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85 受験会場に行けない

 更紗が目指す「信州大学理学部地球学コース」には受験の機会が3回ある。

その中で、「大学入試共通テスト」前に実施される入試が「総合型選抜Ⅱ」。たった4名の受験者を選ぶために、第1次選考、第2次選考の二つの試験があり、最後に「大学入試共通試験」も受験しなければならない。


 進路指導の田中先生は「ハードルが高いほど倍率は下がり、受かる可能性が上がる」と更紗の背中を押した。「自己推薦書」も「志望理由書」も田中先生に指導して貰い、面接の練習も夏から繰り返して練習して貰っていた。しかし、田中先生は海里の事件の責任を取って、退職してしまった。


 10月初め、更紗は第1次選考に合格した。更紗は田中先生のお陰だと喜んだ。

第2次個別試験はその10日後だった。しかし、合格発表をネットで知ったその日から、百葉村は、緊急避難指示が出て、更紗も自宅から1歩も出られなくなった。


 菱巻家が土砂に押し流された3日後、避難指示が解除された。やっとマンションの外に出ることが出来た更紗は、外部に(つな)がる道路がすべて土砂崩れのために封鎖され、自分が試験会場の松本市に行けないことに気がついた。


 部屋の中で泣き続ける更紗に、父の政成(まさなり)と母の絹子は頭を抱えた。

「なあ、父さん」

穂高(ほだか)が、居間で頭を抱える政成に話しかけた。

「どうにかして、松本に行く方法を考えようよ。菱巻さんの知り合いから船を出して貰うとか、自衛隊のヘリを出して貰うとか、何か方法があるだろう?」

 政成はやっと顔を上げた。

「菱巻さんのところには、今は何も頼めないな。紫苑君は大学受験も出来ないのに、(うち)の娘の受験に手を貸せなんて言えないよ」


絹子も冷静さを少し取り戻した。

「自衛隊も、人命救助で忙しいから・・・。そうだ、未来TECのヘリコプターに乗ることは出来ないかしら。仮設住宅を運ぶヘリに乗せて貰って、つくば未来村から、松本に向かうの・・・」


 穂高は、至急、つくば未来村から、松本までのルートを調べ始めた。

「どこかで電車が停まっているか分からないけれど、電車で4時間あれば松本まで出られる。電車が停まっていたら、レンタカーでも行ける。試験は明後日だろう?明日出れば、充分間に合うよ」


「穂高、もし、ヘリを飛ばして貰えることになったら、一緒に行って貰えるか?」

「え?俺?」

穂高は突然のことに驚いたが、「あと数日は学校が休校になるだろう」と腹を括った。何より、蒔絵を迎えに行った時、鉄次さんにくっついて行っただけだったが、「今度は自分が行くしかない」と覚悟を決めた。早速、政成は支店長に面会を申し出た。


 昼過ぎには、ヘリに乗る許可が下りた。

穂高は、それを聞いて、更紗の部屋のドアを叩いた。

「更紗、松本に行くから、準備しろ」

更紗は、何を言われているか理解できなかった。真っ赤に泣きはらした目はうつろに穂高を見つめた。

「父さんが、支店長に頼んでヘリコプターに乗る許可を貰ったんだ。ヘリでつくば未来村に向かう。そこから、電車か、レンタカーで試験会場に向かう。俺も一緒に行くから、更紗は、受験票や野外活動の服の準備を忘れるな」

「え?本当に行けるの?」


「夕方、4時に村役場の屋上のヘリポートから出発する。それまでに飯も食って、準備しておけ」

 穂高も、スーツや革靴をガーメントバックに入れ、作業着と運動靴を身につけた。念のため長靴や軍手、牽引用ロープなどを用意した。流石にスコップは持たなかったが、途中どんなことがあっても、更紗を会場まで連れて行こうという気持ちで溢れていた。


 作業着にサングラスをつけた穂高は、とても教員に見えなかった。

「穂高?どこに行くの?」

蒔絵も勉強の合間に出てきて、穂高の姿に驚いた。

「電車が停まっていたら、レンタカーに乗るかも知れないからね」


 バスケット用のスポーツバックとガーメントバックを持った穂高が、ヘリコプターに乗るとパイロットがびっくりした。

「引率の先生ですよね」

「はい。今日はお願いします。つくば未来村から、電車が松本まで上手く繋がっていますかね」


「都内は、まだ電車が上手く繋がっていないですね。一旦、群馬の前橋まで出て、高崎から新幹線で長野、そこから特急に乗れば行けるかも知れないです。帰りも、つくば未来村に着いたら、連絡ください。また、百葉村までヘリを出しますよ。お嬢ちゃん、頑張ってきな」


 更紗は、まだ赤い目ながら、まっすぐパイロットの目を見て、御礼を言った。

「ありがとうございます。お願いします」


 ヘリコプターが上昇すると、マンションの前で蒔絵と紫苑が手を振っていた。

紫苑を見ると、また涙が溢れて来た。



 つくば未来村の未来TEC支社に着くと、そこにはもう、車が待っていた。

「駅まで送ります。いつもうちの義父(ちち)が迷惑を掛けています」

車を出してくれたのは、桐生朔太郎の娘婿(むすめむこ)だった。


 電車の乗り継ぎでは、夕方のラッシュに巻き込まれたが、思ったよりスムーズに移動できた。

高崎から新幹線に乗ると、2人並んで席について一息ついた。ほっとしたのも束の間、急に穂高が席を立ってしまった。更紗は不安で、また泣きそうになってしまった。


「ほい。だるま弁当。腹が減ったろう?」

「お兄ちゃん。どこに行っていたのよ。どこに行くか言ってくれないと困るでしょ?」

「珍しいな。『お兄ちゃん』なんて、いつ振りだろう、そう呼ばれるのは」

そう言うと、更紗には「ハローキティのだるま弁当」を渡して、穂高は、さっさと弁当に箸をつけた。


「おいしい」

「そうだろう?あれだけ泣けば、塩分不足だろうから、このくらい濃い味の方が上手いだろう?」

「そういうところが、穂高は意地悪!」

また、「穂高」呼びに戻ってしまった。


 弁当を食べると、穂高は各所に現在地を伝えるメールを打ち出した。

「長野駅に着いたら、次は『特急しなの』で2駅だ。今晩は、温泉付きの宿に泊まりたいな」

「穂高、試験まで後1日あるよ」


「勿論、寮の位置を見たり、大学校内を見学したりするけれど、他にしたいことがある?」

「穂高はその作業着姿で、私と歩くの?」

「ご希望ならスーツに着替えますが、制服とスーツだと修学旅行の引率みたいだよな?」


 膨れる更紗を見て、少しは女心も分かるようになった穂高はある提案をした。

「いつも、蒔絵ばっかり鈴音さんに可愛い服買って貰っているから、明日は()()()()()が、何かお洋服でも買ってあげましょうか?」

 

穂高は、スマホで、松本市を検索した。

「松本の駅からイオンまでバスが出ているから、イオンに行くか。WEGOやH&Mがあるし・・・」

女性もののブランドはよく分からないが、昔付き合っていた彼女たちが着ていたブランドだった。


「いいのかな?そんなに浮かれていて」

「息抜きして、肩の力を抜いた方がいい結果が出るかもよ。まあ、デートするにも四捨五入して30のおっさんと一緒じゃ嫌かも知れないけれど・・・」



 翌日は、予定どおり、2人でショッピングモールで買い物をした。昔、穂高が付き合っていた、あざとい系の女の子と違って、更紗は何を着ても上品に仕上がった。量販店のシフォンのティアードスカートに、かっちりしたショート丈の上着を着て、黒いサンダルに着替えた更紗は、どう見ても女子大生だった。

 穂高も、同じ量販店でラフなシャツを買って、羽織ると更紗と並んで歩いても違和感のない姿になった。長靴を履いたり、ジャージで歩き回ったりする信州大学の学生からすると、振り返ってしまうようなカップルだった。


「昼は学生食堂でもいいか?」

「うん。いいね。大学生になった気分」


 学生食堂の席を、穂高のために取っていた更紗に、信州大学の男子学生が声を掛けに来た。

「ねえ、君、受験生?」

「はい」

「僕さー。医学部なんだけれど、学校案内しようか」

遠巻きに、勇気ある学生を見ていた友人達が、遠くでバツを作っていた。声を掛けた学生が振り返ると、2人分のトレーを持った穂高が上から見下ろしていた。

「君、そこ、俺の席なんだけれど、どいてくれる?」

「あっ、すいません」


 不機嫌な顔で席に着いた穂高は、周囲をゆっくり見回した。白衣の一団は、すごすごと学食から出て行った。

「ほー。入学するとああいうのが、更紗にまとわりついてくるのか」

「大丈夫よ。1年目は紫苑もいるから・・・あっ」

更紗は、紫苑の家の経済状況が苦しくなったことを思い出した。


「気にするな。大学に受かるかどうかは分からないが、被災者支援法があるから、当座の金がなくても、大学に行く方法はあるんだ」

「そうなの?」

「学校が再開したら、紫苑と学費の相談もするよ。だから、更紗はまず、自分の心配をしなさい」

「はい。鮫島先生」

更紗はおどけて、敬礼のまねごとをした。穂高は口をゆがめて、先生らしいことを言ってみた。

「帰ったら、もう一度教科書を見直すぞ」

「うへー」

受験内容や授業料免除の話は、実際の情報は参考にしていますが、あくまで、創作の世界ですので、その辺りご了解ください。また、信州大学の学生さんが、すべて長靴やジャージ姿でいるわけではありません。この辺りも創作なので、悪意はありません。

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