99 長男の悲劇
更紗は2月中に信州大学の合格が決まり、絹子と一緒に引越しのために松本に出かけて行った。
紫苑は、幸い前期試験で長岡技術科学大学に合格した。
そして、後閑悠仁は、前期試験で信州大学医学部保健学科に合格し、将来は百葉村の父親の元で、臨床検査技師として働く道が開けた。
悠仁は早速、更紗に合格の知らせを送った。更紗からは親しげな返事が来たが、残念なことに入学後は、更紗の回りには多くの男子学生が集まって、彼のつけいる隙は全くなくなった。
紫苑は、長岡市への引越しの前日、鈴音のマンションに呼び出された。
紫苑も相談したいことがあったので、すぐマンションにやってきた。
「姉ちゃん。何?」
「例の、生活費の話をしようと思ってさ」
「うん。一応、日本学生支援機構の給付奨学金が通ったんで、それ以外の金を父ちゃんから貰った。最初の生活費で20万円受け取って、教科書や最初の生活費に使うことにした」
「良かったね。それ以外の経済支援は、学生課で確認してね。ただ、減免や給付ならいいけれど、貸与だと返さないといけないから・・・」
そう言って、鈴音は紫苑のスマホから、「郵貯通帳アプリ」を開かせた。
「ああこれに、父ちゃんが20万円入れてくれた。ん?お金が増えている」
その疑問を解消するために、鈴音は紫苑のApp Storeから、「思い出ポスト」のアプリを開かせた。
「ああ、銀河が祖母ちゃんのために作ったアプリだろ?百葉村限定だよね」
「ううん。これは、地図データを食わせれば、日本全国、世界でも使えるアプリなんだよ。ただ、地図データを食わせるのは、なかなか大変なので、銀河はそのまま放っておいたの。それでも、新しく百葉村に来た人が、どんどんデータを入れてくれるから、少しずつ売上が出ている」
紫苑は、鈴音の意図が読み切れず、綺麗な黒い瞳で鈴音を見返した。
「その収入が、俺の通帳に入っているってこと?」
「銀河がね、これから4年間は、紫苑の通帳に売上が入るようにしてくれたんだ」
紫苑は複雑な顔をした。銀河が喜んでそんなことをするわけがなかったからだ。
「嬉しくなさそうだね。私と蒔絵が頼んだんだよ。まあ、そんな顔をせず続きを聞きなさい」
(俺はそんなこと頼みたくなかった)と、紫苑は納得しないような顔をしていた。
「銀河はね、これ以外にも何本もアプリを作ったり、百葉村のシステムの保守や運用、未来TECでのシステム開発に携わったりして、新入社員以上の収入があるって知っていた?」
「知るわけがないよ。銀河は最近俺と話をしないもん」
「そうだろうね。ただ、銀河は未成年だから、その収入を未来TEC社の方で管理しているの。そうでないと、家計の収入が上がって、紫苑が奨学金を借りられないでしょ?」
「じゃあ、銀河の生活費は誰が出しているの?」
「銀河が、未来TECにすべて必要経費で請求しているの。父さん達は1銭も出していないよ」
「立派なだねぇ」
鈴音は、紫苑の子供っぽい反応は無視して、話を続けた。
「勿論、紫苑の生活費までは、必要経費では出ないので、銀河は『金のなる木』を貸してくれたのよ。このアプリを4年間、紫苑が好きに使っていいそうよ。例えば、都内の地図を食わせれば、莫大な収入が得られるんじゃない?勿論、宣伝したり、地図会社と交渉したり、クレーム処理したり、バグ取りしたり、手間はかかるけれど、育て方によったら、紫苑の4年間の生活費なんか簡単に出るわよ」
「これ、iPhone用のアプリなんでしょ?」
「そうね。安全のため、iPhone用に作ってあるよ。Android用に直すのは大変だから、紫苑も手を出さないで」
「そもそも無理だ。アプリなんて作ったことがない」
「工学部に入ったんでしょ?教授に相談して1から勉強してみたら?」
紫苑は暫く考えて、最後には諦めて声を絞り出した。
「これ、そのまま持っていても、売上は入るんだよね。銀河に『ありがとう』って言っておいて、後は、長岡でアルバイトをして、不足分を出すよ」
紫苑は、直接銀河に御礼も言えなかった。
そう言うと、紫苑は鈴音から、いくつかの家財道具と古いマックを貰って、帰って行った。
後日、その話をすると銀河は、さもありなんという顔をした。
「まあ、プログラムを書き換えなくても、売上が上がる方法もあるんだ。4年間で紫苑がそれに気がついたらいいけれどね」
銀河はそう突き放した。
その翌日、紫苑は、鉄次の軽トラックに、バイクと家財道具を乗せて、長岡に向かった。
「俺が免許を持っていたら、高速道路くらいは、ハンドル代われるのに」
久し振りに父親と2人きりになっても、紫苑は特別に話すことがなかった。
「気にするな、俺は運転は苦にならないから。紫苑は長岡で教習所に行くのか?」
「まあ、金が貯まれば・・・」
「悪いな。生活費をほとんど出してやらなくて。祖父ちゃんも俺も好きな仕事はしているが、たいした稼ぎがないからな。母ちゃん1人の稼ぎに頼ってばかりだ」
「しょうがないよ。海の家が流されたんだから」
「そう言って貰うと有り難いな。紫苑も災害で進路を変えなきゃならなくて、苦労掛けたな。ただ、俺としては紫苑が海に出なくて良かったと考えているんだ」
それは、遠洋漁業に出ていた鉄次の言葉とは思えなかった。
「今更なんだけれど、遠洋漁業の方が稼げたのに、父ちゃんはどうして海の家をやろうと思ったの?」
鉄次は、暫く考えて決心したように口を開いた。
(紫苑ももう成人だから、話したほうがいいな)
小さく呟くと鉄次は、菱巻家の歴史について話し始めた。
「紫苑は伯父ちゃんのことを覚えているか?」
「うん。秀壱伯父ちゃんだろう。俺が生まれる前に、海難事故で亡くなったんだよね」
「海に落ちて、祖母ちゃんの目の前で、鮫に食われたんだよ」
何も言えない紫苑の手を、鉄次が軽く叩いた。
「祖母ちゃんはリウマチで船を下りたって言うけれど、本当の理由は、秀壱兄ちゃんの事故が原因なんだ。俺だって、『代わりに海に行け』って言われたって、海を目の前にしたら足が竦むよ。
そんなわけで、家族全員が陸に上がったって訳だ」
紫苑は、その話の中で何かひっかかることがあったようだ。
「秀壱、鉄次・・・銀次。え?祖父ちゃんも次男なの?」
「あーそこも話したほうがいいのかな?祖父ちゃんにも鈴壱って双子の兄がいたらしい。その人は生まれてすぐ死んだみたいだけれど」
「あー。姉ちゃんが、『鈴音』なのはそこから来ているのか。そして、俺に『壱』がつかないのは、縁起が悪いからか・・・」
鉄次は、缶コーヒーを飲んで、乾いた唇を湿らせた。
「今から話すことは、心に留めておけよ。百葉村には昔、船乗りとして雇った中に外国人もいっぱいいたんだ。その船員と関係を持った人が、村には何人もいる。
そして、家の曾祖母ちゃんが結婚したのもそういう船員だ。曾祖父ちゃんはアフリカ系の血を引く人とのハーフで、まあ日に焼けた船員の中ではそんなに目立たなかったんだが、鈴壱曾祖父ちゃんは、黒人の特徴を色濃く引いていた」
「曾祖父ちゃんって、そのまま百葉村に居続けたの?」
「いや、2人がお腹にいることも知らなかったんだろうな。また、別の船に乗ってどこかに行ってしまった。生まれたのは、それぞれ黒人と黄色人特徴を持つ双子って訳だ」
「それって・・・」
「そう。曾祖母ちゃんの実家で育てられたんだけれど、なんせ、田舎だろう?
色が黒い方の子供が、ひどい扱いを受けたのは、想像つくよな?
生まれてすぐ殺されたのか、まともに乳が貰えず、衰弱死したのかよくは分からない」
田舎の漁村で、異国の血を引いた子がいたら、かなり目立ったろう。
「その遺伝子ってその後発現したの?」
「秀壱兄ちゃんは、かなり色黒だった。だからな。うちの3人の子供が色白で、みんなほっとしたんだ」
「今は外国人の血を引いていると、背が高くなったり、高い運動能力を持っていたりって、持て囃されるのにな。あっ」
「そう、銀河の筋肉質の体やパワーは、日本人離れしているだろう?」
「確かに、日本人はそんなに簡単に、お姫様抱っこできないよな。ちょっと待って、もう一軒そういう家が・・・」
「物事は推測で言ったらいけないが、俺も紫苑と同じ考えを持っている。あそこの3人の体形は日本人離れしている。外国人の血を引いていることは一目瞭然だよな」
もう一軒は鮫島家だ。背が高く外国人体形で、顔もどこか異国風の穂高。女性にしては高身長の妹たち。特に蒔絵はメリハリボディの上、目がぱっちりとしていて、唇もぽっちゃりしている。
外国人の血を引いている銀河と蒔絵の子供に、鉄次がどんな不安を抱いているか。その話までは進まなかった。
車は海老名SAに停まった。
「さあ、下りよう。休憩だ。更紗にメロンパン食っている写真でも送ってやれ」
更紗に写真を送った後、紫苑は改めて、「思い出ポスト」のアプリを開いて、古い写真を見直してみた。鉄次の隣で、白い歯を見せて笑っている秀壱の写真が見つかった。百葉高校の制服を着ていた。
更紗からの着信に気がついて、紫苑はアプリを終了させた。
ククサを持った笑顔の写真と共に、更紗からコメントが帰ってきた。
「バイトNOW。長岡の花火の時は、いい席を用意しておいてね」
鉄次は紫苑のスマホを覗き込んだ。
「更紗ちゃんは、すっぴんでも可愛いね。8月には遊びに来てくれるみたいじゃないか」
紫苑は、長岡に来た更紗を車で案内したいと考えた。
「先立つものが必要なんだよなぁ」
ついに次回で100話を迎えます。3月には大きなイベントがありますが、高校2年になっても、イベントが盛りだくさんです。次回は登場人物紹介②で、①以降の新しい人々の紹介をします。