第6話 ドラッグストア
本エピソードは、2026年5月1日に、「第0話 プロローグ」とともに追加挿入されました。
まだ、「第0話 プロローグ」をお読みでない方は先にそちらをお読みください。
アレックスがいつも通りバスストップに着いたとき、そこにはいつも通り誰もいなかった。
泥で汚れた雪が道路の脇に積まれている。
旧工業地帯にある小さな町ミルヘブン。
すでに三月に入り南部の街では花も開き出したらしいが、アレックスが住むこの町はまだまだ厚手のコートを必要とする寒さを維持していた。
早朝のこの時間は日もまだ出ておらず、気温も零度を下回っている。太陽が昇れば気温も上がるのだが、それにはまだ一時間ほどかかるはずだ。
「ハァ」
吐き出す息が白い。
暗い町並みは静かなものだ。人に会わなくて済むのはありがたいが、この暗い情景は精神をじわじわと蝕んでいる気がする。
もうすぐ夏時間の開始だ。
夏時間になれば一時間早く起きなければならない。
アレックスは憂鬱に更に拍車がかかるように思えた。
スマホを取り出しSNSをチェックする。
タイムラインは今日も騒がしい。こんな時間でもフォロワーたちは議論に勤しんでいた。
アレックスは議論に飛び込みで参戦し、かき回してやる。何度かのリプライの応酬ののち、しらけたという捨て台詞を残して彼らはいなくなってしまった。
「まあ、朝だしな」
なんとなくつまらなくなって、アレックスはスマホをポケットにしまった。
暗闇の中に二つのヘッドライトが現れてこちらに向かってくる。
到着したバスに乗り込み、アレックスは暗い町の中を運ばれていった。
◇
アレックスの職場は商業地区にある。
薬局が併設された日用品のストア、いわゆるドラッグストアと言われる店だ。
高校を卒業後、アレックスは進学しなかった。
大学の学費を払えるような大金は家にはなかったし、奨学金をもらえるほどの成績も取ったことはない。
もちろん、それはあえてだ。本気を出せばそれくらいのことは可能だったが、そんなことをする理由がない。
だいたい、学校という場所はアレックスにとって地獄でしかなかった。
学校はジョックやクイーン・ビーのためにある。ギークの自分がわざわざ行くような場所ではないのだ。
ターゲット、いじめの標的に何度されたことか。
アレックスはしばらくはやることもなくだらだらと家で過ごし、時間を浪費していた。
しびれを切らした父親に自慢のPCを叩き壊すと言われ大喧嘩をしたのち、仕方なく探した仕事がこのドラッグストアだった。
制服に着替え、店に出ていく。
今日は最初に品出しを命じられた。
店内には所狭しと商品が並べられ、取り扱い点数は数百にも及ぶ。
本来は閉店後作業で行われているはずのものが、昨日の夜番がやっていなかったらしい。
アレックスは棚から無くなっていた洗剤をストックから出し、並べていた。
「ねえ、アスピリンどこ?」
振り向いたアレックスをカートを押した女性客が見ていた。
大きな体を揺らし、少し息が切れている。
見かけない顔だ。余所者がこんな町になんの用だろうか。
「あー、薬はあっちの棚」
アレックスは立ち上がり、場所を指し示してやった。
「あっちってどこよ。それに薬はたくさんあるでしょ! どれがアスピリンかわからないわ。あなた案内してよ!」
まだやらないといけない品出しはたくさんあるのだが。
アレックスは少し息を吐くと、洗剤の入った段ボールを棚に寄せ、女性客を先導した。
「ここですよ」
市販薬が並ぶ棚まで女性客を連れてきて、指し示す。
「言ったじゃない! どれがアスピリンかわからないって。どれがそうなのよ!」
「この辺の薬がアスピリンですよ」
いくつかのアスピリンが並んだ棚を指し示す。
女性客は棚をみて眉間にしわを寄せた。
「あなた選んでよ」
「ええ……」
面倒だったが、断るとまた喚きたてそうだ。
アレックスは適当に一つ選んで女性客に手渡してやった。
「これはダメ。前に使ったけど全然効かなかったもの」
アレックスは眉を寄せ、鼻から息を吐く。
別の薬を探すために、棚に視線を戻した。
「何? 何か不満なの?」
「いいえ」
女性客の方を振り向くことなく答える。
「では、こちらはどうですか」
別のアスピリンを手渡してやる。
「これは見たことないわね。本当にアスピリンなの? 間違ってない?」
女性客は疑わしげに箱を眺めている。
「アスピリンですよ。そこに書いてあるでしょう」
「ああ、書いてあるわね。いいわ、これで。先にこっちを出しなさいよ。トロいんだから」
女性客は体を重そうに引きずりながら行ってしまった。
アレックスはしばらくその背中を眺める。
肩をすくめると、アレックスは元の洗剤の棚に戻った。
通路に置いていた洗剤の入った段ボール箱が消えている。
棚の洗剤も全て無くなっていた。
誰かが根こそぎ持っていったらしい。そんなに大量の洗剤を何に使うのだろうか。
「はぁ」
ため息を付くと、アレックスは新たな洗剤のストックを取りにバックヤードに戻っていった。
◇
「アレックス、お前、夜シフト入れないのか?」
バックヤードにある事務所で、休んでいたアレックスは振り返った。
聞いてきた店長はこちらに背中を向けてキーボードを叩いている。
「夜は……帰りのバスがなくなるから」
飲んでいたコーラの缶をテーブルに置く。
「車持ってないのかよ」
「ええ」
「ったく。使えねえなあ。ああ! 夜入れるやつが居ないんだよ!」
店長は両手を頭の後ろで組み、背もたれに体を預ける。
「ちょっと……無理なんで、他あたってください」
「車買えよ。中古車屋紹介してやるからさあ」
アレックスの家には車は一台しかない。
父親が通勤に使っているものだ。当然、日中は父親の勤務先である工場にあるため、アレックスが使うことはできない。
自分のものを買おうと考えたこともあったが、修理費、保険、そしてガス代と車は持っているだけで金がかかる。
誰かと出かけることもほとんどない自分に、必要とは思えなかった。
そんなものより、金を溜めて新しいグラボを買いたい。
高校時代にアルバイトで稼いだ金で買ったゲーミングPCは、最近力不足を感じるようになっていた。
「それに、夜は用事があるんで」
「なんだよ、用事って」
「それは、まあ、色々と……」
「女、なわけないか。どうせゲームなんだろ?」
「はは……」
アレックスがゲーム好きのギークだということは、店のスタッフには知られてしまっていた。
入ってすぐにスタッフの一人にうっかり漏らしてしまった結果、翌日にはスタッフのほぼ全員が知る所となっていた。
今や、インターネットでは配信者たちが活躍し、ゲームが好きと言っても影で何かを言われるようなことは無くなったが、それはネット上や大きな街での話だ。
片田舎の小さな町ミルヘブンでは未だに古い価値観が支配しており、ゲームなど子供やオタクがするもの、いつまでもそんなものをやっているやつは半人前だ、そんな考え方をする大人たちが数多くいる。
そういう親に育てられた子供たちも同様に考えるようになり、学校ではゲームやアニメが好きなやつは当たり前のようにいじめの対象だった。
「ゲームなんていつでもできるだろ?」
「いやあ」
「店長、客が呼んでる」
事務所のドアを開けて、女性スタッフが顔を出した。彼女はアレックスの高校時代のクラスメイトだが、こちらにまったく関心がないのか目も合わせない。
「はあ、今行く」
店長は膝に手をつき、しぶしぶ立ち上がった。
「アレックス、夜シフト考えといてくれ。頼むな」
店長はドアを開けて出ていった。
「ざけんな」
アレックスはコーラ缶を取り、小さくつぶやく。
いつでもできるだって? 親父と同じこと言いやがって。
アレックスがハマっているのは有名なサンドボックスゲームだ。
ゲーム内で様々な物を作り、サバイバルを行うゲームで大人から子供まで世界中で大人気のタイトルである。
アレックスはとある有名配信者が立ち上げた世界にオンライン参加し、その中にあるチームに所属していた。
ゲーム内で作れるものは、家や畑などの平和的なものだけではない。
基地や武器、トラップ、爆弾、プレイヤー同士で戦うためのアイテムも数多くレシピに存在する。
アレックスが参加した世界は、プレイヤーたちがチームを組み抗争を繰り広げる、戦いをテーマとした場所だった。
その様子はインターネットで配信され、数多くの視聴者の人気を集めている。
作戦時間はだいたいにおいて、夜に指定されていた。
今晩も一つ、大きな作戦が予定されている。
「こっちにも予定があるんだよ」
アレックスは飲み終わった缶をゴミ箱に投げ入れると、残りの仕事を終わらせるべく店に戻っていった。
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