7 紫苑は凍り付いた
今日も2話、アップします。
4月7日、今日は百葉村立百葉高校の始業式だ。
菱巻紫苑は朝早くから、大量の荷物を持って登校した。
「紫苑、少し手伝うよ」
いつも一緒に登校する鮫島更紗が、荷物を少し肩代わりした。4月なのに今日は冷たい風が吹いている。午後からは季節外れの霙が降るとの予報も出ていた。
「悪い。じゃあ、軽いけれど嵩があるおむつを頼む」
「寒いね。うちのお母さんが、古いママコートを引っ張り出していたよ」
「なんで?」
「嫌だ。紫苑の家にはママコートは1枚しかないでしょ?」
紫苑は、ママコートを着た銀河を想像して、「自分じゃなくて良かった」とけしからぬことを考えた。
紫苑の今日の仕事はまず、銀河達の教室に、赤ちゃんに必要な道具を運んでおくことだ。
登校するとすぐに、紫苑は職員室に行って、銀河達の新しい担任を探した。
「おはようございます。菱巻紫苑です。新1年の普通クラスの担任の先生は、いらっしゃいますか?」
銀河達の担任になる田邊先生は、何も置いていない机にぽつんと座っていた。
4月3日の職員会議で、新1年の担任になると言うことを知らされていたが、全く実感がない田邊先生は、隣の席の2年担任の竹内先生に促されて、やっと席を立った。
「おはよう。普通クラスの担任は僕みたいですが、君は1年生?」
「いえ、自分は高校3年生の菱巻紫苑と申します。弟の銀河が今日からお世話になります。それで、弟は午後から来るんですが、赤ちゃんの荷物を先に持ってきたので、教室に置かせて貰えないかと・・・」
ぼーっとしている田邊先生を見かねた竹内先生が、普通クラスの鍵を持ってきた。
「教室の鍵がいるのよね。弟さん、『新入生代表の言葉』を言うのよね。昨日練習したけれど、上手だったわ。紫苑君も上手だったけれどね」
「はあ、どうも」
入学式には、入試の成績1番で入学した生徒が代表をして、「新入生代表の言葉」を述べることになっている。銀河は入試で、海里を押さえて成績1番に輝いた。
紫苑は何故そんな銀河が「普通クラス」にいるのか、疑問に思った。しかし、銀河自身は、普通クラスにいることを全く気にしていないようだった。
そして、銀河に頼まれて、自分が読みあげた「新入生代表の言葉」の原稿を渡した。
面倒くさいことが嫌いな銀河は、2年前の挨拶など誰も覚えていないだろうと思って、日付と名前だけ変えて、兄の考えた挨拶をそのまま奉書紙に書き写した。
竹内先生と田邊先生に連れられて、紫苑と更紗は「高校1年普通クラス」に向かった。
旧小学校の校舎は、今日入学式が行われる体育館と学食の間の通路を通り、突き当たりの武道場の脇のドアを開けた先にあった。
「村役場の方が、急遽、屋根付きの通路作ってくれたんだけれど、今日は寒いわね」
高校と小学校は本来別の施設なので、通路はなかったが、上履きを一々履き替えるのも大変だろうと作ってくれた通路は残念なことに、脇に壁がないので、冷たい風が吹き抜けてきた。
入り口のネームプレートに、「高1普通」とかかっている教室の前まで4人はたどりついた。
「ここね。誰かが準備してくれたのかしら」
教室として割り当てられている教室には、人数分の高校生用の机と椅子が運び込まれていた。技術員の小町が運び込んでくれたのだろう。
「あれ?教卓がありませんね」
「竹内先生、いいです。その辺にある小さな机の上に荷物は置きますから」
田邊先生の言葉に教室の脇を見ると、小さい幼児用の机と椅子が寄せて置かれていた。
「やだぁ、可愛い。私達だったら、座卓に出来そう」
更紗は、そう言いながら部屋を見て回っていた。
「紫苑、このベッドの当りにおむつ置くね。お尻拭きや着替えはこの棚に並べよう。あぁ。おむつ用の蓋付きのゴミ箱がないね」
「今日はしょうがないよ。流しの近くに、哺乳瓶とそれを洗うセットを置いて・・・」
テキパキと準備をする2人を見て、田邊先生は驚嘆した。
「すごいね。君たちも毎日子育てしているの?」
「銀河や蒔絵達ほどじゃないんですが、春休みに少しずつ練習しました」
「田邊先生、紫苑君は銀河君のお兄さん、更紗さんは蒔絵さんのお姉さんです。2人とも高校3年生なんですよ」
竹内先生は丁寧に2人を紹介した。
「へー。なんで弟の方が赤ちゃんの面倒を見ているの?」
紫苑と更紗は、田邊先生の言葉に凍り付いた。田邊先生の言葉には、2人を責める響きはなかったが、後ろめたいことがある2人に、その一言は刺さった。
「いや、今日、入学式の間は僕たちが赤ちゃんを抱いています」
紫苑が答えられたのはそれだけだった。
竹内先生が代わりに答えた。
「紫苑君達は、今年大学受験があるんですものね」
「ふーん」
田邊先生はそれ以上何も言わなかった。
午前中、在校生が入学式の会場作りをしている頃、菱巻の家では、銀河と蒔絵が今日の手順を確認しながら、登校の準備をしていた。
「1時になったら、玄関にクラス分けが張り出されて、それを見て新入生は各教室に入る」
「蒔絵が特進クラスになったらどうしよう」
「何言っているの。お兄ちゃんから聞いたでしょ。2人とも数学のテストに途中退席したから0点だったって」
「理不尽だよな」
「だって、赤ちゃんがいても授業が受けられるのが『普通クラス』なんでしょ?私達にとって、普通クラスしか選択肢はないんだから。それとも、1人で双子の面倒を見ながら授業を受けられるの?あー、もう土下座のまねごとをしないの」
銀河はまた土下座で、乗り切ろうとした。
蒔絵はこの双子が好きで好きでたまらないので、銀河に頼まれなくても、1日中、双子といられるというだけで嬉しいのだ。決して、銀河のためにやっている行動ではない・・・と、蒔絵は思っている。
「そして、入学生が体育館の前の廊下に並ぶ時に、紫苑君とお姉ちゃんが来て、赤ちゃんを受け取ってくれる。それから、銀河は『新入生代表の言葉』を言うんだからね。奉書紙を忘れないでよ」
「大丈夫」
そう言って、銀河は、ママコートのポケットに入れた奉書紙を上から叩いた。
「読む練習もしたのよね」
(なんか、最近、蒔絵は家の母ちゃんに似てきたよな)
「うん。1回読んだ。中学の卒業式の時も、『答辞』でやったから大丈夫」
蒔絵は普段ぐーたらしている銀河が、人前に出ると人が変わったようにピシッと振る舞えることを知っている。
「まっ。いいか。しかし、銀河のママコート、樟脳臭くない?」
「祖母ちゃんが念のために樟脳入れたのかもな?でも、今日は寒いんで、ママコートがなかったら大変だったよ」
銀河が中学時代に来ていたベンチウオーマーは、既に小さくて、銀河1人でもボタンが留められなくなっていた。赤ちゃんを抱いたまま、ボタンを締められる訳がなかった。
「そうだね。銀河が、高校用のコートを、町に買いに行こうと思っていた矢先に、地震が来ちゃったもんね」