70 3人の転校生
「すいません。空港まで送って貰って」
「いいですよ。田中先生には色々お世話になりましたから」
鮫島先生の車には、これからアメリカに旅立つ田中親子が乗っている。田中先生は助手席に座り、海里は後部座席で一言も話さず、窓の外を見ている。2人とも、本当は鮫島先生の車に乗るのは気が引けた。蒔絵の兄であるからだ。
しかし、来日する新しい英語教師を迎えに行くということで、ついでに乗せて貰うことになったのだ。
成田空港は、富士山噴火が収まった1週間後には、本格稼働していた。
「それで、田中先生は新しい先生と面識があるんですか?」
「TV電話でお話させて貰いましたが、鯨谷出づ水保育士さんの双子の妹さんなんですよ。だから、顔はよく似ているんですが、雰囲気は大分違いますね」
「どういう風に違うんですか?」
「まあ、大学からアメリカで暮らしていらっしゃったので、アメリカナイズされているというか、もっと華やかでサバサバしていますかね?」
「ご結婚はされているんですよね」
「バツ1で、ご主人の連れ子と一緒に来日するらしいです」
「何か複雑ですね。お子さんは小さいんですよね」
「いや?高校1年に編入するそうです。鮫島先生のクラスになると思いますので、よろしくお願いします」
(聞いてないよーーーー)
「どんなお子さんなんですか?」
「男の子で、中国系アメリカ人で、日本語は全く話せないらしいです」
鮫島先生は、暗い顔になった。転入させるなら、田邊先生の普通クラスのほうがいいのに・・・・と弱音を吐きそうになった。
海里は、蒔絵がまた面倒を見てやるんだろうなと思った。少し、羨ましく思った。
そんな田中親子を空港で見送ると、鮫島先生は今度は、到着ロビーへ向った。
人混みの中で、鯨谷直ほ水親子は、なかなか見つからなかった。気は乗らないが、鮫島先生は最後の手段を取った。トートバッグの中から、鯨と鮫のぬいぐるみを取りだして、両手に持って、頭上で降ってみた。
蒔絵が「目印がないと困るから」と貸してくれたぬいぐるみは、流石に50cmくらいの少し小振りのものだったが、26歳の男が持つには少々恥ずかしいものだった。
「Are you a shark?(あなたは鮫ですか?)」
鮫島先生は、頭上から聞こえる声に振り返った。180cmの鮫島先生が振り返ると、自分より背の高い青年が、にっこり笑っていた。その後ろには、見事なロングウェーブの女性が立っている。よく見ると、どこか見たような顔である。
「鮫島先生ですか?」
「はい、そうです。そちらは、鯨谷先生と息子さんですね。長旅お疲れ様でした。お荷物持ちますよ」
2人とも、大型のスーツケースをそれぞれ2つ引きずっていた。
「大丈夫です。引越し荷物はこれだけです。そちらが、居抜きで家を用意してくれたという話でしたので」
鯨谷保育士夫妻が、田中先生から買った住宅に、彼らも住むらしい。きっと家具も置いていったのだろう。
息子の名前はジェームズ賢人。中国系なので顔は東洋人で、英語は見事なChinglishだった。鮫島の英語力では癖が強くて、ほとんど聞き取れない。そんな鮫島の困惑を見て、直ほ水は苦笑していた。
「新学期はいつからですか?」
「家の村はまだ4月始まりの3学期制なので、もう2学期が始まっていて、先日文化祭が終わって、来月は涼しくなるので、『徒歩ラリー』が行われます」
「『徒歩ラリー』って何ですか?ああ、昔、小説で『夜のピクニック』というのがありましたが、夜通し80km歩いたりするんですか?」
妹の本棚にそんな本があったような気がしたが、鮫島先生はその内容がよく分からなかった。
「いや、うちは昼間歩くんですが、小学生は10km、中学生は15km、高校生は20km。中にはほとんど走る生徒もいます」
「20km走るんですか?」
「まあ、ハーフマラソンくらいですから。それにゴールに着いた後で、飯を作ったり、レクリエーションをしたりします。まあ、基本的には秋の遠足ですよ」
直ほ水の説明を聞いて、ジェームズは思いきり顔をしかめた。
「アメリカは車社会ですから、トラック以外で走ったことがないので、かなり嫌がっていますね」
直ほ水は楽しそうに笑った。
「いや、歩いてもいいんです。走るのは野球部とバスケ部とバドミントン部くらいで、最後には回収車も走りますから」
「『自分は最初から回収車に乗っていく』って言っていますよ」
鮫島先生は困った顔をした。
「回収車って言っても、自転車に引かれたリアカーですよ。そうだ、僕の代わりに自転車の方を漕いでくれますか?」
ジェームズは手で大きくバツを作った。自転車にも乗れないらしい。
鮫島先生は、文化の違いに頭を抱えた。
百葉村に着くと、旧田中家では、鯨谷保育士夫妻が待っていた。
「直ほ水、何年ぶりかしら。また一緒に暮らせて嬉しいわ」
2人はアメリカ流の、ハグで挨拶を交わした。
「出づ水、17年ぶりかしら。それからこちらが、早瀬ね。初めまして。わぉ、こちらは海斗と温斗ね。So cute(すごく、かわいい)」
直ほ水は、早瀬ともハグをし、可愛い甥っ子達を2人同時に抱き上げた。
出づ水は、直ほ水の後ろにいる青年にも、ハグをした。
「こちらは、ジェームズ賢人君?ジミーそれともジェィ君、どう呼べばいいのかしら?」
「Please call me J(ジェイと呼んでください)」
「じゃあ、ジェイ君。もう1人紹介したい人がいるの」
部屋の片隅で、手持ち無沙汰にしている少年が立ち上がった。
「Nice to meet you. I’m Geito Urase.(初めまして、浦瀬鯨人です)」
「面白いでしょ?鯨谷家の下宿人は、鯨人は『鯨』の『人』って書くの」
出づ水が面白そうに、みんなに紹介した。
「鯨人君はね、高校1年生で、ジェイ君と同じクラスに転校するの。バドミントンの練習がしたくて、青森から、百葉高校にきたの」
「Is this a strong badminton school?(ここはバドミントンの強豪校なのですか)」
「ううん?強いバドミントンペアがいるの。さっき車で送ってくれた鮫島先生の妹さんと、その彼氏」
鯨人は、「彼氏」という言葉に眉をひそめた。
鯨人が転校してきた理由は、さておいて、実は、特進クラスにもう1人転校生がいる。それは、武藤火狩だ
神奈川のF学園は、震災、津波、噴火のトリプルパンチを受け、現在すべての授業が、通信で行われていた。そんな生活を送る中、従兄弟の相場結城の送ってくる楽しげな高校生活は、火狩にとって羨ましいことこの上なかった。火狩は、千葉大学のオープンデイを機に転校を決心した。
幸い、結城と一緒に、未来TECの社宅に住むなら良いと両親も許可してくれた。相場の両親も、家事が全くできない結城の生活を心配していたので、諸手を挙げて賛成してくれた。
8つ違いとは言え、男女が同じ屋根の下に住むことに問題はないのか?
そもそも、結城は火狩が男だとずっと思い込んでいた。ついでに言えば、同居しても結城は火狩が男だとずっと気づかなかった。がっしりした肩幅、大きい掌、声もハスキーで、足のサイズも26cm。身長も結城とほとんど変わらない175cmあるのだから、結城がぼんやりしているわけではないのだ。
鯨人君が転校してきた経緯は、追って、ご説明します。