91 ウエストが細いうちに
「それで、姉ちゃん。例の件調べてくれた?」
蒔絵がマタニティグッズを物色している時、銀河は鈴音に尋ねた。
「うん。フォトウエディング出来るところでしょ?候補は2つに絞ったんだけれど、1つは百葉村に出張してくれるところ、もう1つは千葉の結婚式場提携のフォトスタジオ」
「百葉村から離れて、写真を取りたいな」
蒔絵が、がしっと銀河の腕を掴んだ。
「え?フォトウエディングって何?結婚式はいらないって言ったよ。お金もないし・・・」
「写真を撮るだけだよ。まだ、お腹が目立たないうちに、ドレスを着ればいいじゃないか。着物は疲れるから止めて、ドレスだけ。それも、2,3枚着て、結婚式場をバックに撮ろうって話だ。これは、双方の母親の希望なんだ。お金も2人が出してくれるって」
河豚のように膨れる蒔絵を前に、鈴音が笑いながら、付け加えた。
「出産したら、元の体型に戻れないかも知れないよー。それに銀河も今、一生懸命、ボディメイクしているし」
「あー。それでお尻に筋肉が付いているんだ」
「姉ちゃん、2つ目の会社は、ドレスが色々選べるんだろう?」
「まあ、選べるけれど、妊娠中は、何度も脱いだり着たりは少ない方がいいよ、疲れるから。それに、撮影は室内だから寒くないし、私もこっちがお勧めだね。じゃあ、2つ目の候補でいいね」
「日にちは、期末考査が終わった日曜日がいいな。行くのは、姉ちゃんと母ちゃん達と俺達の5人だね。車はうちのワゴンを使うの?場所は遠い?」
「ううん。会場までは車で1時間もかからないよ」
蒔絵はまだ納得がいかないようだった。
「高校生だって断られないかな?」
鈴音は蒔絵の肩に手を置いた。
「カメラマンは、私の高校時代の友達なんだ。彼女はね、東京で働いていたんだけれど、2年前に千葉に移ってきたんだ。彼女自身も、災害の影響で結婚式が2回流れて、まだ式を挙げられないんだよ」
「そんな」
「彼女が言っていたんだ。『やりたいことは、今すぐやらないといけない』って、体験に裏打ちされた言葉は心に響くよね?一番、綺麗な蒔絵ちゃんの姿を残そう」
「姉ちゃん、お言葉ですが、蒔絵は、出産後も綺麗だと思うんだけれど」
「うわー。確かに!まあ、出産後が一番綺麗だとも言うけれど、今言ったのは、『恋する乙女が美しい』って言うこと」
「恋」という言葉に銀河と蒔絵は、顔を見合わせて赤面した。
期末考査最終日、最終科目が終わった蒔絵は、両手を広げて立ち上がった。
「やばい。学年1位になったかも知れない」
銀河は肩をすくめた。
考査の翌日にクラス順位が乗っている成績が配布されたが、それは意外な結果だった。
1位は不動の菱巻銀河だったが、僅差で2位は武藤火狩がついて、3位は鮫島蒔絵だった。蒔絵は、すっと背筋が凍った。確かに火狩は神奈川の受験校F学園からやってきたから、当然の結果で、まして、銀河と一緒に飛び級入学を狙っている。それでも、医学部志望の蒔絵としては負けたくなかった。
里帆が側で優しく囁いた。
「しょうがないよ。蒔絵ちゃん、色々あったし」
「いや。まだ、悪阻もないのに、こんな有様じゃいけない」
里帆が困って銀河を振り返ると、銀河は気にもしていなかった。
「やる気になったところ悪いんだけれど、毎週日曜日は完全オフの日ってルールは変えないから」
里帆は蒔絵に尋ねた。
「日曜日何かするの?」
「家族サービス」
蒔絵としてはまだ気乗りがしないが、母達が喜ぶ顔を見ると、その気持ちは言い出せなかった。車の中でも、フォトスタジオのHPをボーッと見ながら、乗りに乗っている家族の会話に耳を傾けた。
「絹子おばちゃん、そんなに気合いが入った服を着て、更紗や穂高に気づかれなかった?」
「大丈夫よ、高校の時の同級会って言ってきたから」
「えー。そう言ってきたの?それじゃ、鉄次が含まれないと怪しまれるよ。私は、観劇に行くって、言ってきたけれど」
「いやぁ。海原町にそんな豪華な劇場あったっけ?」
「鈴音はなんて春二さんに言って来たの?」
「お母ちゃん。うちはそのまま正直に言って双子を預けてきたよ。
それよりも、私さ、百葉町に帰ってきて大分痩せたんで、昔の服を着ようと思ったんだけれど、ウエストだけ入らないから、夕べ必死にウエスト部分を直したよ」
蒔絵はやっと、母達の話題に興味を持った。
「体重が戻ってもお腹は戻らないってこと?」
鈴音は腰に手を当てて答えた。
「お腹の皮は伸びるし、腰の後ろに肉が付いて、いわゆる『ピーマン尻』になるのよ」
「銀河、女性の腹回りを凝視するんじゃないの」
黒一点の銀河は助手席で、運転席の鈴音に道案内をしていた。決して姉の腰回りを見ていたわけではないが、誤解されてしまった。
「いや。蒔絵は産後また運動できるから、そうはならないかと・・・」
「銀河、今回はあんたも大分お腹を搾ってきたけれど、年を取るとそう簡単に痩せなくなるのよ。基礎代謝が減るんだから」
姉に続いて、母親も息子の体形に苦情があるようだ。
「蒔絵ちゃんも、マッチョな銀河のほうがいいでしょ?」
蒔絵はいつもの答えを繰り返した。
「いや、ぽっちゃりしていた方が、寝心地がいいんで、太っていてもいいんですけれど」
3人の女性達は、視線を見合わせてしまった。比較的若い鈴音が代表して苦言を呈した。
「蒔絵ちゃん、天然なのは分かるけれど、高校生相手に『寝心地』なんて言っていないよね」
蒔絵は鈴音の言わんとしていることを理解した。
「今後気をつけます」
銀河が鼻で笑った。
「銀河、何を笑っているのよ」
「いや、なんにも。ほら、チャペルの前にカメラさんが待っているよ」
車を降りると、鈴音はカメラマンに向かって走って行った。
「久し振りぃ。今日は弟夫婦の写真をお願いします。両家の母親もついてきちゃった」
「鈴音ちゃん。贔屓にしてくれてありがとう。始めまして。藤田虹恋って言います。鮫島さんは、結婚式以来ですね。お元気でしたか?」
そう言って、虹恋が名刺を全員に渡した。
蒔絵が藤田の名前に注目した。
「虹に恋するで、ニコって読むんですね」
「はい。キラキラネームなんです。赤ちゃん出来ると名前って気になりますよね。うちの子供は、普通に『智恵』ですよ」
「どちらも素敵です。あー。私、蒔絵です。今日は宜しくお願いします」
蒔絵の気持ちは、少し和らいだようだ。
「じゃあ、銀河君と蒔絵ちゃんは、これから衣装を決めて、髪のセットと化粧もしますよ。銀河君も軽く化粧しますよ」
女性陣は一斉に銀河を見つめた。銀河は後ずさった。
「いや、いいです」
「眉毛を整えるだけだから・・・」
結局、銀河は、しっかり化粧をされてしまった。
「いやだ。韓琉スターみたいになったわね」
母と姉は、普段仏頂面の銀河をここぞとばかり、からかった。
蒔絵は、絹子と相談して、白いウエディングドレスと、脚に深いスリットが入った真っ赤なチャイナドレスを選んだ。
最初の撮影は結婚式場の階段だった。階段から今まさに下りようとした時、銀河が虹恋に声を掛けた。
「すいません。階段を下りる前にいいですか?」
銀河は蒔絵の前に跪いた。
「え?指輪?」
銀河は、この日のために結婚指輪を用意したのだ。
「虫除けのために、お互い指輪をつけたほうがいいと思って。田邊先生に学校でつける許可も貰ったよ。『制服自由化で、みんなアクセサリをつけるようになったから、別に目立たないんじゃないか』って」
「でも、この指輪、高いんじゃない?」
「見る人が見なければ分からないよ」
「この内側の石は何?」
「6月の誕生石。ムーンストーンが入っている。流石に真珠じゃ日常でつけていられないだろう?」
蒔絵はマスカラが取れないように、天井を見て涙を堪えた。
お互いの指輪交換の写真を撮り終わった後、2人で階段を下り、蒔絵の長いトレーンを階段に広げて、本格的な写真撮影が始まった。
ベアトップのドレスは、蒔絵の広い肩幅を目立たなくさせ、逆に背後にリボンで締めるデザインは、蒔絵の細いウエストをより一層美しく目立たせた。
ショートカットの蒔絵の髪は、緩くほぐされた三つ編みの付け髪でアレンジされている。しかし付け髪で隠されているからこそ、蒔絵の白いシミ一つない背中の美しさを際立たせていた。銀河は、蒔絵の背中や首筋、胸元を、上から見下ろす度に、その白さと美しさに階段から落ちそうになった。
「銀河君、口元そんなに食いしばらないで優しい笑顔でこっち見てください」
虹恋に注意されると正気に戻るのだが、次のオーダーはもっと危険だった。
「銀河君、腰に手を回して」
腰のあまりの細さにぱっと離そうとすると、蒔絵が銀河を見上げて注意した。
「ちゃんと手を回して!」
そう言って見上げた蒔絵の長いまつげと、赤い唇に、うっかり唾を飲み込んでしまった。
ごっくん
「綺麗」と一言も言わない銀河の反応から、蒔絵は、銀河の気持ちをくみ取った。
「銀河」
「ん?」
「ありがとう」
「うん」
2人にはこのやり取りだけで良かった。
着替えはもう1回あった。
「俺はもういい」と抵抗する銀河は、前髪を上げられ、一層大人っぽく仕上げられた。
蒔絵は、これでもかと言うほどメリハリボディを強調されたチャイナドレスだった。
「私も、こういうの着たかったな」
鈴音は春二の家に遠慮して、白無垢とウエディングドレスの2枚しか着られなかったのだ。
春二の母や祖母は「お客様を待たせて何度も席を離れるな」とか「衣装代がかかりすぎ」とか、何かと結婚式に口出しをしたのだ。
茉莉は、鈴音に囁いた。
「それでも鈴音は、結婚式を挙げられたじゃない?それに、鈴音にはこのドレスは着こなせないよ。あれ、外国人向けに用意されているドレスなんだって」
蒔絵は、胸が豊かでウエストが細い、外国人体形だった。走り込んでいるので、大臀筋もしっかり張り、アキレス腱も長く、赤いハイヒールがよく似合った。今度はショートカットをそのまま生かし、更に赤い口紅をつけた。
これには流石の銀河も口を黙っていられなかった。
「峰不二子ちゃんみたいだ」
蒔絵は、真っ赤なマニキュアを塗った指で、銀河の顎に手を当てた。
「ルパ~ン。少し太ったぁ?」
「いつも太っているよ。で?そんなマニキュアどうしたの?」
「虹恋さんの私物で、シャネルだって。この指輪もシャネル?」
「いや。ブルガリ」
蒔絵は誘導尋問も上手である。後で、指輪の価格を調べるためにブランド名を心に刻んだ。
撮影は、楽しい雰囲気の中で2時間で終わった。チャイナドレスを脱いだ蒔絵は、マニキュアだけ取らずに戻ってきた。
「鈴音お姉ちゃん。後で、除光液貸して?今日だけ、マニキュアつけて痛いから」
そう言って、蒔絵が「大人の階段のーぼーる 君はまだシンデレラさ」とCMソングを口ずさんだ。
(もう大人の階段上っているくせに)とそこに入り全員が思った。
写真がデータで送られてきたのは、それから2週間後だった。
銀河と蒔絵はそれを印刷して壁に飾った。部屋に遊びに来るような関係の友人を通して、その話は学校に広まった。と、言っても、2人は毎日結婚指輪をして登校していたので、それは隠しようがなかった。
一緒にフォトウエディングに行った3人は、写真をスマホの待ち受けにしてしまったので、家族にはすぐバレてしまって、特に政成と鉄次からは、大分恨み言を言われた。
「大人の階段昇る」という一節がある歌は、H₂Oの「想い出がいっぱい」という曲で、1983年から放映されたアニメ「みゆき」の主題歌です。でも、今は、損保ジャパンやキャノンのCMで使われていて、耳なじみの方が多いのではないでしょうか。