左遷
穏やかな春の海を海軍の輸送船が白波を立てて走っている。
近隣の漁船の漁師達が誇らしげに微笑みながら、輸送船に慣れない敬礼を向け、甲板の乗組員達も同じく微笑みながら返礼していく。
平和な内海の風景である。
島国の扶桑帝国において海軍はこの国の誇りであり花形だった。
しかし、漁師達は自分たちが憧れの視線を送るそんな海軍に醜い政争があり、それが元の命令で、暗澹たる気持ちになっている男が自分たちが敬礼しているまさにその船に乗っているなどということを知りもしない。
命令書の内容自体は『扶桑帝国海軍軍令部多田野幸隆少佐。本日付をもって大佐に任じ、那岐島第12独立艦隊司令を命ず。』という艦隊勤務というだけで事務方の士官にとっては喜ぶべき内容であり、まして、独立艦隊は将来を嘱望される若手の育成を目標に創設された皇族直属のエリート艦隊であった。
なぜ、多田野がこの配属に抵抗を感じているかといえば、それは、多田野の出自と関連していた。
二週間前、軍令部長官伊戸英雄が加齢による体調不良を理由に役職を退き、予備役に入った。花形の海軍とはいえ、地味な事務方のトップ人事などは国民の関心も薄いので、新聞の政治欄の片隅に乗るだけだったが、実際には、現在、緊張状態にある隣国の大国との開戦に反対した伊戸が主戦派による秘密裏のクーデターを受け失脚したものだった。そして、多田野は伊戸と前妻との間に生まれた子供なのである。多田野が海軍入隊後も母方の多田野姓を通していたので、広く海軍内には知れ渡ることはなかったものの、上の方は多田野と伊戸の関係を知っており、伊戸自身も海軍の人事という形で多田野に目をかけていた。
つまり、今回の人事は昇進にかこつけた厄介払いなのである。
それにしても、事務方一筋の自分にいきなりの独立艦隊司令は重すぎると多田野は幾度目かの深いため息をついた。
輸送船の乗組員が対照的に明るくハキハキとした声で那岐島到着を告げた。