そんな今更な疑問を抱えながら、俺は自動ドアへと近づく。その最中にちらりと、出入口付近に設けられた喫煙スペースに目をやった。利用している者はおらず、設置された灰皿の周辺も綺麗に掃除されていた。
現実には、喫煙スペース内だからと、そこが風上であるにも関わらず喫煙を続ける輩がいる。しかも、わざわざ灰皿が用意されているのに燃え殻や短くなった煙草をポイ捨てする輩までいる。身体ばかり大きくなって、精神的にまったく成長していない大人だ。俺はそういった精神的未発達な大人のことを「クソガキ」と呼んでいる。喫煙するなと言える立場でないので言わないが、マナーくらい守ったらどうなのか。
「クソガキ」がいないことを確認し、今度こそ俺は自動ドアを潜り抜けた。
途端に、俺の全身を爆音のような電子音が叩きつけてきた。身体の芯にまで響くドラム系のテンポ、鼓膜よ裂けよとばかりに掻き鳴らされるギター系のリズム。まるで腹の中から音楽を流されている気分だ。
全方向から振り撒かれる音に一瞬たじろいだが、久し振りの感覚だった。
前に来たのはいつだっただろうか。友人たちと来たはずだが、大学進学の後には来ていない。まさか受験勉強期に遊びに来ることはないだろうから、おそらく4年程前だろう。
そんな記憶の海を散策しているうちに、この不協和音の森に身体が順応していた。決して心地良くはないが、これぞアミューズメント施設という感覚に陥った。
目が悪くなりそうな機械光の中、周囲を見渡してみた。出入口を抜けて正面がゲームセンター、左手にはダーツコーナー、右手には1、2階を繋ぐエスカレーターがあり、2階がボーリング場となっていたはずだ。
カラオケコーナーはエスカレーターの少し奥の方に設置されていた。
さてさて、と。高鳴る鼓動は環境音故か、はたまた高揚感故か。
どちらにせよ、少なくとも今言えることは、この後数時間、俺は確実に「昼間からこんな場所ではっちゃける非生産的な男」に成り果てる、ということだけだった。