第35話 災厄の誕生
穢れしウンディーネが右から左へ腕を振る。その軌跡に水流が生まれると、飛翔してウィルとリンに襲いかかった。
茶色く汚れた水流がウィルとリンに迫る。その鈍い色と裏腹に鋭利な刃物のような鋭さをそなえ、触れたものを両断する威力を感じさせた。
「飛べ!」
ウィルの声に合わせ、二人は左右に飛び退く。二人のいた場所に水流が着弾し、地面がめくれ上がる。水流は崩れ、それを浴びた雑草はまたたく間に枯死していった。
その威力と効果に驚いている二人に、亡霊たちが襲いかかった。穢れしウンディーネも次々と汚水流を生み出し投げつける。ウィルとリンは亡霊たちの攻撃と穢れしウンディーネの汚水を同時に捌かねばならず、防戦一方になっていった。
「リン! 穢れしウンディーネを抑えないとまずい!」
「わ、わかった!」
リンは立ち止まり、祝歌の歌唱に入る。しかし、亡霊と穢れしウンディーネの波状攻撃はリンにそれを許さなかった。
魔力を集中させ祝歌を奏で始めたリンに汚水流が迫る。
「リン!」
ウィルがリンに飛びつき、汚水流の射線から押し出す。二人は絡み合いながら転がり、顔を上げた目の前には亡霊がいた。
「ッ!」
亡霊の体が高く伸び上がる。
「なッ!?」
ウィルに向かって亡霊が覆いかぶさってくる。
「くそぉ!」
咄嗟に振り上げられたウィルの剣が、伸び上がった亡霊を切り裂く。亡霊は悲鳴を上げ、後退していく。
「立ってウィル!」
リンがウィルを助け起こし、態勢を整える。改めてまわりを見渡すと、ニ体の亡霊と穢れしウンディーネが二人を包囲していた。
「二手に分かれよう。まずは敵の数を減らすんだ!」
頷き合った二人は左右に別れて走る。
ウィルは触手を発動させ、一体の亡霊に走り寄った。ウィルの魔力に反応したのか、穢れたウンディーネがウィルに汚水流を投げつける。
飛び上がって避けたウィルは剣を振り上げ、亡霊に叩きつける。亡霊は剣がその霊体に触れる寸前に掻き消えた。
ウィルは自分の右側を触手で薙ぎ払った。しかし、予測は外れ触手は空を切る。
「ちっ」
ウィルの背中にひんやりとした何かが触れた。
「ああああああああああ!」
背後から亡霊に覆いかぶさられ、ウィルは力を抜かれていくような感覚に陥った。崩れ落ちそうな膝を気力で支え、背中にしがみつく亡霊を触手で締め上げる。そのまま引き剥がすと強引に亡霊の霊体を引きちぎった。
二つに分かたれた亡霊は恨みのこもった嘆きを残しながら消えていった。
「はあっはあっ」
ウィルは肩で大きく息をして整えると、顔をあげリンの様子を伺う。リンも亡霊と戦っているようだ。ウィルは挑発するかのように魔力の出力を上げる。それに釣られた穢れしウンディーネがウィルに向かってきた。
「そうだ! こっちへ来い!」
ウィルは穢れたウンディーネをリンから引き離すように走り始めた。
左手で展開した盾魔法をかざし、リンは亡霊の攻撃を受け止める。カウンター気味にショートソードを突き出すが、亡霊は素早く後退し回避する。亡霊の魔力の礫がリンを狙う。リンは亡霊に向かって走りつつ、ステップを入れて回避した。
リンは盾魔法を解除し、魔力の散礫を放つ。広範囲に拡散された魔力の礫が亡霊を捉える。礫は亡霊に小さな風穴を開けていった。
リンは亡霊に肉薄し、剣を振るう。亡霊は姿をかき消し、リンの背後に回り込んだ。
「!」
背筋に冷たい気配を感じ、リンは前に向かって飛び出した。亡霊から距離を取り、振り返って亡霊の位置を確認する。
「いない!?」
消えた亡霊を探すべく辺りを見回した時、リンはなにかに足を取られバランスを崩す。
「あっ!」
リンは後ろに倒れ込み尻もちをついた。
「なんなのよ、もう」
リンは身体を起こし、上を見上げるとルーセリエンがリンを覗き込んでいた。
「ねえ……さ……ま……」
虚ろなルーセリエンの瞳がリンをじっと見つめる。
『殺してやる』
「姉さま!」
『盗賊め! 殺してやるわ! あの子は……あの子は一人で……私がいないとあの子は一人になってしまう……ああ、リン……リン』
「リン!!」
ウィルの声で我に返ったリンは真横に肉薄する亡霊に気がついた。
「嫌っ!」
リンは思わず剣を薙ぐ。亡霊は一気に後退した。その刃は亡霊を捉えられず、しかしそのままルーセリエンの足を切り裂いた。
『あぁああぁあああぁああああぁぁああああ!』
頭を抱え、痛みに身を捩りルーセリエンは苦しんでいる。
「姉さま! ごめんなさい! 姉さま!」
ルーセリエンにすがりつくリンをウィルが起き上がらせる。
「立って! リン!」
ウィルに支えられ立ち上がるリン。
「ウィル! 姉さまが!」
「大丈夫だ。まだ消滅したわけじゃない。リン、今は離れるんだ」
「でも」
「早く! ウンディーネが来る!」
リンの腕を抱えてウィルが引きずり戻す。
「ウィル! リン!」
「大丈夫かい!」
フェイとフローラが合流してきた。フェイは少し辛そうにしていたが、フローラはまだまだ余力がありそうだ。
「二人とも!」
「亡霊は倒したよ」とフローラ。
「あとはあの穢れた霊だけだね」
フェイが苦しんでいる穢れた霊を見て言う。
「リンの姉さんなんだ」
「なんだって?」
「あの霊は行方不明のリンの姉さんだったんだ」
「なんてこと……」
フローラが口を押さえて驚く。
「そうかい……そういやここは、あの事件現場の近くだったね」
フェイが辺りを見渡しながら言った。
「セオルのキャラバンが襲われたっていう?」
「ああ。確かあの時、セオルの両親や従業員の遺体は見つかったんだけど、エルフの女性の遺体は見つけられなかったんだ」
「姉さま……」
「エルフには正しい葬り方がある。もし、正しい作法で葬られなかった場合、エルフの霊は高い確率で穢れた霊になってしまうんだよ」
「フェイ、姉さまのことなんとかできないの?」
リンはすがるような目でフェイに訴える。
「あの状態ならまだなんとか浄化できるはずだよ。取り押さえて鎮魂の儀式を行えば――」
『許さない! 許さなあぁあぁぁぁあああい!』
突然ルーセリエンが叫び声を上げる。ルーセリエンは小刻みに震え、霊体から黒い瘴気のようなものが噴出する。瘴気はいくつかの塊となり、亡霊のような黒い何かに変わっていった。ルーセリエンには吹き出した瘴気と入れ替わるように、魔力が集中していく。
「亡霊が生まれた!? それにあれは――」
ルーセリエンが旋律を奏で出す。
「呪歌だ! 精霊が喚び出されるよ!」
「私が――私がやるわ!」
リンが進み出て祝歌を歌い出す。
「イ・スルムンドル ボステウ・エグネス・スオヴ」
『エ・ソロモンドロ バストゥオ・ウグヌス・ソアヴォ』
「キラムヌ・ウルディレス・モエ」
『セリムノ・オルデルス・マウ』
リンとルーセリエンの周囲に魔力が渦巻く。それはだんだんと炎の形を取っていった。
祝歌と呪歌、対になるその歌は精霊と交信するためのものだ。祝歌が精霊に力の行使を依頼する歌であるのに対し、呪歌は精霊を支配し、強制的に力を行使させる。エルフにとって呪歌は禁忌の歌であり、その歌唱は厳しく戒められていた。
「ニヴァム・エネテアム・クァイド・オクス・オクセテイ・ヌスケタル」
『ネヴィム・ウヌトゥイム・キエド・アクス・アクスツエ・ノスクティル』
「ウップロ・キルム・モ・オト・ウアデ・ヴィタム・モアム」
『オッポラ・ケロム・マ・アト・オイドゥ・ヴェティム・マイム』
渦巻く炎が収縮しニ体の大きなトカゲの姿を取る。サラマンダーたちから立ち上る熱気が周囲の空気を焼いていく。赤く輝くリンのサラマンダーと、どす黒く濁った炎に包まれた穢れしサラマンダー、姿形は同じなれど、全く印象の異なるニ体のサラマンダーたちが睨み合う。
穢れしサラマンダーは一声鳴くと、大きく息を吸い込み火炎を吐き出す。リンのサラマンダーもすかさず火炎を吐き出した。二対の炎はぶつかり合いその場で消滅していく。
「炎が消えていく!?」
「同じ精霊力をぶつけて打ち消してるんだよ! 精霊使いに精霊使いをぶつけるのはこのためさ!」
ウィルの疑問にフェイが答える。
「サラマンダーはリンが押さえる。あたしたちは亡霊もどきをやるよ! ウィル! フローラ! やつらをリンに近づけるんじゃないよ!」
「わかった!」
三人はリンを囲むように位置を移動する。それぞれ、武器を構え亡霊もどきに突きつけた。リンが穢れしサラマンダーの攻撃を押さえる間、三人はそれぞれ亡霊もどきを屠っていく。数は多いが、本物の亡霊と異なり、瞬間移動のような技はもっていないようだ。
『あぁぁああぁぁあ! 殺すな! 仲間を! 家族をおおぉおお!』
ルーセリエンは取り乱し、頭を抱え身を捩る。制御に失敗したのか、穢れしサラマンダーが消えていく。ルーセリエンはうなだれ、動かなくなった。
「いまだ! ウィル、あんたの触手で彼女を抑え込むんだ!」
「わかった!」
亡霊もどきを片付け終えたウィルが飛び出していく。ルーセリエンを縛り上げるべく、四本の触手を長く伸ばす。
『きぃいいいぃいいいぃいやぁぁあぁああああ!』
ルーセリエンがのけぞり叫び声を上げ始めた。魔力や瘴気、色々な力が彼女に流れ込んでいく。
『リン! リン! リィィィィィイイイィィン!』
ルーセリエンから力場が発射され全員が大きく吹き飛ばされる。
「きゃああああ!」
地面に叩きつけられる寸前に態勢を整え、なんとか受け身をとり起き上がったリンは、ルーセリエンを見た。
先程までは希薄だった霊体が光を通さないほど濃く、はっきりとしたものに変わっていく。口は裂け、虚ろだった眼差しは、眼窩が落ちくぼみ、深く、暗い穴のようだ。頬はこけ、しゃれこうべのような顔が禍々しさを際立たせている。指先と爪は鋭く長く伸び、月明かりを反射しギラリと輝いた。染みが広がるように、体中が黒く染まっていき、先程まではなかった黒い渦が彼女のまわりを回りだした。
「姉さま!」
リンの悲痛な叫びに反応することなく、ルーセリエンは微動たりもしない。収まりきらなかった魔力がぱりぱりと黒い稲妻となって彼女に纏わりついている。
「まさか……暗き……霊威……」
フェイの小さなつぶやきが、驚くほどはっきり聞こえた。
暗き霊威は穢れた霊が稀に進化する上位存在だ。神格化した強大な霊威を持ち、世界を歪める災厄と呼ばれる。
これまでも何度か世界に現れ、その度に大きな被害を残してきた。ウンブリオンが招き入れた外の世界の災厄の中でも、最も恐れられるもののうちの一つだった。
ルーセリエンはまだ進化しきったわけではないが、このまま変化が進むと間違いなく、新たな災厄が誕生するだろう。
「みんな! 逃げるよ! 太刀打ちできる相手じゃない!」
フェイの叫びが黒い稲妻が奏でる雷鳴にかき消される。黒い稲妻は激しさを増し、周囲を無差別に打ちつけた。
『オォォォォオオオオオオ』
暗き霊威は再び力場を放つ。力の輪が全周に向かって突き進む。ウィルは咄嗟に剣を立て自身の前に突き出した。剣の刃に当たった力場が左右に裂けウィルの脇を抜けていく。力場は魔力で構成されているようだ。
「みんな! あれは魔力だ。盾魔法で防げるぞ!」
ウィルの声を聞いた面々は力場を警戒し、各々盾魔法を発動する。
「盾魔法で防御しながら後退だよ!」
「姉さまはどうするの! このままにしておけない!」
「あれはあんたたちの敵う相手じゃない! このままだと殺されるよ!」
「でも!」
あくまで撤退を指示するフェイにリンが食い下がる。
「でもじゃない! 少なくとも増援が来ないとどうにもならないよ!」
「増援なんていつ来るんだよう! 待っている間に私たちも村もやられちゃうよ! 世界を歪める災厄なんでしょう、あれ!」
フローラもフェイに異を唱える。言伝を頼んだ行商は昨日村を出発したばかりだ。王都まで三日、増援がこちらに着くまでにさらに三日、暗き霊威が自分たちと村を滅ぼすには十分すぎる時間だ。
「しかし、このまま戦っても――」
暗き霊威は叫び声を上げると、黒い煙のようなものを吐き出した。煙は蛇行しながらフローラに向かっていく。
「え、なに!?」
煙は羽音を立てながらフローラに向かって突き進む。
「虫!?」
小さな虫の集合体は一つの大きな生き物のようにフローラにまとわりついた。無数の小さな顎がフローラの肌を削り取っていく。
「いやああ!」
腕を振り回し虫たちを振り払おうとするが、手応えなく虫たちはフローラの腕をすり抜けていく。
「しゃがんでフローラ!」
誰かの叫びに反応しフローラはぐっとしゃがみ込んだ。突然の動きについていけなかった虫たちがフローラの頭上に残される。そこにどこからともなく火球が飛び込んで来た。
火球は虫たちに直撃し焼き尽くす。キキーと苦悶の悲鳴をあげ、黒い煙は霧散していった。
「フローラ!」
火球を放ったセオルがフローラに駆け寄る。フローラの肌は無数の傷を受け血が滲んでいた。両手をつき、荒い息をはいてしゃがみ込むフローラに、セオルがポーションを振りかける。
「大丈夫?」
「ありがとう、セオル」
フローラはセオルの手を借りて立ち上がった。他の仲間たちも二人の元にやってくる。
「フローラ、セオル、大丈夫か」
ウィルの呼びかけに二人が頷く。
「あれは何なの?」
「あれは――」
事情を知らないセオルに四人が説明する。
「大変な事になってるみたいだね」
「ああ、あれは太刀打ちできる相手じゃない。合流してもらって悪いけど撤退するよ」
「それだと姉さまはどうなるの!」
「まだ言ってるのか、リン! 引くべきときに引けないのは素人のやることだよ。あんたたちも正団員になるんだ。判断力を磨かないとすぐに命を落とすことになるよ!」
「……」
フェイに叱責され俯くリン。頭では理解できても感情の方はそうはいかない。幼い頃から二人で旅をしてきたリンにとって、姉は育ての母とも言える存在だった。せめて清浄な状態に戻したいと思うのも無理はない。
「セオル、なにか作戦を思いつかないか?」
「ウィル! お前まで――」
「あれは世界を歪める災厄なんでしょう。ここで引いたって最後は村と一緒にやられるだけだ。増援も来るまでに時間がかかる。俺たちが助かるにはここでなんとかするしかないよ」
「なんとかするったってどうするんだい!」
「あれは使えないのかな?」
考え込んでいたセオルが呟く。
「あれって?」
「さっき、フェイさんが怨霊と戦っていたとき、サラマンダーが吐く炎の舌から怨霊が逃げ回っていたんだ。最初は火が苦手なのかなと思っていたんだけど、あれは炎が発する光から逃げていたんじゃないかって。違いますか? フェイさん」
セオルがフェイに問いかける。突然話を振られたフェイは驚きながらも少し考え、応えた。
「確かに、死霊の類は光を苦手にしているね。だけど、相手は暗き霊威だ。サラマンダー程度が発する光じゃ意味がないよ。さっきリンが召喚していたし、本人も召喚していた。暗き霊威は身じろぎ一つしていなかったじゃないか。サラマンダーじゃどうにもならないよ」
「ええ、僕もそれは見ていました。ただ、もっと強い光ならどうでしょう」
「そりゃ、そんなものがあれば効果はあるかもしれないが、どこにあるってんだい」
「リン」
セオルは振り返り、リンに声をかける。
「リンにはその方法があるんじゃない?」
一瞬考えたリンはその方法に思い当たり、顔を青くする。
「あれは! あれは上位精霊よ! サラマンダーのような四大精霊とは全然違うわ! それにまだ召喚に成功したことがないのよ?」
「でも、今まさに必要だ。それに」
ウィルが割って入る。
「それに?」
「リンは言ってたじゃないか。あの歌はお姉さんが教えてくれたものだって」
リンが息を呑む。
「それは……、そうだけど」
「俺も手伝うよ。リン、思い出して。ウンディーネを初めて喚んだときのことを。あの時もぶっつけ本番だったじゃん」
「でも」
「どのみち今あれをなんとかしないと、俺たちも、ひょっとしたら世界すべてが潰されてしまうんだ。リン、お姉さんの歌で彼女自身と世界を救うんだ!」
リンはすぐに答えを返すことができなかった。不安げな顔でウィルを見つめる。ウィルもリンをまっすぐに見つめていた。自分に本当にできるのか、そんな思いがリンの中で駆け巡る。
「リン」
ウィルの手がリンの肩に置かれた。温かなウィルの体温がリンの強張った体に伝わってくる。
「リンならできるよ。大丈夫」
ウィルがにっこりと微笑む。他の皆がリンを見ていた。
仲間たちの存在がリンの心に一筋の勇気をもたらす。不安げだったリンの表情は次第に決意のそれへと変わっていった。
「わかった。やるわ!」
リンの言葉に仲間たちが破顔する。フェイを除いて。
「リン、さっきあんたが言ってたようにソルの召喚はまだ成功したことがない。あたしもソルは喚べないしね。本当にあんたにできるのかい?」
厳しい表情でフェイが問いかける。
「わからない。でも、他の選択肢には破滅しか待っていないんでしょう? だったら、これに賭けてみるしかないと思う」
リンの真剣な表情を受け止めたフェイは、負けたとばかりに大きく息を吐き出した。
「仕方ないね。わかった、あんたらの好きなようにやってみな」
「よし! やろうみんな!」
ウィルの号令に一同の決意の声が返る。その眼に世界を滅ぼす恐ろしい脅威が映ろうとも、もはや皆の心が揺らぐことはなかった。
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