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無月島 ~ヒツジとオオカミとオオカミ使いのゲーム~  作者: 天草一樹
第二章:視点はおそらく李千里

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入浴中

 湯気がふわふわと漂っている。

 何十人もの人が同時に入れるくらいの巨大な大理石の浴槽には、溢れんばかりの熱い湯が張られ、見るだけで体が温まっていくようだ。

 また、浴槽を囲むようにして金色のシャワーが設置され、浴室全体の雰囲気を煌びやかなものにしている。

 李は体を丁寧に洗ってから、滑って転ばないよう慎重に歩いて浴槽に近づいていく。湯を桶に取り入れ、体全体にゆっくりと掛け流す。

 熱い。だが、それが気持ちいい。

 できるだけ波が立たないよう、静かにお湯に足をつけて……。と、足が湯に触れた瞬間、「ザブン」という音とともに浴槽の湯が勢いよくあふれ出し、浴室中に広がっていった。波布が勢いよく風呂の中に飛び込んだのだ。

 唖然とその様子を眺める李を横に、波布が気持ちよさそうに体をぷかぷかと浮かせて湯船を流れていく。


「いやー、やっぱり風呂って最高だな。心が洗われるっていうか、疲れが溶けていくっていうか、とにかくすっげぇ気持ちいいわ。ん、お前そんなとこで固まってどうしたんだ? 風呂入んねぇのか?」


 李の心情を一切読めない波布が、堂々と無神経な発言をする。

 基本的に表情があまり変わらない李だが、この瞬間ばかりは顔が引きつり、怒りの感情が直で表情に現れた。だが、波布はそんな李の変化に全く気付かず、楽しそうに鼻歌を歌っている。このままだとせっかくの入浴タイムが阿鼻叫喚の拷問タイムに代わりそうなことを察知した速見が、できるだけ笑顔を作りながら波布をたしなめた。


「波布さん、いくら僕達三人で貸し切りだからって少しマナーが悪いですよ。飛び込んで入ったらお湯が溢れてもったいないですし、もっと静かに入りましょうよ」

「んだよ速見、そんなけち臭いこと言うんじゃねぇよ。こんなでっけぇ風呂を貸し切れる機会なんてそうそうないんだし、好きに入らせてくれよ」

「ま、まあそうですけど……。ただ、貸し切りって言っても一応他の人もいることを忘れないほうがいいかなーなんて」


 それとなく、波布が李の怒りに気づくよう注意を促す。速見の言葉を聞き、怪訝そうな顔で風呂場を見渡した波布は、青筋を立てて固まっている李にようやく気付いた。その表情を見て、即座に自分がどういう状況に陥りかけているのかを察した波布は、姿勢を正し急ぎ浴槽の隅に移動する。


「お、おう、やっぱり風呂ってのは静かに入るのがマナーだよな。わ、悪かったな速見」


 怯えたような表情の波布を見て、李の心が少しだけ和らぐ。改めて桶を使って湯を掬い上げ、体にかける。そして、ゆっくりと湯に体を浸からせていく。肩より少し下までお湯に浸かるように座り、大きく深呼吸を一つ。

 全身に熱さと共に、なにか不思議な活力がみなぎって来るのを感じる。

 眠るときとはまたひと味違った浮遊感に身を委ね、李は静かにまぶたを閉じた。

 李が怒り出す様子がなさそうなのを見てとり、波布と速見もほっと息を吐きながら久し振り(?)のお風呂を堪能し始める。

 心地好い、今までの緊張感に溢れていた世界とはかけ離れた空間が、彼らを包み込んだ。


「それにしても、こんなに気持ちの良い湯船に浸からせてくれるなんて、オオカミ使いさんもいいところがありますね」


 速見が、思わずといった様子で言葉を漏らす。


「これも一種のサービスだろうな。人によってはここが臨終の地になるわけだし、最後に豪華な風呂と食事ぐらいは提供してやろうとでも考えたんだろ」


 喋るのも億劫だといった様子ながらも、李が答える。「きっとそんなところなんでしょうねぇ」と言いながら、速見は緩みきった様子で顔を風呂の中に沈める。

 それからしばらくは誰一人喋ろうとせず、ただただお風呂を堪能するだけの時間が続いた。

 数分後、さすがに熱くなってきたのか、顔を真っ赤にした波布がゆっくりと立ち上がった。


「俺はもうだいぶ温まったから先に上がらせてもらうぜ」


 そう言うと、一人浴槽から出て体をタオルで拭き始める。と、突然体を拭く手を止め、波布は李へと顔を向けた。


「そういや、結局お前はどうして風呂に入ることを認めたんだ。昨日の夜は風呂に入るなんて危険だからやめた方がいいって言ってたのによ。さっき如月と話しててなんか新しい発見でもあったのか? つうか俺には如月の言ってたオオカミ使いに襲われない確信ってのがどこから来たのかよく理解できなかったんだが」


 億劫そうにしながらも、李は白い顔を波布へと向け口を開く。


「ヒントは十分に出てただろ。箪笥に用意されてた数十着以上の着替え。冷凍庫に保存されてた一カ月以上の食料。それから夜俺たちを襲撃しなかったという事実。これら三つから一つの考えが導きだされるだろ」

「いや、よく分かんねぇけど。もしかしてオオカミ使いも夜は寝てて俺たちを襲う余裕はないってことか」


 首を捻りながら波布が答える。いまいちピンとこない波布のために、速見が助け舟を出した。


「オオカミ使いさんも人間である以上休息は必要でしょうけど、今回はそういうことじゃないと思いますよ。たくさんの服と食料が用意されていて、その上お風呂に入ることもできる。つまり、僕たちはいようと思えばかなり長い間この館に不便なく滞在していられるんです」

「ん……ああ、成る程な。要するに、オオカミ使いの野郎はこのゲームをかなり長期的にやろうと考えてるってことだな。もし一日二日で決着をつけるつもりなら、そんなに服や食料を用意する必要はないし、夜だって俺たちに休息を取らせることなく襲ってきたはずだし」

「まあそういうことだな。とは言え、それが俺たちを油断させるための罠である可能性もなくはなかったんだが……いまだに襲ってこないことを見るとあながち間違いってわけでもないようだ。もちろん、いつまでも気を緩めてはいられないが。いつオオカミ使いがゲームを再開させにかかるか分からないからな。……さて、そろそろ俺も上がるか」


 波が一切立たないほど滑らかに、李が湯船から上がる。軽くシャワーで全身を流すと、波布の横に立ち体を拭き始めた。

 波布と李の二人が浴槽を出たのを見て、速見もいそいそと湯船から上がる。

 そのまま三人そろって浴室を出て、脱衣所で服を着替え始める。

 一分と経たず着替えが完了し、それぞれ髪を乾かしたり、設置されていた浄水器の水を飲んで全身に残っているだるさのようなものを払拭する。

 そして、全員の準備が整ったところで、李が今までの緩んだ空気を引き締めるように声をかけた。


「いいか、今オオカミ使いが襲ってこなかったからといって絶対に油断はするな。ここからリビングに行くまでの間に奴が襲ってこないとも限らない。気を引き締めていくぞ」


 李の真剣な声に、波布と速見も黙ってうなずく。

 と、そのまま脱衣所から出ようとした李の足が、突然止まった。不審に思った速見が声をかけようとすると、李が背を向けたまま聞いてきた。


「……望月と如月と星野、あの三人の中に料理ができる奴は存在するのか?」


 波布と速見は顔を見合わせ、示し合わせたように首を横に振った。

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