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8 銀河は泡を食った

入学式の話を2回に分けて、お送りしました。

 高校1年普通クラスは、中々快適なクラスだった。


ここには、田中海里(かいり)以外の百葉(ももは)中学からの生徒が集まっていて、そのまま、中学校の延長のようだった。ただ、中に百葉村の「未来TEC」社員の子供が一人混じっていた。


「こんにちは。俺は銀河。君の名前は?」

「僕の名前は中村翔太郎(しょうたろう)。よろしく。僕さ、数学の問題、片面しかないと思っていたんだ」

「嘘。じゃあ、50点?」

「ううん?最後の問題も出来なくて、40点だったと思う」

「やっちゃったね。俺らも途中退席したから0点だって、笑えるでしょ?みんなを紹介するね」


 少しおっちょこちょいの中村翔太郎も、銀河の配慮ですぐ打ち解けて、田邊先生が入ってきた時は、教室の中は和気藹々(わきあいあい)としていた。


「こんにちは。担任の田邊義崇(たなべよしたか)です。皆さんの数学と情報処理の授業を受け持ちます」

銀河と蒔絵は、グッと握りこぶしを握った。普通クラスに来ると、あの耳の遠い中学の数学教師に習わなければならないというのが、2人の懸念(けねん)事項だったからだ。

その点、田邊先生は若いので、きっと楽しい数学の授業をしてくれるだろうと、期待した。


「早速ですが、入学式がすぐ始まりますので、出席番号順に並んでください」


ママコートを着ようかどうか悩んでいる銀河(ぎんが)蒔絵(まきえ)に、田邊先生は気がついた。

「寒いですから、ママコートは着ていってください。会場入り口で兄姉(きょうだい)に赤ちゃんを渡すんですよね」

 田邊先生は、朝、紫苑たちに手順を説明されていたのだ。



 (みぞれ)が降り出した寒い渡り廊下を駆け抜けて、体育館前の廊下に既に並んでいた特進クラスの後ろに並んだ。先頭が特進クラス、次に入場するのが普通クラスだった。銀河は式の途中で登壇するので、列の一番前に並んだ。


 体育館の入り口に紫苑と更紗が待っていた。

田中先生が何か文句を言おうと、2人を(にら)み付けていた。


「早く、ママコート脱いで。あぁ。抱っこ紐のバックルが上手く留まらない・・・」

慣れないバックルを紫苑が留めるのに手間取っていると、田中先生が何か言いたげに、4人のところへ歩いてきた。


「在校生も、厳粛な式典ではコートを脱ぐこと」

「いや、今日は霙が降っているんですよ。赤ちゃんが風邪を引いてしまいます。赤ちゃんにかけるだけで僕らは羽織(はお)りませんから」



 来賓を連れた(とく)校長先生が、生徒と揉めている田中先生の後ろを通り、声をかけた。

「何を揉めているんです。生徒をそのまま着席させなさい。田中先生、入場の音楽が始まりましたよ」


 田中先生は、生徒達が不安そうに振り返っているので、慌てて特進クラスの先頭に向かった。


 田邊先生も、結婚式の入場かのように、華麗なスーツ姿で生徒を引き連れて、入場した。



 田邊先生の入場する姿は堂々としていたが、何か大切なものを持っていなかった。それを見て、職員席に座っている鮫島(さめじま)先生は焦った。


「田邊先生が、呼名簿(こめいぼ)を持っていない」

田邊先生に確かに、職員朝会の時に入学生の名前を載せた呼名簿を渡したのに・・・。


 式典は厳かに始まり、田中先生がマイクの前に立ち、入学許可者の名前を読み上げた。

生徒は名前に従って、1人ずつ返事をして立ち上がった。

「以上20名」と田中先生が宣言すると、次に田邊先生がマイクの前に立った。


 すーっと、息を吸った田邊先生は、何も見ずに、「普通クラス 菱巻銀河」から順に、次々と生徒の名前を暗唱した。生徒も、銀河の「はい」という大声につられて、大きな声で返事をしながら立ち上がっていた。


「かっけー(格好いい)」

 在校生からそんなつぶやきが聞こえてくる。


「以上、20名。第○回入学生40名。代表 田中海里」

そこまで言うと、何事もなかったように、田邊先生は担任席に戻った。

「お若いですな。暗記なさったんですか?」

田中先生の小声に、田邊先生は「読み上げるものとは知らなくて・・・」とサラッと答えた。



 式典はその後、校長挨拶、来賓挨拶と続いたが、菱巻兄弟はその頃、パニックに陥っていた。最初に気がついたのは紫苑だった。ママコートのポケットに、「新入生代表の言葉」が書いてある奉書紙があることに気がついたのだ。


「嘘だろ」


 当の本人は、「新入生代表 菱巻銀河」と呼ばれた時に、やっと、自分の制服のポケットに奉書紙がないことに気がついた。流石の銀河泡を食った泡を食った。

 呼名と比較にならないほど、小さな声で「はい」と答えたので、蒔絵が不思議に思って銀河の方を見た。そして、真新しい高校の制服のポケットに、奉書紙が(のぞ)いていないことに気がついた。


「どうしたの?」

後ろの席の里帆が蒔絵の背中を突いた。

「やばいよ。銀河、挨拶の紙を、ママコートに入れたまま、紫苑お兄ちゃんに渡しちゃった」


 銀河は壇上に上がるまで、「新入生代表の言葉」を必死に思い出そうとしていたが、なにせ1回しか読んでいない。

出だしの「春のうららかなこの日」までは覚えていたが、今日の天気でそれを言うのもはばかられる。奉書紙を持っていれば、それを開く時間があるので、少し考える時間が出来るが、その猶予もない。

銀河は腹を括った。


 こういう日に限って、新入生席に座っている友人の顔がよく見えるものだ。

田中海里の楽しそうな顔が目に映ると、つい「受け」を狙おうとする心がムクムクと湧いてくるが、里帆や蒔絵の心配そうな顔を見ると、それを無理矢理押さえ込んだ。

 そして何より、母の茉莉が仕事を抜けて、自分の挨拶に合わせて会場に入ってきたので、「しょうがない」と開き直った。



(みぞれ)降るこの寒い日に、校長先生始めご来賓の皆様のご臨席を賜り、私達新入生40名のために入学式を挙行していただきありがとうございました」

(よし。出だしは格好よくいけたぞ。何だよ。海里、そのつまらなそうな顔は・・・)


「振り返れば、合格発表の日に首都直下地震が起こり、私達の百葉村も10mにも及ぶ津波が押し寄せました」

(そうだよな。2年前の原稿読んでいたら、間が抜けていたよな。返って良かったかも)


「私の姉も生後間もない子供を置いて、東京の被災現場に向かい、3ヶ月は帰って来られないそうです」


会場の視線が、紫苑たちの抱いている双子に注がれた。


「新入生にも、首都圏の高校に入学が決まりながら、百葉村での学習を余儀なくされた生徒もいます」


 特進クラスの生徒の数名が、悔しそうに歯を食いしばった。


「そんな中でも、温かい皆様に愛情に囲まれ、学習できることに感謝して、3年間高校生活を過ごしたいと思います。新入生代表 菱巻銀河」

(今日の日付は忘れたから、それは(はぶ)いちゃった)


「新入生起立。礼」


 海里のつまらなそうな顔を横目に、銀河が席に着くとすぐに

「全校生徒起立。校歌斉唱」


 途端に、藍が、次に茜が大きな声で泣きだした。紫苑と更紗が、ダッシュで会場から抜け出した。茉莉もそれについて体育館を出た。


 

 無事入学式を終えて、銀河達が普通クラスの部屋に戻ると、げんなりした顔の紫苑と更紗が、迎えてくれた。


「藍の野郎、式の間冷えたのか。うんちをしやがって、ママコートの中がうんこ臭くて、うんこ臭くて・・・。樟脳(しょうのう)の匂いを凌駕(りょうが)しているよ」

「それは良かった。それで勿論オムツ交換してくれたんだろう?」

「母ちゃんがおむつ替えてから帰って行った」


銀河は、そのまま帰ろうとする紫苑の腕を(つか)んだ。

「ちょっと待った。在校生はそのまま帰宅だろう?今日は寒いから、双子を連れて帰ってくれよ」

「え?部活が・・・」

「新入生もこの後、体操着購入とかいろいろあるんだ。藍は、お腹を下すほど寒かったんだろう?連れて帰ってくれよ」


「紫苑お兄ちゃん、2人を体に(くく)り付けると、暖かいよ。是非試してみて」


そう言うと、蒔絵がさっさと、紫苑の背中とお腹に双子を括りつけた。

「紫苑お兄ちゃん、細くていいなぁ。2人を括りつけても、ママコートのボタンが留まるね。じゃあ、気をつけて帰ってね」

蒔絵にとって、紫苑も銀河も同じ幼なじみだ。何の遠慮もなかった。


 田邊先生と入れ替わりに、肩を落として紫苑が出ていった。

紫苑の背中に、後輩達の賑やかな笑い声が降り注いだ。紫苑は田邊先生の手前、後戻りは出来なかった。


 紫苑は1人では心細いので、更紗の姿を探したが、補習の道具を持って走っていく後ろ姿に声はかけられなかった。



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