地下迷宮
「少し深追いしすぎたか」
見渡すかぎり、ほとんどが暗闇に包まれた通路。通路とは言ったものの、そこはきれいに整備されたとは言えない、天然の洞穴のような空間だ。足元は凸凹としていて歩きづらいことこの上ないし、地下ゆえか館とは比べ物にならないほど涼しかった。岩の壁のところどころに蛍光灯が取り付けられ、その周りだけが薄ぼんやりと照らされている。
李は蛍光灯の下に移動すると、疲れたようにその場に座り込んだ。
「柄にもなく焦ったか……。礼人のやつがまた意味不明な行動をとるから」
「意味不明な行動とは……、オオカミであることを否定しなかったこと……ですか」
突然暗闇から声が響いてきた。
ぎょっとしてあたりを見回すと、ゆらゆらと陽炎のような動きと共に黒崎が姿を現した。
警戒心をあらわに、李はゆっくり立ち上がると黒崎を正面から見据えた。
「お前がどうしてここにいる。まさかオオカミ使いを追ってきた、などと言わないよな」
「言わない……。私がここにいるのは、天からのお告げが下ったから……」
宙を茫洋と見ながらゴスロリ少女は呟く。
心ここにあらずといった態度の黒崎に、李はなぜかむかむかとした気分に陥ってきた。
李自身は気づいていないようだが、黒崎の真っ黒な服と、何を考えているか分からない態度が橘を想起させてしまっているため、言いようもない不快感が生じているのだ。
李は苛ついた心を深呼吸して静めると、再びその場に座り込んだ。軽くため息をついた後、黒崎に語りかけているのか、独り言を言っているのかわからないぐらいの声量で呟き始める。
「俺としたことが、まんまとオオカミ使いの罠にはまったか。隠し扉が不自然なほど長く開いていたから、おそらく罠だろうとは思っていたが……。隠し通路に入り込みさえすれば十分に勝機はあると思ったんだがな。奴が館内だけじゃなく森の中から出てきたことからも、地下空間が館の下だけでなく島全体に広がっているほど巨大であることは、容易に想像できていたことだが……まさかこれほど入り組んでいるとは。アリの巣を探索しているようだ。俺の前を先行していた浜田も見失うし、もはや帰り道も分からない。仮に分かっていたとしてもここの隠し扉はどれも遠隔操作されていて手動では動かないだろうから、どちらにしろ館内に戻ることは無理だろうが。……黒崎、お前はこの無月島に最低でも一人、俺たちに知らされていない人物がいることに気づいていたか?」
不意に、李は顔を上げて黒崎を見る。見上げられた黒崎は、憑かれたような動作で顔を李に向ける。その視線はいまだ宙をさまよっていたが、質問には答えた。
「もう……あなたは答えを言っている……。ゾーンの中を調べても……、異界の門を開かせるようなスイッチは……存在していなかった。なのに……かの翁は一瞬も止まることなく異界の門を開け……そこに逃げ込んでいる。これは……私たちとは異なる精霊が……、不可視の力を使っているからに他ならない」
「……意味不明な単語が混じっていたが、およそ何を言っているのかは理解した。お前も俺と同じく、二十五人目――オオカミ使いを含めたら二十六人目の人間だな――が存在することには気づいていたということか。おそらくオオカミ使いの言い分としては、そいつはゲーム参加者ではなく、自身の武器の一つである。ゆえに紹介しなかった、ということになるんだろうな」
李はいったん口をつぐむと、しばらくの間何かを考えるように額を指でたたき始めた。
黒崎はそんな彼の隣を、何をするでもなくただ黙って立ち尽くしている。
地下通路内を冷たい風が吹き抜けていく。二人は寒さを感じていないのか、まったく気にした様子もなく動きを静止させている。
どれだけ時間が経っただろうか。座っている地面の冷たさに耐え兼ねたのか、李がゆっくりと立ち上がった。
「ここで無為に過ごしていても何も変わらないことは確かだ。オオカミ使いの狙いは、戦力を分散させ、各個撃破していくことだろう。おそらくこのまま全員を殺すつもりはないだろうが、半分くらいは……。どこからか知らないが風が吹いているようだから、外とつながっている場所があるはずだ。まずはそこを目指すぞ」
李は風の吹いている方へと、慎重に歩みを始める。
李が地下通路の探索を再開したため、蛍光灯の下には黒崎がただ一人、ぽつねんと取り残された。すでに自分一人しかいなくなった蛍光灯の下で、彼女は相変わらず宙を見つめたまま微動だにしない。まるでこの空間だけが、現実世界と隔絶され、時間という概念から取り残されたようだ。
彼女の世界は、五分後、自分の後ろにだれもいないことに気づいた李が引き返してくることで、再び現世との交錯を果たすこととなる。