五 〜ファインダー越しに見えるもの〜
「あんなに大きく出るなんてな」
茜を残して出てきた匠は廊下を歩きながら、今朝見た写真を思い出した。さっき茜に言ったとおり、何も悪いことはしていないのだが、後味の悪いものになった。風景写真以外には、あまり興味がない匠にとって、昨日撮影したあの写真は何でもない只の記録写真だった。
それがクラスでも目立っている茜に、あんな風に詰め寄られるなんて思いもしなかった。
どうやら妹は、この恋愛を快く思っていないことが窺い知れた。
「悪いことしたかな。あとで二人に謝りに行くか」
茜に謝る筋合いはないが、当事者の二人には謝った方がいいかなと考えていた。
匠が四時間目の体育を終えて教室に戻ってくると、葵はすでにどこかに出てしまった後だった。
「水瀬、姉さんは」
さっきのやり取りがあったから、ぶっきらぼうに尋ねた。
「葵?彼氏とお弁当だよ」
「そうか。どこに行ったかは……分からないんだな」
茜の表情が一変したので急いで教室を出ると、当てもなく探し始めた。本当は購買にパンを買いに行きたかったのだが、早くこの件を片づけておきたかった。
「いったい、どこに行ったんだよ」
けっこう歩いたが見つからない。窓の外を見ると、匠の心のモヤモヤとは正反対の快晴だった。こんな日は、屋上でパンを食べたかったと悔やんだ。
「そうか、屋上か」
屋上へ続く重いドアを開けると、陽の光が射し込んできた。
目をパチパチさせて慣れさせると、周りを見渡して二人を探した。すると、ベンチの一角に座って食べているのを見つけた。
「健吾。ちょっと、いいか」
「どうしたんだ、匠」
下の名前で呼び合う二人は、実は面識があった。匠は昨年の冬からたまに、アルバイトでプロのカメラマンの手伝いをしている。手伝いといっても撮影をさせてもらえるわけではなく、雑用ばかりなのだが、現場にいるというだけでも勉強になることは山ほどある。
その現場に先月、健吾が仕事で撮影に来たのが切っ掛けで話すようになった。
「あの噂になっている校内新聞の写真な、俺が撮影したのを新聞部に提供したんだ」
「あっ、そうだったのか」
「迷惑掛けてすまない」
「迷惑って?」
健吾と葵は顔を見合わせて、まばたきした。
「水瀬、何か迷惑だったか?」
「ううん。遊馬君は?」
「何にも。むしろ公認の仲になって良かったよ。俺のファンは、ちょっと嫉妬しただろうけど」
いるかも分からないファンのことを気に掛けて笑う健吾と、つられて微笑んでいる葵を見ると、どうやら怒ってはいないらしい。
「じゃあ、大丈夫なんだな」
「大丈夫も何も、感謝してるくらいだよ」
健吾のことを密かに慕っていた女生徒は事実いた。しかし、昨日の救出劇は一種の美談としての要素が含まれていた。校内新聞の記事の中でも、これによって恋愛が始まるかも知れないという内容だったため、反対や嫉妬を抑制する効果を生んでいたのだ。
「そうか。良かった。邪魔したな」
弁当の途中だったことを思い出して、匠は急いでその場を離れた。
健吾と葵のことは所詮、他人の恋愛ごと。匠は普段の生活に戻った。
あの写真が掲載されてから二ヶ月以上が経ち、もうすぐ夏休みになろうとしていた。
学校生活は、可もなく不可もなく。勉強よりも部活の方が楽しいし、更に言えば部活よりも助手のアルバイトの方が楽しかった。
七月に入って初めての日曜日の今日は、グラビア撮影の助手をしてくれという電話が急に入った。匠はジリジリと肌を刺す紫外線と、アスファルトからはね返ってくる熱気にグッタリとなりそうな身体にむち打って自転車を走らせた。
「涼しそうだな」
信号で止まると、横にあったカフェの店内が目に入った。
冷房が効いているのを恨めしそうに見ていると、知っている顔があった。健吾と葵の二人だった。
「おっと」
青に変わったので、すぐに発進する。
「まだ、付き合ってたんだな」
そこに特別な感情などなかった。
それから十分も走ると、やっとスタジオに到着した。自転車を事務所がある雑居ビルの横に置くと、端にある狭い階段を駆け上がった。
ドアを開けると、すぐスタジオになっている。そこには撮影を待っているグラビアタレントが六人程待っていた。こういう所に来る女の子は当然可愛くて、初めの頃はちょっと照れたが、最近はもう見慣れたものだった。
「おはようございます」
ほぼ一斉に頭を下げたが、顔を上げると落胆の表情を見せた。偉い人が入ってきたと思ったのだろう、入ってきたのがどう見ても学生だと分かると、すぐに散り散りになった。何回も同じことを経験しているので、匠はまったく気にすることなく奥にある事務室に向かった。ドアを開けようとしたとき、
「よろしくお願いします」
ショートカットの娘が、もう一度頭を下げた。その目は強く、やる気に満ちていた。
匠は、軽く頭を下げただけで事務室に入った。
「こんにちは」
「おう。来たか」
お世話になっている売れっ子のカメラマンと、二人のアシスタントが迎えてくれた。
「熊谷さん。今日は多いですね」
プロカメラマンの熊谷は、アイドルの写真集を何冊も手掛けていて、かなりの売れっ子だった。
「ああ。今日は集合写真を何枚か撮るだけだ」
今日の撮影は漫画週刊誌に載るらしく、この中から読者投票をして、次の号の表紙を飾る娘を選ぶそうだ。
匠自身は、グラビアや人物を撮影するポートレートには、始めはまったく興味がなかった。雑誌で入賞したのは風景写真がほとんどだし、編集者の人からアシスタントのバイトとしてここを紹介されたときは断ろうかと思ったくらいだ。
「匠。パッと見、どうだった?」
「え?そうですね」
何かしら勉強になるだろうと思って始めたバイトだったが、風景撮影とは違った面白みを見つけつつあった。中でも人を見る目は、ちょっとずつ付いてきているように思えた。
カメラの前に立ったときのタレントの態度や表情を見ていると、どんな気持ちで望んでいるのかが分かってきた。出来上がりの写真を見てもそれは明らかで、中にはグラビアなんて小さな仕事だと思い、嫌々やっている娘もいる。そんな写真を見ると、顔は笑顔で可愛かったとしても醜い内心が見えるようで訴えかけてくる物がなかった。
反対に、どんな仕事でも全力で取り組む娘もいる。そういう娘の写真は、とても良い感じに仕上がり、匠としても良い仕事をしたという気分になった。
「パッと見だと一人、良いなと思う娘がいましたけど。ショートカットで小柄な」
さっき挨拶を二度してくれた娘だった。
「そうだろ。俺もそう思ったんだ」
納得するように頷くと、スッと立ち上がった。
「よしっ、始めるか」
「はい」
匠は二人のアシスタントと手分けをして、撮影準備の最終確認をする。
「じゃあ、全員セットに二列で立って。前三人、後ろ三人だ」
「はい」
熊谷の声に全員キビキビと返事をすると、読者の目に付きやすい前の方がすぐに埋まる。匠が気になった娘は少々奥手らしく、後ろに回っていた。
「よし、いい笑顔をくれよ」
熊谷がシャッターを切るたびに、微妙に表情を変えたり、ポーズを変えたりしていく。
「う〜ん。そこのショート。前に来い。俺から見て右側だ」
「は、はい」
十枚ほど撮ると、場所替えを指示した。後ろに回された娘が一瞬、鋭い目つきでショートの娘を睨んだのを、匠は見逃さなかった。しかし、すぐに笑顔になるのだから凄い。これは毎回感じることだが、みんなこの世界で生き残っていくために、並々ならぬ覚悟でいるのだと思った。
一時間後、無事に撮影が終わり、タレント達はマネージャーに連れられて帰っていった。
「匠、どうだった」
熊谷が感想を求めてきた。熊谷は匠に目を掛けているのだが、本人は気が付いていない。
「やっぱり、あのショートの娘が良かったと思います。後ろに下げた娘は、なんか作り物の笑顔っていうのを感じました」
「そうか」
熊谷はそれだけ言うと、匠の肩をポンポンと叩いて事務室に引っ込んだ。匠は後片づけをしながら、ショートの娘が一番になることを期待していた。そして、あの娘ならポートレートを撮ってみるのも良いかなと思った。
片づけが終わると、五時になろうとしていた。日陰になった暗い階段を降りると、再び照りつける陽の下に出た。とっとと帰ってアイスでも食べようと自転車に手を掛けると、話し掛けてくる声があった。
「あのう。鳴海さんですか?」
「え?」
名前を言われて振り返ると、気になっていたショートの娘だった。日傘を持って立っていたその娘の顔からは、汗が流れ落ちていた。
「何で俺の名前を。名乗っていないのに」
「私、遊馬君と同じ事務所なんです。白鳥リオといいます。覚えてくださいね」
「健吾と同じ事務所か。白鳥さん。俺に愛想良くしても、グラビアで一位は取れないよ。写真は俺が選ぶんじゃないんだから」
「そんなこと思っていませんよ。ただ、遊馬君の同級生だから、お友達になりたいなって」
「へ〜」
下から上へと視線を上げ、ちょっと疑いの眼差しで見た。
「俺に何か用事でも?」
「はい。お話がしたいなと思って待っていたんです。どこか涼しいお店に入りませんか」
逆ナンを受けているようで変な感じだったが、折角待っていてくれたんだから断るのは悪いと思った匠は、近くにあったカフェに誘った。
店内はガンガンに冷房が効いていて、入ったと同時に身体が軽くなった気がした。
「なに飲む?おごるよ」
匠はメニューをリオの方へ向けて開いた。
「いえ、そんなつもりじゃ」
「いいよ。後で、健吾から巻き上げるから」
「ふふふ。そうですか?じゃあ、これで」
匠はウェイトレスを呼んで、飲み物を二つ頼んだ。
「それで。聞きたいのは、健吾のこと?」
「え?は、はい。やっぱり分かりましたか。すみません」
「いいよ。別に傷ついてないから」
こんなことだろうとは思ったが、本当に気分を害してはいなかった。グラビアデビューをしようとしている娘と話せるのだから役得だろう。
「単刀直入に聞きます。遊馬君には彼女がいるのでしょうか」
「……いるよ」
直球で来たので少々面食らったが、嘘を言っても仕方ないのではっきりと真実を伝えた。
「そうですか。そうですよね……」
「俺の同級生なんだけど、さっきも二人でいるところを見たんだ」
心底、残念そうに聞いていたが、テーブルに置かれたジュースを一口飲んで目をつむると、大きく一息吐いた。
「その彼女って、どんな人なんですか」
「申し訳ないけど、特に親しい訳じゃないからよく知らないんだ。雰囲気は癒し系だとは思うけど」
「そうなんですか」
どれだけ健吾のことを想っていたのかは知らないが、表情を見る限り、それ程ダメージを受けたとは感じられない。
「白鳥さんは可愛いから、いい男が見つかるよ」
「ありがとうございます」
「話は変わるけど、健吾ってどうなの?テレビのことは良く知らないんだけど」
とりわけ厳しい芸能界という世界で、健吾が生き残っていけるのか、同じ世界にいる人に聞いてみたかった。
「どうでしょう。私も駆け出しですし。でも、事務所の人達が遊馬君に期待しているのは分かりますよ」
「へ〜、今からサインでも貰っておいた方が良いのかな」
「そうですね。きっと有名になりますよ」
店の前で別れる際に見せたリオの笑顔にドキッした匠は、きっとこの笑顔が週刊誌の表紙を飾るに違いないと確信した。リオのサインこそ貰っておくべきだったと、家に着いてから後悔した。