隠伏
陸軍のユ102輸送船団と合流した第12独立艦隊は順調に進んでいた。
多田野は朝から書類を1つ2つ片付けて、艦橋に上がった。
そろそろ、艦橋から見る景色にも慣れてきていた。
「司令が指揮を執られる。」
彰子の言葉を背に多田野は指揮官席についた。
いつものように右隣に彰子が立ち、エルナが競うように左に立った。
「司令。作戦案通り、中心にユ102輸送船団を置いて、前方にアヤセ。左右にミナセ、ハヤサメ。後方がヨーテイという輪形陣を組んで行きます。」
多田野は頷いた。エルナは誇らしげに彰子を見る。
多田野には彰子とエルナは事ある毎に何かと張り合ってるように見えた。
傍から見れば、彰子が自分と同じ階級の者がエルナとして艦隊に着くことを面白く思っていない取られがちだが、軍人として許せないのだと多田野は思っている。
彰子が少しむっとした表情でエルナを見る。
「今度から、作戦参謀さんにはもう少し早く作戦を明らかにしていただきたいものです。」
「休息と上陸は認められた正当な権利です。」
エルナも全く悪びれずに返す。
そんな様子を見て、日野が朗らかに笑った。
「多田野司令。艦長にエルナさんと両手に花ですな。羨ましいかぎり。当艦隊も美女揃いになりましたからね。新しい駆逐艦艦長殿もこれがまた。」
多分、日野なりのフォローなのだろう。
エルナも持ち前の性格で、いつの間にか皆にエルナさんと呼ばれるまで、打ち解けていた。
金沢が少し食いつき気味にそうなんですかと聞いた。
日野はうっとりと思い出すような目をして、頷く。
「切れ長の目に桃色の唇。スタイルも良くって『ごきげんよう』って言われたら…。」
多田野の耳にはいけ好かない女という彰子の微かな声が聞こえた。
「男の方は、やっぱり、ああいうのが、いいんですか。」
エルナが興味深そうに日野達に聞いた。
「3歩下がって男性の後をついてくるような女性の事を『扶桑撫子』というんですが、男性からみた女性の理想像として人気はありますね。」
彰子が日野の代わりに答えた。すっかり、両脇のギスギスした雰囲気が無くなったことに多田野は目で日野に感謝した。
気を良くした日野はさらに上機嫌で話を続ける。
「おじさんは、エルナさんのような明るくて可愛らしい方も好きです。」
「副長。副長は奥さんがいらっしゃるじゃないですか。私、金沢大知砲雷長は独身であります。今日、チャーラに着いたら、食事でもいかがですか。」
突然、楢橋の咳払いが響いた。
「お二人とも。それ以上の発言はセクハラで軍法ものですよ。」
「おいおい。セクハラって。大丈夫。楢橋君もちゃんと入ってるからさ。」
南郷も面白そうに話に参加してきた。日野が笑い、多田野は楢橋を改めて見た。通信機に向いていることが多いので顔を見るのは久しぶりだった。
快活な感じのショートカットでありながら、メガネを掛け、どこか少し幼く見える。
多田野は士官学校の頃の学級委員を思い出していた。
「そういうわけではなくですね…。」
楢橋は困惑したが、日野と金沢の2人によって話はますます広がっていった。
「メガネを取れば、結構かわいいと思うだけど…。」
「いや、副長。メガネ女子も人気ありますよ。」
「司令も何とか仰ってください。」
楢橋は仕方なく多田野に助けを求めた。しかしそれは、あまりも不意過ぎた。
「ああ、楢橋さんも美人だと思うけれど。」
日野が大げさに額を手でたたき、エルナが声をあげて笑った。
「司令はどんな方が好みですか。」
不意をついたエルナの質問に艦橋全体の視線が多田野に向く。
しかし、敵は多田野の返答を待ってはくれなかった。
「すみませんが、そろそろ敵さんの出現海域です。」
南郷が少し残念そうにそう言う。
「ここから、我が軍の制海権も微妙な海域に入ります。」
彰子が浮ついた気分を一掃するように多田野にそう言った。
「対艦、対潜戦闘用意。」
多田野の言葉に艦橋が一気に静まる。
先頭をいくアヤセがジグザク航行を始め、全艦が対潜行動を開始する。
彰子がすかさず追加の偵察機に発進の命を出した。
「観測手。敵潜の潜望鏡を見逃すな。」
多田野は艦橋の両端で必死になって双眼鏡を使っている二人を見た。
波と太陽でキラキラと光る海面から、ゴマ粒大の潜望鏡を見つけるのはかなり酷な作業だろう。
しばらく、なんとも言えない緊張が続き、楢橋が声を上げる。
「左翼ハヤサメより通信。『敵潜ヲ発見。方位020距離9000。』とのこと。」
「まだ少し遠いか。でも、見つけられてラッキーです。ハヤサメを敵潜水艦のところに向かわせます。」
エルナが楽しそうにそう言った。
「そっ、ソナーに感あり。右舷後方。距離6000。」
突然、聴音手の慌てた声が艦橋に響く。
「何やってたの。」
「もっ、申し訳、あ、ありませんっ。無音潜航していたと思われます。」
平身低頭する聴音手に急いで右翼のミズホを呼んでも、間に合わないだろうなと多田野は思った。
遠すぎる潜水艦の発見は本命を隠すための芝居だった。
「後、30分もしないでチャーラに着くんだがな。ここまで、制海権が微妙だとは。」
南郷が誰にいうのでもなく一人毒つく。
「敵潜、魚雷管注水音確認。数4。」
聴音手は悲壮な声で敵の攻撃準備完了を告げた。
「この位置では、鈍重な輸送艦は間に合いません。」
彰子の予想通り、見張り員が残酷な結果を告げる。
「輸送艦ジンツウマルに直撃コース。雷数2。」
狙われたジンツウマルが、500人の陸軍の兵と弾薬と軍馬を満載したまま、船体が軋むほどの急旋回で回避を試みるが、輸送艦の回避能力を越え、魚雷が襲い掛かっていく。
多田野は魚雷の本数をもう一度確認した。
「本艦を盾にする。」
多田野は迷いなく、そう言っ切った。
「正気ですか。」
そう言った彰子は多田野の目を見て黙った。
さらに、日野が彰子と多田野を交互に見てから、本艦を輸送艦との間に割り込ませると命令した。
「敵潜。魚雷発射。」
エルナはもはや目を見開いて何も言えなくなっていた。
「榴弾。時限信管を最短にセット。本艦の左舷、距離2000に集中砲火。」
了解と金沢が短く言い、迫り来る魚雷を途中で爆破させようと海面に砲撃を開始する。
「アヤセに打電『艦隊の指揮を任す。輸送艦を連れてチャーラ島に迎え。』ハヤサメを合流させろ。」
裏返りそうな声で了解と言った楢橋は何かにすがるように打電を開始した。
「ダメです。雷跡視認。1発は完全に当たりそうです。」
砲撃音の中、観測手の悲鳴にも似た声が上がる。2発は弾幕を突破したらしい。
「何でもいい。今、砲塔にあるだけ海面に弾を撃ちこめ。」
金沢は必死に部下を怒鳴りつけ、主砲、副砲、高射砲があらん限りの弾を海面に叩き込んでいく。
「総員、衝撃に備えよ。」
彰子が伝声管に大声でそう叫んだ。




