地下での闘争
話し始めてから一体どれだけの時間が経ったのか。時計がないから正確には分からないが、体感時間としては一時間以上経過している気がする。
すでに裏切者は捕まえたわけだからそこまで緊張する必要は無いのだろうが、全てを語り終えるまでは解決したと感じられそうにない。
だが、語ることはあと少し。どこかもやもやする気分を一気に払拭してしまおう。
「浜田さんの機転を利かせた策のおかげで、僕はオオカミ使いと無事合流することができた。そしてオオカミ使いにオオカミが誰かとか、どれだけの武器を用意しているのかを聞き、裏切者を捕まえる準備を進めていったわけだけど――この最中にもいろいろと面倒なことが起こってたんだ。
館の中で夜を過ごしていた人や、森で音田さんと一緒に過ごしていた人は比較的安らかに寝てられただろうけど、それ以外の人は忙しく動き回ってた。一番大変な思いをしてたのは夕飯の際リビングにおらず医務室にいたメンバー。皆も知っての通りこの中には白石さんを殺した張本人、藤里さんも紛れてる。まさか彼女がじっとしているはずもなく、僕たちがオオカミ使いや黒子の登場に驚いて逃げ回っている間にかなり危険な行動をとっていたんだ。まあ僕も何が起こってるのか知ったのはオオカミ使いと合流して以降で、医務室でどんなことが起こってたのか詳しくは知らないんだけどね。だから――」
「分かってるよ。何があったのか話していけばいいんだろ」
どうせ話すように言われるだろうと身構えていた多摩が、むっとした表情で言った。
元からかなり迫力のある顔つきが、不機嫌なためか一層険しくなっている。
そしてもの言いたげな雰囲気を出しつつ、睨め付けるように橘を見つめてくる。
殴りかかられたりしないことは分かっているのだが、そんな冷静な思考とは別に橘の心拍数は上がっていった。
「医務室で起こってたことを話す前に、さっきあんたが言っていた言葉に反論させてもらってもいいかい」
「勿論です。僕も多摩さんには謝らないと思っていましたし」
内心のどきどきを押し隠して、なんとか声を震わせることなく言う。
橘の言葉を聞くと、多摩は少しだけ目を細めて頷いた。
「謝られるほどのことじゃ無いんだけどね。あんたに悪気があったわけでもないだろうし。でもまあ一言くらい言わせてもらおうか。
あの島で趣味の悪いゲームが行われることを知っていて協力するような奴は、性格が悪くてひねくれてるやつだってあんたは言ったね。でも、仮にそこで行われるゲーム自体を阻止できないのだとしたら、相手の提案を蹴って自分には関係ないと無視する方がよっぽど最低のことだと思うんだよ。だから私は音田の誘いに乗り、不埒なやつが出てもすぐ取り押さえられるよう無月島にやってきた。自慢じゃないが力には自信があったからね。まあ、あんたの考えていた通り、若気の至りか何なのか知らないが殺人を犯すつもりの馬鹿どもがいたわけだから、ここで文句を言うのは筋違いなんだろうけどさ」
「そんなことありません。多摩さんがこの島に来てくれたおかげで、叛逆者グループのキーマンだった藤里さんを無事に取り押さえることができたんです。自分の身も顧みずに無月島まで来てくれた多摩さんのような人がいるのに、あんな言葉を吐いてしまったことは僕の失言です。すみませんでした」
両手を膝の上にのせ、深々と頭を下げる。
単に多摩さんと目を合わせ続けるのが怖かったため深く頭を下げたのだが、多摩さんは僕がかなり落ち込んでいるように見えたようだ。少し戸惑った表情で、「そこまで責めるつもりはなかったんだけどねぇ」とぼやいている。
橘が顔を上げ、再び多摩の目を見つめると、ゴホンと咳をしてから彼女は話し出した。
「じゃあ医務室で何が起こったかを話してくよ。皆が知っているのは沢知が医務室に人数分の食事を持ってきて、そのまま医務室に残ったところまでだったね。まあ当然というか、その後はしばらくの間私と藤里、沢知の三人で黙々と食事を摂っていた。速見にも声をかけてみたけど、その時は起きることもなく寝たままだったしね。
で、事態が動き始めたのは食事を始めてから五分後のことだったかな。沢知が小さな声でボソッと呟いたんだよ。『やっぱりオオカミ使いが白石さんを殺したとは思えない』ってね」
多摩が沢知へと視線を向けながら言う。
ここまでほとんど口を開くこともなく、速見の隣で眠そうにこっくりこっくりと船を漕いでいた沢知。首に一筋の赤い線ができており、そこはかとなく痛々しく見えるが、本人はあまり痛みを感じていないのか特に気にした様子はない。
久しぶりに自分の名前を呼ばれたからか、ゆらゆらと頭を動かすのをやめ、のんびりとした口調で多摩の言葉を肯定した。
「はい。ほとんどの人が気付いていたようですけど、白石さんを殺したのがオオカミ使いだとするとちょっと変なところが多いように感じたんです。それで、食べている最中にもずっとそのことを考えていて、つい藤里さんが目の前にいることも忘れてそう呟いちゃったんです」
「恥ずかしながら私はそんなこと全く考えてなくてね。もしかしたら人を殺そうとする馬鹿が出るかもしれないのでその時は止めてくれと言われてきたけど、まさか本気でそんなことをするやつが出るとはそんな考えてなかったし。それにオオカミ使いが速見を襲った時あたりから、源之丞ってオッサンはマジで私たちのことを殺すつもりなんじゃないかと疑い始めちまってね。白石の死体を見たときは完全にあいつが殺人鬼で、私や音田なんかは騙されたんだと思ってたよ。そんなわけで全く藤里のことを疑ってなかった私は、沢知の言葉にすぐ反応することができなかった。これに関しては私が愚かだったよ」
「いえ、それを言うなら不用意にそんな発言をしてしまった私の方です。まさかあの呟きを聞いただけで、藤里さんが襲い掛かってくるとは思っていませんでしたから」
その時のことを思い出してか、顔を青ざめさせながら沢知が息を吐く。
そんな二人の言葉を聞いていた藤里が、拗ねるような表情でそっぽを向いた。
「私だってあの時は焦ってたんだもの。さすがの私も自分の手で人を殺したのは初めてだったし、いつ皆にばれるかずっと冷や冷やしてたんだから。そこに突然沢知さんの意味深なつぶやきが聞こえてきて完全にパニック。オオカミさんの指示通りさっさと計画を進めようと動き始めたわけ。ま、私のことは元から囮にするつもりで、助ける気なんてさらさらなかったみたいだけどね」
恨みを込めた視線を望月に向ける。当の望月は能面の様に表情を動かすことなく、やや俯き加減に黙りこくったままだ。
それにしても、藤里さんがまともに話している。元々の話し口調は尋常じゃないくらいうざかったので元に戻ってほしいとは思わないが、化粧の落ちた顔も相まって誰が話しているのかよく分からなくなる。最初に集められたのとは別のメンバーが一人紛れ込んでいるようだ。
橘以外の人もそんな違和感を覚えたのか、どこか困惑した表情で藤里を見つめているものが多い。ただ、藤里の本性をいち早く知ることになった多摩や沢知はすでに慣れたのか、冷ややかな目で藤里を見つめていた。
「あんたもオオカミに騙されてたんだってことは、なんとなく分かってるけどね。自分の利益のために人を殺すような奴に同情する気なんてさらさらないよ。と、話を元に戻そうか。
沢知がぼそりと呟いた直後、藤里が隠し持っていたナイフを取り出して沢知の首元に当てたんだよ。何が起こったか分からず唖然としてたら、藤里は私に対して手を上げるよう命令してきた。声を出すな。妙な動きをするな。自分の指示に従えってね。沢知を人質に取られている以上抵抗することはできなかったから、私は素直にその指示に従った。私が大人しく言うことを聞いたのを確認すると、今度は監視カメラを通してオオカミ使いに隠し扉を開けるよう要求した。さっきの話からすると藤里が要求するまでもなく隠し扉を開ける予定だったみたいだけどね、結果として藤里の要求が通った形で隠し扉が開放。私達は彼女の命令に従って地下へと連れていかれた。
地下に入った藤里は結構長い間私達を連れてウロウロと歩き回ってた。今ならわかるけど、爆弾を仕掛けた場所を探し回ってたんだね。で、目的の場所までたどり着いたところで動きを止め、再びオオカミ使いへと要求し始めた。『人質を解放してほしかったら、オオカミと一緒に十億円をもってこの場所に来い』とね」
一瞬、望月の体が震える。そして、俯けていた顔を少し上げ、藤里へと視線を送った。
望月が自分に視線を送ってきていることに気づいたのか、藤里は「あーあ」とぼやきつつ多摩に話を交代するよう言った。
「こうして捕まったからには隠し立てしても無意味だろうし、何をやろうとしてどう失敗したかちゃちゃっと説明するわ。
多摩さんが言ったように私は人質二人を連れて爆弾を仕掛けておいた場所まで移動した。妙に入り組んでて何度か迷いかけたけど、一応目印をつけといたからね。最終的にはたどり着くことができたわ。それで、後はオオカミさんと約束していた通り、人質を使ってオオカミ使いをおびき出し、爆弾の近くまで来たところで起爆。後は起爆スイッチ代わりのスマホを利用してオオカミ使いが死んだことを連絡して、適当に残りの羊たちを殺害していく予定だった――わけだけど、私はオオカミさんのことを信用していなかったからね。本来の計画を変更して、オオカミ使いだけじゃなくオオカミさんにもその場に来てもらうことにしたの。もしオオカミさんが私のことも殺すつもりだったのなら、そこで起爆させる予定だった爆弾は私が聞かされていたものよりもはるかに強力なもので、オオカミ使いもろとも爆死する恐れがあったからさ。
ま、私のこの考えは間違ってこそいなかったものの、残念なことにオオカミ使いとオオカミさんのどちらも、いくら待ってもやって来なかったけどね。しかも想定外なことに、武器を持っているのは私一人だけじゃなかった。橘さん風に言うのなら守護者グループだったかしら? 多摩さんもそのグループの一員で、ひそかに武器を持ち込んでた。突然ピンポン玉サイズの鉄球が飛んできたときは本当に驚いたわ。ナイフを持っていたほうの手に鉄球が当たって、ビックリしてナイフを取り落としたらそのまま押し倒されちゃうし。強いて運がよかったことを挙げるなら、やけになって起爆スイッチを押さなかったことね。私が取り押さえられてからしばらく後にやってきた浜田さんが、かなり離れた場所に移動してから起爆させてみたら、やっぱり聞いていた倍以上の爆発が起こったもの。危うく死ぬところだったわ」
「人を一人殺したくせにぬけぬけとそんなことを言えるあんたは、正直爆死してもらいたかったくらいだけどね。さて、ほとんど藤里に語ってもらったわけだけど、以上が医務室にいた私たちのその後だよ。あと、私が藤里を制圧するときに使った鉄球ってのは、音田に頼んで服の中に仕込んでおいてもらったものでね。人を殺さずに無力化する武器としてはなかなか便利だから、無月島に来るにあたって用意してもらってたんだ」
ポケットから数個の鉄球を取り出してみせながら多摩が言う。
銀色に鈍く光り輝いた真ん丸の鉄球。藤里が言っていたようにピンポン玉と同じくらいの大きさであり、こんなものを投げつけられた滅茶苦茶痛いだろうことが一目でわかる。というか頭に当たったら最悪死ぬんじゃなかろうか。突然こんなものを投げつけられた藤里の気持ちを考えると、つい同情したくなってしまいそうだ。今更ながら、彼女がオオカミでなくてよかったと考えているものが大多数を占めるだろう。
沢知だけは多摩のことをどこかとろんとした瞳で見つめているのが少し気になるが、それはともかく地下で行われていたもう一つの闘争についての説明も終わった。今回はほとんど話すことなく聞いているだけで済んだため、それなりにゆっくりと休むことができた。
それではこの調子でもう一人――今までずっと眠り続けていた彼に話をしてもらおう。音田と望月のどちらが真の裏切者なのかを教えてくれた浅田太郎に。