講義
帝国初となる外地に設置された第二近衛艦隊司令部は、多田野の留守中に政治顧問団側から実務上の観点からもう待てないと脅された事務方が、曖昧な返事をしてしまったがために、すべてを後回しにして、日延べにはなっていた遣モロ島帝国政治顧問団、団長、長嶺保貴族院議員と新設近衛艦隊司令多田野との会談を急遽準備をすることになってしまっていた。
多田野の執務室には、エルナが講義をすると、張り切って乗り込んでいる。
第一、顔合わせ程度の会談に事前知識が必要かどうか疑問であったが、エルナの熱意は、多田野の口を封じ、講義が始まった。
「まずは、司令。こちらが長嶺議員の経歴をまとめたものになります。長嶺議員は、爵位は低いものの軍に明るく、陸海軍、両軍の大臣の顧問官を歴任。軍令部総長とも知り合いと言っていいでしょう。」
エルナの差し出したそれは、生年月日、経歴、褒章の授与歴からはじまり、姻戚関係にある重要人物、趣味、好物、隠し子の有無といったかなり細かな分厚い調査報告書であった。
「ありがとう。ここまでの情報は必要かな。」
「はい。司令は、今回の会談を実務レベルでの折衝の前の顔合わせと考えているかもしれませんが、一応、勅を受けた貴族が来ちゃいますから。相手は陛下の名代のつもりで来るかと。」
「そういうものなのか。」
エルナのツインテールが自信有りげに揺れる。
「貴族というのは、そういうものです。危ないところは私が助けますが、この情報は出来るだけ頭に入れちゃってください。」
多田野は、パラパラと読み始めたが、量が多く、とても一朝一夕に頭に入る内容ではなかった。
「橘中佐はこれを全て覚えたのか。」
多田野の質問にエルナは曖昧に笑った。
「まあ、覚えるというか。私の場合は知ってる方が多いので…。例えば、長嶺議員の奥様は、北園のお祖父様の盟友、日樫のおじさまの末のお嬢様の依里子様ですし。そんな感じで自然と頭に入ってますね。」
「そういうものなのか。」
「そういうものです。残念ながら。」
多田野は改めてエルナの恐ろしさを垣間見たが、エルナはそんな多田野の視線を気にすること無く、話を進めていく。
「さて、次に、夕方の晩餐会と舞踏会ですが。」
多田野は思わずエルナをまじまじと見つめた。
エルナも、信じられないという表情で多田野を見つめていた。
「我々の程度を測りに来るのです。ナメられたら、今後の交渉にも差し障ります。」
「そういうものなのか。」
「そういうものです。すでに晩餐の会場は士官用の食堂を。大会議室を即席のダンスホールにしました。それから会議に同席する方々にも踊りをバッチリと教え込んであります。本当なら、司令の練習にも付き合ってもらいたかったのですが、みなさん、他にお仕事があるとかで。踊りくらい踊れないと貴族と渡り合えないのですが…。」
今回は、参謀として彰子、猿渡、二階堂も同席させることにしたが、彼らがそそくさと多田野の部屋をあとにした理由がようやく、わかった。踊りは士官学校時代、礼法の時間に少し触れたまだ得意とも苦手ともわからないその程度だった。いつの間にか、部屋の隅に置かれたレコードから、いかにも良い感じのワルツが、始まっていた。
エルナの瞳がキラリと光り、多田野を椅子から立たせた。
「さあ、踊りましょ。司令。」




