苦いコーヒー
彼の行きたい所。
それは一軒のカフェだった。
申し訳ないが、今時のカフェとは言えない、
何とも味のある。と言うべきか……。
「ここ。 オレの好きな店なんだ。 美味しいコーヒーが飲めるよ」
そう言うと、店のドアを開いた。
カランカラン。
スズの音が響く。
私は一歩、中に入り驚いた。
店内に漂うコーヒーの匂い。
カフェなら当たり前なのかも知れないけれ
ど、ここは何か違う様な。
独特のコーヒーの匂いなのか。
香しく、甘い匂いに包まれていた。
「久しぶりです」
私の肩を抱き、カウンター内に立つマスターらしき人に挨拶した。
「夕馬、 久しぶりだな。 お? 彼女かい?」
「そう。 風生って言うんだ」
カウンター席に座りながら、私を紹介した。
「初めまして。 この店のマスターです。
夕馬には勿体無い娘だな」
口ひげをたずさえた初老のマスターが、にこやかに挨拶した。
木造りの店内は、いかにもコーヒー屋で
す。と言う感じで、年季の入った食器棚に
は、沢山のコーヒーカップが並べられており、 その下には、コーヒー豆が入った瓶が、
沢山置いてある。
木の温もりと、コーヒーの香り。
私はこの店が好きになった。
「いつもので?」
マスターが夕馬に尋ねた。
「うん。 オレはね。 えーと、風生は、ちょっとブレンド変えてよ。 飲みやすいのがいいと思うから」
「ほー。 随分と優しいな」
微笑ましいやり取りが、心地いい。
マスターが、コーヒー豆を幾つか選び、
ミルで挽いた。
手動のミルから、豆の挽く音と、香りが
漂う。
「この店はね。 こだわり抜いた物しか出さないんだ。 豆の種類やブレンドも、 お客の
要望に忠実に応えてくれる。 豆の挽き具合で味が違うし、淹れ方一つでも違ってくるん
だ」
夕馬は、さも自分の店の様に語る。
「好きなのね。 コーヒーの全て」
「うん。 凄くね……」
嬉しそうにコーヒーの話をする夕馬。
会社とは別人だ。
「お待たせしました」
カウンターにカップが置かれた。
カップから漂うコーヒーの香り。
「ラテ、 ブレンドを少し変えたよ」
夕馬のコーヒーと、私のコーヒー。
香りが少し違った。
「いただきます」
カップを手に取り、一口飲んだ。
少し甘いコーヒーの味と香りが、口いっぱいに広がった。
「凄く美味しい……」
私の言葉に、満足そうに微笑む夕馬。
「でしょ? いつかオレもマスターみたいな
コーヒー淹れたいんだ」
「そう……」
一瞬、胸が痛くなった。
夢、叶えたいんだ……。
会社、辞めるのかな。
何だか一気に暗くなってしまった。
こんな想い、初めて……。
「どしたの? 大丈夫?」
夕馬が私の顔を覗きこんだ。
「あ、 うん。 ごめん、 大丈夫」
慌てて笑顔を作った。
何だろう。 夢叶えたいのはいい事じゃない……。
だとしたら、仕事は?
あれ? 私、夕馬の応援してなかったっけ?
胸の奥がざわつく。
頭の中で整理がつかない。
カフェを出ても、浮かない顔をしていたのだろう。
夕馬が心配そうにしていた。
絡めた手。
私はギュッと握った。
美味しいコーヒーを飲んだはずなのに。
私の心、早く落ち着け。