誰がオオカミ?
時折り風が吹き抜けるような音がする以外は、ほとんど無音の地下迷宮。
一定間隔で設置された蛍光灯が、申し訳程度の光を通路に放ち、歪んだ足場を照らし出している。
普段は全く変化のないその明かりの前を、三人の人影が通り抜けていく。
やや急ぎ足ではあるものの、周囲を警戒しているのか、どこか慎重な動きにも思える。
ふと、先頭を歩いていた人影が、その歩みを止めぬまま口を開いた。
「そういえば李さん、僕が口を挟んでしまったために聞けずじまいになってしまいましたが、あれはいったいどういうことだったのでしょうか?」
「あれって何だ」
先頭の人影――速見がそう聞くと、李はいつもの冷たい声音で聞き返した。
速見は歩調を緩めることなく質問を続ける。
「橘さんと黒崎さんがオオカミではないと考える根拠です。あの話からでは、オオカミ使いの目的を割り出してはいても、彼らがオオカミでないと断定することはできなかったと思うのですが」
「だいぶ初めの方から聞いていたようだな、俺と黒崎の会話を。まあ別に構わないが」
李は億劫そうに溜め息をつくと、速見同様ペースを緩めることなく答えた。
「あいつ――礼人に関しては特に根拠はない。黒崎に関しては半分ハッタリ、もう半分は……黒崎が逃げたせいで今になってはただの戯言だな」
「できればもう少し具体的に説明して欲しいのですが……。如月さんから少しだけ話を聞きましたが、橘さんは状況証拠だけとはいえ、かなり怪しいですよね? 根拠もなく李さんが疑いを放棄するとは思えないのですが」
「ないものはない。ただ、あいつと高校で過ごしてきた経験から、こんなふざけたことをする奴ではないと知っているだけだ。お前を納得させられるような根拠はない」
「嫌いだとは言いつつも、橘君のことを信頼しているのね」
如月が口を挟む。
嫌そうに顔をしかめながら、李はちらりと如月を見て言った。
「信頼なんかじゃない、単純に知っているだけの話だ。お前らには理解できないだろうが、俺からすれば1+1が2であるのと同じくらい自明の話なんだよ、好き嫌い関係なくな」
李の言い分にどう反応していいかわからず、複雑な表情を浮かべる二人に対し、李はさらに言葉を続ける。
「加えて言うなら、もしあいつがオオカミとしてこのゲームに本気で参加していた場合、俺らがどう足掻いたところで勝つことはできない。この場にあいつの知能を上回りそうな奴は見当たらなかったからな」
「……こんなことを言うのは失礼かもしれませんけど、僕には橘さんがそこまで凄い人には思えないのですが。 今までの動きや発言を見ている限りでは、李さんの方がよっぽど優秀だと感じました。それに、そこまで凄い人なら、どうして今の状況を」
「あいつは常に大局を見てるんだよ」
速見の言葉を遮り、李が言う。
「あいつは俺たちとは全く違う目線でこの世界を眺めている。こんな異常事態に巻き込まれ、最悪殺されることになるかもしれない場所であっても、あいつの思考対象がこの無月島内にあるのかどうかさえ疑わしい話だ。それこそ、今現在も俺たちからしたら心底どうでもいいことで悩み、このゲームに関係ないことで勝手に死にそうになっているかもしれない」
「聞いてる限りだと、やっぱりたいした人には思えないのですが……。単に危機感の足りていない、ちょっと変わった人というだけのような」
「私としても、速見君が今考えているだろう人であって、橘君がそんなにすごい人物であるというイメージはないのだけれど」
二人から若干呆れたような声で反論が返ってくる。
李は腹立たしそうにチッと舌打ちすると、歩く速度を緩め、忌々しげな声を発した。
「全く、どうして俺があいつを庇わないといけないのか。普段からあいつが怠けたりしてないで、全力で行動していればこんなことにはならないのに……」
そう言って、小声で何やらぶつぶつと橘に対する悪口を言い始める。
李が歩調を緩めたため、速見と如月の二人もその速度に合わせて歩みを緩める。
放っておくといつまでも橘に対する文句を言い続けそうな李を見て、速見は綻びそうになる表情を堪えつつ、「それはそうと」と切り出した。
「黒崎さんに関してはどうなんですか? 彼女とはこの無月島であったのが初めてですよね。橘さんとは違って、オオカミでないと断言できるほどの信頼関係は築けていない思うのですが」
「何度も言うが、別に礼人のことは信頼してるわけじゃなくてだな……」
話題を変えたつもりが、完全に逆効果となりしばらくの間グダグダと文句を言い続ける李。
話が橘のことになると妙に饒舌になり、しばらくの間思い出話(?)をしてしまうのは、もはや彼の習性のようなものなのか。
如月はなぜかその様子を呆れたような、どこか面白そうな表情で眺めているばかりで止めようとしないため、結局速見が一人で李を静めるためにいろいろと言葉を尽くすことに。
速見の説得が功を奏したのは、李から橘への愚痴が始まってから約五分後のことだった。
若干喋りつかれた表情をしながら、ようやく李は速見の質問に答えた。
「黒崎に対してああ言ったのは、さっきも言ったがハッタリだ。こちらが疑っていないというスタンスを貫けば、仮に黒崎がオオカミだったとしてもすぐには襲ってこないだろうと判断したまでだ」
こちらも少し疲れた表情の速見が、何度か呼吸を整えるように息を吐いてから言う。
「でもそれはあくまで半分なんですよね。もう半分の、彼女がオオカミでないと判断した要因を教えてもらえませんか?」
「はぁ、別に構わないが、黒崎が逃げた今となってはただの戯れ言にすぎないぞ」
「それでも構いません。少しでもオオカミが誰かを見つけるヒントになれさえすればいいですから」
李を見たまま真剣な表情で告げる。速見の真剣さに屈したのか、李は少し困ったような顔を浮かべながらも口を開いた。
「言いたくないってのは恥ずかしいからというのもあるが、今はそんなことを言ってられる状況でもないか。俺が黒崎をオオカミでないとするもう半分の理由は、黒崎がたいして時間をおかずに俺のもとまでやってきたことにある。俺の考えでは、オオカミ使いの行った分断作戦後のオオカミの行動としては、いったん羊達から距離を取り、その動きをモニター室で見守る。そして、特に疑心暗鬼に陥っていて扱いやすそうな奴を探し出し、そいつの元へ。後はそいつに誰々が怪しいという嘘の情報を流したり、殺される前に殺すべきだと唆したりと、オオカミ使い側が有利になるような小細工を仕掛けてくるだろうと思っていた。だから、オオカミ使いを追って地下迷宮に迷い込んだ俺のもとに、ほとんど時間をおかずにやってきた黒崎はオオカミじゃないと思ったんだよ」
「へぇ、黒崎さんはそんなにすぐ李さんのもとにたどり着いたんですか。この薄暗くて、迷路のようになっている地下通路の中を……」
自分の呟きを吟味しながら、指で唇をなぞる。
先程から話しに気を取られ、あまり前に進めていないことに気付いた李が、速見の肩をたたきそれとなく先を促す。医務室までの道のりは速見と如月しか知らないため、李一人では先に進みたくとも進めないのだ。
肩を叩かれた速見は、歩く速度を少し上げつつ、再び李に質問する。
「確かに、李さんの考えも一理ありますし、その意味では黒崎さんはオオカミではないように思えますね。ただ、彼女がこの場から去ってしまったことから、結局は李さんの考えていた通りの行動に移り始めたとも考えられるわけですね」
「ああ。黒崎がもしずっと俺のそばから離れなければ、オオカミでないのはほぼ確定だと考えていたんだが……今となってはその逆だな。元から俺を追いかけて話を聞き出し、その後何かをきっかけに別行動をとってモニター室に行くつもりだったと考えれば、十分にオオカミである可能性もある」
「結局誰がオオカミか――いえ、誰がオオカミじゃないかも全く分かってないわけね」
二人の話を黙って聞いていた如月が、疲れた声を出す。
すでに最低でも五人の犠牲者が出ているというのに、オオカミ使いを捕まえる方法はおろか、オオカミが誰かさえもさっぱり分かっていない。この状況に対し、精神的に大きな疲労を伴うのは当たり前のことだろう。
李もまた、額を指で押さえながら憂鬱そうに愚痴を漏らした。
「そもそもこのゲームでオオカミを探すなんて不可能に近い。もしオオカミに何らかの制限――例えば、一日に一人誰かを殺さなければならない。一時間に一回オオカミ使いと連絡を取る必要がある――などがあれば探しようはいくらでもあるが、このゲームにはそんなルールは存在しない。加えて、参加者の大半はこの無月館に来たことのあるメンバーだから、オオカミしか持っていない情報を餌にした罠も使えないようになっている。ゲームの性質上オオカミ使いの行動も臨機応変となるから、オオカミと何らかの打ち合わせをしている様子もない。完全に八方塞がりだ」
オオカミを特定することの困難さを、改めて李の口から告げられる。
だが、それすらも今彼らが直面している問題の一部にしか過ぎない。
藤里のように裏切りをするかもしれない人物への警戒。
オオカミ使いの捕縛方法。
再開後にどうやって羊同士で連携を取るか。
お互いを信頼しあうための手段。
犠牲者の確認。
などなど、細かいことを突き詰めればいくらでもある。
そして、この中でも特に厄介なのは、やはりオオカミが誰か分からない――つまり、今隣にいる人物を本当に信頼していいのかという不安である。
不安が募るということは、お互いをより深く疑惑の目で見始めるということ。その先にあるのは、集団から離れての単独行動。そして、自己防衛のための……。
頭の中に渦巻く様々な思考を外に漏らさないようにするため、誰一人口を開かずにしばらくの間歩くことだけに専念する。
そんな中、ふと李は先頭を歩く速見から少しだけ距離を取ると、如月の横に並んだ。
「答えろ。お前は誰がオオカミだと思う」
前にいる速見に聞こえないようにするためか、ひどく小さな声で聞いてくる。
速見に聞こえないような声量で李が聞いてきたことから、如月は一瞬怪訝な顔で李を見つめた。が、すぐにB班で行動する際最初に李が言っていたことを思い出し、小声で答えた。
「音田千夏さんね。彼女が最も怪しいわ」
「理由は?」
すぐさま李が囁き返す。
「星野さんが言っていた、彼女の態度が演技かもしれないこと。藤里さんと行動を共にする時間が長かったこと。彼女の破天荒さゆえに、単独で動いていても誰も気に留めなくなっていた状況。この三つが理由よ」
「そうか……」
眉間にしわを寄せ、睨み付けるような目のまま黙考する李。
如月はそんな彼をちらちらと横目で見ながら、それとなく聞いてみた。
「あなたはどうなの? やっぱり黒崎さんが怪しいと思ってるのかしら?」
「俺は女の中の誰かがオオカミだと思っている」
依然速見に聞こえないように小さな声で、しかしはっきりと、李が答える。
てっきり無視されるかもしれないと思っていた如月は、若干目を見開いて李を見つめた。
「藤里が白石を殺した。これが事実であるなら、当然藤里の白石に依存するかのような態度はほぼ演技だったことになる。はっきり言って俺は藤里のことを男依存女として見下していたが、あれらがすべて演技だったのだとしたら、見下されるべきは俺だったわけだな。藤里からしてみれば、自分の演技にまんまと引っ掛かっている俺たちの姿はさぞ間抜けに映っていたことだろう」
「……いまいち何が言いたいのか分からないけど、それで?」
「このことから、藤里は俺たちが考えているよりはるかに計算高く、実に用意周到だったと言える。その藤里が、オオカミ、またはオオカミ使いのバックもなしに殺人などと言う軽はずみな行動をとるとは思えない。つまり、あいつはオオカミ使いに唆されて殺人に及んだはずなんだ」
数歩前を行く速見に目をやりつつ、如月は記憶を掘り起こす。
「そういえば速見君も言ってたわね。このゲーム、羊側に殺し合いを行わせるにはいささか不自然なところが多いって。相当欲に目がくらんだ人物でもなければ、殺したりはしない――というより殺す必要が無いようにできていると」
李も視線を速見に移し、小さく頷いた。
「さて、その聡明な藤里に殺人を起こさせるような人物はいったいどんな奴か。もちろんその筆頭としてはオオカミ使いだが……おそらく違うはずだ。最初から羊に裏切り者を仕込んでおくことは、実質オオカミが二人いることと同義。オオカミ使い自身が口にしたルールから外れることになる。ちなみにこの館に来てから唆したというのも考えられないな。藤里が単独でいた時間など、たかが知れている。人を殺させるほどの密談をする時間はなかったはずだ」
オオカミ使いが唆したのではないと聞き、如月の肩から少し力が抜ける。
その些細な変化に気づくことなく、李は小声で話を続けた。
「となれば、考えられるのはオオカミの方だろう。それも、オオカミ使いには内緒で、この島に俺たちを運ぶ前に交渉していた可能性が高い。いくら藤里が演技派でも、この館に連れてこられてから自己紹介をするまでの間に、あんなキャラ設定を考えたりはしなかったはずだ――先にあの役を演じろとでも言われていない限りな」
「そこまでは私も同意見ね。でも、それでどうしてオオカミが女性だってことになるのかしら?」
「ああいったタイプの女が男の言葉を信じるとは思えないからだ」
「……は?」
如何せんかなり偏見を含んだ答えを受け、何か聞き間違えたのだろうかと如月は耳を疑った。だが、一向に李が訂正してくる気配はない。今の発言が本気なのか聞こうとした瞬間、前を歩いていた速見が急に立ち止まった。
「李さん、ここの階段を上った先が医務室のはずです。まだ扉が開いているかどうかは分かりませんが」
いつの間にやら、目的地の一歩手前までたどり着いていたようだ。
目の前には、この洞窟の岩を削って作られている、不均一な段差の階段が存在した。かなり長い階段のため、上るとなるとそれなりに大変そうである。
結局オオカミ使いや、リビングに出現したという黒子に会うこともなく、無事にここまでたどり着けたことにほっとし、如月は岩壁に軽く背中を預けた。
速見も無事にこの階段まで戻ってこれて安心したのか、腰に手を当てながら一息ついている。
と、そんな休憩モードに入った二人とは対照的に、李がさっきまでの疲れを一切忘れたかのように勢いよく階段を上り始めた。
慌てて李の後を追いかけ始める二人に対し、李が背を向けたまま言う。
「いい加減この洞窟にいるのも飽きた。休むのなら無月館に戻ってからにしろ」