上陸
扶桑帝国の北にある那岐島は海軍基地だけの島といっても良い小さな島だった。
沿岸には砲台が作られ、港には軍艦が停泊し、軍事基地らしい飾り気のないコンクリートの四角い建物が無遠慮に立っている。
北の方にあるからか、春でも少し肌寒いなと多田野は慌ててカバンから外套を引っ張り出してから降りた。
どうやら、この基地で降りたのは多田野だけのようだった。
桟橋のところには中佐の階級章をした髪の長い女性士官が綺麗な敬礼をして待っていた。肩までで切り揃えられた髪、繊細そうな細面の顔立ち、適度に締まった細い手足、もしかしたら広報撮影用のモデルかとも思ったが、少し擦れた階級章と軍人特有のどこか鋭い目つきが彼女が生粋の海軍軍人である事を多田野に告げていた。
年はそれほど変わらないように見えた。練度維持のために志願制を導入している帝国軍は10年程前に人材不足を理由に女性の登用を開始して今や軍の4割程は女性であったが、多田野もこれほど若い女性の中佐は見たことがない。
「第12艦隊で旗艦艦長を務めさせていただきます。神城彰子中佐であります。第2艦隊旗艦ビンゴの副長を務めておりました。」
若さに似合わぬ旗艦副長という役職とその名前を聞いて、多田野は軍令部の元第1課課長を思い出した。
「中佐は神城少将の…。」
多田野の問にその中佐はこの人事の意味を解っているらしく小さく頷いた。
「大佐の2期後輩にあたります。一後輩として、一部下としてよろしくお願い致します。」
深入りは無用だった。
多田野も小さくそうかとだけ言って話題を変える。
「那岐島の司令に着任の挨拶はもう?」
「いえ。まだです。大佐が一つ後の便でいらっしゃると聞きまして、お待ち申し上げておりました。」
お待ち申し上げていたと言われると、多田野は少し気恥ずかしくなった。
「お出迎えありがとう。軍令部の補給担当から来た事務方で果たして現場が務まるのか…。」
と笑う多田野に彰子は慌てたように首を振った。
「いえ、そのような…。士官学校での机上演習の成績はとても良かったようですし。」
多田野は今度は本当に笑うことになった。
多田野の士官学校での成績は極平凡だった。むしろ、父親への反発もあり、賽の目賭博にはまるなど、素行はあまり良くなった。しかし、おかげで賽を使う机上演習では負け無しで、全弾命中はお手の物だった。無論、そんな結果を教官達が認めるわけもなく、表彰もなく闇に葬られている。
「机上演習の話、神城少将まで伝わってるのか。」
いえと彰子は笑う。
「先輩の噂は、寮内に広まっていましたから。」
参ったなと笑いながら、軍令部では一番年若の士官で周りに近い年齢の者がいなかったせいか、多田野は先輩という呼び名が懐かしかった。