98 16歳って子供なんだ
「おばさんすいません。お仕事休ませてしまって」
「銀河君、他人行儀だな。今日は看護休暇を取ったから気にしないで」
新しいMT百葉駅の改札で待ち合わせをした3人は、すぐ改札を通過して、8:10分発の「MT海原駅行き」に乗り込んだ。2両編成の車両には、ゆったりとしたシートが進行方向並んでいて、それを新幹線のようにボックス席に直して、3人は座った。
「この内装で運賃が500円って信じられないよね」
いつも車で海原町に行っている絹子は、今日が初めての乗車で、かなり興奮している。
「そうですね。文化祭の時、担当の上村君のお父さんとお話ししたのですが、その時の希望も随分反映していただいていると思います」
「銀河君、どんなことを希望したの?」
「バイクを乗せたいって言ったんです。だから、後方車両に、バイクや自転車を乗せられる場所がありますよね。窓は海が見えるように大きく取って下さいってお願いしたら、こんなに大きく取ってあるし、外装のイメージカラーは、海の青と波の白、山の緑って希望を言ったら、青い車体に白波が描かれている」
蒔絵が、窓から入る朝日を避けるようにブラインドを下ろした。
「うわ。このブラインドに木の模様が描かれている」
「あーそうか。これが、山の新緑を表わしているんだ。ちょっと2人で窓際に体を寄せてください」
早速、「鉄オタ」を全開にして、銀河が蒔絵と絹子を入れて、車内の写真を撮った。
気が済むまで写真を撮った銀河は、再びしゃべり始めた。蒔絵は嬉しそうな顔でそれを見つめていた。
「それとこれを見てください。窓際ってついペットボトルとか起きたくなりますよね、でも、窓から落ちるといけないから普通は置けないです。それがこの車両には、窓と座席の間に、物が置ける台があって、その下には荷物も置けるんです。台からはこうやって、滑り止めがついた机を引き出すことが出来て、食事をしたり勉強したり出来るんです」
いつもあまり一人でしゃべり倒したりしない銀河だが、今日はよくしゃべる。
「銀河、このシートベルトは何だろう?」
「え?列車にシートベルトはいらないはず・・・あっ、わかった。子供がシートから転げ落ちないようになっているんだ」
「保育士さん達が、子供に朝ご飯を食べさせながら通勤できるね」
絹子の言葉に、蒔絵が反論した。
「朝、食べさせてから来ればいいのに」
「そんな時間は朝ないわよ。離乳食が始まったりしたら大変だから」
蒔絵達は、藍や茜の離乳食にはあまり関わっていないので、こんな感想が出たのだろう。
「生活者用列車なんだね。朝、観光客がいっぱい乗ってきたら大変だね」
「この車両は、朝と夕方は定期使用者しか乗れないようになっているみたい」
蒔絵が車内の掲示をみて、銀河に説明を始めた。
「都会の、女性専用車みたいだね」
LRTは、林の中を抜けるコースに入ったので、朝日が眩しくなくなった。蒔絵はブラインドを上げ、窓から外の景色を見た。
「林の中を走るね。窓を開けたら風が気持ちいいかな」
「蒔絵、窓を開けてもこの区間は、風が入ってこないよ」
蒔絵は再度窓の外を凝視した。
百葉LRTは、MT百葉駅からMT海原駅間は、透明のチューブの中を走る仕様になっている。
開通したばかりというのもあるが、チューブには特殊な加工がされていて、汚れが付着しにくいようになっている。
「透明なトンネルの中を走るんだね」
「土砂崩れと動物対策らしい」
蒔絵と銀河は、この途中のガソリンスタンド跡で、熊に襲われたのだった。
「じゃあ、たまにチューブの外に熊が張り付いていたりして・・・」
笑いながら、3人が山側の窓に目を凝らすと、親熊と2匹の子熊がチューブに張り付いて、爪を立てていた。
「いたわ」
「サファリパークみたいね」
絹子の感想に、蒔絵と銀河は引きつった笑いしか出来なかった。
30分の列車の旅が終わると、3人は、MT海原駅間から海原駅循環バスに乗り換えた。
「バス以外の交通機関はないの?」
蒔絵の質問に、銀河が駅の裏の駐車場を指さしながら説明した。
「駐車場に数台、ライドシェアの車があるよ」
「至れり尽くせりだね。千葉大学まで、百葉LRTが繋がっていたら最高なのに」
「3年後にはMT西千葉駅、5年後にMT成田駅、6年後にはMT筑波未来駅が出来る予定だけれどね」
絹子はスマホのカレンダーを検索して答えた。
「おばさん。途中駅はないんですか?」
「ないみたいだね。その代わり、どの駅にも直通で向かうから、スピードが出るよ」
「じゃあ、百葉高校の生徒は、みんな千葉大学に行かなきゃ」
蒔絵は楽しそうに笑った。
蒔絵が小さい頃からお世話になっている、産婦人科につくと、蒔絵は急に不安になってきた。銀河に肩に触れて貰うと少し安心するが、妊娠して2回目の通院で、こんな不安を抱えるとは思ってもみなかった。
生理が重い蒔絵は、中学校の頃から、試合の時にピルを処方して貰うなど、この産婦人科には何度も通っている。いつも優しい水野高子医師が、今日も蒔絵を迎えてくれた。
「どうしたのかな?」
「夕べ、うっかり転んで出血したんで、流産しかも知れないと思って・・・」
銀河は蒔絵が忘れていた情報も付け加えた。
「1月に入ってから悪阻がひどくて、1日に3回ぐらい吐いていて、食事もまともに食べられないんです」
水野医師は、2人の話を頷きながら聞いた。
「そうか、不安だったね。じゃあ、悪いけれど、内診台に上ってくれるかな?ちょっと見せて貰うね」
内診が終わるとベッドの上で、お腹を出してエコー診察が行われた。1ヶ月ほど食事を満足に食べられていない蒔絵は、肋骨が少し浮き出ている。
「ほらー。赤ちゃんの心臓は元気に動いているよ。手も動かしているのが見えるかな?」
銀河は、涙を堪えているのか、鼻を啜っている。
「エコーを撮ったから、持って帰ってね。悪阻はそろそろ治まるけれど、一応、悪阻の症状を和らげる薬を出そう。食事は、食べられるものなら何でもいいから、お腹に入れて。また、1ヶ月後にいらっしゃい」
絹子は、安心した顔で、転院の話をし始めた。
「最後に先生にお話ししておきたいことがあるんですが」
「なんでしょう?」
「今度、百葉村に産婦人科が開業するんです」
「百葉村は無医村ですからね。開業するのは産婦人科だけですか?」
「一応、産婦人科、小児科、内科、外科が入る予定です。中でも産婦人科は、群馬で開業なさっていた産婦人科さんがそのまま来てくださるので、蒔絵はそちらで出産させようかと・・・」
水野先生は、「群馬」という言葉に反応した。
「群馬って、まさか『後閑産婦人科』ですか?」
「よくご存知ですね」
「院長先生は、私の大学のサークルの先輩なんです」
蒔絵は目を輝かせた。
「じゃあ、新しい産婦人科の先生もバドミントン部だったんですね」
水野医師は悪戯っぽい目をした。
水野医師は自分もバドミントンをやっていた経験から、ピルも積極的に処方してくれていた。
「そうそう、5つ学年が上だけれど、奥さんは私と同じ年で友達なの。あそこは、後閑先輩の家は、3代続いた産婦人科だけれど、息子さんは小児科医を選んじゃったのよ。だから『俺の代で終わりだー』って、去年のOB会でお話しされていたんだよね」
転院について少し不安だった蒔絵は、質問を続けた。
「えー。どんな先生なんですか?」
「むっつりしているけれど、赤ちゃんを取り上げた時は、すごい笑顔になるよ。基本的に優しい先生かな?」
「あー。良かった。奥さんもバドミントン部だったんですか?」
「そう。奥さんは助産師さん。確か、娘さんも助産師の資格を取ったみたい」
絹子は、穂高が、その娘さんとお付き合い中だという情報は、話さないことにした。また、穂高が振られるかも知れないからだ。
診察の後、蒔絵は栄養補給のため点滴をすることになった。銀河は、絹子と一緒に、待合室に出て行こうとしたが、水野医師に呼び止められた。
「あっ。銀河君、ちょっと待って」
そう言うと、水野先生は看護師に耳打ちをした。
「なんですか?」
銀河は不安そうな顔をした。水野医師は、蒔絵のバドミントンのパートナーでもある銀河のことも知っていた。
「バドミントンマガジン」のグラビアで見た銀河は、いつも精悍な顔できつい目をしていたが、ここにいるのは、悪戯を叱られた時のような顔をした16歳の眼鏡少年だった。
看護師が持ってきた紙袋を渡しながら、水野医師は銀河に話しかけた。
「銀河君は、すごく蒔絵さんを大切にしているみたいだね」
「え?何の話ですか?」
「蒔絵ちゃんの産道が、ほとんど広がっていないからね。流産を心配して、大切にしているのかなって、思ったんだ」
銀河は、水野医師の言っていることを理解して、周囲の看護師の顔色を伺った。看護師達は、全員背中を向けていた。
「でもね。あんまり産道が硬いのも困るんだ。蒔絵ちゃんは産道にも筋肉がついているから、硬いんだよ。このままじゃ、赤ちゃんの頭が通らない。そこで、君の協力が必要だ」
銀河は恥ずかしいのと同時に、「産道」にも筋肉がつくことを知った。
「いいかい?悪阻が終わったら、優しく・・・ね。ただし、精液や唾液には細菌があるから、産道には入らないようにしてね。ここにゴムとローションを入れてあるから、これを使って、君のサイズくらいまでは、広げてあげなさい」
「入口」は、赤ちゃんにとって「産道」と言う「出口」である。銀河には新しい発見だった。しかし、蒔絵の鍛え上げた産道とどう戦ったらいいのだろう。銀河は呆然とした。
看護師が持ってきた紙袋には、サイズの異なるゴム製品とローションが入っていた。
「本当に、ゴム製品は自販機でも変えるけれど、ローションはなかなか選べないよね。これは人気があるからお勧め。気に入ったら、ネットでも買えるから。今は、試供品でこういう物も配っているんだ。無料だから、持って帰ってね」
銀河は「ローション」を選ぶ以前に使用法が分からなかった。銀河の知識は紫苑のベッドマットの下に隠されている男子用漫画雑誌からだが、すべて「男性が気持ちよければ女性も喜ぶ」という視点で描かれているので、「ローション」の出番がないのだ。
銀河は小さい声で、御礼を言って、紙袋を急いで、自分のボディバッグに押し込んで、診察室を出て行った。出がけに看護師が耳打ちしてくれた。
「ローションの使い方は、QRコードを読み取れば分かるから」
銀河はなるべく変なYouTubeを見ないようにしている。蒔絵に履歴やレコメンドを見られたくないからだ。産婦人科推奨のYouTubeがあるのは有り難い。
看護師達は、ドアが閉まると途端に、振り返った。
「かーわいい」
水野医師も小声で呟いた。
「多分あの子達、1回で妊娠しちゃったのよね」
銀河は待合室で、絹子と何気ない会話をして過ごすことにした。
「ご免ね。付き添いは私だけでもいいのに」
「おばさん。自分の子供ですから、俺が来るのは当然です」
そう言いながらも、銀河は、周囲からの痛いほどの好奇の目にさらされていた。
「蒔絵は大分痩せたわよね」
「すいません」
「銀河君のせいじゃないわよ。でも、そんなに食べられないの?」
「ご飯の匂いや、揚げ物とラーメンの匂い。コーヒーの香りも嫌がりますね。でも、朝はサンドイッチやサラダを食べますし、昼は栄養ゼリー飲んで保健室で寝ることが多いかな?俺は学食で食べています。夜は茶碗蒸しやプリンを食べています」
「甘い物は食べられるかしら?」
「今のままで甘いものを食べていたら、悪阻が終わったらとめどなく食べるような気がしますね」
「止めてよ」
「おばさん達も、冷蔵庫に甘い物を入れておくのを止めてくださいよ。俺まで太ります」
絹子は銀河の腹に視線を落とした。
「でも、銀河君、それほど太っていないよね。蒔絵に遠慮して食べていないの?」
「いや、そんなことないです。3月の高等学校選抜バドミントン大会に出るんで練習しているんです」
「ご免ね。蒔絵が妊娠していなければ、混合ダブルスで出られたのにね」
「いや、出産後、蒔絵はバドミントンを再開するつもりですよ。俺が大学に入っても、ジュニアなら一緒に出られますしね」
「そっか、若いから出産後でも体が動くかな」
「蒔絵は、何一つ諦めるつもりはないので」
「我が儘な娘でご免ね」
「いえ、いつも蒔絵は俺を引っ張ってくれるので、助かっています」
その我が儘娘は、点滴が終わると、元気に診察室から出てきた。
「お母さん。パフェ食べに行こう」
銀河と絹子は顔を見合わせた。
自分の経験不足を補うため?に、参考のため、TL系の漫画を見ると、本当に男性誌と表現が違うことに驚きます。まあ、何冊か見ると、手順がほとんど同じで、少し食傷気味にはなりますが・・・。