83 百葉村再建へ
銀次と鉄次が春二に連れられて、部屋を出て行くと、自衛隊のヘリの爆音が聞こえてきた。
未谷支店長は、口を曲げて呟いた。
「TV放映されると、自衛隊も動きが速いな」
パーティションの奥に隠れていた徳憲子村長はその話を聞き、窓の外を見るために出てきた。そして、その場で村役場に電話を入れた。
「自衛隊が来たから、桐生さんの救出も要請して」
徳村長と未谷支店長は、ゆったりと支店長室でコーヒーを飲み始めた。
「生きていますかね?桐生さんは」
「GPSは動いているみたいですから、中で歩けるくらいの元気はあるんじゃないですか」
「桐生さんとも一応、土地の売買の交渉をしますよ」
「一応、しないといけませんね。多分、当分土地は売らないと思いますが」
「でも、あの瓦礫の中で、どのくらい住んでいられるでしょうかね」
「仮設住宅にも、意地で来なかったりして・・・」
徳村長は面白そうに笑った。
「菱巻さんの土地を我が社が購入したことで、仮設住宅は、我々の商売の一環になりましたから、土地を売っていただかないと仮設住宅には入居はできませんね」
「仮設住宅がすべて設置し終わった後、工場の避難所は閉鎖されるんですよね」
「はい。今回の土砂崩れで、斜面状況のデータも取れましたので、いよいよ、路面電車用の道の敷設に入りますお貸ししていたお貸ししていた工場は、明け渡して貰わないと・・・」
徳村長は、スマホのカレンダーで予定を確認し始めた。
「ところで、マンションの完成は、いつ頃の予定ですか?」
未谷支店長は親指を立てた。
「想像より早く建ちますよ。瓦礫の撤去で1ヶ月。整地で1ヶ月。住宅の運び込みで1ヶ月。
住宅は、つくば未来村の工場から完成品をヘリで運びますから、こちらでは置くだけですね。
その後、裏山の斜面の整地に取りかかります。ですから、住むだけならば、年明けにはできます。
ただ、住宅を運び込んだ後も、色々な建物をつなぐ通路も作らないといけませんし、植栽は春にならないとできません。是非、緑いっぱいのベランダをつけたいですね。ただ・・・」
「ただ?」
徳村長は、言い淀んだ未谷支店長の顔を伺った。
「南海トラフ地震が起こる前には、新しいマンションに入居してもらわないと困ります。災害が起きても、すぐに復興ができるモデルを日本中に示さないと、いけませんからね」
「でも、桐生さんが土地を売らないと、マンションは着工できませんよね」
「いいえ。コンクリートの箱を積み上げる形なので、土地を売っていただけないところは、抜いて建設を進めます。後から、土地を売っていただいたら、そこに箱を詰め込めばいいんです」
その日の夕方、桐生朔太郎とTV局アナウンサーとカメラクルーは、土砂の中から救い出された。命に別状はなかったが、一晩入院を余儀なくされた。
翌朝、小町謙三に付き添われて、桐生朔太郎はやっとのことで、避難所に戻ってきた。
朔太郎は避難所に入るや否や、小百合を探し始めた。
「あの、小百合さん」
小百合は突然朔太郎に話しかけられて、びっくりした。
「これ、あなたの大切なものだと思って」
朔太郎は、小百合の自宅から持ち出した着物が入ったバッグを、おずおずと差し出した。
小百合は、朔太郎の突然の帰宅が、自分のせいだと思われると困ると身構えた。
「私は何もお願いしていなかったと思うんですが」
「いや、自宅に帰ったら、あなたのご自宅の玄関が開いていて物騒だと思って、覗きに行ったんです。たまたまですよ。で、玄関に置き忘れた着物があったので、後でお届けしようと・・・」
今まで我慢して朔太郎の我が儘に付き合ってきた小百合だが、もう相手をする気にもなれなかった。
人の親切は無下にするくせに、自分の「親切」は押しつけてくる朔太郎の態度に、我慢の限界が来た。
「置き忘れたわけではありません」
氷のような声で小百合は答えた。
「でも、中にご主人の着物とあなたの着物があったので、思い出の品ではなかったのですか?」
「いいえ。ジェームズ君の着物に縫い直してあげようと、色の合う着物を2枚選んで、防水のバックに入れて置いただけです。でもね、自分の命の方が大切ですから、わざと置いてきたんですよ」
小百合が受け取ろうとしなかったバッグを、ジェームズは、桐生から奪い取った。
「Thank you for ME.(僕のためにありがとう)」
そして、バッグから着物を引っ張り出して、小百合に見せた。
小百合は困ったように肩をすくめた。
「1枚じゃあなたのサイズに合わないだろうと思ったから、2人分の着物を合わせて、『片身替わり』に仕立てようと思ったの」
「Oh, It looks like “Kimetu no yaiba, Tomioka Giyu”(「鬼滅の刃」の冨岡義勇みたいだ)」
「なんかの漫画かしら?よく分からないけれど、まあ、避難生活が終わったら、お洒落な着物を縫ってあげるわ。そうしたら、来年の文化祭で着られるでしょ?」
ジェームズは、これ見よがしに小百合に抱きついた。
「Thank you so much, I love you(ありがとう。大好き)」
朔太郎は、肩を落として、また避難所から出て行こうとした。
「義祖父さん。夕飯は温かい豚汁だよ」
謙三の声に、朔太郎は低い声で答えた。
「食糧は、防空壕に1ヶ月以上備蓄してある」
しかし今度は、謙三が譲らなかった。
「雨が降って、また、防空壕の出入り口が塞がっちゃうかも知れないじゃないですか。もう戻らないでください、危ないですよ」
流石にもう自衛隊に救助は頼めないので、朔太郎は不承不承、避難所に留まった。
朔太郎が避難所に戻ると、すぐに、土地の売却の件で、春二に声を掛けられた。
案の定、未来TECの社屋に呼ばれても、朔太郎は大声で怒鳴るばかりで、話にならなかった。
「村長を呼んでこい。瓦礫の撤去や避難民への仮設住宅の提供は、村長の仕事だ。企業の手先になりやがって、税金泥棒め!!!」
パーティションの奥にいた徳村長は、大きくため息をついた。
「敷地内の瓦礫の撤去は、各家庭で行って欲しいなぁ。これだけ災害が続いた村に、もう振る袖はないって分からないかな?」
未来TECからの温かい鍋の差し入れは、避難者の心を和らげさせた。もう少し、頑張ろうという勇気も湧き起こってきた。また、つくば未来村の未来TECからの救援物資は、思いの外多くて、温かい食事が1日に2回配られるようになると、人々は将来について考える心の余裕が生まれた。
夕飯時、大型スクリーンには、菱巻家の跡地が綺麗に整地され、次々とヘリコプターで、避難所が運ばれてくる様子が映し出された。BGMにはご丁寧にワーグナーの「ワルキューレの騎行」が流された。
朔太郎が苦々しげに呟いた。
「未来TEC社にこうやって村が飲み込まれていくんだ」
仮設住宅には、家電も家具も付いており、土地を売れば、そこに入れることが避難民に周知された。
避難所には、「仮設住宅入居相談所(未来TEC社)」が設置され、自宅が全壊した家庭が順次、相談に訪れ始めた。
そこから3日たって、避難指示が解除された。
未来TECのマンションの下層階にいた家族は、元の生活に戻った。
避難所から翔太郎や甲次郎達が、自宅に戻っていった。
菱巻家など土地を売って仮設住宅に移った家族は、少しずつ生活を再建し始めた。
避難所の責任者だった鉄次がいなくなり、食糧配給を手伝っていた銀河達もいなくなり、朔太郎が「避難所責任者」に立候補した。
朔太郎は、1日3回潤沢に防災物資を配ったので、3日目には倉庫が空になってしまった。
避難所を出た菱巻家は、軽トラに積み込んでいた家財道具を、未来TECのマンションに運び込み、銀次達は日常の生活に戻った。
生活用品が不足している小百合や花子は、茉莉のワゴンに乗せて貰い、町に家財道具を買いに行った。
住宅が全壊した家庭に選択肢はなく、次々と自宅の土地と引き換えに仮設住宅を手に入れ、工場の避難所から出て行った。
しかし、住宅が半壊だった者は、残念ながらそう簡単に自宅を諦めるわけにはいかなかった。そのため、避難所から毎日、土砂の撤去のため自宅に向った。
その脇で、未来TECに土地を売った家の瓦礫は、大型重機でいとも簡単に撤去されていった。
朔太郎は、謙三達に自宅への出入りを禁止した手前、毎日1人で瓦礫を家の前の道路に出していった。通行の邪魔になるので、1日1回は道路上の瓦礫は、村が派遣したブルドーザーとダンプで、廃棄物処理場へ送られていった。
「おい、お前、村の職員だろう?敷地の中の瓦礫もブルドーザーで運び出してくれ。おい、税金泥棒、仕事をしろ!」
毎日、朔太郎はブルドーザーの運転士に怒鳴りつけていたが、運転士は「私が、村と契約したのは、道路の瓦礫の撤去だけですから」としか答えなかった。
1週間そのやり取りを続けていた運転手は、週明けの月曜日に珍しくブルドーザーから降りてきた。
「おい、そこでサボっているんじゃない。暇なら家の中の瓦礫を運んだらどうなんだ」
「いや、暇じゃないですよ。今日で最後なんで、ご挨拶をしようと思って」
「何が最後だ。我が家の前の瓦礫はこんなに山積みだろう」
「お疲れさんですね。今日からこの瓦礫は、坂の下の廃棄場に、ご自分で持っていってください。周りを見てくださいよ。他の家の瓦礫はすべて片づいたんですよ」
そう言われて、朔太郎は山の麓に並ぶ家々が綺麗になくなっていることに気がついた。
「家の瓦礫は運ばないのに、なんで他の家の瓦礫は運んだんだ」
運転士は肩をすくめた。
「他の家はすべて、土地を未来TECに売却したんです。そして、見てください。新しい家に住みだしたんです。綺麗な住宅でしょ?もう、学校も始まっているし、日常の生活に戻ったんですよ」
運転士が指さす先には、菱巻家と根元家の跡地と畑を潰して、新しい住宅地が出来ていた。
未来TECの仮設住宅は、普通の家と遜色がない建物で、家と家の間には白玉玉砂利が敷かれていた。
そして、それぞれの家に、1畳ほどの小さな庭まで用意されている。
開け放たれた窓に、小百合や花子が集まっておしゃべりしている姿が見えた。
「み、みんな。未来TECに騙されたんだ。私はここを動かないぞ」
運転士は、水筒から水を飲んで、ゆっくり答えた。今日もまだ暑い日が続いている。
「どうぞ。ただ、これから、俺達は新しいマンションの建設に向うんで、あんた1人の瓦礫を運ぶ仕事はしない。自分でこれからは運んでくれよ」
「マンションの建設なんて出来るものか。私は土地を手放さないからな」
「心配しなくても大丈夫だよ。おじさんの土地だけ残して、その周りにマンションが出来るから」
そう言って運転士は、最後の瓦礫を運んで去って行った。
朔太郎は、その日から瓦礫を庭の中に山積みにして、防空壕で生活を始めた。
未来TECの工場は最後の避難者がいなくなったので、やっと、路面電車の製造工場としての機能を取り戻した。
「ワルキューレの騎行」は、「地獄の黙示録」の印象深いシーンで使われていますね。ここで使われているのは軍用ヘリコプターではありませんが。