顔合
甲板上での挨拶が終わった後、多田野は艦隊の艦長達を司令公室に招いた。
通常、現場に行く士官達は一度、海軍基地の副司令という形で着任し、約一年間、艦隊指揮について学んでから初めて現場入りする。それでも、多田野は軍令部で海の男たちは自分たち若い提督のいうことなど全く聞いていないという現場に行った士官の愚痴を嫌というほど聞いていた。多田野はいきなり現場に送り込まれた。もちろん、士官学校で艦隊指揮について学びはしたものの10年ほど前の座学中心の授業が役に立つとは思えなかった。
多田野も初めて入った公室には私室より重厚な大きめの書き物机と四人がけの応接セットが置いてあり、学校の校長室や中小企業の社長室といった重々しい感じがした。
似たような境遇で飛ばされてきた彰子も含め、多田野は他の艦長達と話してみる必要があるなと思い、会談をセッティングしてはみたものの何を話せば良いか多田野には皆目検討もつかなかった。
中佐が多田野の脇に座り、他の二人に椅子にかけるように促したので、しかたなく多田野は口を開いた。
「皆さん。改めまして、多田野幸隆です。どうかよろしくお願いします。」
多田野の挨拶に、まず眼鏡をかけた30代後半に見える痩せ型の気むずかしそうな男が立ち上がって敬礼をした。
「軽巡アヤセ艦長の二階堂永嗣大佐であります。」
続くように今度は50代後半だろうか中年のぽっちゃりめの男がゆったりと立ち上がって敬礼をする。
「駆逐艦ミズホ艦長、猿渡浩二大佐であります。」
最後に中佐が立ち上がり、3人を見回すように敬礼をして改めて自己紹介をした。
ちょうど良いタイミングで、井上が紅茶とクッキーを4人の目の前に置いた。
「私は軍令部で各艦隊への補給を担当していたいわゆる事務方の人間です。年も若いですし、皆さんとその乗組員の中には私の指示など従いたくもないという方がいてもおかしくありません。しかし、この人事は覆す事ができないでしょう。何か承服できかねる事があれば、兵から艦長まで話を聞くと…。」
多田野は迷った挙句、素直に自分の気持ちを話すことにしたのだが、驚いたのは、中佐以下の艦長達だった。
「それでは、軍の指揮系統は…。」
と、まず中佐が慌てた様子で言葉を挟んだ。
「確かに、他の艦隊では実戦経験がない若い提督の命令は聞かないとの話はよく聞きます。失礼ですが、提督は何を仰りたいのですか。我々が命令を無視すると。それに神城中佐の言うとおり、いちいち不満に取り合っていては…。」
二階堂も怪訝そうにそう言う。
多田野は慌てて弁明することになった。
「そういうわけではないんです。私より皆のほうが、艦隊運営に慣れているだろうし、幅広く意見をと。」
すると、ここまで黙っていた猿渡が声をあげて笑った。
「提督、我々は帝国海軍軍人です。艦の練度も申し分ありません。ご心配なさらずとも提督の命令は必ず遂行します。しかし、部下から些細な不満を聞き取ろうとする試みは面白いですね。ミズホでは私が取りまとめて、ご提出致します。」
猿渡が場をとりなすように、ちょうど飲み頃になった紅茶をすすり、茶菓子として出されていたクッキーに口を付けた。