橘か如月か
「ふむふむ、無月館部隊は李君波布君橘君速見君星野さん望月さん如月さんの七人だったのですか。私達が不在の間、よくぞ無月館を死守してくれました」
ばっと右手を前に突き出し、左手を額にかざすという謎のポーズをしながら音田が言った。
音田と共に館に戻ってきた四人――伊吹・空条・千谷・小林――が、やや疲れたような表情をしながらも、生気の宿った目で呆れたように溜め息をついている。
――さて、少々面倒な展開になってきた。
人数が一気に増えたため、場所は医務室ではなくリビング。
これまでに何があったのかをお互いに語っている中、李は冷めた目で集まっているメンバーを眺めていた。
「ははー、さすがは李君ですね。まさかお風呂に入るという決断を下すとは。お風呂に入れるサービスがあったのなら私も無月館に残っておくのでした」
「音田さん、普通はオオカミ使いを捕まえたことに流石という場面だと思うんだけど。それにしても、まさか如月さんがオオカミ使いの孫だったとは……。彼女がオオカミで確定なのでしょうか?」
千谷が困った表情で、こちらを見てくる。
はっきり言って、困っているのはこちらも一緒だ。礼人がオオカミであるという結論でまとまると思ったのに、またしても別の考えが出てきてしまった。何よりオオカミ使いのいなくなった状況下で音田や伊吹が合流。この先確実に話題に出るであろうあの話を、どうやってそらしたものか。
頭の中でこの先の展開を予測しつつ皆の話に耳を傾けていると、全く感情のこもらない声で伊吹が語りだした。
「如月がオオカミである。それを明確に否定する根拠はないが、強いて言うなら橘の方が疑わしく思えるな」
伊吹はそこで一拍置くと、額に指を当てながら続けた。
「今までの話を総合するとこうなる。
・如月綾花はオオカミ使いの孫である
・如月はオオカミ使いの正体を知っていた
・橘礼人もオオカミ使いの正体を知っていた。また、知っていた理由としては、如月から直接話を聞かされた。もしくは、如月同様最初から気づいていた――という二つの理由が考えられる。さらに、後者の場合である時、如月はオオカミ使いが自分の祖父であることを橘から聞かされた可能性もある
・橘の言っていたゲームを終わらせる策というのは、如月を――つまり孫を使っての懐柔、及び脅迫だったと考えられる。そして、自分たち以外を部屋から出したのは、如月がオオカミ使いの孫であることをばれないようにするためである
・結果、オオカミ使いが如月を連れて逃亡。このことから考えられる可能性は四つ。
1.如月と橘の二人ともオオカミでなく、オオカミ使いが自力で逃亡
2.如月がオオカミで、橘を油断させオオカミ使いと一緒に逃亡
3.橘がオオカミで、オオカミ使いが如月を襲って逃げられるように誘導
4.二人ともオオカミ使いの仲間で、この策丸ごと狂言
という感じだ。どちらかと言えば橘がオオカミであった方が納得しやすい気がするのは、私だけだろうか」
伊吹の語りが終わると同時に、李の頭の中では伊吹に対する疑念が膨らんでいった。
いくつかの気になる事象を提示して、ある一人を特に怪しく思わせる手法。すでに一度千谷が行い、浜田に散々否定されはずだが。わざわざもう一度使ってきた理由はいったい何なのか。いや、待て。そういえばこいつと千谷は……。
李が一人黙考を続ける中、小林がペンとメモ帳をもって伊吹に質問する。
「伊吹さん、4つ目の可能性はどういうことでしょうか? このゲームにおけるオオカミ使いの仲間はオオカミ唯一人だけのはずですよね。確かに黒子という謎の人物も出現しましたが、少なくとも黒子は橘君でも如月さんでもありませんでした。オオカミ使いは黒子というルール外の人物を参入させただけでなく、オオカミが一人というルール自体も破っていたということですか?」
「4つ目の可能性であった場合はそうなるだろう。だが、これはあくまで可能性の話。オオカミ使いがそこまでルールを破っているとは思いづらいから、切り捨ててくれても構わない」
自分の考えにこだわりはないのか、伊吹はまるで他人事の様に答えた。
――これは、不味い。
李が直観的にそう感じ取った瞬間、望月がはっと顔を輝かせながら言った。
「それに関してなんだけど、うまく説明できる考えが――」
「待て、望月」
その場にいる全員が凍り付くような、鋭い一言。
呼びかけられた望月は、驚いた表情で恐る恐る李を見返してきた。
冷たい視線と共に、李が言う。
「その話を今するのはやめろ。オオカミ使いが逃げた以上、余計な混乱を招きかねない」
「その話? 何か我々に隠している話でもあるのかな」
耳聡く、伊吹が尋ねてくる。
李は医務室にて、あの話を聞いたメンバーにだけそれとなく視線を投げかけた後、小さく首を横に振った。
「別に、隠しているというほどの話じゃない。それよりも、お前の仮説のどれが正しいかを知りたいなら礼人に直接聞いてみればいいだろう」
かなり露骨に話を逸らす。その不自然さに当然気づいただろうが、伊吹は表情一つ変えることなく追及を諦め、話に乗ってきた。
「まさか本人に聞いても真実を答えてはくれないだろう。仮に真実を語っていたとしても、それが嘘でないと我々に判断するすべはない。よって聞くだけ無駄ということだ」
「でも一応は聞いておいた方が……」
千谷が割って入ろうとした瞬間、
「それより皆さんお腹が空きました。ご飯の時間にしましょう」
片手をピンと伸ばして、音田が主張した。
そもそもここまでの会話を聞いていたのかというような音田の発言に、皆毒気が抜かれたようにホッと息を漏らす。
無月館で過ごし、朝風呂も朝食も取った李たちと違い、緊張状態のまま森で一晩を明かした音田が空腹を主張するのも当然で、主張した音田以外も思い出したように腹に手を当て始めた。
そんな中、基本的に空気の読めない波布が不満そうに言う。
「別に俺たち腹減ってねぇぞ。まだ朝飯食ってから二時間ぐらいしか経ってねぇし、何よりオオカミ使いの動きが気になって悠長に飯なんか食おうって気分になんねぇよ」
「いえいえ波布君。美味しいご飯というのはいついかなる時に食べても美味しいものです。幸いなことに、今ここには二人も料理係がそろっています。きっと昨日のビーフシチューを超える素晴らしい昼食を提供してくれるに違いありません」
「さり気なくハードルを上げられたような……。でもそうですね、私もかなりお腹が空いているので、食べたい人たちの分だけでも作らせてもらえないでしょうか?」
千谷のまっすぐな瞳に屈したのか、波布はそっぽを向きながら「ついでに俺の分も作ってくれ」などとデレた。
もちろん他の空気の読める皆は波布の様に無粋な文句を言わなかったので、話は一度中断し、いったん昼食タイムということに。
話が終わると同時に「レッツゴー」と叫びながら音田が厨房にかけていく。
千谷は慌てた様子で、音田にリビングで待っているように頼みながら厨房へと続く。途中、空条にも料理を手伝うように頼むと、今回は特に嫌がらずに空条も厨房へと向かって行った。
他の人は今も橘のことが気にかかっているのか、ちらちらと視線を投げかけながら、各々ソファに座ったり、扉近くで佇んだりしている。
おおよそ全員の動きを観察し終えたところで、李はソファから立ち上がり、自身も厨房へと向かって行った。