夢中
軍艦の中というのは総じて、どこも同じような通路や扉が続いているものである。
多田野は逃げているうちに完全に自分がどこにいるのかわからなくなり、いつの間にか作戦参謀達ともはぐれていた。それでも後から聞こえてくる敵兵の怒号と足音に物事を考える余裕すら与えられないまま、焦りと疾走で早鐘のように打たれる心臓と、もつれる足を懸命に動かして、ただやみくもに多田野は通路を走っていく。
目の前が行き止まりになる。
艦の中を端から端まで走り切り、多田野にもう逃げ場はなかった。
敵兵らしき声と足音はいまだこちらに迫ってくる。
多田野は覚悟を決めて振り返った。
伊戸が立っていた。
この場に全く似つかわない濃紺の礼服に胸にはきらびやかな勲章をたくさんつけ、少し緊張した面持ちでぎこちなく微笑み、多田野に軽く手を挙げている。
なぜか、場面がふいに懐かしい士官学校の校長室に移る。
校長室の応接セットに腰掛けた伊戸がおもむろに口を開く。
「本当に軍人になるのか。幸隆。軍は辛いぞ。」
10年前と全く同じ言葉だった。
「貴方のようにはならない。死んだ母さんのためにも。」
多田野もあの時と同じ言葉が口から出る。
「そうか、楽しみにしてるぞ。」
伊戸が少し微笑みながら席を立った。
すべてが10年前のままだった。
それでも、多田野は父親の笑みにハッと気がついた。
10年前の多田野にとって楽しみにしているという言葉はバカにされたようで、悔しいものだった。
何より、何故、笑えるのか不思議に思った。
しかし、10年経った今、父親の笑顔が多田野の心にズンと響く。
「ずっと、見守っていたんだよな。親父。」
多田野の口から思わず、そんな言葉が出た。
初めて伊戸を親父と呼んだ。
聞こえていないのか伊戸は振り向くこともなく、スタスタと歩き、10年前と同じように扉の前で立ち止まった。
「あらゆる決断に犠牲はつきものだ。犠牲に報いることの出来る人になれ。それは必ず、お前の出来る事の中にある。」




