74 徒歩ラリーが始まった
徒歩ラリーの朝は快晴だった。
前日に家庭科室で下準備した野菜などは、車で、ゴール地点の広場に運ばれていた。学食のスタッフも、大鍋を広場に運び、火をおこしている最中だった。未来TECの厨房で働く茉莉達は、社員の朝食を作った後、至急、百葉村の小学生用のお握りを作り始めた。
里帆達、怪我人と高校の担任は、一足先に広場で、火をおこし始めていた。
「田邊先生!先に太い薪をくべないでください。火をおこす時は、落花生の干した枝や小枝を先に入れて、そこに新聞紙に火をつけたのを入れるんです」
田邊先生は、里帆に、叱られながらあたふたと準備をしていたが、2年生や3年生の担任は慣れたもので、椅子に座りながら、悠々と、準備をしていた。
「里帆さん、蒔絵達はどうしたの?」
高校2年の担任竹内先生は、心配そうに声を掛けた。
「一番に走ってきて、味付けしてくれます。それまでに野菜に火が通っていればいいんです」
「あれ?クラス代表は、翔太郎と転校生が走るんだよね」
野球部の監督で、高校3年生の担任でもある出口先生は、早朝にOBと一緒にコース途中に、カレーの関所を設けた後、広場にやってきていた。1年生で一番リアクションが面白い翔太郎が、クラス代表になったことが、少し不満だったようだ。激辛カレーを翔太郎が、もだえ苦しみながら食べる姿を期待していたようだ。
「蒔絵達は、クラス代表でなくても、全力で走ってきてくれます」
里帆の蒔絵達への信頼は、岩よりも強固だった。
「出口先生、スズメバチはもう大丈夫なんですよね」
心配性の竹内先生が念を押すと、出口先生はにっこり笑って、タッパーから蜂の子を出してきた。
「竹内先生、どうですか?脂がのって美味しいですよ。これより大きい獣に関しては、早朝、大音量のラジオを流して林を歩いて、追い立てておいたんで、多分大丈夫です。
それから、猟友会の仲間に頼んで、林の中深くに子供が迷い込まないように、立って貰っています」
そう言いながら、出口先生は、鍋に人参を投げ込んだ。
9時。グランドで、スタートのピストルが鳴った。
中学生が校門から飛び出していった。高校生も、グランドを我先にと走り出した。翔太郎は慣れたもので、先頭集団に入り、2周を走り終わって、さっさと校門を出ていった。
ジェームズと鯨人は、集団に飲み込まれて、周回遅れで校門を出た。
鯨人が恨めしそうに校門を出て行く集団を見ると、翔太郎と並んで、銀河と蒔絵が走っているのが見えた。
「なんで、あいつらあんなに早いんだよ」
そばを走っていた航平が答えた。
「カレーを作るために、先に出たらしいよ。まあ、クラス代表じゃなくても、誰かが先に入ればカウントされるから、鯨人達は慌てなくてもいいよ」
それでも、鯨人は悔しさから、人混みを無理矢理かき分け、先頭集団を追いかけに行った。ジェームズはルールが分かっているのかいないのか?のんびりマイペースで走っている。
「ジェイ君、お水どうぞ」
「ジェイ君、頑張って。草餅食べる?」
村の中に入ると、各家から、誘いの声がかかる。まるで、お遍路さんへの「お接待」のようだ。ジェームズは、声が掛けられると、どこへでも行って、食べてしまう。
「Yammy. It’s like eating at food stalls. (旨い。屋台で食べているみたい)」
航平はそんなジェームズを引き戻すのに必死だ。
「おい、もう食べるのを止めろよ。この後、10km以上走るんだぞ」
先を走る鯨人は、吉田小百合の家の前で、冷たい水をククサに入れて貰い、頭にも掛けると一気に林の中に駆け込んだ。アップダウンがある道は、木々に行き先を指示する布が括り付けられているので、道を間違えることはないが、2回ルートをたどっている鯨人は、布を探す手間がない分、早く走ることができた。
銀河が言うとおり、村の出口や、林の中には、簡易トイレが設置してあった。何故かそこには、長蛇の列ができていた。みんな、村で食べ過ぎて、催したようである。
「よし、チャンスだ。一気に追い抜くぞ」
前を走る銀河を探すと、銀河達は何故か、林の出口で1人の小学生と話していた。
「どうしたんだ?」
鯨人の質問に、一緒に立ち止まっている蒔絵が答える。
「草履が壊れちゃったんだって、先に行って、私達の代わりに里帆の手伝いあげて」
鯨人は後ろ髪を引かれるような気がしたが、ジェームズがあの様子では、自分が頑張るしかないと、坂道を駆け下りていった。
銀河達が、林を出た時、この小学生は肩を落とし、坂道の上で泣くに泣けないという顔をしていた。右足の草履は、鼻緒が外れ、足にぶら下がっているだけだった。
「どうしたの?」
先に止まったのは蒔絵だった。銀河は、蒔絵が止まる気配ですぐ止まった。
「あー。草履が壊れたんだね」
銀河は頭に巻いていた手ぬぐいを外した。手ぬぐいを紐状に裂いて、すぐ、鼻緒をすげてやった。
「銀河、これから坂道だから・・・」
「了解」
「ちょっと、君、両足を前に出してご覧」
そう言うと、銀河は、鼻緒に手ぬぐいで作った紐を通して、その紐をぐるっと足首に回した。草履は足の裏に密着して、駆け足もできるようになった。
「どう?立ってご覧?足踏みをしてみて、いいね。坂の途中で、友達が待っているよ」
そう言って、銀河は、ぽっちゃりした男の子の背中を軽く押してやった。
小さな声で「ありがとう」というと、小学生は、坂の途中で待っていた女の子の元に走って行った。
蒔絵が、クスッと笑った。
「何、笑っているんだよ」
「あの子達、小学生の頃の私達みたい」
「ふん」
銀河は、使った手ぬぐいの切れ端を、リュックに押し込むと、すっくと立ち上がった。
(蒔絵だったら、坂の上まで戻ってきて、俺の手を引っ張っていったよ)
銀河は、蒔絵に何も言わず、坂を下っていったが、蒔絵はぴったり銀河にくっついて行き、同時にゴールに着いた。
広場では、里帆が翔太郎と仲良くカレーを作っていた。
「おそーい!もう、ルーも入れちゃったよ」
「固まりのまま入れてないよね」
「え?」
「そのまま入れると、ルーの固まりが、底に沈んじゃうよ」
蒔絵は、首に提げていた手ぬぐいを頭に被り、大きめなお玉を鍋の底に差し入れた。
「うわ。魔女みたい」
蒔絵は、からかう鯨人を横目で睨んだ。手伝ってくれと頼んだのに、鯨人は鍋の側に座り込んでいた。
「はい。鯨人は、固まりがいっぱい入ったカレーを食べる係に決定!」
「航平、翔太郎。全員ゴールに入ったか点呼をしろよ」
銀河に指摘されて、2人は、学級委員の仕事を思い出した。
「ジェームズがいないぞ」
航平が思い出した。
「さっき、食い過ぎでトイレに並んでいた」
鯨人が、芝生にひっくり返った。
「食い過ぎなら、あいつが来る前に食べ始めてもいいんじゃないか?」
銀河が怖い顔をした。
「駄目だ。鯨人一緒に探しに行くぞ」
「僕が一緒に行くよ。鯨人は疲れているみたいだし・・・」
銀河は、手を挙げた火狩を一瞥して、鯨人の腕を取った。
「おい。お前、ルームメイトだろ。行くぞ」
火狩は、鍋をかき回している蒔絵を振り返った。
「僕は、銀河に嫌われているの?」
「いやぁ。そんなことないと思うよ。鯨人の方が使いやすいんじゃない?」
まさか、銀河が火狩を女子だと思っているとは言えなかった。
銀河からの連絡が、蒔絵のスマホに入ったのは、それから20分もたってからだった。
蒔絵は、それを田邊先生に見せて、大笑いした。田邊先生も苦笑した。
「ジェームズは見つかったから、みんなは先にカレーを食べていいぞ」
蒔絵は、里帆と翔太郎にスマホの画面を見せた。その内容は、翔太郎の大声でみんなに知らされることになった。
「ジェームズの野郎、家に帰って、昼寝をしていたって、まじかよ。せめて、連絡しろよ」
銀河と鯨人は、鮫島先生が運転する回収車に乗って戻ってきた。
鯨人はかなり怒っていたが、銀河は、村で様々な食べ物を貰ってきたので、ご満悦だった。
「カレー以外にまだ食えるやついるか?こっちも食っていいぞ」
「おい。草餅あったろう。くれよ」
「翔太郎、まだ入るのか?すごいな」
「違うよ。これから、OBのカレーを食わなきゃならないんだ。今年は、激辛だって言うから、甘い口直しを持っていかないといけないんだ」
クラス代表として一生懸命走っても、やはりOBカレーは食べないとならないようだ。まだ残っているなんて、どのくらいの量のカレーを作ったのか考えたくもなかった。
「教頭先生も食べませんか?」
蒔絵の誘いで、巡回をしていた近嵐教頭が立ち寄った。
「いいですね。草餅ですね。今年は、とち餅も焼き栗もなかったですね」
毎年作られていた「とち餅」や「焼き栗」がなかったということは、栃の実や栗が採れなかったことを示す。今年の秋は、野生動物が村に下りてくることを、警戒しなければならない。
それに加えてもう一つの災害が、この後、村を襲うことになる。
九州の方は大雨が降っているそうですが、こちらは、雨が降って、枯れた田圃に水が張れたようです。9月半ばの稲刈りの後、皆様に新米が安く届けられるといいですね。今まで、5kgずつ米を買っていましたが、最近は2kgずつ買っています。