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52 吉田小百合は演技した

茶道の先生、吉田小百合さんは、小町技術員さんや美鳥さんに、朔太郎さんのことを頼まれて、一芝居打ちに行きました。

 「ごめんください」

 翌日、吉田小百合は訪問着ほうもんぎを着て、大きな袋と風呂敷包みを抱えて、桐生家を訪ねた。


「はいはい。あー。吉田先生。ご無沙汰しています」

教師だった桐生朔太郎(きりゅうさくたろう)は、「先生」というものに無礼を働くことはできなかったようだ。

和服で訪ねたのも、朔太郎に無礼を働かせない作戦だった。


「ご無沙汰していました。実は、自宅の倉庫を探していたら、奥様から預かったものがあったので、お返ししようと思って参りましたの。ああ、玄関先でごめんなさい。これはお預かりしていた御礼ですの、うちで作った野菜で申し訳ないけれど、受け取ってください」

 

 朔太郎にとって、野菜は(のど)から手が出るほど欲しかったものなので、素直に受け取って台所に持っていった。その隙に、小百合はスタスタと家に上がり込み、仏間に入っていった。

 慌てて、仏間に入ってきた朔太郎に、枯れた花の入った花瓶を見せた。

「仏様へのお花持ってきましたから、台所でお水を替えさせ下さいね」

小百合はそう言うと、今度は、台所にスタスタと入っていった。


「朔太郎さん、花鋏(はなばさみ)ありますか?」

慌てて、台所を出て行った朔太郎を横目に、小百合は、スマホで台所の動画を撮った。そして、小町技術員に持たされた小型の監視カメラを、食器棚の片隅にそっと設置した。


「すいません。先生、こんな鋏しかなくて」

朔太郎の持ってきた普通の鋏で、茎を切って、洗った花瓶に()けた。

「いいえ、お手数掛けましたね。じゃあ、仏様にご挨拶してからお話をいたしましょう」


台所で、朔太郎はカビの生えた急須(きゅうす)から、お茶っ葉を()きだし、お茶を入れた。そのお茶と湯飲みは、葬儀の時、坊さんに出したまま、洗わずおいてあったものだ。


 仏間では、小百合がもう一つの監視カメラを、鴨居(かもい)に隠し終わったところだった。

「こんなものしかなくて」

そう言って、仏間に入ってきた朔太郎が勧めた煎餅(せんべい)湿気(しけ)っていたし、座布団はほこりだらけだった。それでも小百合はそれに頓着することなく、話を始めた。


「この茶碗なの。奥様に差し上げたのに、お持ち帰りいただけなくて」

小百合は自宅にあった練習用の茶碗を、それらしい木箱に入れて持ってきたのだ。


「いやー。私がそのようなものをいただいても」

「ご主人様に差し上げるのではなく、()()()差し上げるんですの」

そう言って、仏壇の前に(うやうや)しく、木箱を置いた。


「それでね、実は、奥様にお茶会の時、お貸ししたお着物があったのを思い出したの」

これは事実である。流石(さすが)に、嘘を言って人の着物を持ってきてしまうのは犯罪だ。


「どれでしょう?私には分からなくて」

「私も、奥様のタンスを開けるわけには行きませんわ。多分奥様なら、借りた着物に何かメモを付けていらっしゃるのではないかしら」

「じゃあ、うちにある着物はそれほど多くもないので、すべて持ってきますね」

小百合はその間、出された菓子を摘まんだが、匂いを嗅いで、そのまま戻した。


 お茶会に着物を借りるくらいだから、手持ちの着物は桐箱(きりばこ)3箱くらいにすべて収まっていた。その桐箱すべてを、朔太郎はえっちらおっちら仏間まで運んできた。

「まあまあ、力がおありですね。男の方は違うわ」


そうおだてながら、小百合はゆっくりと桐箱を一つ一つ改めていった。

「まあ、可愛い浴衣ですね。肩上げがあるから、5歳くらいでお召しになったものかしら」

「ああ、娘が昔着たものですね。7歳の時は、背が伸びすぎて着せられなかったんですよ」

「これは、奥様のお茶の練習によくお召しになっていたものですね。(ひとえ)なんですが、冬にもお召しで・・・」


「まあ、道楽に金を掛けるのもどうかと思って・・・」

「ごめんなさいね。『道楽』で・・」

小百合は(とこ)()に飾られた、一目見て偽物(にせもの)と分かる掛け軸や花瓶(かびん)に目を走らせた。小百合は、この男は多分、練習用の茶碗を見ても、価値が分からないだろうと思った。


 2つ目の桐箱に、たとう紙に包まれた浴衣と帯を見つけて、小百合はそれを丁寧に取りだした。

「あら、この浴衣は仕付(しつ)けがついているのね。新しいから、お孫さんに作ったものかしら」

朔太郎は何を聞かれても、全く分からなかった。興味もなかったのだ。

「さあ、わかりませんな」


 小百合は、たとう紙に書かれた販売店の名を見て、それから、浴衣を出して広げてみた。

「多分、奥様がお孫様につくって差し上げたのかしら。娘さん譲りで、お孫さんも背が高かったのかしら。特注ですよね。きっと奥様が、へそくりで一生懸命購入なさったのでしょうね。自分のお着物は買わずに、お孫さんに買って差し上げるなんて、お優しい。この着物はタンスの中に入れて置いたら、奥様はきっと草葉(くさば)(かげ)でお嘆きね」


 お茶の稽古には、恥を忍んで、冬にも夏物を着てきていた理由を考えると、小百合は目頭(めがしら)が熱くなった。一方、夫の朔太郎は、見る目もないのに骨董品を買い込んで床の間に並べている。本当は「化けて出る」くらい言ってやりたかったが、小百合はグッと堪えた。


「孫に渡す着物を、俺に無断で作ったなんて、無駄遣いしおって」


朔太郎の言いように、小百合は(はらわた)が煮えくりかえったが、ここで怒ってはいけない。孫夫婦の優しい気持ちを考えると、ここで、失敗するわけにはいかない。小百合は話題をそこで打ち切って、他の着物を(あさ)った。探していた着物はあったが、大変残念な状態になっていた。


「あらー。奥様はこれを()()()クリーニング屋さんにお出しになったのね」

「ん?着物は、『普通ではない』クリーニングに出すのですか?」

「んー。大変申し上げにくいんですが、こういう着物は絹製品なので、着物専門のクリーニング屋さんか、悉皆屋(しっかいや)さんに出しますの。だから、お貸しした時に『洗わずそのままお返し下さい』って申し上げたのに」


 実は、クリーニングに出したのは他ならぬ朔太郎だったのだ。お茶会から帰って、脱いであった着物を、軽い気持ちで、自分の服と一緒にクリーニング屋に持っていったのだ。


「普通ではないクリーニング屋で再度洗えばいいのでしょうか?」

「申し訳ないけれど、絹の着物は一度、縮んでしまうと、もう元の形には戻らないですの」


「申し訳ありません。弁償させていただきます」

「まあ、そんな。お貸ししたのは私なので、そんなお気遣いはいりませんわ」

頑固な男は、人に貸しを作ることが嫌いである。「気遣いはいらない」と言われて、引き下がるわけにはいかなかった。

「いえいえ、人から借りた物を台無しにして、そのままにするわけにはいきません」

台無しにしたのは朔太郎なのだが・・・。


「そんなにおっしゃるなら、お孫さんに作った浴衣を預からせて下さい。このままでは奥様が悲しまれるから」

「そんなことおっしゃらず、この桐箱を中身ごと、すべて持っていってくれませんか?これを見ているとあいつを思い出しますし、雑巾(ぞうきん)にでもしていただければ・・・」


「雑巾?滅相(めっそう)もありません。この浴衣はオーダーメイドでしょ?雑巾なんて、可愛そう。兵児帯(へこおび)も下駄も新品を買ってあるじゃないですか」

「『(つる)し』ではないんですか?オーダーメイドって、一体いくらぐらいするんですか」


小百合は、にっこり笑って片手を開く。

「着物って、普通は反物(たんもの)から縫ってもらうんですが、背が高かったり、幅があったりすると、余分に反物がいりますから、そういう意味では『特注』ですわね。帯や下駄なども入れると、このくらいはかかったかも知れませんわね」

そう言って、小百合は両手を開いた。


 朔太郎は、10本指を「10,000円」と思い込んだ。本当は10万円なのだが、それでも朔太郎は「そんな無駄遣いをして」と、腹を立てた。業者に(だま)されたのかとも思った。


「そんなにするんですか?あー。(ちな)みにお貸しいただいた着物は・・・」

「50万円くらいかしら。帯はもっと高くて100万円ね。この帯もクリーニングに出していただいたので、色々なところがほつれてしまいましたね」


 朔太郎は、サッと背筋が寒くなった。これらの着物は、今自分が貰っている年金で払えないほどの金額だということに始めて気がついた。そして、浴衣の金額が本当は10万円だったことに気がついた。


「いやー。私は、貧乏な教員風情(ふぜい)で、ものの価値が分からなくて・・」

「こんなに豪邸にお住まいで、何をおっしゃいます。でも残念ですわ。灰の重みで車庫も外車も潰れてしまいましたのね」


 そう、朔太郎は自分の車には数百万円でも出すのに、妻の服はすべて、量販店で買うものを着せていたのだ。10万円を貯めるのに、どのくらいやりくりしたのだろう。


「いや。業者に灰の除去を頼もうとしたら、どこも請け負って貰えなくて」

小百合は、やっと「餌に食い付いた」と確信した。


「まあ、じゃあ、お茶の生徒さんに、この着物を取りに来て貰う時に、灰も掃除して貰いますね」

「いや、女子供じゃ無理だろう」

「あらー。茶道は男性もたしなみますのよ。高校の茶道部にも男子部員がいるので頼みますわ。では、ご馳走様でした。明日、7時頃生徒を連れて来ますから、待っていて下さい」


 小百合は、浴衣のたとう紙だけ抱えて、朔太郎の返事も聞かず、風のように帰って行ってしまった。



 翌朝、屈強な男子部員が屋根から灰を片づけ、()()()女子部員が部屋の中を掃除し、1週間分の食事を冷蔵庫に入れて、3つの桐箱を持って帰っていった。

祖母のあつらえた浴衣は、その日のうちに美鳥の手に渡った。 

用語解説:「訪問着」和服の種類。小百合はわざと格の高い着物を着ていった。「たとう紙」着物を入れる和紙の包み紙。「単」裏地のついてない夏に着る着物。冬は「あわせ」裏地のついている着物を着る。「肩上げ」大きくなっても着られるように、肩の部分を摘まんで縫うこと。七五三の着物は大きくなっても着られるように、肩上げなどをしてサイズ調整がしてある。「悉皆屋」着物のことなら何でも請け負ってくれる店。クリーニングやお直しなどいろいろしてくれる専門家。

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