Chapter 1 Part 2
「管制官の片山さんだね?」
その声に振り返ると、そこには管制保安部部長の佐藤健一が立っていた。佐藤はどっしりとした体格に、温厚な笑みをたたえている。彼の纏う雰囲気からは、長年積み重ねてきた経験と確かな実力が自然と滲み出ていた。
「これからお世話になる主幹管制官の片山直樹です。よろしくお願いします。」
片山は深々と頭を下げた。佐藤は笑顔を崩さぬまま、手を差し伸べる。
「管制保安部部長の佐藤だ。そんなに堅苦しくなくていい。これからよろしく頼むよ。」
その温かな言葉に、片山の肩の力は少し抜けた。彼はしっかりと佐藤の手を握り返し、その表情には新たな環境で挑む決意が浮かんでいた。
「それじゃあ、早速管制塔に案内しよう。」
佐藤の背中を追って歩く。羽田空港の管制塔は想像以上に巨大で、各フロアが部門ごとに分かれ、絶え間なく稼働していた。片山はその広さに圧倒されながらも、全てを把握しなければならないという責任感に駆られた。
やがて管制室に案内された片山は、そこで新たな相棒を紹介された。新人航空管制官、山口真奈美。二十代半ば、短い髪をひとつにまとめた精悍な姿に、意志の強さを宿す瞳が印象的だった。
「初めまして、片山さん。山口真奈美です。よろしくお願いします。」
「こちらこそ、よろしく。」
片山は彼女の差し出した手を力強く握り返す。その真剣な眼差しに、かつての自分を重ね合わせた。幼い頃、飛行機事故を目の当たりにして心に刻んだ決意。――どんな困難な状況でも、空の安全を守る。真奈美もまた、同じ志を胸に秘めているに違いない。片山はそう感じ、心の中で静かに応援の気持ちを抱いた。
その後、片山は管制部のメンバーとも顔を合わせた。まず現れたのは、定年間近ながら鋭い判断力を保ち続けるベテランの主幹管制官、田辺勝彦。寡黙に見えるが、その存在感は圧倒的だった。
「よろしく頼むよ、片山君。羽田はなかなか厳しいからな。」
短い言葉の中に、羽田空港への深い愛情と誇りが込められていた。
次に案内されたのは管制塔隣のレーダールーム。広大なモニター群に無数の航跡が映し出され、リアルタイムで航空機の動きが管理されていた。
「こちらが主任管制官の三津谷雄介さんです。」
真奈美の紹介に応じて現れたのは、穏やかな表情を浮かべた中堅管制官。三津谷は柔らかい口調で言葉をかけ、片山と握手を交わした。
「主任管制官の三津谷です。よろしくお願いします。」
その直後、背後から明るい声が飛んできた。
「三津谷さん、実は娘さんにめちゃくちゃ甘い子煩悩パパなんですよ。」
振り返ると、カジュアルな服装の管制官がニヤリと笑っていた。三津谷は少し苦笑しながら肩をすくめる。
「……おい、余計なことを言うな。」
「いやいや、いいことじゃないですか。娘さんの写真、デスクにずらっと並べてるじゃないですか。」
片山は思わず小さく笑みをこぼした。職場に漂う緊張の中で、こうしたやりとりが空気を和ませているのが感じられた。
続いて紹介されたのは、その声の主――主任管制官の内田翔平だった。私服に近いカジュアルな装いで現れ、軽く肩をすくめて言った。
「主任管制官の内田です。よろしくお願いしますね。」
すると今度は三津谷がすかさず口を挟む。
「こいつ、先週彼女に振られたばかりだから、今日はちょっとナイーブかもしれませんけどね。」
「それ今ここで言います?」
内田が大げさに顔をしかめ、周囲に笑いが広がった。片山も思わず苦笑しながら、内田の差し出した手を握った。
「……にぎやかな職場ですね。」
「まあ、こんな感じですよ。」と三津谷が肩をすくめ、内田は「だから片山も気楽に行きましょうよ。」と笑いながら返す。そのやりとりに片山の緊張も少し和らいでいった。
最後に現れたのは、若手管制官の篠田恵。几帳面さを感じさせる所作で姿を見せ、真摯な声で挨拶をした。
「篠田恵です。未熟者ですがよろしくお願いします。」
彼女は片山の手をしっかりと握り、真剣な眼差しを向けた。その瞳から伝わる責任感と真面目さに、片山は瞬時に信頼を覚えた。
羽田空港という大舞台で、彼らと共にどのような試練に挑むことになるのか。片山の胸には、静かな覚悟と期待が入り混じっていた。
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その日の夜、片山は佐藤の監督の下でシュミレーション訓練を終えた後、自分専用のデスクに通された。まだ使い込まれていない真新しい机の上には、業務マニュアルや分厚い資料が整然と積まれていた。片山は椅子に腰を下ろすと、これからの日々を改めて実感する。
管制官たちは次々と帰路についた。
内田は
「じゃあ片山さん、明日からよろしくです。初日で根を詰めすぎないようにしてくださいよ。」
と軽口を叩き、笑顔で去っていった。篠田も
「分からないことがあれば遠慮なく聞いてくださいね。お疲れ様です。」
と明るく声をかける。
三津谷は
「明日から本番ですね。よろしくお願いします。」
と落ち着いた声を残して帰宅した。
最後に真奈美が片山のデスクに立ち寄った。
「お疲れさまでした、片山さん。明日からよろしくお願いします。」
真剣な眼差しを向けてくる彼女に、片山は静かにうなずいた。「お疲れ様、山口さん。こちらこそ、よろしく。」
やがて管制部のフロアは静けさに包まれ、片山だけが残った。蛍光灯の白い光が机の上を照らす中、彼はマニュアルを開き、次々と付箋を貼り、要点を細かくメモに書き込んでいた。ページの余白には小さな字で補足を書き足し、重要な項目には赤線を引いた。膨大な情報に対しても、片山の表情は真剣で揺るがない。長年の経験を持ちながらも、羽田では新参者。慢心を見せる余地はなかった。
やがて時計の針は夜の9時を回っていた。そのとき、帰り際の田辺がふと足を止めた。静まり返った室内で一心に資料に向かう片山の姿を見て、目を細める。
「……熱心だね。」
「覚えることが多くて、つい。」
片山が顔を上げて苦笑すると、田辺は無言で机の上の付箋や細かなメモを眺めた。その几帳面さに、長年の経験を積んできた彼も思わず感心したように小さくうなずいた。
「初日からこれだけやるとは大したものだ。まあ、無理はするなよ。」
それだけ言うと田辺は軽く手を挙げ、静かにオフィスを後にした。残された片山は再び資料に目を落とす。静寂の中でページを繰る音だけが響き、羽田での日々への期待と緊張が胸の奥で静かに燃え続けていた。




