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僕らが憧れの神様の声を遺すまで  作者: 深谷 汎


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第2話 夢の続きの始まり

奏太はスマホを握りしめ、数年ぶりに、その友人の名前をタップした。


『プルルルルル……』


静寂な部屋に、スマートフォンの無機質な発信音が響く。 数年ぶりの通話に緊張していた。


『……』

不意に、通話が繋がった。


「あ、拓也!? 久しぶ――」

『プツッ。ツーツー……』

「えっ」


無言。そして、容赦のない切断音。 通話終了の画面を見つめたまま、奏太は数秒ほどフリーズし――直後、PCモニターの時刻が目にとまり、サーッと血の気が引くのを感じた。


「……深夜三時! あぁ~……社会人捕まえて平日の深夜三時に電話って……、非常識にもほどがあるだろ……」


アニメ制作と景介とのやり取りでアドレナリンが出まくり、完全に昼夜の感覚がバグっていた。自分はまだ時間の融通が利く大学生だが、声優の夢を諦めた拓也は、今はどこかの企業で営業職に就いていると聞いた。明日の朝も早いだろうに、眠りを妨げてしまった罪悪感で胃が痛くなる。

奏太は慌ててメッセージアプリを開き、土下座のスタンプと共にテキストを猛烈な勢いで打ち込んだ。


『本当にごめん! 深夜に非常識だった。実は、今作ってる自作アニメの事で、どうしても拓也に声の提供をお願いできないかと思って……。明日でも明後日でもいいから、時間のある時に連絡が欲しい!』


送信ボタンを押し、机に突っ伏す。これでもう、完全に嫌われたかもしれない。そんな後悔に苛まれながら、奏太は、パソコンの熱が籠る部屋で浅い眠りについた。


***


その日の午後、

「……はい、今日の講義はここまで。各自、来週までにレポートを提出するように」

教授の気怠げな声と共に、終了のチャイムが鳴り響く。


ノートパソコンを閉じながら、奏太は重い溜息をついた。寝不足の頭に大学の講義はまったく入ってこなかった。何より、昨晩の拓也へのメッセージがどうなったかが気になって仕方がない。


恐る恐るスマートフォンを取り出し、画面を開く。 メッセージアプリに、一件の通知が入っていた。

送り主は、神崎拓也。

『非常識野郎。お前のおかげで今日の午前中の会議、寝不足で死ぬかと思ったわ』


「うわぁ……ほんとごめん……」

思わず天を仰いだ奏太だったが、それに続く次のメッセージを見て、目を丸くした。


『でも、お前がそこまで言うなら、とりあえず話だけは聞いてやる。今日の19時、駅前の居酒屋「白木」でどうだ? 俺の仕事終わりでいいか』


「……っ!」

奏太は思わず小さくガッツポーズをした。

周囲の学生が怪訝な顔で振り向いたが、そんなことは気にしていられなかった。

急いで『ありがとう! 何でも奢るから!』と返信を打ち込み、逃げるように教室を飛び出した。


***


夕方19時。

駅前の喧騒から少し離れた、赤提灯が揺れる大衆居酒屋。

奏太が先に到着してウーロン茶をちびちびと飲んでいると、ガラガラ、と引き戸の開く音がした。


「お待たせしました、奥の席です」


店員に案内されてやってきたのは、少し疲れた顔をしたスーツ姿の青年だった。

首元で緩められたネクタイと、片手に提げたビジネスバッグ。

かつて声優になりたいと誰よりも熱く夢を語っていた頃の面影を残しつつも、すっかり「大人の社会人」の空気を纏っている。


「久しぶり。昨日の夜は…いや、今朝は早くに、本当にごめん!」

「久しぶり、ごめんじゃねぇよ……お前、マジで勘弁してくれよな。午前中の会議、眠気を我慢するの大変だったんだぜ」

拓也は眉間にシワを寄せてネクタイをさらに緩めながらドカッと椅子に腰を下ろした。


「拓也……っ、本当に悪かったと思ってる。ごめん……」

「お前、時間考えろよ。……まあいいよ、奢ってくれるんだろ? すみません、とりあえず、生中一つ」


店員に注文を済ませた拓也は、おしぼりで顔を拭いながら、どこか探るような、それでいて少しだけ懐かしむような目で奏太を見た。


「しかし、相変わらずオタク全開の顔だな……。で? わざわざ深夜三時に叩き起こしてまで、俺に頼みたい『声の提供』ってなんだよ。お前、まさか変な情報商材とか怪しい仕事に手を出してるんじゃないだろうな」


「怪しい仕事じゃないって! ちょっとこれを見てくれ」

奏太は慌ててバッグから薄型のノートパソコンを取り出し、ジョッキや小鉢を避けてテーブルの中央に広げた。


画面には、奏太が制作している自作アニメの編集画面が映し出されている。

主人公のガイアが剣を振り下ろし、ヒロインが魔法のバリアを展開する。

奏太のこだわりと熱量がぎっしり詰まった映像に、拓也はジョッキを口に運ぶ手を止め、思わず身を乗り出した。


「お前……これ、一人で作ったのか? すげえな」

「技術オタクの知り合いに手伝ってもらって、AIをフル活用してるんだ。でも……」

奏太は画面を指差した。


映像の中のキャラクターたちは、どれほど激しく動いても、無音のまま口をパクパクと動かしているだけだった。 そこから奏太は、身振り手振りを交えて必死に説明した。今のAI声優を取り巻く厳しい状況のこと。既存の生成音声を今は使うわけにはいかないこと。自分で録音してみたが、演技力が皆無で作品が台無しになってしまったこと。


そして――本人の完全な同意を得た「クリーンな声のデータ」をベースに、AIに芝居を学習させるというアイデアに辿り着いたこと。


「だから……拓也の声が必要なんだ。拓也の声が、このAIのベースデータとしてどうしても欲しい」

居酒屋の喧騒が、ふっと遠のいた気がした。 拓也は腕を組み、ノートパソコンの画面で戦い続ける無音のガイアをじっと見つめた。訝しげだった表情は消え、奏太の語るシステムと、彼が抱える切実な悩みの全容をはっきりと理解した。


同時に、拓也の胸の奥で、かつて分厚い蓋をし、沈めたはずの感情がチリチリと熱を持ち始めていた。


声優学校時代。

来る日も来る日も腹筋をして、滑舌の練習をし、台本がボロボロになるまで感情の乗せ方を研究した。

それでも、プロのオーディション会場に行けば、自分より圧倒的な「華」や「天性の声」を持つ化け物たちがひしめいており、努力ではどうにもならない壁があることを知った。

自分には、本物の声優になる才能がない。そう自分に言い聞かせ、胸を引き裂かれる思いで自ら夢に幕を引いたのだ。今の営業の仕事だって、決して嫌いじゃない。


(……俺は、プロにはなれなかった人間だぞ。俺なんかの声を使ったって、たかが知れてる)


喉まで出かかった自虐の言葉を、拓也はグッと飲み込んだ。

画面の中で、ガイアが仲間を庇って叫んでいる。

音のないその背中が、まるで「俺に声をくれ」と訴えかけているように見えた。


本物の声優になれるわけではない。自分の名前が、有名アニメのエンドロールに載ることもない。 けれど。もし自分の声がデジタルデータとなり、AIという新しい技術を通して、この画面の中のキャラクターの「命」になれるのだとしたら。 それは、表舞台に立つ形ではないにせよ、かつて自分が何よりも切望した「キャラクターに声を吹き込む」という夢の、もう一つの叶い方なのではないか。


「……まったく、相変わらずお前には呆れるよ」


拓也は大きく息を吐き出すと、憑き物が落ちたような、どこか晴れやかな顔で笑った。


「わかったよ。俺の声でいいなら、好きに使え。俺の声データ、AIに全部食わせてやる」

「拓也……っ! 本当に!? ありがとう!!」

奏太が周囲の目も気にせず歓喜の声を上げた。 拓也は苦笑しながら、自分の生中ジョッキを持ち上げた。


「お前のアニメの主人公、俺が命を吹き込んでやるよ。ほら、乾杯だ」

「ああ! 絶対に最高の作品にする!」

カチン、とガラスのぶつかる小気味良い音が居酒屋に響いた。 そこからの二人は、すっかりあの頃の「オタク仲間」に戻っていた。


「で、このガイアってキャラだけど、見た感じ熱血系だろ? 俺の地声より少し低めに作って、叫び声にエッジを効かせた方がいいんじゃないか?」

「そう! まさにそれ! 景介――AI組んでるヤツなんだけど、そいつのシステムなら感情のパラメータ調整でエッジも出せる。あと、ヒロインの声もどうしても必要なんだけど……」


「なら、心当たりがある。俺と同じで現実見て諦めた連中だけど、声の基礎とアニメへの愛だけは間違いない奴らだ。舞とか、剛とか……あと蓮も誘ってみるか。あいつらも絶対に面白がるぞ」

「本当か!? うわ、一気にキャストが埋まっていく……!」

テーブルの上に広げられたパソコンの画面を覗き込みながら、焼き鳥を齧るのも忘れて設定や演技プランを語り合う。 赤提灯の灯りに照らされた二人の顔は、少年のように輝いていた。


***


それから、数日後。

ショーウィンドウのマネキンから新作のブラウスを剥ぎ取り、明日のディスプレイの準備を終える頃には、すっかり夜も更けていた。


アパレルショップの従業員通用口から外に出ると、六月の生ぬるく湿った夜風が頬を撫でた。一日中パンプスで立ちっぱなしだった足は、鉛のように重く浮腫んでいる。

「お疲れ様でした」と同僚と別れ、駅へ向かう薄暗い道を歩きながら、一ノ瀬舞いちのせ まいは小さくため息をついた。


数日前、休憩室でスマホの画面を見た時の驚きと戸惑いが、今も胸の奥でチリチリとくすぶっている。

着信の相手は、神崎拓也。 声優学校時代の同期であり、舞と同じように残酷なプロの壁に阻まれ、現実という名の日常に散っていった「なり損ね」の一人だ。


何年かぶりに聞いた彼の声は、少し早口で、熱を帯びていて――そして、信じられないような提案をしてきた。


『おまえの声を、AIのベースデータとして使わせてほしいんだ。知り合いが作ってるインディーズアニメに、どうしても舞のヒロインの声が必要なんだよ』


――馬鹿げてる。 電話を切った直後、舞は真っ先にそう吐き捨てた。


私たちは、本物の声優になれなかった人間だ。自分の限界と圧倒的な才能の差を突きつけられ、泣きながら夢の書かれたノートをゴミ箱に捨てたのだ。今さらマイクの前に立つなんて、未練がましいにも程がある。 しかも、自分の芝居がそのまま使われるわけではなく、AIの「素材」として吸い上げられるだけ。そんなの、ただの偽物じゃないか。


それなのに。


(『どうしても、舞の声が必要なんだ』)


受話器越しに聞いた拓也の言葉が、耳の奥にへばりついて離れない。 思い出すのは、台本が真っ黒になるまで書き込みをして、喉が枯れるまでアフレコの練習をしたあの頃の熱。マイクの前に立ち、自分以外の誰かの人生を生きるという、麻薬のような喜び。


「……素材、か。どうせなら、もっと綺麗に諦めさせてよ」

自嘲気味に呟きながらも、舞の足は自分のアパートに帰る駅の改札とは反対の方向へと向かっていた。


拓也から送られてきた住所は、駅から少し離れた閑静なエリアにあるデザイナーズマンションだった。アニメの企画者である奏太という青年とタッグを組んでいる、景介というフリーランスのAIクリエイターの仕事場兼スタジオらしい。


夜の静寂の中、オートロックを抜け、エレベーターで指定された階へ上がる。 廊下の突き当たりにある、無機質な金属の扉の前に立った。表札にはローマ字で小さく『K.Studio』とだけ書かれている。中からは、微かに重低音の話し声が漏れ聞こえていた。


この扉を開ければ、もう一度、あの「夢の続き」の端っこに触れてしまう。 結局はAIの力だと、やっぱり自分に才能なんてなかったのだと、再び打ちのめされるだけかもしれない。


それでも……

舞は、微かに、けれど確かに燃え上がり始めた情熱から目を逸らすことができず――ゆっくりと、冷たい扉のチャイムに指を伸ばした。

「ピンポーン」と、控えめにチャイムを鳴らす。


数秒後、ガチャリと内側から勢いよく扉が開いた。

「おお、舞! 待ってたぞ!」

顔を出したのは、シャツの袖を捲り上げた拓也だった。その後ろから、熱気と騒々しい男たちの声がブワッと廊下に溢れ出してくる。


「だからよぉ! 俺のこの腹から出した極太の低音を、そのまま敵のボスキャラにぶち込んでくれって言ってんだよ!」

「声がデカすぎるんだ、剛。ほら見ろ、マイクの入力レベルが完全に振り切れて、AIの音声解析モジュールがエラーを吐いてる。発声の基礎は残っていても、マイクワークの感覚が完全に鈍っているんじゃないか?」


「なんだとコラ、蓮! ならお前が手本見せてみろ!」

「まぁまぁ二人とも、まだテストの段階なんだから落ち着いて……っ」


防音材が壁一面に貼られ、いくつもの大型モニターや見慣れない機材が並ぶスタジオの中心。そこで大木のようにガタイの良い男と、細身で理知的なメガネの男が、困り顔の奏太を挟んで子どものように言い合っていた。 ごうれんだ。


「ちょっと……あんたたち、相変わらずうるさいわね」

舞が呆れたように声をかけると、スタジオの空気がピタリと止まり、全員の視線が一斉に玄関口へと向けられた。


「おーっ! 舞じゃねえか! 久しぶりだな!」

剛が人懐っこい笑顔で大きく手を振る。声優の夢を諦めた後は運送業に就いたと聞いていたが、作業着姿のまま駆けつけてきたらしい。その図体と声のデカさは健在だ。


「相変わらずギリギリの到着だな、一ノ瀬。少しは時間に余裕を持つことを覚えたらどうだ」

蓮がやれやれとため息をつきながらも、その口元は微かに緩んでいた。書店の店員をしているはずの彼の手には、昔から愛用しているボロボロの台本カバーがしっかりと握りしめられている。


「うるさいわね。こっちは仕事帰りなんだから仕方ないでしょ! ていうか剛、声大きすぎ。防音扉なのに外まで響いてたわよ。蓮も、相変わらず理屈っぽいし」


口では憎まれ口を叩きながらも、舞の顔には自然と笑みがこぼれていた。 不思議な感覚だった。しばらく会っていなかったのに、顔を合わせた瞬間にあの頃に戻ってしまう。汗臭いスタジオにすし詰めになって、本気で芝居のことでぶつかり合っていた、あの無謀で眩しかった時間に。


「悪いな、舞。疲れてるところ無理言って呼び出して」 拓也が苦笑しながら、舞を部屋の中へと促す。


部屋の奥のデスクでは、複数台のPCを前にしたパーカー姿の青年が、面白そうに彼らのやり取りを眺めていた。AIクリエイターの景介だ。 そして、その隣では、自作アニメの生みの親である奏太が、まるで伝説の勇者パーティーを目の当たりにした村人のような顔で、ワナワナと震えていた。


「うわぁ……すごい。拓也の言う通り、本当に集まってくれた……。しかも、なんかみんなめちゃくちゃキャラ立ってる……っ!」 オタク特有の感動で語彙力を失っている奏太を見て、拓也がパンッと大きく手を叩いて場を仕切った。


「よし、これで演者キャストは全員揃ったな。奏太、それに景介。こいつらが、俺の誇れる同期の『なり損ね』たちだ。声の基礎と、芝居への熱だけは俺が保証する」

拓也の言葉に、剛がニッと歯を見せてドンと胸を叩き、蓮が静かにメガネの位置を直し、舞も少し照れくさそうに姿勢を正した。


「それじゃあ、これから一つの作品に一緒に命を吹き込む仲間として……改めて、自己紹介といくか」


「それじゃあ、改めて……僕から自己紹介させてください」

防音スタジオの中央にある、機材や台本が乱雑に置かれた大きなローテーブル。その周りをぐるりと囲むようにパイプ椅子やソファに腰を下ろした面々を前に、奏太は少し緊張した面持ちで立ち上がった。


新堂奏太しんどう そうたです。ええと、今は大学の四年で、就活も一応やってるんですけど……卒論そっちのけで、このアニメを作ってます。『自分の考えた物語をアニメにしたい』っていう執念だけでここまで来ました」

奏太がぺこりと頭を下げると、剛や蓮、舞の視線が、どこか感心したような、あるいは呆れたような色を帯びて彼に注がれた。


「拓也とは高校時代の同級生で、よく一緒にアニメやラノベの貸し借りをしてました。高校を卒業後……お互い別の道に進んでからは連絡も途絶えがちだったんですけど、今回、どうしてもキャラクターに命を吹き込みたくて、無理を承知で拓也に頼み込みました。皆さんが大事な声を、僕の作品に預けてくれること……本当に感謝してます。ありがとうございます」


奏太が再び深く頭を下げる。 すると、デスクのPCチェアに座っていたパーカー姿の青年が、くるりと椅子を回転させて皆の方を向いた。


「はい、次俺ね。筑紫景介つくし けいすけ、二十六歳。フリーランスでシステム開発とか、AI関係のクリエイターをやってる。奏太とは二年前に出展したアニメフェスで知り合った。そうだな、俺は技術オタクだな」

景介は少し年上の余裕を見せつつ、どこか楽しげに口角を上げた。


「俺は声優の業界事情とか芝居の深いことはよくわからないけど、最新のAI技術を使って『素人の声をプロの領域まで引き上げる』っていう今回のプロジェクトには、エンジニアとして結構、惹かれてる。君たちの声を解析して、最高の音声生成システムを組むのが俺の仕事だ。よろしく頼む」


飄々とした態度の中に確かな自信を覗かせる景介に、蓮が「なるほど、頼もしい技術屋だ」と小さく呟いてメガネを押し上げた。


「じゃあ、次は俺だな」

パイプ椅子に浅く腰掛けた拓也が、緩めたネクタイを少しだけ弄りながら口を開いた。


神崎拓也かんざき たくや。今は中堅の商社で、しがないルート営業をやってる。……剛、蓮、舞。急な呼び出しに応えてくれてありがとな」

拓也は、かつて苦楽を共にした三人の顔をゆっくりと見渡した。


「奏太とは高校時代の友人だ。俺は高校を出てから三年間、お前らと一緒に声優の専門学校に通った。来る日も来る日も腹から声を出して、本気でプロを目指した。……でも、三年の卒業査定のオーディションで、俺たちは全員、どこの事務所にも引っかからなかった」


スタジオの中に、ふっと静かな時間が流れた。 剛が腕を組み、蓮が視線を伏せ、舞が小さく息を吐く。それは彼らが共通して抱えている、決して消えることのない挫折の記憶だった。


「才能がなかった。俺はそう自分を納得させて、声の仕事はきっぱり諦めて就職した。お前らも、それぞれ別の道で頑張ってると思う。……でもさ」

拓也は立ち上がり、奏太のノートPCの画面――無音のまま剣を振るう主人公・ガイアの姿を指差した。


「こないだ、奏太からこの映像を見せられて、俺の声をこいつのベースにさせてくれって言われた時……俺、どうしようもなくワクワクしちまったんだよ。プロの現場じゃない。自分の名前がデカデカと出るわけでもない。ただのデータの『素材』だ。それでも……もう一度だけ、マイクの前に立ちたいって、本気で思っちまったんだ」

拓也の真っ直ぐな言葉に、奏太は胸が熱くなるのを感じた。 それはきっと、剛たちも同じだったはずだ。


「俺は、こいつ(ガイア)に俺の全力を注ぎ込む。俺たち『なり損ね』の意地、AIの力を借りて、最高の形で残してやろうぜ」

拓也が照れ隠しのようにニッと笑うと、スタジオの空気が一気に温を帯びたように感じられた。


「なら、次は俺だな!」

拓也の作った静かな感動を吹き飛ばすように、剛が勢いよく立ち上がってドンと胸を叩いた。


「城ヶ崎剛じょうがさき ごうだ! 今は運送会社で二トントラック転がしてる。荷物の積み下ろしで体力は現役の頃よりついてるし、運転中もずっと一人で発声練習だけは欠かさなかったからな。声帯の仕上がりはバッチリだぜ!」

「迷惑な運転手だな……」と蓮がボソッと突っ込むが、剛は意に介さずガハハと笑った。


「拓也から話を聞いた時は、正直『なんだそりゃ』って思った。けどよ、俺のこの腹から出すデカい声は、プロのオーディションじゃ『圧が強すぎて使いどころが難しい』っていつも弾かれた。それが、奏太のアニメの敵ボスや、いかついライバルキャラならバッチリはまるって言うじゃねえか。表舞台じゃなくても、AIっていうフィルター越しだろうと、俺の全力の芝居が作品の『熱』になるなら……こんなに痛快なことはねえよ!」


剛の豪快な言葉に、奏太は力強く頷いた。 続いて、蓮が静かにパイプ椅子から立ち上がった。手には、彼がずっと大切に持ち歩いているボロボロの台本カバーが握られている。


涼宮蓮すずみや れん。現在は書店の店員をしている」

蓮はメガネのブリッジを中指で押し上げながら、理知的な視線を景介に向けた。


「誤解しないでほしいが、俺がここにいる一番の理由は純粋な技術的興味だ。俺の芝居は昔から『理屈っぽい』『頭で考えすぎている』と評価された。天性の華やかさを持つ連中には勝てなかった。だが……AIのディープラーニングにおいては、その計算された論理的な演技プランや、感情の明確なパラメータ化こそが、最も良質な学習データになるはずだ。俺の芝居の技術が、プログラムという器の中でなら完璧な形で結実するのか……それを試してみたいと思った」


素直じゃない言い回しだったが、その瞳の奥には、長年燻っていた「表現者としてのプライド」がギラギラと燃え上がっているのが誰の目にも明らかだった。


最後に、舞がゆっくりと立ち上がった。

「一ノ瀬舞いちのせ まいです。今は、アパレルの販売員をやってます」

全員の温かい視線が集まる中、舞は少しだけ自嘲するように微笑んだ。


「正直に言うと……ここに来るまで、すごく複雑な気持ちでした。本物の声優になれなかった私たちが、AIの『素材』になるなんて、なんだか残酷な罰ゲームみたいだなって。どうせなら、綺麗な思い出のまま鍵をかけておきたかった」


舞の正直な言葉に、拓也たちが真剣な表情で耳を傾ける。

「でも……さっき奏太くんが見せてくれた映像の中で、ヒロインが声もなく必死に泣いてるのを見たら……放っておけなくなっちゃった。私はプロにはなれなかったけど、私の中の『役者』の端くれが、あの子に息をさせてあげたいって叫んだの」


舞は顔を上げ、奏太を真っ直ぐに見つめた。迷いの晴れた、凛とした表情だった。

「私の声でいいなら、全部使って。ヒロインの喜びも悲しみも、私が全部AIに教え込んでみせるから」


「皆さん……っ!」

奏太は堪えきれず、目頭が熱くなるのを感じた。 ここにいる全員が、一度は夢に破れ、現実を受け入れた大人たちだ。けれど、彼らの中にある「声」への情熱は、少しも錆びついてなどいなかったのだ。


「よし、これで演者キャストの覚悟は揃ったな」

拓也が満足げに頷くと、景介が楽しそうにキーボードを叩き、マイクの電源を入れた。


「最高のマスターデータが取れそうだ。ここからは俺たちとAIの共同作業だぞ。奏太、まずは最初のシーンの台本をモニターに出せ。歴史的な一歩目を録ろうぜ」

「ああ……いくぞ、お前ら!」

奏太の弾んだ声と共に、世界で一番不格好で熱いアフレコが幕を開けた。


「まずは喜怒哀楽の基本データからだ。拓也、マイクの前に立って、画面に出るテキストを順番に読んでくれ。感情の起伏をわざと大げさにするくらいでいい」

「おう、任せろ」

景介の指示を受け、拓也がポップガード越しのコンデンサーマイクに向かう。 K.Studioの防音空間に、拓也の張りのある声が響き渡った。怒り、悲しみ、喜び、焦り。用意された何十もの短いフレーズを、次々と読み上げていく。


「いいね、基礎ができてるから波形がすごく綺麗だ。次は剛、いけるか?」

「よっしゃあ! 俺の爆音でマイク壊すなよ!」

「一ノ瀬、剛の後は私がやる。この手のサンプリングは、感情の振幅を正確にデータ化するために、一定のピッチを保つ技術が必要だ」

「ちょっと蓮、私の順番横取りしないでよ。剛の後は私! ヒロインのデータが一番繊細なんだから」


次々とマイクの前に立ち、声を吹き込んでいく「なり損ね」たち。 最初は久しぶりのマイクに少しだけ戸惑っていた彼らだったが、ほんの数分でカンを取り戻し、スタジオ内にはかつての声優学校のレッスンのような、熱を帯びた声が飛び交うようになった。


奏太は景介の隣に座り、食い入るようにモニターを見つめていた。 彼らの生声が録音ソフトに取り込まれ、景介の叩くキーボードを通して、次々とAIの学習データへと変換されていく。


「よし、全員分のベースデータは取り込めた。一度、簡単なセリフを出力してテストしてみよう」

景介がエンターキーをッターンと叩く。 数秒の処理時間。全員が息を呑んでスピーカーを見つめる中、奏太が入力したテキストに合わせて、AIが合成した拓也ガイアの声が流れた。


『この剣に誓う。俺は、もう誰も失わない』


「おおっ……!」

奏太が感嘆の声を上げた。

確かに拓也の声だ。滑舌も完璧で、素人の棒読みとは雲泥の差がある。

だが――マイクの前に立っていた拓也本人は、眉間にシワを寄せて首を傾げた。


「……なんだろう。確かに俺の声なんだけど、すげえ綺麗にまとまりすぎてるっていうか……」

「違和感があるわね。教科書を朗読してるみたい。さっき拓也がマイク前で出した『熱』が、半分くら削ぎ落とされてる感じ」 舞の的確な指摘に、剛も

「おう、なんか俺の聞いた拓也の演技じゃねえな」と腕を組んだ。


「AIの仕様だ」 景介が顎を撫でながら、波形モニターを指差した。

「AIは複数のデータを平均化して『最も破綻のない、綺麗な声』を作ろうとする。だから、人間の芝居にあるノイズ――息の掠れや、感情が爆発して声が裏返るような『特異点』を、無意識に修正しちまうんだ」

「平均化……つまり、俺たちの芝居の『尖った部分』が、AIのセーフティに丸め込まれてるってことか」と蓮がメガネを押し上げる。


「そういうこと。これを解決するには、俺がAIの感情パラメータの制限を解除して『ノイズを許容する』設定にするか……あるいは」

「俺たちが、AIが丸め込めないくらい、規格外の極端な感情データをブチ込むか、だな」

拓也がニヤリと笑い、再びマイクの前に立った。


「景介、セーフティを限界まで外してくれ。ちょっと喉がイガつくくらいの、限界突破の叫び声を録る。それを『怒り』のMAX値として覚えさせろ」

「オッケー。声帯ぶっ壊すなよ」

そこからの作業は、まさに人間とAIの格闘だった。 綺麗な声はいらない。キャラクターの「命」の生々しさを抽出するために、彼らはひたすらに試行錯誤を繰り返した。


「景介さん! 今の私の泣き声、息を吸い込む時の『ヒッ』って音、あれ絶対に削らないで残して! あれがないとヒロインの悲壮感が出ない!」

「わかった、ノイズキャンセリングの閾値を下げる。一ノ瀬、もう一回同じトーンでいけるか?」

「もちろん! 奏太くん、セリフの文字と文字の間に、全角スペース入れてみて。AIがそこで確実に『間』を取るはずだから」


「なるほど……っ、やってみる!」

奏太が台本のテキストを修正し、景介がパラメータを調整し、演者たちがそれに応えるように声を叩き込む。

剛が「もっと低音の圧を寄越せ!」と叫べば、

蓮が「剛の波形は低音域が強すぎる、出力時にエフェクトで輪郭エッジを際立たせた方がいい」と冷静に分析する。 誰か一人が欠けても成立しない。オタクの執念と、技術屋の冴えと、なり損ねたちの意地。それぞれの持つ武器が、K.Studioというひとつの坩堝の中で完璧に噛み合っていた。


気がつけば、窓の外が薄明るくなり始めていた。 机の上には空になったペットボトルやエナジードリンクの缶が散乱している。疲労はピークに達しているはずなのに、誰の目にも強い光が宿っていた。


「……よし。調整完了。第一話のアバン(冒頭)シーン、全キャラクターの音声出力、終わったぞ」

景介が、少しだけ掠れた声で告げた。


防音スタジオの中が、水を打ったように静まり返る。 奏太は震える手でマウスを握り、右側のモニターに映る動画編集ソフトのタイムラインを最初に戻した。 音声トラックには、彼らが一晩かけて作り上げたAI声優たちの音声データが、びっしりと並んでいる。


「……再生します」


カチリ、とマウスクリックの音が鳴る。 壮大なオーケストラのBGMと共に、暗雲が立ち込める荒野の映像が映し出された。


『――愚かな人間どもよ。絶望の淵で、己の無力を嘆くがいい』


重低音。剛の骨太な声をベースに、AIが魔王のような威圧感を付与した、鼓膜を震わせるような圧倒的な悪役の咆哮。


『お願い、ガイア……! みんなを、助けて……っ!』


続くヒロインの悲鳴。舞がこだわり抜いた、息を飲むノイズと、震えるような悲壮感が見事に再現されている。生きた人間の、魂の叫びそのものだった。 そして。画面の中で、ボロボロになった主人公が、剣を杖代わりにして立ち上がる。


『俺は……諦めない……っ!』


拓也の声だ。 AIが合成した音声のはずなのに、そこには確かな「熱」があった。血を吐くような苦しみと、それでも立ち上がる強さが、言葉の端々から滲み出ている。


『我が名はガイア! 闇に抗う、最後の希望だっ!!』


完璧だった。 映像の動き、BGMの盛り上がり、そして魂の宿ったキャラクターたちの声。 今まで無音の中で口をパクパクさせていただけの彼らが、水槽をぶち破り、画面の向こう側で確かに「生きて」呼吸をしていた。


映像が終わり、モニターが暗転する。 数秒の沈黙の後。

「……すげえ。本当に、アニメになっちまった」

剛が、呆然としたように呟いた。 蓮が深く息を吐き出し、舞が両手で口元を覆って少しだけ目を潤ませている。 拓也は腕を組み、画面を見つめたまま、誇らしげにニッと口角を上げた。


「……やった。やったぞ……!」

奏太の震える声がトリガーとなった。

「よっしゃああああああっ!!」

「すごい! 本当に喋ってる!」

誰からともなく立ち上がり、ハイタッチが交わされる。剛が拓也の肩をバンバンと叩き、舞が奏太の手を握って飛び跳ね、蓮と景介が「悪くない」「ああ」と静かに拳を突き合わせる。


彼らの諦めかけていた夢が、AIを通して、今ここに確かな形となって産声を上げたのだ。

「なり損ね」たちのチームが、奇跡のマスターデータを完成させた瞬間だった。


数週間後。

K.Studioの大型モニターには、奏太が制作した自作アニメ『ガイアの剣』、そのエンディングロールが静かに流れていた。 最後に『Voice Cast & AI Model』として拓也たち四人の名前と、『AI System Direction』として景介の名前がクレジットされ、画面がゆっくりと暗転する。


「……完成、だな」


奏太の感無量な呟きを合図に、スタジオの中に「お疲れ様!」という歓声と共に、ビールやオレンジジュースで乾杯した。 机の上には、デリバリーのピザや乾き物のツマミが並べられている。怒涛のアフレコから数週間、彼らはそれぞれの仕事の合間を縫ってスタジオに集まり、テイクを重ね、ついに一本のインディーズアニメを完成させたのだ。


「いやぁ、すげえもんができちまったな! 俺の低音がここまで画面で映える日が来るなんてよ!」

剛がビールを一気に飲み、豪快に笑う。

「お前の声だけじゃない。一ノ瀬の悲鳴も、神崎の叫びも、すべてが映像と完全にリンクしていた。我ながら、見事なアンサンブルだったと思う」

蓮も、いつもの冷静な口調ながら、その頬はアルコールと達成感で微かに紅潮していた。


「技術屋の視点から言わせてもらうと、今回はマジで最高の検証テストになったよ」

景介が、ピザの耳を齧りながら満足げに頷く。


「人間の生データ……つまり『感情の揺らぎ』や『意図的なノイズ』を、どうやってAIの学習モデルに食わせ、破綻させずに増幅させるか。既存のAI音声が陥りがちな『綺麗すぎる不気味の谷』を、お前らのアナログな芝居の熱量で超えることができた。生データとAIの融合として、一つの理想形が証明されたわけだ」


景介の専門的な、けれど確かな称賛の言葉に、全員の顔に誇らしい笑顔が浮かぶ。 自分たちの声が、熱が、最新の技術と掛け合わさって、確かに一つの作品として結実したのだ。

だが――その熱狂の余韻が落ち着き始めた頃。 不意に、スタジオの空気に薄いベールのような静寂が降りた。


「……そっか。これで、終わりなんだね」


膝を抱えて座っていた舞が、モニターの黒い画面を見つめたまま、ポツリと呟いた。 その一言で、全員が現実に引き戻された。

アニメは完成した。奏太の夢は形になった。

つまり、この「最高にワクワクする非日常」は、今日で終わるのだ。


「……明日からは、また二トントラックで走り回る日々か。なんだか、急に夢から覚めた気分だぜ」

剛が寂しそうに肩を落とす。蓮も無言でメガネを押し上げ、拓也も手元のビールを力なく見つめていた。


全員、分かっていたことだ。

これはあくまで友人としての手伝いであり、奇跡のようなお祭りだったのだと。

明日になれば、また、ただの社会人として、それぞれの平凡な日常が待っている。


誰も口を開かず、しんみりとした空気が部屋を満たそうとした、その時だった。


「なあ」

PCチェアの上で胡座をかいていた景介が、面白そうな玩具を見つけた子供のような目で、ぐるりと全員を見回した。


「……いっそ、このメンバーで会社スタートアップ、立ち上げてみるか?」

「……は?」

拓也が間の抜けた声を上げた。奏太も目を丸くして景介を見る。


「冗談だけど……、半分は本気だ。世間は、AI声優に対して無断使用じゃないかと強烈な懐疑心を抱いている。だが、俺たちのモデルは『演者本人が100%同意し、自ら進んでAIのマスターデータを提供する』という、完全にクリーンで倫理的なAI声優だ」 景介は立ち上がり、ホワイトボードにマーカーでサラサラと図式を書き殴り始めた。 「技術はある。奏太っていうアシスタントもいる。そして何より、お前らっていう『AIに魂を預けられる演者』がいる。これ、今の業界の逆風を真っ向からぶち抜ける、最強のビジネスモデルだと思わないか?」


その言葉に、真っ先に反応したのは蓮だった。

「……論理的だ。現在の市場における『法規制と倫理の壁』を、我々のオプトイン型モデルなら完全にクリアできる。大手の制作会社も、安全なAI音声なら間違いなく需要があるはずだ」


「おいおいおい……マジかよ。俺たちの声が、ビジネスになるってのか!?」

剛がガタッとパイプ椅子を蹴立てて立ち上がる。舞も、信じられないものを見るような目でホワイトボードを見つめていた。


「会社……僕たちが、AI声優の会社を作る……!」

奏太の胸の奥で、再びあの熱い炎が燃え上がるのを感じた。インディーズアニメの枠を飛び出し、新しい時代の「声」の在り方を、この仲間たちと作っていく。そんな未来を想像しただけで、鳥肌が立った。


「……待て待て、落ち着けお前ら」

一気に沸き立つ空気の中で、拓也が両手を広げてストップをかけた。


「景介のアイデアは最高に面白い。俺も、正直めちゃくちゃワクワクしてる。……だが、俺たちはいい大人だぞ。明日いきなり『AI声優の会社作るんで辞めます!』なんて、今の会社に辞表叩きつけるわけにはいかねえだろ。生活があるんだからよ」


拓也の現実的な指摘に、剛と舞が「うっ……」と現実に引き戻された顔をする。


「確かに……来月、車の車検あるし……」

「私も、今の店のフロアリーダー任されたばっかりだし……」


「だったら、副業サイドハッスルから始めれば? 軌道に乗っていけると思ったら、こっちにシフトチェンジすればいいだろ?」

冷めかけたピザの耳を齧りながら、景介はさも当然のことのように言い放つ。

彼にとって、リスクを分散しながら新しいプロジェクトを立ち上げるのは日常茶飯事なのだろう。


「平日の夜や、休日の時間だけを使うんだ。会社を辞めずに、週末だけのスタートアップとして走り出す。俺がシステムをブラッシュアップして、奏太が営業用のデモ映像を作る。みんなは少しずつ、AIに食わせるためのボイスサンプルを録り溜めていく。それなら、今の生活を壊さずに夢の続きが見られるんじゃないか?」


「週末だけの、AI声優事務所か……」 拓也が顎を撫でる。

その口元は、隠しきれないほどニヤケていた。


「……悪くねえな。いや、最高に面白そうだ。なぁ、お前ら?」


拓也の問いかけに、

蓮が「シフトは調整がきく」と頷き、

剛が「俺は体力だけは有り余ってるからな!」と拳を握る。

舞も「……もう、乗りかかった船だもんね」と、満面の笑みで頷いた。


「よし、決まりだな」 景介がホワイトボードの真ん中に、大きく丸を描いた。


「まずはデモ音源の拡充と、企業に売り込むためのプロトタイプの制作だ。……ところで、大事なことを決めてなかったな。俺たちの会社の名前だ」景介の言葉に、全員が顔を見合わせた。


「社名……そっか、会社にするなら名前がいるのか」奏太が腕を組み、うーんと天井を見上げる。


「僕たちの声を大切に守る場所……声の聖域って意味で『ボイス・サンクチュアリ』とかどうかな!?」

「却下」 即座に舞が切り捨てた。


「えっ、なんで!?」

「中二病くさくて、名刺交換する時ぜったい恥ずかしいもん。それに私たち、ただ守るだけじゃなくてこれから世間に打って出るんでしょ?」


「ガハハ! だったら『超激熱ボイスプロダクション』とかどうだ! 勢いがあっていいだろ!」

「剛のは論外だ。運送屋のトラックじゃないんだぞ」

呆れたようにため息をつきながら、蓮がメガネのブリッジを押し上げた。


「いいか。我々は今後、ゲーム会社や映像制作会社などの企業から案件を受注することになる。いわゆるBtoBの取引において、事業内容が一目で分からない社名は不便極まりない。もっと論理的で、検索にも引っかかりやすい名前にすべきだ」

「蓮の言う通りだな」 ホワイトボードのペンを回しながら、景介も頷いた。


「俺たちは変に横文字でカッコつける必要はない。無断学習じゃないクリーンな技術と、お前らの本物の芝居……それだけが武器なんだから。」


みんなが黙り込み、最適解を探して頭を悩ませていたその時。


パイプ椅子に座っていた拓也が、ふと顔を上げて口を開いた。

「だったらさ……そのまんまでいいんじゃないか?」

「そのまんま?」 奏太が聞き返す。


「ああ。俺たちはAIを使って、声優のマネジメントや声の提供をやるんだろ。だったら『株式会社AI声優エージェンシー』。ど直球だけど、何をする会社か一発で分かるし、一番嘘がない」

その言葉に、スタジオの空気がハッと変わった。


「……なるほど。検索エンジンでのSEO(検索最適化)の観点からも、業務内容のキーワードが社名に直接入っているのは理にかなっている」 蓮が感心したように顎を撫でる。


「うん、変な横文字よりずっと潔くていいかも。私たち、裏表なくAIで声優やります!って堂々と言い切ってる感じがするし」 舞も笑顔で同意し、剛が「よし、俺はそれで異存ねえぞ!」と大きく頷いた。


「いいな、それ。機能美があってエンジニア(俺)好みだ」 景介がニヤリと笑い、ホワイトボードの丸の中に、黒いマーカーで力強くその文字を書き込んだ。


【 株式会社AI声優エージェンシー 】


「株式会社AI声優エージェンシー……うん、最高だ!」

奏太はその文字を見つめ、胸の奥から湧き上がる熱いものを噛み締めた。

世界初の、完全合法・演者主導のAI声優事務所。


「よし……世界をひっくり返してやろうぜ」

「ああ……!!」


空になった缶やグラスが、もう一度、スタジオの中心で高らかに打ち鳴らされた。 それが、後にAI音声業界に革命を起こすことになる、彼らの小さな、けれど確かな会社の「設立の瞬間」だった。


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