60 山賀兄弟は困っていた
時間軸は、夏休みに入ったばかりに戻っています。
毎日世話していた双子が、東京に行ってしまうということで、山賀里帆は夏休みの前半、ほとんど「双子ロス」に苦しんでいた。スケッチブックに描きためた双子の成長記録を見ても、双子の油絵作品を描こうとしても、涙がこぼれてきてしまう。そんな里帆のことを家族は大変心配していた。
小学校1年の帆希は、毎日姉の部屋に耳を付けて、泣き声を聞いていた。
「和帆ぉ、里帆は今日も泣いているよ」
6年生の和帆も、弟同様心配していた。
「足も治ったのに、学校にも行かない。美術部の展示もあるはずなんだけれど」
「でも、学校に行ったら、また赤ちゃんを思い出しちゃうかな?」
「じゃあ、小学校の文化祭の展示を手伝って貰おうか。小学校の教室なら、赤ちゃんのことを思い出さないかも・・・」
百葉小学校は、小学1年と6年生が共同で、文化祭の出し物を行うことになっていた。因みに、2年生は5年生と、3年生は4年生と組むことに決まっている。
小学1,6年の展示のタイトルは「百葉村の風景」だった。それぞれ作業は分担されていて、小学6年生は、段ボールで百葉村の大きなジオラマを作り、小学1年生はその上に、折り紙で動物や鳥や魚を作ることになっていた。
既に小学1年生は、狸、熊、猪やトンビや金目鯛など、百葉村の海や山に生息している生き物を決め、折り始めていた。
小学6年生も、国土地理院の百葉村の地図からまず、小さな模型を作り、段ボールを集め始めていた。
ただ、悩みは制作物を作っても、当日文化祭を見に来た人は、そこに長時間、滞在はしてくれないだろうということだった。
小学2年生と5年生の展示は、「エネルギーの仕組み」で、色々な発電を紹介して、体験コーナーもあった。自転車を漕いで発電するとか、太陽光発電の模型を作るとか、目を引くものが多かった。
一方、小学校3,4年は、自分が祭りに着る法被や甚平を縫った。家庭科教師や、小百合さんや花子さんも全面協力して、それぞれが着たい服を作った。子供達の発想は自由で、ドレス風の甚平や、鬼を退治するアニメの影響か、片身代わりの法被や、市松模様などの柄の法被も見られた。文化祭当日は、2回に分けて、ファッションショーをするらしく、その舞台造りにも気合いが入っている。
それに引き換え、いくら小学1年生がいるからと言っても、「百葉村の風景」は地味すぎた。
生徒会の田中海里先輩も先日、見に来て、「なんか、遊べる要素があるといいね」とアドバイスをくれた。帆希が、羽がパタパタ動く鳥の折り紙を作ってみたが、なんか、しょぼかった。
2人はそのままの気持ちを、姉の里帆にぶつけてみることにした。
「里帆、入っていい?」
涙を拭いているのだろう。鼻をかむ音がして、少したってからドアが細く開いた。
「どうしたの?」
「僕たち文化祭の出し物で、行き詰まっているんだけれど、里帆にアドバイスが貰いたいんだ」
和帆の脇から、帆希も顔を出した。
「1年生の折り紙、『つまんない』って海里が言うんだ」
海里は、そんなことは言っていないが、子供はそう捉えたようだ。
「『つまんない』なんて海里は言わないよ。話は聞いてあげるから、あんた達のお部屋へ行っていい?」
和帆と帆希、2人の部屋は2段ベッドが壁際にあり、ベッドの下の空間には勉強机が押し込まれている。それは、まるで寝台列車のような趣で、ベッドの柵には段ボールで作った全面表示幕や表示器をつくって、取り付けてある。
そして、ベッド以外の場所には、全面にプラレールの線路が敷き詰めてある。
「いつ来ても、『鉄オタ』感満載の部屋ね。今回のジオラマも、あんた達の提案なんでしょ」
2人は肩をすくめて、視線を逸らした。
「ちょっと待って?何か足りないと思ったら、あんた達の学校の展示には列車が走っていないのね」
「勿論。今は運休しているじゃない」
「でも、再開したら列車は走るんでしょ?家にある列車を持っていって、教室いっぱいに走らせたら?」
「えー、外房線一本じゃ、つまらないよ」
帆希が口を尖らせた。
「それに、僕たちの列車は新幹線が多いから・・・」
和帆もそれなりにこだわりが強いようだ。
「新幹線の上に、プラ板で他の列車の形を貼り付けて、走らせるとかいう方法はないの?」
「いや、それなら古いボディーに塗装したりシールをつけたりして、改造した方がまし」
最新の新幹線に、傷は着けたくはないようだ。
相談をしておきながら、グズグズ言う弟に呆れて、里帆は弟たちのプラレールで遊び始めた。弟たちも、ギャラリーが増えたので嬉しくて、色々な車両を線路に乗せてみたり、ポイント交換をしてみたりした。
「ふーん。色々できるのね。こういうのはすべて買うの?」
和帆は、工具箱を広げて見せた。
「モーターとかは専門店のパーツがあるから買うけれど、ジオラマは、自分たちで100均の紙粘土で作ったり、ハンディファンで風を送ったり、工夫している」
里帆は人差し指でこめかみを叩いた。
「こういう技術を教えてくれた人はいたの?」
帆希が目を輝かせた。
「中村甲次郎君が優しい」
「中村って、翔太郎君の弟?」
和帆が答えた。
「うん。でも、今、あんまり学校に行ってないって聞いた」
暫く悩んだ里帆だったが、結局、翔太郎にメールを打った。
「家の弟たちが、『甲次郎君にプラレールについて聞きたい』って言っているんだけれど、家に遊びに行ってもいいかな?」
メールの返事は来なかったが、夕方、野球部の練習が終わった後、翔太郎が家を訪ねてきてくれた。
「翔太郎君?わざわざありがとう。上がってくれる?弟たちの部屋って、プラレールまみれで足の踏み場もないんだけれど、見に来てくれる?」
「久し振り。女の子の部屋に始めて上がるのかと思ったけれど、弟たちの部屋かぁ」
この表裏のない物言いが、翔太郎の長所である。そして、里帆が、野球の応援にも、学校にも来なかった理由が分かっていて、敢えて、それに触れない思いやりも育ってきていた。
部屋に入るなり開口一番、翔太郎が笑い出した。
「いやー。甲次郎の部屋と同じ匂いがするな」
弟たちは、この超体育会系人間を目の前にして固まってしまった。里帆はそんな弟たちを翔太郎に紹介して、今回の依頼の件を詳しく説明した。
翔太郎は、和帆の学習用の椅子に座って、暫く考えた。
「あいつが最近学校に行っていないって話を、和帆君は知っているんだよね。今、拒食症でさ、何食べても吐いちゃうんだ。この暑さで、何も食べてないと危ないって言うんで、親が学校に行かせてないだけなんだよ。それで、1日中部屋に籠もっているんだけれど、でも部屋の中で、プラレールが走る音は聞こえているから、起きていると思うんだ」
里帆が言いにくそうに、翔太郎に尋ねた。
「拒食症ってダイエットしたの?」
「いや、逆だな。無理に大量に食べようとして・・・かな?まあ、この話は親の問題もあるんで、この辺で止めよう」
翔太郎は、再度和帆に尋ねた。
「で?和帆君は、甲次郎に何を聞きたいの?」
和帆は一生懸命、自分たちの展示にプラレールを走らせたいのだが、自分たちのコレクションには、新幹線しかなくて、百葉村のジオラマには合わない。ついては、外房線を走らせるには、どんな方法があるか聞いて欲しいと言うことを説明した。
「んー。俺には何言っているか、いまいちピンとこないな。直接、甲次郎に話しかけてくれるか?」
そう言うと、翔太郎は、自分のスマホで甲次郎を呼び出してしまった。
「何?兄ちゃん。今どこから掛けているの?」
甲次郎はすぐ、ビデオ通話に返事をしてくれた。甲次郎が寝間着姿だったので、里帆は画面に映らない位置にこっそり移動した。
「甲次郎ってさ、山賀和帆って知っている?」
「うん。プラレール好きな子だろう?何回か相談に乗ったことある」
翔太郎は、和帆達のプラレールが見えるように、スマホで部屋を映した。
「へー。結構立派なコースを組んであるね。東日本の新幹線が全部揃っている。で?兄ちゃん。そこに女の子いるだろう?」
甲次郎は、画面に映った可愛い靴下の里帆の足を、見逃さなかった。
「おう。バレた?和帆の姉ちゃんもいる。俺のクラスメートなんだ」
翔太郎はスマホで、里帆の顔を一瞬映した。里帆は、顔を隠そうとしたが間に合わなかった。
「で?『将を射んと欲すれば、まず馬を射よ』って訳か?」
帆希が「馬」という言葉だけを聞き取り、高い声で反論した。
「馬は折り紙で作っていません」
里帆は、甲次郎の言う「将」が自分を指していることに気づき、顔を赤くした。
翔太郎は、里帆の反応に気づいていないようだった。
「和帆さっきの説明をもう1回してくれる?」
説明を聞いた甲次郎は、明日取りあえず、小学校の教室に行ってから、和帆達の手持ちのプラレールを見てくれると約束した。
里帆は、翔太郎のシャツの袖を引いた。
「甲次郎君、外に出ても大丈夫なの?」
甲次郎がそれを聞きつけて、スマホの向こうから答えた。
「兄ちゃん。俺のこと、『拒食症』とか言ったんじゃないのか?それ違うんだからね」
「なんで?母ちゃんはそう言っていたよ」
「違うって、あの人は、兄ちゃんと同じ飯を俺に出すんで、食い切れなくてトイレで吐いたら、その日から『拒食症』だって、騒ぎ始めたんだ。俺は、夏は素麺とかだったら、普通に食えるよ」
「あーね。あの人、思い込み激しいからね」
「それで、朝から焼き肉丼大盛りなんて並べるから、拒否ったら、『朝ご飯を食べてから学校に行きなさい』って、登校させてくれないんだ。だから、俺も反抗して朝から部屋でゲーム三昧の生活を送っているわけ」
夏休みは始まっているので、部活動や文化祭の準備がなければ、家にずっと籠もっていても別に困りはしないが・・・。
「飯はどうしているの?」
甲次郎は、段ボールいっぱいのカップラーメンを見せた。
「部屋でつくって食っている。もう遅いね。じゃあ、山賀さん。明日、両親が出勤したら、学校に向かいます」
中村の両親は、未来TECの社員だった。
里帆はその話を聞いて、急に部屋を飛び出していった。
翔太郎が帰る時、玄関で里帆が可愛らしい弁当箱を差し出した。この短い間に甲次郎に渡す弁当を詰めてきたのだ。
「あれじゃ、栄養不足なんで、家の夕飯の残り物で悪いんだけれど、これを持って帰って、甲次郎君に食べさせて。明日も、朝と昼のお弁当を持っていくから」
「俺には?」
「お母さんに焼き肉丼を作って貰ってください」
赤くなって膨れた里帆に、翔太郎は真顔になって、野球帽を取った。
「ありがとう。小学生の前では強がり言っているけれど、甲次郎は親の期待に押しつぶされそうだったんだ」
里帆は小首を傾げた。
「親の期待?」
翔太郎は小さくため息をついた。
「親はさ、兄弟で野球をやって欲しかったんだ。だから、俺と同じ飯を食わせようとした」
「翔太郎君って、異常な量を食べるよね」
「『異常』かどうか分からないけれど、親は、あれが『正常』だと思ってしまったんだな。
野球の練習をサボってプラレールでばかり遊んでいるから、一時期、プラレールを捨てられそうになったこともあったんだ。泣いて抗議するあいつに、『野球を続けるなら捨てない』って。
だから、いやいや野球部に入っていたんだけれど、もう限界だったかも知れない」
「ひどい」
「家の親には『男の子は元気に外で運動をするものだ』って固定観念があるんだろう」
涙腺が緩んでいる里帆はまた、泣きだしてしまった。
「俺は弟も心配だったけれど、里帆のことも心配していたんだよ。
明日、部活が終わったら、里帆の家に行くから、何か食い物用意していてくれ」
そう言うと、翔太郎は帽子を被って、暗い夜道を駆け足で帰っていった。
里帆はもう自分が泣いている原因が何か、分からなくなってしまった。
空腹時の胃って、握りこぶし(50ml~100ml)ぐらいの大きさですよね。食卓に並んでいる食品をまとめると、1.5L~2Lくらいあるんですけれど、あれが入るんですよ。あの伸縮性ってすごいなぁ。そう言いながら、今日2つ目の「Coolish」に手を伸ばしているのは、私です。「青空ソーダフロート」が最近のマイブームです。




