乗船
多田野は降伏を勧める使者がどれほど弁の立つ手練の士官でも一蹴してやらないといけないなと思っていたし、後ろについて来ている作戦参謀も私がガツンと言ってやりますと鼻息が荒かった。
しかし、アサマに乗り込んだ若い黒人の使者はまだ少尉であり、訛りの強いアメリア語で電文とは逆に実はこちらが降伏したいのだと言い出し、申し訳ないが当艦までおいで願いたいと走り書きされた紙片を多田野に差し出した。
なぜ、嘘の電文を送ったのかも含め、作戦参謀が使者にアメリア語でいろいろ聞いたが、何を聞かれても使者は司令が話をしたいと言っているとしか言わなかった。詳細は謎のままだったが、敵方がこちらに投降したいということは間違いないようだった。
作戦参謀は古くから海洋貿易で栄えた扶桑帝国と違い、アメリアにとって黒人は『植民地の民』であり、居住や職業も制限されるなど差別的扱いを受けているから、何も知らされていないのだろうと多田野に小声で言った。
心配した大佐が伝声管で話しかけてくる。多田野は手短に使者について話した。
「全く、逆だったというわけですか。しかし、まだ、罠の可能性があります。このような降伏の軍使ならわざわざ提督自らが赴かなくてもよいと思いますが。」
伝声管から聞こえる大佐の声は皆に聞かれないようにと少しくぐもっていた。
隣で半ば無理やり伝声管に耳を押し付けた作戦参謀の髪の毛が多田野の鼻をくすぐり、汗の匂いがする。
「罠だとしても停戦合意は大将同士で行われるのが、古来よりの慣例です。作戦参謀としてはここは提督に行っていただくのがよいかと具申します。」
作戦参謀の性格からして、怖いし止めませんかくらいいうのではないかと思っていた多田野は先程からの妙に丁寧でやる気のある言動に戸惑った。
「わかりました。機密文書の処置には副長を当てます。井上伍長を連れて行ってください。いくら人手不足とは言え、提督たるものが従卒も連れずに行ったとなれば相手にも失礼になりますから。それと陸戦隊を5名ほど付けます。」
そうして、初めて従卒らしい仕事が出来ると喜ぶ井上に通訳としてやたら張り切る作戦参謀、小銃で武装した陸戦隊5名とともに多田野は内火艇に乗り込んだ。
多田野は軍使について来た艇長がこちらの言葉を十分に解せないのを確かめると、内火艇の前方で風を浴びながら、多田野は作戦参謀に話しかけた。
こうして、風を浴びると南方の暑さもそれほど苦にはならなかった。
「中佐はこういう仕事嫌がるんじゃないかと思っていた。」
金色の髪を豪快に風になびかせながら、作戦参謀は逆ですと笑った。
「私、嬉しくて。作戦参謀として着任したのに、初めての実戦では頭打って運ばれちゃうし。提督と艦長が凄すぎて、活躍の場はないし。軍使なんていかにも参謀らしいじゃないですか。」
やはり、作戦参謀は作戦参謀だとおかしくなって多田野は笑った。
作戦参謀が北園侯爵と懇意であるからこそ、多田野に直接的な攻撃が来ない上に物資などの割り当ても得られているのだが、多田野は敢えてその事は言わなかった。
「でも、君にしかできない仕事をみつけたじゃないか。海戦中に情報を分析したり、海図に敵、味方の駒を置いてくれるのは助かる。」
大佐といい、自分の部下は少し働きすぎる嫌いがあると多田野は思う。しかし、多田野はそれが自分のせいである事には気がついていなかった。
「いえ、提督はどちらかと言うとあまり攻撃が得意じゃないと艦長が言っていたのをヒントに攻撃判断の材料になればいいと思いまして。提督が何でもこなせすぎるので苦労しています。」
何気ないようにそうかと答えたが、多田野はさすが大佐だと笑いたくなるのをこらえた。
多田野には士官学校時代の配属先を決める最終試験で、教官から『作戦は守勢が中心で攻撃は出来ればいい位にしか考えない。よって、参謀等の艦隊勤務には不適格。主計局等、後方支援業務に回されたし。』という評価をもらい、同期の多くが配属される花の艦隊勤務やエリート用の軍令部第1課ではなく、裏方である主計局の補給課に回されるという過去がある。出世レースに疎かった多田野ですら、当時、教官の評価にはなかなか納得できなかった。
「しかしなぁ。」
実戦で指揮を取ってみると、初戦といい、先の艦隊戦といい守勢ばかりであの教官もなかなかに優秀だったんじゃないかと多田野は内火艇の船首が作る波にそっと苦笑した。
いつの間にか作戦参謀は隣から消えていて、伍長が多田野の背を気づかないほど弱くツンツンと突っついていた。
多田野は自分の周りにもう一人仕事熱心な人間がいることをすっかり忘れていた。
「提督。モハメットが見えてきました。後ろに下がって威厳ある態度をお取りください。」




