71 お買い物ごっこは楽しい
千葉大学オープンデイから約1週間たった、昼食時間の普通クラス。
航平が銀河と翔太郎に頭を下げている。
「本当に頼む。一緒に昼を食べさせてやってくれ。海里が転校して、俺が級長になったんだけれど、3人の転校生を1人では面倒見切れないよ。俺だって、高校から入学した人間なんだから、学校の様子はよく分からないよ」
普通クラスでいつも食事をしていた仲間は、銀河、蒔絵、翔太郎、里帆、航平、それに海里だった。海里がいなくなったその後に、航平は、鯨人、火狩とジェームズ賢人の3人を連れてきた。
「銀河、そんな顔しないで、銀河は火狩君のことを知っているんでしょ?」
蒔絵もニコニコしている。(ちゃんと面倒見なさいよ)と、無言の圧力が感じられる笑顔だった。
「銀河君、1週間ぶりです。F学園は校舎が使えなくて、リモート授業ばっかりなんです。もういい加減に嫌になって、こっちに通うことにしました。未来TECに勤めている従兄弟が『一緒に住んでもいい』って言ったんです」
火狩は肩で切りそろえた髪を耳に掛けながら、銀河に笑顔を向けた。中性的な顔が、まるで宝塚の男役のようだった。大人っぽい仕草や振る舞いで、銀河は火狩が1年年上だと思っていた。
同級生となると話が違ってくる。同じ学校の同じ学年から、飛び級入学を狙うのは、どちらか片方が不合格になりそうで、少々嫌な気がする。
「火狩さんは、高校1年だったんですね」
そんな気持ちはおくびにも出さず、銀河は、抑揚のない言い方で応対した。
その後すぐ、銀河は紫蘇の実入りの握り飯を頬張りながら、iPadで昨日作ったプログラムを眺め始めた。
こぼれた紫蘇の実を、蒔絵が拾ってやっているところを見るとまるで夫婦のようだった。
話題に加わろうとしない銀河に替わって、翔太郎が場を盛り上げる。
「えっと浦瀬君は、夏休みにバドミントンしにきたよね。確かインターハイ優勝した・・」
「君は、あの時体育館で応援していた野球部の人だよね」
「おう。俺は中村翔太郎。宜しく」
翔太郎に会釈をして、鯨人は銀河に椅子を寄せた。
「銀河君、俺、バドミントン部に入るから、宜しく。鮎子が受験勉強するからって、勝手に引退して、俺、練習相手がいないんだ」
銀河は、iPadから顔を上げた。
「青森県内に、相手がいなかったのか?今、転校したら、来年のインターハイは出場権がないぞ」
「いいんだ。もう、筑波大学のスポーツ推薦のポイントはたまっているから」
「筑波行くんだったら、なんで千葉大学のオープンデイに来たんだよ」
「分かるだろう?鮎子に引きずられていったんだ。本当にもう、あいつと離れたくて・・」
「まあ、かなりその気持ちは分かるけれどな。で、今はどこに住んでいるんだ?」
「ジェイ君の家に下宿している」
そう言って、鯨人は、ジェームズ賢人を紹介した。保育園の窓から、伯母の出づ水が手を振っている。
ジェームズは、中国訛りの早口の英語で話し出したが、特進クラスの航平ですら、ほとんど聞き取れなかった。世界大会で中国選手と対戦してきた銀河と蒔絵、それに鯨人は辛うじて聞き取れるレベルだった。
「銀河君達、聞き取れるんだ」
航平が素直に驚いた。それに鯨人が答えた。
「中国は、バドミントン強豪校だから、世界大会で中国英語にも触れるんだ」
銀河もそれに同意した。
「アジアにはそれぞれ、違った英語があるからね。大学の留学生にも、企業にもアジアの人が多いから、このタイプの英語にも慣れたほうがいいよ。航平、頑張れ」
そんな話をしている銀河の後ろに、1人の大柄な女性が立った。
「Hi, let’s begin the class. You all, Come in.(はい、授業を始めます。皆さん、入ってきてください)」
「やべ。昼休みが終わっている」
慌てて、航平は特進クラスに戻ろうとしたが、廊下から、特進クラスの生徒が続々と入ってくるので、戸惑って立ち止まってしまった。
「航平、さっき新しい英語の先生が来て、『英語の時間は普通クラスで合同授業する』って言いに来た」
「まじ?教科書を持ってこなきゃ」
走り出そうとする航平を、特進クラスの生徒が押しとどめた。
「教科書も筆記用具も、何も使わないんだって」
椅子がなくて戸惑う航平に、銀河が声を掛ける。
「航平、一緒に座ろうぜ」
すると、銀河の机にジェームズが腰を下ろした。火狩も鯨人も、机に座りだした。みんながどこかに座ると、入り口で腕組みをして教室を見ていた鯨谷直ほ水が、やっと黒板の前にやってきて、英語で自己紹介を始めた。
保育園の窓から姉の出づ水が、楽しそうに覗いている。廊下の窓から、田邊先生も覗き見していた。
直ほ水先生は、すべて英語で授業をするようだ。スマホで分からない単語を検索しようとする生徒を見つけると、人差し指を横に振った。
里帆と翔太郎が、こっそり蒔絵に尋ねた。
「これから何するって?」
「えー。『お店屋さんごっこ』をするって、所持金は15ドルで、英語で買い物をするんだって。これから、ジェームズ君と先生で、見本を見せてくれるらしいよ」
銀河が手を挙げた。
「I have a question. How much is the tax on food? (質問があります。食品にかかる税金はいくらですか?) 」
「Since today is the first lesson, let’s set it as tax-free. (今日は最初の授業なので、無税という設定で行きましょう)」
会話の内容が分からない翔太郎が、銀河の服を引っ張った。銀河が、他のクラスメートにも聞こえるように大きめな声で、答えた。
「計算に税金は考えなくっていいって」
ジェームズが、肩をすくめて、銀河に話しかけた
「Taxes vary from state to state.(州ごとに税金が違うからね)」
その足で、ジェームズは直ほ水のところへ行って、直ほ水からメニュー表を受け取った。
大きめな声で、注文をして、ほぼ15ドルの買い物をしてきた。直ほ水は、注文にチェックを入れ、計算をした紙を、最後にジェームズに渡した。
「Next Makie. Please. (次は蒔絵さん、どうぞ)」
今度は、ジェームズが店員で、蒔絵が客だ。蒔絵も本当に自分で頼むような内容をオーダーし、最後に「and one smile, please. (そして、笑顔を一つお願いします)」と冗談を言って、笑いを誘った。
メニュー表の一番下に、「笑顔、0ドル」とあるのを、読み上げたのだ。
その後は、銀河と鯨人が、ジェームズと蒔絵のところに買いに行った。
そのやり取りを参考に、銀河、鯨人、蒔絵、ジェームズの4人を店員役にして、生徒達は列に並んでは、買い物を始めた。
翔太郎は、最初に銀河のところに行き、15ドルをオーバーした注文をして失敗した。リベンジとばかり今度はジェームズのところで「笑顔」も注文し、「Which smile do you prefer, A bitter smile or a fake smile? (苦笑いと作り笑い。どちらがいいですか?)」と返され、フリーズしてしまった。
がっくり肩を落として戻った翔太郎を、航平が慰めた。
「前にやったジョークを真似するから、いじられたんだよ」
「じゃあ、どうすればいいんだよ?」
文句を言いながらも、翔太郎は何度も列に並んで買い物を続けた。間違えを恐れない姿勢は、みんなを勇気づけた。
楽しい「お買い物」の時間は、あっという間に過ぎた。
「最後に、こんな言い回しがしたかったという文を考えて、iPadの英語クラスの『クラスルームボックス』に入れておいてください。個々にお答えします。次回は、靴屋さんに行きます。必要な単語があったら前持って調べておいてください」
最後だけは、日本語で指示をしてくれたので、生徒達はほっとした。教室を出る時、1時間中を覗いていた田邊先生に、直ほ水は声を掛けた。
「次の時間は、先生にも参加していただきます」
そう言って、ウインクをして行ってしまった。
田邊先生は「1時間見ていたのが、バレたな」と呟いたが、次回は鮫島先生を巻き込むことにした。
田邊先生は、そのまま普通クラスに入って、高校1年生全員に伝えた。
「6時間目は合同HRです。このまま普通クラスで行います。最初に昨年の高校生の『徒歩ラリー』の様子のビデオを見てください」
そういうと、iPadをスクリーンに接続して、映像を流していった。
田邊先生は教室を出る前に、航平と翔太郎を呼んで、当日の係分担をするように指示を出した。その間、田邊先生は、特進クラスで待ちぼうけしている鮫島先生を呼んでくるつもりだった。
昔はこういう行事がたくさんありましたよね。今は暑かったり、交通量が多かったりして、大分無くなったようです。私の母校は、先日HP見たら、まだやっていました。距離が短くなっていたみたいですが・・・。当時、終わると足にまめができた状態で、部活するのが辛かったな・・・。