はじまりは突然
「泣くもんか……」
ぎゅっと唇を噛み締めた。
「好きな子できたから」
付き合っていた彼に振られた。
同じ会社、同じ部署、ほぼ同期の奴と、
何と無く気が合ったので、何と無くご飯に
行ったり、飲みに行ったり。
何と無く気が合った。
それだけで、それ以上の関係になった。
丁度良かった。何と無く寂しかったから。
人の温もりが欲しかっただけ……。
「水瀬さん? 今度ご飯行かない?」
二十代半ば、お互い子供ではない。
それが単なる食事の誘いとは、思わないでしょ……。
「いいわよ、 高野君。 美味しいお店、知ってるの?」
気軽に返事をした。
気が合う同僚。
そこそこにモテる彼。狙う娘は多々いる。
他にも色々声かけてるな……。
「じゃあさ! 金曜! 金曜行こっ」
「今度、 じゃなかった?」
「金曜は今度だよ」
彼の誘い、断る理由はない。
週末、金曜。
仕事をバタバタ片付け、定時上がりを少し
過ぎたが、私達は食事に出掛けた。
会社を出て繁華街へ。
二人並んで歩く。
何か、恥ずかしい……?
男日照りだった私。
久々に男の人の隣を歩くのが、ぎこちない。
「水瀬さんは、 何が好き?」
突然尋ねられ、ビクッとなってしまった。
「え? あ、 食べ物?」
多分動揺してる……私。
「なんか緊張してない? 大丈夫?」
私の顔を覗き込み、高野君が笑う。
咄嗟にうつむく。
「別に……。 緊張してない!」
何ムキになってるのよ。
少しドキンとした。
「オレのお勧めの店、 そこでいい?」
私の肩に手をかけ、歩き始めた。
何か、熱い……。
春風が熱を冷ますが、やっぱり火照る。
暫く歩き、一軒の居酒屋に着いた。
「さあ、どうぞ」
居酒屋の扉をガラッと開け、私を誘う。
……。
意外な気がした。
もっと違うイメージを抱いていたから、
居酒屋に来るとは……。
店に入り、テーブル席へ通された。
メニューを私に見せ 「何飲む?」
尋ねられ、私はメニューを見た。
「意外……? とか思った? オレ、お洒落な
店とかあんまり慣れなくて。 イヤだった?」
私の顔をじっと見る。
息がかかりそうな距離。
「別に。 私も好きよ」
慌ててメニューに視線を落とす。
ヤバイ……。
呑み込まれそうな雰囲気。
取り敢えず、ビールと少しのつまみを注文した。
何を話そうか。
話題を探すが出てこない……。
ビールが二つ運ばれ、乾杯。
「あーっ! 今日も疲れたぁ。 ビールが
美味い! 」
ぐっと一気に飲み干し、高野君はつまみを
口に運んだ。
私もビールをのみ、つまみを食べる。
「あ、 これ美味しい……」
魚の煮付けなのだが、味が染みていて、
美味しかった。
「でしょ? だから好きなんだ。 この店」
何か、本当に意外。
会社ではスマートに仕事をこなし、人気もある彼。
居酒屋でなく、お洒落な店が似合う。
何か親しみ、感じるな。
「ビール、 お代わりする?」
「あ、 うん!」
ほろ酔い気分の私。
いつの間にかビールお代わり三杯……。
会社での他愛もない話も、楽しい。
不思議と素直な私になれる。
お酒もつまみも無くなった頃……。
「出ようか」
スッと伝票を持ち、彼が席を立ちレジへと
向かう。
「あ! 割り勘!」
私の声を無視して、お会計を済ませた。
外に出て、お金を支払おうとしたが
「誘ったのはオレ! だからおごりね」
ニコッと笑い、私の頭にポンと手を乗せた。
「じゃあ、 今日は素直にご馳走様」
彼の手をそっと握り、ふりほどく。
「……ここで帰すのも、なんだよね」
ほどいたはずの彼の手は、私の手を握った
ままに……。
心臓の鼓動が早くなる。
どうしよう……。
少なからず、この先を期待している?
彼の顔を直視できない。
握られたままの私の手、熱を帯びる。
しばしの沈黙……。
「帰したく、ないんだけど」
私の手を強く握る。
「うん……」
そう言うのが精一杯。
「うち、来る……?」
コツンと私の頭に自分の頭を軽くぶつけ、
少しだけ照れた様に小さな声で言った。
「……え?」
恥ずかしい気持ちと期待していた気持ちが
私の中で交差する。
帰りたくない……?
頭がグルグルするのは、酔ってるから?
身体が熱いのも、お酒のせい?
多分、違う……。
「じゃあ、 行こうか……」
手を繋いだまま歩き出した。
今更帰る?
帰れない……。
月明かりの下、繁華街を抜け、静かな住宅街へと歩く。
「基本、オレ電車とか苦手でさ。 会社の
近くに部屋借りたんだ。 遅刻しないし便利
だよ。 水瀬さんは、電車?」
照れ隠しなのか、在り来たりの会話をする。
「私は電車通勤。 会社の近くって、家賃高いし」
「そっか……」
今まで何も知らなかった、彼の事。
少しずつ知りたいと思った。
暫く歩き、レンガ造りのマンションを指差し
「ここ、オレのうち」
そう言うと中へ入った。
手を繋がれたままの私も中へ。
八階建てのレンガ造りのマンション。
今時っぽい造り。
エントランスでポストの中を確認した後、
スーツのポケットから鍵を出し、オートロックを解除。
自動ドアが開き中へ入る。
エレベーターに乗り、彼の部屋へ。
部屋の鍵を開け、ドアをひらく。
この部屋の中へ入ったら、今更だけど本当に
後戻りできない。
ぼんやりと、私は何かを覚悟した……。
部屋の中は意外に綺麗だった。
想像していた男の人の部屋とは違う。
「適当に座って」
そう言われ、私は部屋のやや隅に置かれて
いるソファに座った。
目の前には少し大きめのテレビがあり、左右にはステレオが置かれていた。
本棚があり、整然と本が並べられている。
「コーヒーでいい?」
キッチンから声がした。
「あ、 うん」
暫くして彼がコーヒーを運んできた。
テーブルにコーヒーを置きながら、私の
隣にさり気なく座る。
「いただきます」
私はコーヒーを一口飲んだ。
「あ、 何か美味しい……」
彼の淹れたコーヒーは、本当に美味しく、
本格的な味がした。
「良かった。 オレさ、 コーヒーにはちょっとこだわりがあるんだ。
夢なんだけど、 いつかコーヒーの店出せたらって……」
本当に意外……。
そんな夢、あったんだ。
「夢、 叶えられるんじゃない?」
そのくらい、彼の淹れたコーヒーは美味しい。
「中々難しいよ。 色々大変だし。 海外で
勉強とかしないと……」
少しだけ、さみし気に話す彼。
「そんな事、 ないと思うけどなぁ」
コーヒーを口に運びながら私が言うと、
私の手からコーヒーをそっと取り、テーブルの上へ置いた。
「今は、 違う話したいんだけど……」
ドクン。
私の心臓がまた鼓動する。
「本気なんだけどな、 水瀬さんの事」
全身が一気に熱くなる。
どうしていいか、分からない……。
いや、分かってた。
でも……。
女は度胸。
私は再び覚悟した……。




